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2009年7月18日土曜日

MDR-CD900ST

2 件のコメント:
SONY MDR-CD900ST
SONY MDR-CD900ST
posted with amazlet at 09.07.18
Sony
売り上げランキング: 3780
おすすめ度の平均: 4.5
4 音楽鑑賞の長時間の使用には向いていない
5 さすが、日本一の「2台目」
4 個性のなさが最大の個性
5 いろんな意味で衝撃的だった
5 間違いのない選択


こないだ入ったボーナスをもって、ヨドバシのヘッドフォンコーナーで2時間弱、いろんなヘッドフォンを聞き比べて検討した末、これを買いました。
そのコストパフォーマンスの良さから、小さなレコーディングスタジオとかじゃデファクトスタンダードになってるという話まであるぐらいの代物。
頭への装着間は抜群。密閉型なのに、何時間つけてても疲れない。
しかも、音漏れもとんでもなく少ない。他の密閉型のヘッドフォンは、ある程度の音量になると、ちょっと離れていても小さな音が聞こえてきたが、これはほぼまったく聞こえない。

音質にもまったく問題はなく、高音の伸びも低音の響きも「ほぼイキかけました」なんだが、一点注意すべきは、コードの長さとプラグの形状。
コードというよりは、むしろ「シールド」(ギターとアンプを繋ぐケーブルのことをそう呼ぶ)と呼んだほうがしっくりくるぐらいに長くしっかりしている。その長さ実に2m。そして、プラグの形状は、普通のステレオミニプラグでなく、標準ステレオプラグ。つまり、ウォークマンに挿すようなプラグではなく、アンプとかに挿すようなプラグなのだ。それがこのヘッドフォンの用途を物語っている全てw
つまり、ウォークマンとかで聞こうと思うといちいち変換プラグをつけないといけないわけだ。

しかし、そうして手間をかけても、これはスピーカーで聞くには恥ずかしい歌を大音量でしっかり聴くには十分耐えうるヘッドフォンだし、最高の電波ソング視聴環境を提供してくれる。
気になるお値段は実に1万6千円。安い!

僕がコレを買ったのは、今まで使ってたヘッドフォンが壊れたからだが、それは6年前に購入した当時コードレスヘッドフォンの最新機種で、デジタル遠赤外線なんていう技術を搭載していたものだったため、5万円もした。それを考えると、非常にコストパフォーマンスが優れていることがわかる。

このヘッドフォンで
Everlasting Songs
Everlasting Songs
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FictionJunction
flying DOG (2009-02-25)
売り上げランキング: 660
おすすめ度の平均: 4.0
3 存在感に差が有り過ぎて…
2 歌唱力に差がありすぎ。
5 天からの響き
5 既存曲+新録曲+新曲
3 トキ伝の主題歌が・・


このアルバムにある名曲「星屑」を聴こうものなら、鳥肌という鳥肌が決起集会を起こしてしまう。
梶浦さんの歌は本当にいいなあ。今度横浜BLITZのライブ行こうかなあ。

ただ一番の問題は、僕がこのヘッドフォンを自宅で楽しむためには、仕事から帰るのが最近は遅すぎるということだ…

2009年7月7日火曜日

眼鏡軍縁無眼鏡師団伊達眼鏡聯隊サングラス大隊隊長オーバーオール

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昨日の朝はゾンビ世界の始まりみたいに体調が悪くて、会社を休もうかと本気で考えたんだが、バグフィックスしたソースを他開発者が利用出来るようにしていなかったので、這ってでも行かねばならなかった。
定時後は速やかに退社して、好きな音楽を聴いてリラックスした上で早目に寝たおかげか、今朝の気分は頗る快調。
やっぱり裸で寝ると、より一層深い眠りにつけるような気がするな。しんごーしんごー!

2009年7月1日水曜日

萌えの再定義

2 件のコメント:
何故、萌えに相当する形容詞がないのか?おかしいじゃないか、「可愛い」のように対象を直接言い表せないなんて?萌えるは僕のことであって対象のことではないのだろうか?
そして僕は遂に理解した。
萌えと可愛いは同義語なんていう意見がよくあるけど、よく考えてみれば全然別物さ。
「可愛い」は、その対象に対する、自分の主観的な感慨だが、「萌える」はその主観的な感慨によって起こる、結果としての情動さ。
「可愛い」ってのは、対象から受ける印象が、主観というレンズを通って屈折した感慨だ。そのあとに、「だから萌える」という言葉をつけるのが本来の用法だが、そうしたときには『「可愛い」によって私は情動が沸き上がるんですよ』と言ってるのと相違ない。
つまり、萌えを感慨の結論としての情動とみなすなら、形容出来るものに対するフェティシズム(あるいはパラノイア的な何か)だと言い換えることが出来る。

