夏休み中にみんな色々どこぞに行ってきたみたいで、もう随分旅に出てない僕からすれば羨ましい話だったけれど、いろいろとお土産を貰えて嬉しかった。
Dが北海道帰りに、話題の「白い恋人」を購入してきて全員を混沌の淵に叩き込んだのはこないだ記したとおりだが、学校の連中も色々と買ってきた。
are you ready,boy!?(矢井田瞳的な意味で)
これはメンバーの一人が買ってきてくれた東京みやげ。
左上のは何かって?ああ、こいつも東京みやげさ。夏に開かれる世界最大のお祭りのお土産だ!!!!!!!!11
なんだと?よく見せろ?貴様、誰に向かってモノを言ってる。我は灼熱のフォウマルハウト…
お菓子と一緒に映ってたのが裏で、これが萌え団扇の表だ。非常に涼しくて良い。夏い暑も吹っ飛ぶってもんだ!
ところでこれってパレオですよね?
パレオ>>(越えられない壁)>>スク水
の不等式が僕の中に乱立していることを見越しての所業ですか?そうかこれは罠だ!ニアの罠だ!!
んで、これも他のメンバーが買ってきてくれた瀬戸内土産。
なんでみんなそんなにイチゴが好きなんだ??美味しかったけどね。ボリボリ食べた。いやあ、役得?
ほんでCoCo一に行ってカレーも食べた。久々にCoCo一に行ったけど、やっぱ美味しいね。前の晩もカレーだったんだけどね。げぷ。
茶汰君は目移りが激しいので、舌が枯れるほど言ってた「チーズカレー」を頼まず、他の限定カレーを食べてた。まったく、そんなに限定品が欲しいのかしら!プンスカ!
そんなこんなで日々を頑張ってると良い夕焼けに遭遇したのでついパシャリ。
ここは最近新しく整備された公園の横の道路から望める景色なんだけれど、夕方の閑散とした雰囲気がもうたまらん。
昔ならば子供が家に帰るために最後にはしゃいでるような時間なんだけど、最近の子供はあんまり外で遊ばないからそんな微笑ましい場面に遭遇することも出来ず…。なんて世知辛い世の中だ。犯罪者にレベル5デスの一つでも食らわしてやりたい。
ここんとこ朝が早い所為か、夜になると目がしぱしぱして「早く休め」とDNAレベルでアラートがポップアップで出る。
正直そんなのはabortしたいところなんだけど、翌朝も早いとなるとゆっくり休息を取りたくなる。人間的な意味で。
こないだデジカメ買ったからパシャパシャ撮りまくり。今の僕にとっては何もかもが被写体。
さて、東方やるか。
2007年8月24日金曜日
『先ずは誰もいない→それが零だ そこに私が現れた→それが壱だ そして貴方が現れた→それが弐だ 単純な素数にこそ 真理は宿る』
2007年5月14日月曜日
読売新聞朝刊より抜粋
バブル期と氷河期の本音
【バブル期から氷河期への一言】
・確かに優秀な人が多いとは思うが、ドライな人が多い
・自己中心的でチームワークがうまく取れない
・「就職難」「超氷河期」と言う言葉に踊らされ、自分に甘い人が多い
・向上心はあるが、会社自体をバカにしている
・氷河期の人の採用がないので、私は下っ端のままです
【氷河期からバブル期への一言】
・バブル期の人がうらやましい。人数が多いので立場がすごく強い。
・それほど能力もないのに一流企業に入社して、今は会社にしがみつかないといけないのでかわいそう。
・バブル期の人が上の世代なので出世が遅いな、と思う
・集団でイベントを行うことが多く、自立した個人が少ない
・利益を取ることに対して貪欲さに欠けている
面白いですよね、これ。【バブル期から氷河期への一言】
・確かに優秀な人が多いとは思うが、ドライな人が多い
・自己中心的でチームワークがうまく取れない
・「就職難」「超氷河期」と言う言葉に踊らされ、自分に甘い人が多い
・向上心はあるが、会社自体をバカにしている
・氷河期の人の採用がないので、私は下っ端のままです
【氷河期からバブル期への一言】
・バブル期の人がうらやましい。人数が多いので立場がすごく強い。
・それほど能力もないのに一流企業に入社して、今は会社にしがみつかないといけないのでかわいそう。
・バブル期の人が上の世代なので出世が遅いな、と思う
・集団でイベントを行うことが多く、自立した個人が少ない
・利益を取ることに対して貪欲さに欠けている
同じ30台でも、前半と後半では価値観が真逆に近い。
この少ないサンプルが事実だと仮定して、これらから得られるものは、少なくとも若い人ほど「何とかするのは自分の力だ」と考える人が多いと言うことかな。
実際、僕らの世代でも、「社会が後押ししてくれるから何とかなるさ」よりかは、「自分の足で歩くしかない」と考える人のほうが多いはず。
「向上心はあるが、会社自体をバカにしてる」
という意見の典型が僕ですお。会社に勤めることが人生というのはひとつの「形」に過ぎない。生活を会社に依存させるのもひとつの「形」に過ぎない。実際僕の親父なんかは会社勤めではなくて自営業だし、その自営業で僕をこうして裕福に育ててくれた。なんらかの形で会社に関わることは多いと思うけど、それが全てじゃない。単に、今までは、会社に従属することが安泰な生活を得るための最適な手段だった、と言うだけだ。もちろん今でもそうだと思うけど、昔ほど安泰じゃない。
そういう観点に立ってみれば、この記事で言うバブル期の人の意見は間違いなくステレオタイプなものだと思うし、「自立」と言う意味からすると氷河期世代の人のほうがしっかりしてる。
でも、実際にバブル期の人でも氷河期の人の意見を持ち合わせる人もいると思うし、その逆も然りだと思う。
とか何とかいうより、僕は単純に「バブル期」とか「氷河期」とかで二分することが気に入らないけどね。そんな簡単に分析出来たら誰も苦労しないよ。こういう記事を真に受けることで、「30台の人はドライなんだ」「バブル期の人は社会の恩恵を受けただけなんだ」って言う誤解を受ける人だっているだろうし。単なるアジテーションに過ぎないけど、そうは思わない人は少なくない。
大雑把な分析は傾向を掴む役に立つとは思うけど、偏見を助長する危険性がある。
採用された『意見』にしたって、『選抜』を受けてるわけだから、結果として恣意的な統計記事にならざるを得ない。
氷河期世代の意見として、「バブル期の人もドライ」なんてのがあったとして(実際会社によってはあるだろう)、それを採用した場合、読者からすれば「??結局人それぞれってことじゃん?」って思われる。実際は「人それぞれ」に勝る真理はないんだけど、マスメディアとしてはそれじゃあ商売にならない。だから一貫させる必要がある。そうするとそこに偏見が生まれる。差別が生まれる。
環境保全を訴えながら森林を伐採して紙とかを作るのになんだか似てるな。
要するに、まあ正しいとか悪いとか言うのがあるとすれば、なんにしろ決め付けることが悪いんだろうな、と僕は思うわけで。全ては捉え方の問題だしね。「そうかも知れない。でもそうじゃないかも知れない。」と村上春樹みたいな言葉を口癖にさえしていれば、もっと視野も広がるんじゃないかな。
2007年3月25日日曜日
『愚者は問う。鉄壁の王城を捨て、女王はいずこへゆくのかと。賢者は知る。どれほど堅牢な守備を誇ろうと、陥落しない城など存在しえぬことを』
高等教育の構造的問題を解決するには
この方のブログは辛辣で面白いのでよく読ませて頂いているのだが、僕が過去に
:一人称の世界: :: 時代の価値観
で、
と言う風に書いたのだが、僕が18歳のときに主張していたことが、今こうしてそれなりに有識だといえる方が
と言う風に、後押しするかのように書いてくださるのはなんだか嬉しいことだね。
別に僕が正しかったとか言うわけじゃないけど、単なる僕のエゴではなかった、と言うことの証明のようにも思える。
しかも、
教育再生会議:大学の「卒業認定試験」導入検討
ってなことがあったり、大学の進学率は下げるつもりはないけど質を高めるような努力はするようだ。逆に言うと、今の質では問題があると思ってらっしゃる、と。
でも、僕が勘違いしちゃならないのは、僕の意見を裏付けするような、いわば僕に有利ないくつかの記事やトピックを持ってして、「ほら見たことか僕の言ったとおりだろ」と言うのは、完全に井の中の蛙なんだってことだ。
僕や福耳さんや教育再生会議は、まあ同ベクトルの主張を有しているかも知れないけれど、まったく反対の、等量等質の主張だってあるはずだから、それを知らないといけない。自分サイドの主張だけじゃ説得力がないからね。説得力ってのは統計的なもんだと思うし。
まあここで僕の話をすると、僕は就職活動で、専門学校の身で、試しに大卒以上のみの応募のところに申し込んで、一次選考を受けてきた。
SPIと呼ばれる簡単な学力審査みたいなやつね。プログラムの問題もあったり、文章作成能力等々、まあ短時間にしちゃそこそこ多角的だなって思える試験だったんだけど、確実にほぼ全問正解な手応えを感じたんだけど、やっぱり落ちた。
当たり前だけど、書類選考の段階で、大卒向けのアンケートに対して専門学校のこと書いてるんだしな。先ず前提が違うってこった。
あくまで試しに受けてみただけだから、結果もわかってたんだけど、そういう風に『高専は不可』って企業なんていくらでもあるし、まだまだ多い。
で、福耳さんの
だけど、これはなんか金太郎飴みたいで、その企業の中層部以上の人には、やっぱりその『進学を考える学生の保護者』ってやつが含まれてると思うんだよな。
つまりこれはどういうことかっつーと、企業人であると同時に保護者である、で、気付いた人は福耳さんの言うように評価を改めるし、そうじゃない人は改めない。簡単に言うと、企業でも二極に分かれつつあるんじゃないかってこと。
ここからはあんまり関係ない話。
日本のソフトウエア生産性と品質は世界最高水準
今回のエントリーを読んで、目から鱗がポロロンだった。
本当に良い指摘だと思う。
完全に鎖国状態に入った携帯業界の例を見てもわかるとおり、独自企画にこだわりすぎなんだ。
シグマ計画とかにしてもそうだし、こないだも政府主導のLinuxを作ろうなんてのがあってその後の音沙汰もないし、どうして日本はこうなのかと。
大体、「日本が世界標準になるべきだ!」って言う主張はそもそもがなんかおかしい。
世界標準ってのはたぶん結果であって、志すことじゃない。良いものを作れば、自然にそれは普及し、勝手にデファクトスタンダードになる。
だから、標準標準と模索しているうちに、「こうすればいいんじゃね?」とどっかの誰かが奇天烈な発想して、「それは新しいね、それでいこう」と誰かがゴーサインを出し、それで生まれたものは高品質には違いないが他との互換性がまったく無視された、いわば「独自規格」だったと。僕はそう見てるんだが。
携帯コンテンツの充実度は本当にすごいと思うけど、互換性がなさすぎ。挙句の果てにデザインが一緒。その割にすぐ買い換えないといけない。これが経営戦略でなくてなんだというんだ?国内だけの経営戦略そのものがすでに時代遅れだということに気付いたほうがいい。特にデジタルメディア関係。
篭城が最上の戦略であったことが今までにあったなら、どうか僕に教えてほしい。
この方のブログは辛辣で面白いのでよく読ませて頂いているのだが、僕が過去に
:一人称の世界: :: 時代の価値観
で、
だから、僕が大学を辞める決意した(一応蛇足的に言うが大学に入る前に大学を辞める決意をしたのだ)のは一種の賭けだった。大学に入学し卒業することが当たり前になってしまえば、「大学も出てないの?プギャー」と笑われるか、あるいは、大学そのものの存在意義を見直すような時代になるか、のどちらかだと思ったからだ。そして、僕はその頃から4年間遊び倒すような人のことを知人から多く見聞きしていたので、「そんなのがスタンダードになるはずがない」と思って、後者を支持するようになったのだ。
と言う風に書いたのだが、僕が18歳のときに主張していたことが、今こうしてそれなりに有識だといえる方が