一般的に「あずにゃん萌えー!」というときは、「あずにゃん(の貧乳が可愛いから)萌えー!」というような、名詞に対する形容が省略されるのが普通である。
これは、省略することによって括弧の中の部分を抽象化し、あずにゃんの何かに対して(何でもいい。髪型でもいいし声でも釣り目でも)形容されうる感慨を得(何でもいい。美しいでも楽しいでもキモいでも)、その結論としてリビドーを獲得する人すべての同意を得ることが出来るからだ。
要するに、計らずも、省略がコミュニケーションインターフェイスとしての役割を果たしているわけだ。
簡単に言うとこうなる。

A「けいおん!(の澪の怖がり屋さんなところが可愛くて)萌えるよなー」
B「けいおん!(の唯のほんわかしてるところが癒し系で)萌えるよなー」

AとBは「けいおん!萌えるよなー」と言う言葉で会話を成立させているのであり、何についてどう萌えるのかと言うのはコミュニケーションの第二段階である。
要するに、「けいおん」「萌える」という単純な二語がインターフェイスとなって、二人の仲を取り成しているのだ。

僕は「ゾンビ萌えー!」が口癖の類人猿だが、このインターフェイスでコミュニケーションを図れないのは、ゾンビを形容する何かに対して情動が沸き上がる人がほとんどいないからだ。
(実際、「ゾンビ映画」という括りなら同意してくれる人が少し増える。それはゾンビ映画の『ストーリー』に対して何かを感じる人がいるからだ。それがたとえゾンビとは関係なくても。)

さて、ここまで来ればもう答えは見えたようなもんだ。
何故萌えは性欲と混同されやすいのか?
それは、萌えという言葉が使われるようになったのがヲタクの間からであり、言葉の対象となるのが女の子の場合が圧倒的に多かったからだ。だから、「萌え=可愛い」という図式も成り立つことが非常に多い。昨今の「萌えアニメ」を見ればお分かりだろう。あれは「萌え=可愛い」として捉えた現象だ。
今や萌えは本来の意味で使われるようになり、「廃墟萌え」だとか「戦国時代萌え」とか様々な語法が用いられるようになった。この例でみても、別に廃墟や戦国時代に性的興奮を感じるわけではなく(感じたら単なる性的倒錯者だ)、それらを形容する何かがリビドーを掻き立てるわけだ。だから、腐女子に言わせると戦国BASARAは「萌え漫画」と言うことになる。いや、僕は戦国BASARAのことを全然知らないけど。

かくして、上記のような論法で、僕は萌えを再定義した。
これで僕がゾンビに性的倒錯している変な野郎だとは思われなくなるため、心置きなく叫ぼう。

ゾ ン ビ 萌 え ! 

2009年6月21日日曜日

ゴルゴダ

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no image
奥 浩哉
集英社
おすすめ度の平均: 4.5
4 ラストミッション??
5 日常編(ネタバレなし)←たぶん


オニ星人あたりから戦闘力のインフレが激しくなってきて、ぬらりひょんで「これ以上強いやつとか想像出来ねえwwwww」レベルになったので、フランス編になっても前みたいなwktk感が減ったというのは実感としてあったり。面白いことは面白いんだけどね。
っていうかもうGANTZスーツとか、防御面ではほとんど意味を成してないような気がするwww最初の頃は敵の攻撃でもある程度防いだり出来てたけど、最近はもう敵が強くなりすぎて、GANTZスーツごとすぐに切り裂かれてるような希ガス。岡が着てたスーツも、ぬらりひょんの攻撃に耐えれてたのに、フランス編じゃあのザマだもんなあ…。
それにしても西君の美化が激しすぎる。




相変わらず何が起こってるのかよくわからない漫画だったけど、面白かった。
って言う感想がなんかすごい気がするけど、本当に描写がよくわからないんだが、とにかく面白いわけだ。たぶんキャラが個性的だからなんだろうけど。ジェニファーたんは今回ほとんど見せ場なし。あーあ。


そういえば、「いばらの王」が映画化されるそうで。
あれはスピーディな展開が面白いから、うまくいけば化けそうな映画だね。
漫画では、後半ちょっとgdgdになってしまったから、その辺うまく出来ればいいなと思う。

『人生に秘密はない。あるのは、隠された真実だけだ。』

0 件のコメント:
デクスター シーズン1 コンプリートBOX [DVD]
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン (2009-03-06)
売り上げランキング: 3040
おすすめ度の平均: 4.5
5 すばらしい
5 文句なしに面白い。巧妙なストーリー展開に大興奮です。
1 所詮、シリアルキラー
5 面白すぎる
5 面白いです。