根本にあるのは、「企業が「四年生大学卒」の肩書きに対する評価を下げつつあることが進学を考える学生の保護者に良く伝わっていない」ということです。「九九もできない大学生」というのはいくらなんでもレアすぎるサンプルですが、「むかしの高卒レベルがいまの大卒レベル」(おそらく十五年から二十年間くらいの変化のことを指して、大学や予備校の人はこう評論することがありますね)であるなら、「どうせうちの子供がなんの苦労もせず入れる大学に行って四年間遊び暮らすなんていうことは無駄だ、高卒で就職させよう」と「そういう学生」の保護者が思うようになれば、「勉強できない大学生」の「社会問題」は自ずと軽減されていく。
と言う風に、後押しするかのように書いてくださるのはなんだか嬉しいことだね。
別に僕が正しかったとか言うわけじゃないけど、単なる僕のエゴではなかった、と言うことの証明のようにも思える。
しかも、
教育再生会議:大学の「卒業認定試験」導入検討
ってなことがあったり、大学の進学率は下げるつもりはないけど質を高めるような努力はするようだ。逆に言うと、今の質では問題があると思ってらっしゃる、と。
でも、僕が勘違いしちゃならないのは、僕の意見を裏付けするような、いわば僕に有利ないくつかの記事やトピックを持ってして、「ほら見たことか僕の言ったとおりだろ」と言うのは、完全に井の中の蛙なんだってことだ。
僕や福耳さんや教育再生会議は、まあ同ベクトルの主張を有しているかも知れないけれど、まったく反対の、等量等質の主張だってあるはずだから、それを知らないといけない。自分サイドの主張だけじゃ説得力がないからね。説得力ってのは統計的なもんだと思うし。
まあここで僕の話をすると、僕は就職活動で、専門学校の身で、試しに大卒以上のみの応募のところに申し込んで、一次選考を受けてきた。
SPIと呼ばれる簡単な学力審査みたいなやつね。プログラムの問題もあったり、文章作成能力等々、まあ短時間にしちゃそこそこ多角的だなって思える試験だったんだけど、確実にほぼ全問正解な手応えを感じたんだけど、やっぱり落ちた。
当たり前だけど、書類選考の段階で、大卒向けのアンケートに対して専門学校のこと書いてるんだしな。先ず前提が違うってこった。
あくまで試しに受けてみただけだから、結果もわかってたんだけど、そういう風に『高専は不可』って企業なんていくらでもあるし、まだまだ多い。
で、福耳さんの
「企業が「四年生大学卒」の肩書きに対する評価を下げつつあることが進学を考える学生の保護者に良く伝わっていない」
だけど、これはなんか金太郎飴みたいで、その企業の中層部以上の人には、やっぱりその『進学を考える学生の保護者』ってやつが含まれてると思うんだよな。
つまりこれはどういうことかっつーと、企業人であると同時に保護者である、で、気付いた人は福耳さんの言うように評価を改めるし、そうじゃない人は改めない。簡単に言うと、企業でも二極に分かれつつあるんじゃないかってこと。
ここからはあんまり関係ない話。
日本のソフトウエア生産性と品質は世界最高水準
今回のエントリーを読んで、目から鱗がポロロンだった。
「OSやミドルウエアがアメリカ主導なことは認めるが、アプリケーションソフトの開発では、日本の技術力は世界最高水準にある。ではなぜ国際競争力がないのかといえば、日本でどんなに優秀な生産管理システムや会計処理システムを開発・構築しても、世界標準の仕様とはほど遠いので、世界ではまったく使いモノにならないからだ」
まず日本人技術者の生産性の高さ、成果物品質の桁違いの高さは、何人ものアメリカの学者の科学的調査で報告されている。さらに事象として、実は日本はソフトウエアの国際競争力トップの分野がただひとつあるんだ。それはアミューズメント系、ゲームソフトだ。この分野はニンデンドーという先駆者の存在、世界トップの日本のアニメーション製造技術、いくつかの日本に取り有利な条件があったが、日本がトップに君臨している最大の理由は、日本社会の独自習慣に仕様をあわせる必要が無く、はじめから世界標準の「楽しさ」の追及だけで勝負できたからだ
本当に良い指摘だと思う。
完全に鎖国状態に入った携帯業界の例を見てもわかるとおり、独自企画にこだわりすぎなんだ。
シグマ計画とかにしてもそうだし、こないだも政府主導のLinuxを作ろうなんてのがあってその後の音沙汰もないし、どうして日本はこうなのかと。
大体、「日本が世界標準になるべきだ!」って言う主張はそもそもがなんかおかしい。
世界標準ってのはたぶん結果であって、志すことじゃない。良いものを作れば、自然にそれは普及し、勝手にデファクトスタンダードになる。
だから、標準標準と模索しているうちに、「こうすればいいんじゃね?」とどっかの誰かが奇天烈な発想して、「それは新しいね、それでいこう」と誰かがゴーサインを出し、それで生まれたものは高品質には違いないが他との互換性がまったく無視された、いわば「独自規格」だったと。僕はそう見てるんだが。
携帯コンテンツの充実度は本当にすごいと思うけど、互換性がなさすぎ。挙句の果てにデザインが一緒。その割にすぐ買い換えないといけない。これが経営戦略でなくてなんだというんだ?国内だけの経営戦略そのものがすでに時代遅れだということに気付いたほうがいい。特にデジタルメディア関係。
篭城が最上の戦略であったことが今までにあったなら、どうか僕に教えてほしい。
2007年3月24日土曜日
今から仮説だらけの妄想を書きなぐるから、どうか信じないで貰いたい。
前提1:小泉首相はその方法から、知名度も求心力も高かったが、内部反発も強かった。
前提2:政治家には既得権益を保持しようとする人がとても多い
前提3:次期首相に推薦されたのは、若き安部官房長官だった
前提4:政治家は年長者に対して頗る弱い
前提5:日本人は基本的に「和を持って尊し」とする民族性を持つ
事実1:安部は選挙で圧倒的な勝利を収めた
事実2:安部政権が樹立してからの支持率は下がる一方
事実3:官房長官時代と比べ、覇気がなくなった
僕はこれらの事項から、どうしても安部首相がスケープゴートに見えて仕方がない。
果たして、古い頭を持った人が、進んで自分たちよりも年齢の若い人を小泉さんの後継者として任ずることを是とするだろうか?
ここに一つのレトリックがある。
小泉首相は様々な政策を大胆に行った。それは改革であり、因習を捨てるに足るものであった。
しかしその新しい風を巻き起こした小泉首相は退陣せねばならず、次期首相を選出する必要があった。
新しい風を継ぐのは、若い世代で当然である。よって安部さんが選ばれた。
僕が古い頭を持った政治家であるなら、この論理は確実に快諾する。
前提4と5があるからだ。それは前提2をも保証する結果に直結する。
ならば、事実1は小泉首相の知名度・支持率からしても当然でなんら不自然ではない。
が、ここに事実2がある。
僕の中では、この事実2はどうもしっくり来ない。
指導者としてのカリスマ性がないだとか、そういうレベルではない。
カリスマ性がなくても、地味であっても、踏襲されたことさえやっていれば批難はされないからだ。
もし批難がされるとしたら、「小泉劇場」と言うエンターテイメントに慣れすぎた国民が物足りなさを感じた結果であって、それはそれでまた問題になる。
政治は、司会者が変わったからってチャンネルを変えて良いような番組じゃない。
仮定1:本当に首相としての器がなかった
仮定2:器があってもキッチリ出来ないなんらかの『理由』がある
どちらにしても、後ろになんらかの糸が見え隠れする。
また、それを受けてか、「小泉首相再浮上説」なんてのがあったりもするが、果たしてそれは内閣で肯定的なのだろうか。
もしその説が国民が言っているだけのものならば、仮定2の信憑性が高まるし、内閣でも「小泉さんのほうが良かったなあ」と言う意見のほうが多かったら、仮定1の信憑性が高くなる。
まあ当然、内閣の人たちがそう思っていても、口には出せないわけだが。
もちろん、安部首相の経歴であるとか、その他大臣の発言力であるとかは十分に加味するべきだし、調査して検証する価値もあるものだと思うけど、そこまでは別にしない。
単に、僕は「何かおかしい」と言う違和感を感じただけなのだから。
それに、本当に他の政治家から後継者として相応しいと推薦され、しかし求心力が足りなくて残念でした、と言うような平和なものであるならそれはそれで全然構わない。
もしそうなら前向きになれるから。
以下に記すのは僕が友人とした会話の一部を取り上げたものだ。
これは、つい最近取り上げられたゆとり教育改正に関する世間話の一つだが、
「7限目の創設」と言う誰もが馬鹿だと思う発想の背景にはこんなのがあったりするんじゃないだろうかと思うのだ。
少なくとも、あっても不思議ではないと思っている。
これは前提5に起因する。
日本の政治と言うのが、長いものに巻かれたり、あるいは顔色を伺うことのうまい人格者の集まりだと解釈するなら、そういうことはあってもおかしくない、と思う。
最後に事実5だが、確か有識者の人は「人が変わったようです」と言っていたように記憶している。
官房長官時代はもっと決断力のある人だったと言うのだ。
さて、まあそうなると、安部首相は僕はマリオネットにしか見えないわけだ。
支持率が下がったとは言え、野党がしょぼいので政権交代なんて現実的ではないし、そうなると今度の選挙も出来レースに近くなるんじゃないの?ってのが僕の妄想。
以上の妄想は、なんらの根拠も論拠もなく、単に陰謀説とスパイ映画の大好きな僕が同人誌のネタにと書き殴ったものですので誤解なきよう。
前提1:小泉首相はその方法から、知名度も求心力も高かったが、内部反発も強かった。
前提2:政治家には既得権益を保持しようとする人がとても多い
前提3:次期首相に推薦されたのは、若き安部官房長官だった
前提4:政治家は年長者に対して頗る弱い
前提5:日本人は基本的に「和を持って尊し」とする民族性を持つ
事実1:安部は選挙で圧倒的な勝利を収めた
事実2:安部政権が樹立してからの支持率は下がる一方
事実3:官房長官時代と比べ、覇気がなくなった
僕はこれらの事項から、どうしても安部首相がスケープゴートに見えて仕方がない。
果たして、古い頭を持った人が、進んで自分たちよりも年齢の若い人を小泉さんの後継者として任ずることを是とするだろうか?
ここに一つのレトリックがある。
小泉首相は様々な政策を大胆に行った。それは改革であり、因習を捨てるに足るものであった。
しかしその新しい風を巻き起こした小泉首相は退陣せねばならず、次期首相を選出する必要があった。
新しい風を継ぐのは、若い世代で当然である。よって安部さんが選ばれた。
僕が古い頭を持った政治家であるなら、この論理は確実に快諾する。
前提4と5があるからだ。それは前提2をも保証する結果に直結する。
ならば、事実1は小泉首相の知名度・支持率からしても当然でなんら不自然ではない。
が、ここに事実2がある。
僕の中では、この事実2はどうもしっくり来ない。
指導者としてのカリスマ性がないだとか、そういうレベルではない。
カリスマ性がなくても、地味であっても、踏襲されたことさえやっていれば批難はされないからだ。
もし批難がされるとしたら、「小泉劇場」と言うエンターテイメントに慣れすぎた国民が物足りなさを感じた結果であって、それはそれでまた問題になる。
政治は、司会者が変わったからってチャンネルを変えて良いような番組じゃない。
仮定1:本当に首相としての器がなかった
仮定2:器があってもキッチリ出来ないなんらかの『理由』がある
どちらにしても、後ろになんらかの糸が見え隠れする。
また、それを受けてか、「小泉首相再浮上説」なんてのがあったりもするが、果たしてそれは内閣で肯定的なのだろうか。
もしその説が国民が言っているだけのものならば、仮定2の信憑性が高まるし、内閣でも「小泉さんのほうが良かったなあ」と言う意見のほうが多かったら、仮定1の信憑性が高くなる。
まあ当然、内閣の人たちがそう思っていても、口には出せないわけだが。
もちろん、安部首相の経歴であるとか、その他大臣の発言力であるとかは十分に加味するべきだし、調査して検証する価値もあるものだと思うけど、そこまでは別にしない。
単に、僕は「何かおかしい」と言う違和感を感じただけなのだから。
それに、本当に他の政治家から後継者として相応しいと推薦され、しかし求心力が足りなくて残念でした、と言うような平和なものであるならそれはそれで全然構わない。
もしそうなら前向きになれるから。
以下に記すのは僕が友人とした会話の一部を取り上げたものだ。
例えば、僕が週休完全2日制、土日を休みにした張本人だとしよう。
時代は変わり、僕は第一線を退いて、今はお前が最も発言力のある人物になっている。
つまり、対外的に見れば、お前は僕の後継者と言うことになる。
さて、その状態で、「やっぱり土日の完全休みは返上して、昔のように戻します」と僕の前で言えるだろうか?