僕が気になっていたところを姉が借りてきたので見てみた。すげえ面白い。見るのがやめられないタイプの面白さじゃないんだけど、没頭してしまう。
主人公であるデクスターは、法で裁くことの出来ない悪者のみを殺していくシリアルキラー。
とこう書くと物騒だけど、第一話のタイトルにもあるように、いわゆる「正義の殺人者」。
デクスターには感情というものがないらしく、物語の所々で独白される言葉の一つ一つがすごく興味深い。
つまりはデクスターはサイコパスに分類される人間なんだろうけど、色々なところに現れる人間臭さが、ドラマ自体をより一層魅力的なものにしている。もちろん、「人助けなどと血迷ったことを…」なんて考えるぐらいにはおかしいことには違いないんだけれど。

姉から早くシーズン1を全部借りて、観よう。

2009年6月17日水曜日

UPSIDE DOWN

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「他人から変われと言われても、人間はなかなか変わることが出来ない。本当に人間が一番自身を変えることが出来るのは、自身に対して疑問を問い掛けたときだけだ」
さすがトーマス・フリードマン。良いこと言うね。

2009年6月13日土曜日

Make your choice

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いやあ、遂にフェデラーが全仏で優勝しましたな。
そのことを平日に投稿しようと思っても仕事のせいで投稿できなかったので、今こうして書いているワケだ。
全仏が始まってからずっと会社の先輩とも話してたんだが、フェデラーが優勝出来た一番の理由は、やっぱりナダルの途中敗退以外にないと思うんだよな。誰もがそう思う。
ナダルはなんとかウィンブルドンには出るみたいだけど、出るのが危ぶまれてたぐらい足を故障しているらしいけども…そうでなければ得意とするクレーコートであんな敗北を喫するなんてことは考えられなかった。
つか、マジでナダル敗退の報を聞いたときはびっくりした。会社ではあの日一番の話題だったね。誰もが予想していなかった大波乱だよ。
打ち破ったソデルリングは無名の選手だけど、実際決勝まで行くほどの強運と実力の持ち主だった。まさに大穴って感じだな。

何はともあれ、これでフェデラーはキャリアグランドスラムを達成して、ピート・サンプラスの持つグランドスラム獲得回数に並んだわけで、次のウィンブルドンでフェデラーが優勝したら、歴史に残る大会になる。そしてその可能性は低くはないと思う。ライバルのナダルはあんな調子だし、芝はフェデラーの十八番みたいだし。

今度のウィンブルドンが楽しみだ。一度生で見てみたいなあ…

2009年6月6日土曜日

『名も知らぬ君に気に入られようと 底のない谷を飛び越え』

2 件のコメント:
今日は本来は休日出勤して、開発をする予定だった。
それは昨日のこと。
僕が休日出勤の申請を出すと、呼び出しを受けた。どうせまたスケジュールが云々とか言う話だろうと思っていると、なんと休日出勤は禁止とのお告げだった。聞けば、どうも上の方で面倒くさいごたごたがあったらしい。
というわけで、僕は今こうして優雅にコーヒーを飲んで朝を満喫しているわけだが、その分昨日は(というより昨日「も」?まあ水曜日だけは会社を定時に出て、P嬢とハンバーグを食べてたんだけど。)遅くまで仕事をせねばならなかった。

夜、誰もいなくなったフロアで仕事をしていると、外線電話が鳴った。こんな時間に、ありえない、と思いつつも仕方ないので出る。先輩だった。「まだ会社いんの?何時に終わる?直也が来るまで飲んでるから出るとき電話しろよー」って言う飲み会のお誘いだった。仕事のおかげでいけなくなった飲み会なんだが、わざわざ待っててくれてることに嬉しさを感じた。
22時過ぎに仕事を切り上げて、そのまま繁華街へ足を運び、終電まで飲んだ。楽しかった。
会社で仲の良いグループなりが出来ると、オンオフのメリハリができるのでとても良いと思う今日この頃。

仕事に関しては、休日出勤を取り消したことが愚行だと思うぐらい大変な状況。
リーマンショック以来の世界的な不況や、新型インフルエンザなどが色々な業務を阻み、その皺寄せが今になって押し寄せている。CSRの関係もあり、社会情勢を会社活動に反映させる行動というのは、実のところ従業員からすれば負担以外の何者でもない。まあ、原因が僕の仕事が遅いという可能性もなきにしもあらずだが、これらの理由で上の人の仕事が随分手間取ったと言うのが真相だと僕は見ている。
昨日の呼び出しのついでに、僕がメインとなってやっている開発に助っ人をプレゼントしてくれると言う話になり、部署全体で人員調整を図るなどという大事になっていた。まさに恐縮の極み。だけど僕の胃を痛くした一言は、人員調整を依頼された役職つきの方の「ちょっとこっちで調整かけるわ。誰か見つかったら報告する。作業の指示は水上でいいな?」。
今でも上の人に指示して胃に穴の存在を感じてるのに、さらに指示対象を増やしたら僕の胃は決壊する。
それに、誰かに作業指示を行うということは、僕の管理する時間が増えるということであり、開発の時間が少なくなるということなので、出来れば作業支持は他の人にやってもらいたい所存。

僕のこういう買いかぶられすぎな役回りは昔からのこととは言え、社会人になってもこうだと、責任とストレスでいつか体を壊しそうだ。僕が部署の皆から「多忙だね!水上君」と声をかけられるほど多忙なことが周知になっていて、それが原因で皆が気を遣ってくださり、結果、庶務や雑用が全部先輩のほうに回っていってしまっているので、それもまたすごく申し訳なくて胃の内容物がファイナルディステネーションになるところけど、実際僕はそんなに繊細な神経してないことも歴史が証明している。
ああ嫌だ嫌だと思う割に、こういうときにポジションシンキングで自己分析とかするから精神的な疲労が見えないんだよなあ僕は。マイナスに考えてたら動きが鈍くなるから、ってのは言い訳だけど、苦境ほど悲観的にならないほうが案外うまくいくもんだというのが僕の経験則だ。なんとかなるなるななおなる。

2009年5月24日日曜日

『答案真っ白でも、未来がばら色ならよくね?』

25 件のコメント:
昔僕が好きだった熱心のブロガーの方が、言語は繋げることで意味を持つようになる「可能態」である、と主張していた。
当時は今よりさらに浅い思索しか持ち合わせしかなかった僕なので、当然そんな難しいことの意味が100%解るはずもなく、ただただ「なるほど、言い得て妙だな」なんて納得をしてみたかっただけだった。

ふとその主張を思い出し、よく考えてみると、人の想像力の源は案外そこにあるんじゃないかと思いはじめてきた。

文法に従って言葉を並べて意味を「作る」ことで、荒唐無稽だが想像出来てしまう文章が出来ることがある。
例えば以下のような文章だ。

「街中で人々が足元を指差しAwesome!と叫んでいるものだから、慌てて日本アルプスを眺めてみると、干からびた吐息が斜め上からワルツを解禁していた」

文法的に違反はしていないが、常識的な文章としてはやや不適切だ。
思い付いた言葉を適当に繋いでみただけの上記の文章だが、前半は容易に想像出来る。問題は後半で、これは比喩と理解しなければ想像が出来ない。というのも吐息は干からびないし、ワルツを解禁もしないからだ。
でも、ここで想像力の出番がやってくる。「干からびた吐息」はおじいさんを示しているんじゃあないのか?そうだとすると、上空が舞台であることを考えれば、対象は神々や天使、それに類するものだ。

…なんていう無理矢理なこじつけが可能になってしまい、それがこじれて「寓話」が産まれる。
単なる、意味のない言葉遊びから、連想や比喩という想像力が介入して意味が生まれて、さらに論理や常識が横槍を入れてきて脈絡のある筋書になる。

言葉を繋げるには語彙力が不可欠だし、文法を並べるには論理力が必要だ。連想には経験が必要だし、意味に脈絡を持たせるには知性がいる。

今や力ある言葉として認知度の高い諺や、昔話の数々。それが単なる子供たちに語られる童話や、地域に根差した民話ではなく、人々の言葉遊びから生まれたものだと考えるのは荒唐無稽だろうか?しかし、荒唐無稽なものに対する意味付けを行えることを自覚した人は、果たしてそんな妄想を一笑に付すことが出来るだろうか?

歴史が勝者の日記であり、民話が言葉遊びの産物なら、僕らが思いを馳せる過去とは何なのだろうか?

2009年5月23日土曜日

『コーヒー飲んで立ち上がった妙に明るい"さよなら"』

25 件のコメント:
坂本真綾たんのアルバム「カゼヨミ」に収録されている「失恋カフェ」が名曲すぎて困る。
やっぱこういう曲調の方が、この人の歌声は映える。
タイトル通り、カフェで流れてるようなジャズっぽさ。ファゴットを始めとして、管楽器の音色が心地良い。サックスとベースの調和も素晴らしく、それにバッキングギターも最高のスパイスとなっている。

歌詞の内容は、大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」のような感じ。切ない。

2009年5月16日土曜日

Get No Satisfaction!