時代は変わり、僕は第一線を退いて、今はお前が最も発言力のある人物になっている。
つまり、対外的に見れば、お前は僕の後継者と言うことになる。
さて、その状態で、「やっぱり土日の完全休みは返上して、昔のように戻します」と僕の前で言えるだろうか?
これは、つい最近取り上げられたゆとり教育改正に関する世間話の一つだが、
「7限目の創設」と言う誰もが馬鹿だと思う発想の背景にはこんなのがあったりするんじゃないだろうかと思うのだ。
少なくとも、あっても不思議ではないと思っている。
これは前提5に起因する。
日本の政治と言うのが、長いものに巻かれたり、あるいは顔色を伺うことのうまい人格者の集まりだと解釈するなら、そういうことはあってもおかしくない、と思う。
最後に事実5だが、確か有識者の人は「人が変わったようです」と言っていたように記憶している。
官房長官時代はもっと決断力のある人だったと言うのだ。
さて、まあそうなると、安部首相は僕はマリオネットにしか見えないわけだ。
支持率が下がったとは言え、野党がしょぼいので政権交代なんて現実的ではないし、そうなると今度の選挙も出来レースに近くなるんじゃないの?ってのが僕の妄想。
以上の妄想は、なんらの根拠も論拠もなく、単に陰謀説とスパイ映画の大好きな僕が同人誌のネタにと書き殴ったものですので誤解なきよう。
2007年3月12日月曜日
電車の中は「無法地帯」 「キレる」乗客のケンカ横行
まあどうでもいいけど、以前Dと東北のほうを移動中に、電車の中で三味線コンサートみたいなことをやってた芸人みたいなのがいたけど、あれも言う人が言えば迷惑行為になるんだろうなあ。あれは許可取ってあったっぽいから、退屈な電車の中で結構楽しめたんだけども。
「公共の場なのに『自分の場』と思う、自分がよければいいという人が増えたからではないでしょうか。混雑している車内で携帯やゲームを平気でやったりしている。そしてケンカするのは自己主張が強い人なのかもしれません」
僕は、「自分に迷惑がかからなければそれで良い」という人が、他者の振る舞いを迷惑に感じて迷惑行為に及んでしまうと思ってるんだけどね。まあどうでもいいけど、以前Dと東北のほうを移動中に、電車の中で三味線コンサートみたいなことをやってた芸人みたいなのがいたけど、あれも言う人が言えば迷惑行為になるんだろうなあ。あれは許可取ってあったっぽいから、退屈な電車の中で結構楽しめたんだけども。
2007年3月8日木曜日
日本の小学生、将来への期待少なめ…日中韓調査で判明
お国の事情が違うから同じ土俵で語るのがおかしいと思ったりもするけど、国内の内政問題として捉える限り、大量労働社会時代を送った団塊世代、そのJrとしてバブルの恩恵を受けたバブル世代、バブルがはじけて就職氷河期だといわれて今なおニートやフリーターの数が多いとされる氷河期世代、そして僕ら以下の世代、となるわけだが、そうして世代別に見たときの歪がこの調査の結果なんじゃないかな、と思っちゃったり。
この調査の結果を悲観的に捉える人は、少なからず「なんで勉強が良い将来に直結しないんじゃないか」って言う、少し上の世代の価値観に基づくものを持つ。
うーん、全体を分析することなんて出来ないよな。どうしたって、総論としていったときには、「平たく言うと」ってことになる。で、この場合平たく言うと、「今の子供は勉強が将来の安定を保証するものじゃないって思ってる」、ってことになる。でもこれはおかしな話で、小学生と言っても6歳ぐらいから12歳ぐらいまでいるわけだし、そんな年齢の子が社会の現状に対してどうこう言える思考力を持ってるとも思えないし、そうなると、この結果ってのは小学生の社会観に関する調査結果なのではなくて、親が子に対して教えている「自分たちの教訓」と言うことに他ならないんじゃないかってワケだ。
で、現在の小学生の親は、どのくらいだろ、うちの姉ぐらいの年齢か。ちょうど30~35あたり。レンジを伸ばすと30代全域ってことになるんだが、上記で言うところの氷河期世代、つまりバブル崩壊を目の当たりにして、リストラで色々なものが崩壊していく様を目の当たりにしているということだ。その頃僕は小学生だったから詳しいことはわからないけれどもね。
「今の努力は将来結実しない」と言う悲観論は、穿った見方をすれば「望むことがない」と言う贅沢論になる。少なくとも都心部に住んでる人の半数が、本当に「今何したってしゃーねーよ」って風に諦観漂わせてるのか?そんなわけはない。諦観と言うなら、「もう何もすることがないよな」と言う食傷気味なニュアンスのほうが正しいんじゃないかと僕は思う。ありていに言えば、物質的豊かさと精神的飢餓。
あーこれまた何言ってるかわかんなくなってきたな。
そもそも社会的現象を個人レベルまで落として語ろうとするのが間違ってるんだよな。そこに統計の罠がある。統計で示される数値と、個人の意識レベルってのは必ずしも一致しない。と言うか、特にこういう意識に関する統計ってのは真に受けちゃいけないんだけど、ある種の指標になることも確か。
だから、大袈裟に言ってアジテートすることだって難しくはない、と言うかマスメディアと言うのは概してそういうプロパガンダ的な側面があるわけだが、個人が社会的統計を持って他人を批判するからおかしくなるんであって、特にそういう抽象的な統計の場合は少なからず自分の意識を変革させることが重要。
まあ、権力のない一個人の出来ることっつったら、周囲の人が奈落の底に落ちないように見守ることぐらいだ。社会を変える前に周囲を変えろってわけだな。
お国の事情が違うから同じ土俵で語るのがおかしいと思ったりもするけど、国内の内政問題として捉える限り、大量労働社会時代を送った団塊世代、そのJrとしてバブルの恩恵を受けたバブル世代、バブルがはじけて就職氷河期だといわれて今なおニートやフリーターの数が多いとされる氷河期世代、そして僕ら以下の世代、となるわけだが、そうして世代別に見たときの歪がこの調査の結果なんじゃないかな、と思っちゃったり。
この調査の結果を悲観的に捉える人は、少なからず「なんで勉強が良い将来に直結しないんじゃないか」って言う、少し上の世代の価値観に基づくものを持つ。