25 件のコメント:
「目が回る忙しさ」と言う比喩があるが、まさか比喩でなく本当に目が回るとは思ってもいなかった…
もちろん、豚フルの症状だとか、そんなことはない。僕は健康だ。

とにかくGWが明けてからの仕事が忙しすぎて、気づいたらもう一週間という有様。
ちなみにGWは、年末年始より長い8連休と言う長さ。P嬢と高松にうどん旅行に行ったり、戯言遣いとテニスしたり理系組との飲み会に行ったり、となかなか充実したGWですた。

写真は下記URLにうp済み
dogsexplorer

今朝、神戸で豚フル感染濃厚の高校生がいたらしい。うはwww会社休みwwwwとかなるんかなあ、ならないだろうなあ。まあ休んでる場合じゃあないんだが。

感染疑いが見つかるたびにニュースが騒々しく取り上げるわけだけど、それに対して「日本のマスコミは騒ぎすぎだろ」と言う声もあるけど、僕はそれでいいと思う。普通のインフルエンザと症状は変わらないとは言え、一応新種には変わりはないわけだし、そうやって疑いのある人を一人一人でも丁寧に検査していくことで、国内のパンデミックが抑えられているというのが現状なんじゃないかな、と。
国内でパンデミックになってないのは、ひとえに厳重な水際検査のおかげでもあるので(まあ検査段階で感染者は見つからなかったわけだが)、「何も起こってないんだから騒ぐのはよせ」って言うのは筋違いだな、と思う今日この頃。軽視していたらとっくにパンデミックになってると思うよ。何もしないよりはマシかと。少なくとも情報があることで危機意識を高めることが出来た人は自衛策をとることだって出来るしね。

ちなみに日本の会社はパンデミックに対する危機管理が出来ていないんだとか言うことを会社で聞いた。
情報技術の発達したこの現代で、IT企業ですら、パンデミックが起こってしまって出社を禁止されたら、何も仕事が出来ない状況だとか。
極端だとは言え、確かにそうだなと思う。自宅でも仕事が出来る環境って、構築出来ると思うんだよな。それをしないのは、日本のITに対する投資が少ない良い例だと思う。

まあ、家で仕事をしないといけないのは、一長一短あるとは言えども、なんとなく避けたいけどな…!

さて、マルチスレッドの勉強でもするか…仕事でいつかやるとは思っていたが、まさか2年目の最初にしてこんな小難しいことをやることになるとは学生時には思ってもいなかった。
しかもマルチスレッドアプリケーションとか、部内には開発経験者がいないので、僕は孤独に勉強しながら開発しないといけない…。そのために5000円もする参考書を買ったよチクショウ。なんで技術書ってこんなに高いんだ!

どうでもいいけど、「パンデミック」って言うと真っ先にゾンビの大量発生を思い浮かべる。DAY OF THE DEADのリメイクは最高のゾンビ映画だったよー

2009年4月26日日曜日

フェルマーの最終定理

2 件のコメント:
フェルマーの最終定理 (新潮文庫)
サイモン シン
新潮社
売り上げランキング: 685
おすすめ度の平均: 5.0
5 数学バンザイ
5 純粋に美しいノンフィクション
5 読むべき数学の世界
5 まるで小説のようにどんどん引き込まれ、没頭する。
5 300年分の歴史小説のように



これはとても凄い本だ。科学史の読み物として超一級品。
a^n + b^n = c^n
n>=3の時、この方程式に解はない

という、ただこれだけの簡単な方程式の証明を巡る物語。
この方程式は、ピタゴラスの定理(あらゆる直角三角形において、斜辺の長さをcとするとき、a^2+b^2=c^2が成り立つ)を拡張した、フェルマーの最終定理と呼ばれるもの。
定理は証明されて始めて使用されるものだが、このフェルマーの最終定理は、350年間、どんな数学者にも証明することが出来なかった。350年間も!長すぎ。
どんな頭脳を持ってしても証明出来なかった、その難解すぎる方程式の証明を巡っての壮大なドラマがこの本にはあった。

これだけ聞いて少しでも興味が沸いたという人は、読んでみるべきだと思う。絶対に後悔はしない(なにしろ76件ものカスタマーレビュー中、5つ星が68件を占めているぐらいだ)。日常へ刺激が齎されること請け合いだ。
「数学が苦手だし…」と言う人も問題ナシ。僕だって数学どころか計算すら覚束ないぐらいのボーンヘッドだが、普通に人並みの理性さえあればこの本に書かれている論理は問題なく理解できる。それくらいわかりやすく書かれている。