うーん、全体を分析することなんて出来ないよな。どうしたって、総論としていったときには、「平たく言うと」ってことになる。で、この場合平たく言うと、「今の子供は勉強が将来の安定を保証するものじゃないって思ってる」、ってことになる。でもこれはおかしな話で、小学生と言っても6歳ぐらいから12歳ぐらいまでいるわけだし、そんな年齢の子が社会の現状に対してどうこう言える思考力を持ってるとも思えないし、そうなると、この結果ってのは小学生の社会観に関する調査結果なのではなくて、親が子に対して教えている「自分たちの教訓」と言うことに他ならないんじゃないかってワケだ。
で、現在の小学生の親は、どのくらいだろ、うちの姉ぐらいの年齢か。ちょうど30~35あたり。レンジを伸ばすと30代全域ってことになるんだが、上記で言うところの氷河期世代、つまりバブル崩壊を目の当たりにして、リストラで色々なものが崩壊していく様を目の当たりにしているということだ。その頃僕は小学生だったから詳しいことはわからないけれどもね。
「今の努力は将来結実しない」と言う悲観論は、穿った見方をすれば「望むことがない」と言う贅沢論になる。少なくとも都心部に住んでる人の半数が、本当に「今何したってしゃーねーよ」って風に諦観漂わせてるのか?そんなわけはない。諦観と言うなら、「もう何もすることがないよな」と言う食傷気味なニュアンスのほうが正しいんじゃないかと僕は思う。ありていに言えば、物質的豊かさと精神的飢餓。
あーこれまた何言ってるかわかんなくなってきたな。
そもそも社会的現象を個人レベルまで落として語ろうとするのが間違ってるんだよな。そこに統計の罠がある。統計で示される数値と、個人の意識レベルってのは必ずしも一致しない。と言うか、特にこういう意識に関する統計ってのは真に受けちゃいけないんだけど、ある種の指標になることも確か。
だから、大袈裟に言ってアジテートすることだって難しくはない、と言うかマスメディアと言うのは概してそういうプロパガンダ的な側面があるわけだが、個人が社会的統計を持って他人を批判するからおかしくなるんであって、特にそういう抽象的な統計の場合は少なからず自分の意識を変革させることが重要。
まあ、権力のない一個人の出来ることっつったら、周囲の人が奈落の底に落ちないように見守ることぐらいだ。社会を変える前に周囲を変えろってわけだな。
2007年3月6日火曜日
『ねじれた味のラズベリー!』
数日前に『毎日就職ナビ』に登録して、自己PR文をこのブログの戯言を書いてるみたいにだらだら書いたら、一日10件ぐらいドラフトメール来るんだけど、毎日就職ナビに登録してる企業ってそんなに人材不足なのか?それとも超売り手市場といわれてる煽りか?って思う。聞いたことある企業1:聞いたことない企業9ってところかしら。
まあまだ3月頭だし、今は名の知れた企業だけを念頭においていれば良いというのが僕の所見…と言うのも、僕にはある程度の目標みたいなのがあるからだ。具体的には言わないけど。あえて批判的に言うならば、僕の目標を達成出来る可能性があるならば、ベンチャー企業でも構わないっちゃあ構わない。
だけれど、転職が当たり前(特にこの業界は)なこの時代に、初っ端からベンチャー企業に入るのは、つまるところ僕にとってリスクしか見えないわけで。もしベンチャーで成功と言うのがあるのなら、それは精々大企業に買収・あるいは提携することぐらいしか思いつかない。そして、どの道転職、あるいは自立と言う道が視野にあるのなら、前職となるのが名もないベンチャーよりかは名の知れた大企業と言うほうが強い。もちろん、今で言うと不二家みたいに、一晩で没落の道を歩むような大企業もあるわけだから、その辺はしっかり選ばないといけないけど、そこさえちゃんとすれば、大企業に勤務していたという実績はどう転んでも強みになる。仮に前述したような道を何らかの理由で諦めたという場合でも、社会的な保証は小さな会社よりかはある。大きな企業であればあるほど、外聞と言うのがあるからな。
また、僕はこれからの日本社会は完全に淘汰の時代に入っていくと思っている。それは国内的な問題ではない。グローバルな問題としてだ。
元々人的資源以外なんの資源も持たない日本が、あらゆる紙面で問題になるぐらいに人材教育をしてこなかった上、BRICsなんていう21世紀丸出しの国々が押し寄せてくるわけだからな。「英語の勉強はしといたほうが役に立つよ」なんていうレベルじゃもはやない。特にIT業界からすれば、もはや死活問題になる。
よって、僕は僕の意見に従って就職活動を行う。ちなみに某大企業の一次面接は通過した。面接は得意なので安々と落ちる気がしない。自己PRなんかはいつも自己嫌悪してる自分のことを言えばいいだけだし、展望や希望なんかを聞かれてもいつも考えてることを口にすればいいだけだ。何も臆することはない。悪友と話してるほうがよっぽど頭を使いそうだ。
まあまだ3月頭だし、今は名の知れた企業だけを念頭においていれば良いというのが僕の所見…と言うのも、僕にはある程度の目標みたいなのがあるからだ。具体的には言わないけど。あえて批判的に言うならば、僕の目標を達成出来る可能性があるならば、ベンチャー企業でも構わないっちゃあ構わない。
だけれど、転職が当たり前(特にこの業界は)なこの時代に、初っ端からベンチャー企業に入るのは、つまるところ僕にとってリスクしか見えないわけで。もしベンチャーで成功と言うのがあるのなら、それは精々大企業に買収・あるいは提携することぐらいしか思いつかない。そして、どの道転職、あるいは自立と言う道が視野にあるのなら、前職となるのが名もないベンチャーよりかは名の知れた大企業と言うほうが強い。もちろん、今で言うと不二家みたいに、一晩で没落の道を歩むような大企業もあるわけだから、その辺はしっかり選ばないといけないけど、そこさえちゃんとすれば、大企業に勤務していたという実績はどう転んでも強みになる。仮に前述したような道を何らかの理由で諦めたという場合でも、社会的な保証は小さな会社よりかはある。大きな企業であればあるほど、外聞と言うのがあるからな。
また、僕はこれからの日本社会は完全に淘汰の時代に入っていくと思っている。それは国内的な問題ではない。グローバルな問題としてだ。
元々人的資源以外なんの資源も持たない日本が、あらゆる紙面で問題になるぐらいに人材教育をしてこなかった上、BRICsなんていう21世紀丸出しの国々が押し寄せてくるわけだからな。「英語の勉強はしといたほうが役に立つよ」なんていうレベルじゃもはやない。特にIT業界からすれば、もはや死活問題になる。
よって、僕は僕の意見に従って就職活動を行う。ちなみに某大企業の一次面接は通過した。面接は得意なので安々と落ちる気がしない。自己PRなんかはいつも自己嫌悪してる自分のことを言えばいいだけだし、展望や希望なんかを聞かれてもいつも考えてることを口にすればいいだけだ。何も臆することはない。悪友と話してるほうがよっぽど頭を使いそうだ。
2007年2月23日金曜日
2007年2月20日火曜日
『ありえない明日に憧れ』
某ブログで目にしたのだけれど、情報処理能力と生産性は比例関係にあると僕も思う。一般論と言えば一般論なんだけど。
プログラマーはプログラマーとしてすごいのではなくて、従来の業務を圧倒的な効率で持って終わらせることが出来るからすごいのだ。そして、それにおいては、如何に美しいプログラムを書けるかとか言うようなマニアックなコーディング能力的なことではなくて、どういう『方法』でやれば最も効率性が高く、生産性が高く、汎用的で、拡張性があるのか、と言う論理思考に主眼が置かれる。僕は数学とかが猫の水泳ぐらいダメなんで、完全に対岸の火事の話をすることになるんですけれども。ていうか、機械が発明されて工業革命が起こったのと同じように、その機械に仕組みを与えるプログラマがゴイス!といわれないのがわからないが、まあどうでもいいや。続き。
仕事時間の大半を費やし、多くの時間を悩ませる問題が、プログラマにかかればほんのちょっとの労力で済むようになる、と言う事例は確実にある。
また、殆どの業務でPCを使うことが当たり前になった今じゃ、なぜプログラマの労働環境がそこまで劣悪なのかわからない反面(わからないというのは総評であって、個別に見ていけばいくらでも反駁する余地はある)、おそらくコーディングする能力はあっても業務を効率化させる能力に乏しい人が多いだけなんじゃないかと言う寂しい疑念が過ぎりざるを得ない。少しでも楽をしよう、自動化しよう、と言う発想があって、ほんのちょっとのプログラミング能力があれば、どんな仕事においても絶対に上手く立ち回ることが出来る時代だ。まあ、今が過渡期だというのは認めるが。
例えば僕は某写真館で幼女の画像を加工するバイトとしていたわけだが、そこで僕の作ったマクロは大変重宝され、辞めた後でも何度かお呼び出しをくらうことがあったというぐらいだ。別にすごいアルゴリズムを考えたわけじゃなく、アナログなルーチンワークを単に機械化することによって生産性の向上、増加する仕事量への対応が出来るようになった、と言うだけだ。たいしたこともしてない。素地なんていらない。PCさえあれば、ソフトウェア的な仕事ならなんだって出来る。イレギュラー対応はまた別の話になるけど。
今もまた仕事を請け負った。インターンでの仕事だから大したことではない、いわゆる単純作業に分類されるものだが、量が量だけに2~3日中と言う期限を明示された。そして僕は膨大な対象データを俯瞰し、全容を把握してから、マクロを組んだ。結果、4時間で終わった。正規表現万歳。
生産性と言うのはそういうことだ。要領と言うのはそういうことだ。見積もり以下の作業時間で仕事をこなすための手法。面倒くさがりのためのメソッド。もともと僕は面倒くさがりなので、楽になるならそういう労は惜しまない。(後述するが、時間をかければいいってもんじゃない仕事は多い。)
が、なぜかよくわからないが、かけた時間が多ければ多いほど自慢をしてくる人と言うのが存在する。「あれ、二徹して仕上げたんだけどさ~」とか。自虐ネタなら笑ってやればいいんだが、そういう時間のかかる仕事を短い時間でこなしたほうがよりクールだということがわからないのだろうか。現に、学校でのグループ作業で、他のグループも当然同じものを作っていたわけだが、徹夜を繰り返して学校も休みがちになり、なんと驚くことにソースの長さが4000行に達するって言う強者がいたが、同じ処理をするにも僕は700行ほどだった。そしてみんなが修羅場だと慌てているのに僕はキッチリ睡眠時間は6時間。学校で残って何かすることは殆どなし。一日の作業時間は大体3~4時間くらいだったか。茶汰君も似たようなことを言っていた。「同じグループの子が2日間悩んでいるのを見て、俺が見てあげたら10秒で解決したよ」と。まあそれは極端な例だが、主にコミュニケーション的な方面での生産性にも関連するだろう。早く相談してれば良かったのにね、って意味で。
とまあ、プログラマの卵が犇めき合うこの学校組織にいて、こういう現状を垣間見ると、確かに巷でよく言われてるような「人月の神話」ってやつを実感する。今言ったような生産性の違いがあるのにもかかわらず、時間報酬制と言うのは合ってないというのも一理ある。まあ、人月モデルそのものがメインフレームを対象にした2~30年も前のものだから、WEB2.0の現在、通用しなくなっても当然なんだけれど。ちなみに僕はゾンビ2.0。
だからと言うわけじゃないが、WCEに関しては当然の動きと見る動きも一理ある。あくまで、この業界に限って言えば、の話だが。
まあこれは難しい問題なんだが、僕なりの解釈で言えばこうなる。
とある仕事を任されたツンデレAちゃんは、1週間納期の仕事を3日で終わらせてしまいました。よって、新しい仕事を貰ってその週は過ごしました。残業はしませんでした。
一方、同じ仕事を任された眼鏡ドジッ子Bちゃんは、1週間納期の仕事を、ラスト2日間はろくに眠らずに、なんとかやり遂げました。残業はよくしていました。
「生産性」と言う観点で見れば、会社にとって利益に直結しているのはどう考えてもAちゃんなのに、労働法規時間労働制の元では、当然、割いた時間はBちゃんのほうが多いわけだから、労働時間の対価として報酬を得ることが当たり前の概念な現在、Bちゃんは当然の結果としてAちゃん以上の報酬を得ることになる。
当たり前の感覚を持っているなら、両者の言い分くらい察せるだろうと思う。でも、困ったことに両方が正しいのだ。それは地盤としているものが違うからなのだけれど。
さて、そうなるとどうなるか。戦前の精神論を現代に持ち込んでいるラストサムライな人でない限り、Aちゃんのほうが評価されて当然だと思うだろう。それがWCE推進派の主張だ。つまりツンデレ好きだ。まあ、実際この例の状態が数年続けば、最終的に評価されるのはAちゃんだろうと思う。PMとかに格上げになるだろうね。