僕が一番気に入ったエピソード。
性格の悪いフェルマーは、この方程式を証明したとき、以下のような文章を横に添えた。
私はこの方程式に関する驚くべき証明を発見したが、
余白がないので記すことは出来ない
というもの。
この1文のせいで、350年もの間、数学者は苦しめられてきたわけだ。
で、何人もの数学者が「証明したぞ!」と意気込んではニュースになり、しばらくするとその証明が実は破綻していたと言う流れが繰り返しあったわけだ。
あるとき、そんなニュースの一つが流れてから少し経ったときに、ニューヨークの地下鉄駅構内の壁に、こんな知的な落書きがされた。
a^n+b^n=c^n
n>=3 の時、この方程式に解はない

私はこの方程式に関する驚くべき証明を発見したが、
電車が来てしまったので記すことは出来ない
電車の中で思わずニヤリとしてしまったエピソードでした。
僕も書いてみようかな。会社のホワイトボードとかに。
a^n+b^n=c^n
n>=3 の時、この方程式に解はない

私はこの方程式に関する驚くべき証明を発見したが、
本日はノー残業Dayのため、記すことは出来ない
とか。
まあそれは置いといて。
最近ようやく証明されたらしい『ポアンカレ予想』ってやつに関する本も出ていて、それもまた『フェルマーの最終定理』みたいな感じで興味が沸いたけれど、そのポアンカレ予想ってのが
単連結な3次元閉多様体は3次元球面S3に同相である。
って言う定理だったので意味不明。よっぽどわかりやすく書かれてない限り、僕は頭痛を理由に読むことを拒むだろう。

それにしても、現代数学を超えたテクニックを駆使してようやく証明することが出来た『フェルマーの最終定理』を、350年前の人間がどうやって証明出来たのか非常に興味があるところだが、フェルマー自身が証明した手法と言うのは破綻を呼び込む手法だったと言うのが今や通説になってるっぽい。

2009年4月24日金曜日

技術チーフ?

0 件のコメント:
部内開発者の技術教育係みたいなものにならされましたよ。
アプリケーションの設計についての講師をしないといけないとかどんだけw
対象となる開発者は、当然のことながら全員僕より年長。そりゃあ僕より下の社員が現在研修中の新入社員以外いないんだから当然\(^O^)/

しかも納期が厳しい開発を行いながらの教育だし、かつ、開発メンバのサポートも行わないといけない。あー忙しい。まあ、そういうポジションは僕の望むところでもあるんだが。戦略通り。

上司「〇〇(10年目社員)と××(5年目社員)は直也ちゃんに指示を仰いで、わからないところはちゃんと早目に聞くように」

すいません、胃に穴が空きそうです。給料上げてください。

2009年4月21日火曜日

自然の中の素数

1 件のコメント:
素数はスパイの世界で活躍しているだけでなく、自然界にも姿を表す。たとえば周期的に発生するセミである。特に注目に値するのが、ジュウシチネンゼミだ。このセミは昆虫の中で最長のライフサイクルをもっている。17年間待った後に、莫大な数のセミの成虫が地表に現れるのである。

生物学者を悩ませた問題は、このセミのライフサイクルはなぜそれほど長いのか、ライフサイクルの年数が素数になっていることに何か意味はあるのか、ということだった。ほかにも、13年ごとに大発生するジュウサンネンゼミがいることから、ライフサイクルの年数が素数であることには進化論的な利点がありそうだ。

一説によると、やはり長いライフサイクルを持つセミの寄生虫がいて、セミはその年数を避けようとしているのではないかといわれている。
寄生虫のライフサイクルが二年なら、セミは2で割り切れるライフサイクルは避けたいだろう。さもないと、寄生虫とセミは周期的に同時発生してしまうからだ。同様に、寄生虫のライフサイクルが三年だったとすると、セミは3で割り切れるライフサイクルは避けたいに違いない。さもないと、両者はやはり定期的に同時発生してしまう。結局、寄生虫との同時発生を避けるための最良の策は、長くて、しかも素数のライフサイクルを持つことだ。
なぜなら、17はどの数でも割り切れないから、ジュウシチネンゼミはめったに寄生虫と同時発生せずに済むからである。

寄生虫のライフサイクルが2年なら、両者は34年ごとにしか顔をあわせない。寄生虫のライフサイクルがもっと長く、例えば16年だったとすると、両者はなんと272年に一度しか顔をあわせないことになるのだ。
寄生虫がセミの戦略に対抗するためには、同時発生の頻度を高めるようなライフサイクルを持つしかない。
つまり、1年サイクルか、セミと同じ17年サイクルか。しかし、1年サイクルで17年立て続けに発生しながら生き延びるのは容易なことではない。というのも、はじめの16年間は宿主になるセミはいないからだ。一方、17年のライフサイクルを持つためには、寄生虫はまず16年のライフサイクルに進化しなければならない。つまり、進化のある段階で、寄生虫とセミとは、272年間も同時発生しなかったことになる。
(中略)
やがて寄生虫は16年のハードルに到達し、272年間もセミと同時発生できなくなって、絶滅に追い込まれた。
結果として、17年のライフサイクルを持つセミが残った。
しかし、そのライフサイクルも今や無用の長物である──寄生虫は、もういないのだから。

2009年4月16日木曜日

リポDさんお世話になります

0 件のコメント:
最近一日がめちゃくちゃ早い…帰宅したときにはヘトヘト。
だけど今日は頑張らないと…!考えるのが僕のお仕事。
僕が必死に頭捻って考えて、実際にパズルを組み合わせるかのように手を動かす先輩たちの仕事が少しでも楽になるために、今夜はちょっと夜鍋モーd…って、あれ?仕事逆じゃね…

2009年4月14日火曜日

タイクツとユウウツ

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人の生き方に正しいとか間違っているとかがあるわけないのはわかっちゃいるけど、僕は間違っているんじゃないか、あいつのほうが正しいんじゃないかと言う疑いは常に脳裏にあるわけで、そのたびに他人を見習ったり自己嫌悪したり忙しいのだけど、結局のところ、何かの道を選んで突き進んだところで、「だから何?どうなるの?」と言う質問によってすべては無意味になってしまうような気がして、何をしようにも地団駄を踏んでしまう。
もちろん、自分の選んだ道を進むことこそが最も意味のあることだと、僕もそう思う。

僕の家で飼っている鳥はかれこれ13年ほど、ずっと鳥篭の中にいて、きっと死ぬまで鳥籠から出ることはないのだろうと思うけど、それをして「無意味な生き方だ」とか言うやつがいたら僕は本気で怒るだろう。僕はその鳥を大事にしていたから、鳥の人生(鳥生?)を無意味だなんて絶対に思わない。
「鳥は自由に飛んでこそ意味がある」と言う人もいるだろうが、それは意味の一面だ。不自由と無意味、自由と意味を直結させた意見だ。どんなに不自由でも、誰かが意味があるといえば、そこに意味はあるのだ。(逆に、意味がないと誰かが言っても、それは無意味にはならない。素敵なことに。)

とにかく、何かをしたから意味があるとか、何もしないから意味がないとか、そういった簡単な二元論では何も語れない。「意味のあること」の定義はとても難しい。
いわゆる「勝ち組」になったら悩みとは無縁になるかと言う質問にはNoと誰もがハッキリ言えるが、「負け組」が無意味な人生の結晶なのかと言う質問に即答出来る人は、よっぽど価値観の凝り固まった人を除き、いないだろう。

いずれにせよ、僕らに出来ることは時間の経過をただただ感じることぐらいなのだから、どうしようもないのだけど。

奇妙な夢

0 件のコメント:
電車の中で、大学生くらいの子が車内販売をしていたのを見て、その瞬間に人生が終わったのだとわかったのは、しばらく時間が経ってからだった。
販売していたのは濃密なジュース。販売、とは言っても値段は無料だった。

ジュースと一緒に、一枚のフライヤーを手渡される。そこに書かれていたのは、事実上死の宣告だった。
あなたはこのジュースを2日間飲まなければ死んでしまいます、と書かれていた。
たまたま乗った電車で、それを見掛けたのが最大の不運だったらしい。それ以降、その車内販売を見掛けることはなかった。死神のようなものだったんだろう。

僕を含めた不運な人へと、生き延びるためのジュースを配っている場所は、既に使われてなさそうな病院の一角。
僕はコップを受け取り、ジュースを飲んで寿命を延ばす。
会社の同期も不運に見舞われたらしく、ジュースで命をつなぎ止めていた。

僕は同期に「2日間以上開けれないってことは、2泊3日の旅行も無理ってことだよな…生きてる間はずっと。死ぬ覚悟をしない限り。」と話し掛けた。同期は困ったような顔をして病院から出ていった。

いくらなんでもジュースを定期的に飲まなければ死ぬなんて馬鹿げすぎている、これは都市伝説的なジョークではないか?そんな疑いが強くなってきたのはしばらくしてからだったが、試してみる気はさらさらなかった。死か生かではリスクが高すぎる。そもそもオッズすら定かではないのだ。
だけど、真偽を確かめることは出来るかも知れない…。前例があればそれが証拠になるんだが。あるいは人柱…

先輩がPCを弄りながら僕に言ってきた。「ジュースを飲まなかったら、君のアカウントが消されるだけじゃないの?」なるほど、確かにその可能性はありそうだ。でも先輩、僕の意識や存在が、誰かがログインしているアカウントだとすれば、それを消されるってことは死ぬことと同義じゃないんですか?
「君がPCにログイン出来ないからって、中のソフトウェアが消えるわけじゃない」確かにその通り。勇気が出てきた。僕はカラオケボックスにいた同期に決心を伝えて、延命ジュースを絶った。

そこで目が覚めた。どうやら夢の中の僕がジュースを絶ったことで、僕は夢を見る権限を失ったようだ。
久々にリアルな感情が伴う夢だったなあああ
夢を記すのはあんまり良くないことだと知ってはいるけど、こういうストーリー性のある夢は珍しいので記録しておく。

2009年4月10日金曜日

絶対!Part2

0 件のコメント:
通勤中、ウォークマンのランダム再生で可憐Girl’sのアルバム曲が流れた。
絶チルの主題歌を歌ってると言う情報しか知らず、実際に歌を聞いたことがなかった僕は、『ちょっと声量があるJCが歌ってんのか?』と思い(大人の歌い方じゃなかった)、年齢が気になったので調べてみたら、小学生3人組だった。予想を上回る展開www

どうでもいいけど、ボーカロイドはあくまで道具であるべきだと思う。初音ミク名義のアルバムなんて、考えれば考えるほどどうかしてる。注目されるべきは作曲者だと思う。
まあ、国が外国に向けて『これが我が国で生まれたバーチャルアイドル』です、と喧伝してるぐらいからもう手遅れかも知れないけど。
テライユキを黒歴史にするなー

2009年4月5日日曜日

細マッチョ

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鞄の中に本を入れるのを忘れてしまったため、移動中の電車の中では吊り革を眺める作業に没頭するしかなかった。
そこで少しオモローと思ったのは吊り革の動き。
以下、文系人間の低レベルの戯言につき、理系の人は嘲笑の準備を。

1:電車が動き出したとき、吊り革は後尾車両の方に傾く。
2:電車の速度が一定になると吊り革は真っ直ぐ下を向く。
3:駅に停車するために電車が減速を始めると、吊り革は先頭車両の方に傾く。
4:停車すると吊り革は真っ直ぐ下を向く。

1と3は加速度運動。2と4は等速度運動。
経験的に、加速を始めた時はそれとは逆の向きに重力のようなものを感じるのは理解出来るんだが、それが加速から等速になった時になくなるのが、文系脳の僕にはよくわからないわけだ。

これが、加速運動に対してのみ抵抗力を発揮するヒッグス粒子ってやつなの?

ゴリマッチョ

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桜はほぼ満開だった。
会社の花見ってほんと仕事みたいなもんだよなって言うことを実感した…むしろ接待に近い感じ?
プロジェクト管理の体制がまだ整ってないのに花見の場所取りで貴重な半日を費やすなんて…仕事が火の車になっちゃうぜウゴゴゴゴゴ

昨日、朝起きるとPCから耳鳴りのようなキーンと言う音が発せられていた。
電源のスイッチを入れても反応なし。
電源ケーブルを抜くと音は止む。電気系統に異常があるのだろうか?パーツに異常があるなら、電源が入った後に何か異音などの異常が見られるはずだ。
と言う予測を立てて、朝のコーヒーを飲みながら電源ユニットを外す。各パーツについているケーブルも全て抜き、電源ユニットだけ独立させる形で、改めて電源ケーブルをつけてみた。すると耳鳴りみたいな音が鳴った。
ビンゴ!電源ユニットの異常だった。4~5年前ぐらいに、ケースと一緒に買った安物の電源ユニットなので、そろそろ寿命だったんだろう。

電源ユニットだけ買い換えればPCは復活するので、一応近所の自作パーツショップに行ってみた。
が、やはり堺市のパーツショップは日本橋のように充実していない。電源ユニットは置いていて、それは確かに全て定価通りで特にこの店だけ高いというわけではないのだが、性能の良いようなやつしか置いていないから全体的に値段が高い!もっとこう4~5000円ぐらいの安いやつを置いてくれと。チェーン店の一営業所に過ぎないから利益率の高いやつを置こうとしてるのかなあと邪推してしまう。僕は静かに店に背を向けた。

面倒くさいけど日本橋まで買いに行こう…