けど、賃金と言う観点でのみ見れば、そりゃあ金は生きるのに必要なわけだから、Aちゃんは生産性の高さを武器に、報酬支払い制度のおかしさを説くわけだ。けど、BちゃんもAちゃんの主張のような裁量労働制を受け入れられるとたまったもんじゃない。時間と報酬の等価交換って概念が骨の髄まで染み付いてるBちゃんにとっちゃ、生産性によって報酬が変わるというのは死ねといわれてるようなもんだ。
そもそも、単純に時間と人を割けばある一定のものが出来るというものでもないからな。時間をかけるだけじゃどうにもならないもんだから生産性と言う言葉が独り歩きするぐらい自立する。
これが、IT業界の現状。惨状?だから、WCEは一方で過労死斡旋法だと批難され、他方では現代に見合った、経営陣にやさしいバファリンのような制度だと見られる。米国では随分前に導入しているらしいから、単純に日本でも導入する可能性が高い、と識者は見てるらしい。まあ、全体的に仕事量がかなり増えてる現況では、優秀だけど多忙なホワイトカラーにとってはそんな問題はキモではないかも知れないけれど。生産性とか時間単位とか言う言葉だけじゃ解決出来ない類の仕事ってのもあるだろうしね。でもそういうものをいちいち勘案していたらいつまでも何の話も出来ない。
デスマーチが頻発する理由は別にBちゃんみたいな人が多いからだってわけじゃないけれど、原因の一端を担っているというのは、プログラマの卵である同じ学生を見ててよくわかる。
でも、時代の流れ(あくまでこの業界ね)は確実に、成果に見合った報酬を、と言う風になってきているんだけど、反面、パート労働法改正案に見られるように、非正規雇用者と正規雇用者の格差間を埋めるためにEUみたいに同一労働同一賃金みたいな話にもなってきている。格差そのものが問題なんじゃなくて、二極化が問題だってのに、おかしい話だけどね。しかしこの問題はほんと入り組んでるな。
ついでだから書くが、非正規雇用者と正規雇用者が仮に同じ仕事をしてたとしたら、お互いの言い分は圧倒的に正しい。
もし完全な同一労働同一賃金ならば、正規雇用者は、「なんで同じ仕事をしてるのにアルバイトと同じ給料なんだ」と言うだろうし、賃金に差があれば、今度は非正規雇用者から「なぜ同じ仕事をしてるのに社員とは給料が違うんだ」と言うことになる。実際、社員より有能なアルバイトと言うのはどこにでもいる。今まではその差を社会保障と言う形だったりボーナスだったり終身雇用と言う安定性で鎹としていたが、転職は当たり前で年金はどうなるかわからない(年金は積み立て型じゃなくて世代間扶養だから貰い手の数が支払い手の数を圧倒すれば自然と破綻する。)で、いわゆる社会不安が増大してるために、その鎹も役立たなくなってきているという形。
社会的・将来的な保証と言う面を無視すれば、働かなくても食っていけるというニートの誕生は、倫理的感情的にはともかく、批難されることなく「幸せだね」と一言言えば済む話だけど、ニートがクローズアップ現代されるのはそういう不平等さや、将来を見据えていない楽観さって部分に尽きるんだろうと思う。まあでもこれは違う話。
否、と言うか、同一労働同一賃金と言う共産主義的な概念の元では、雇用形態そのものが今とは違う形になるのか。契約オプションはどうなるか知らないけど、職業の違いだけで、非正規であるとか正規であるとか言う区別はなくなるのか。なんというフラット化した世界。どう見てもフリードマンです本当にありがとうございました。
まあ、無理矢理包括すると、今は雇用と言う制度自体に見直しがかけられる時代だから、今度の労働法制改革が楽しみですね、と言う話。労働ビッグバン。
プログラマーはプログラマーとしてすごいのではなくて、従来の業務を圧倒的な効率で持って終わらせることが出来るからすごいのだ。そして、それにおいては、如何に美しいプログラムを書けるかとか言うようなマニアックなコーディング能力的なことではなくて、どういう『方法』でやれば最も効率性が高く、生産性が高く、汎用的で、拡張性があるのか、と言う論理思考に主眼が置かれる。僕は数学とかが猫の水泳ぐらいダメなんで、完全に対岸の火事の話をすることになるんですけれども。ていうか、機械が発明されて工業革命が起こったのと同じように、その機械に仕組みを与えるプログラマがゴイス!といわれないのがわからないが、まあどうでもいいや。続き。
仕事時間の大半を費やし、多くの時間を悩ませる問題が、プログラマにかかればほんのちょっとの労力で済むようになる、と言う事例は確実にある。
また、殆どの業務でPCを使うことが当たり前になった今じゃ、なぜプログラマの労働環境がそこまで劣悪なのかわからない反面(わからないというのは総評であって、個別に見ていけばいくらでも反駁する余地はある)、おそらくコーディングする能力はあっても業務を効率化させる能力に乏しい人が多いだけなんじゃないかと言う寂しい疑念が過ぎりざるを得ない。少しでも楽をしよう、自動化しよう、と言う発想があって、ほんのちょっとのプログラミング能力があれば、どんな仕事においても絶対に上手く立ち回ることが出来る時代だ。まあ、今が過渡期だというのは認めるが。
例えば僕は某写真館で幼女の画像を加工するバイトとしていたわけだが、そこで僕の作ったマクロは大変重宝され、辞めた後でも何度かお呼び出しをくらうことがあったというぐらいだ。別にすごいアルゴリズムを考えたわけじゃなく、アナログなルーチンワークを単に機械化することによって生産性の向上、増加する仕事量への対応が出来るようになった、と言うだけだ。たいしたこともしてない。素地なんていらない。PCさえあれば、ソフトウェア的な仕事ならなんだって出来る。イレギュラー対応はまた別の話になるけど。
今もまた仕事を請け負った。インターンでの仕事だから大したことではない、いわゆる単純作業に分類されるものだが、量が量だけに2~3日中と言う期限を明示された。そして僕は膨大な対象データを俯瞰し、全容を把握してから、マクロを組んだ。結果、4時間で終わった。正規表現万歳。
生産性と言うのはそういうことだ。要領と言うのはそういうことだ。見積もり以下の作業時間で仕事をこなすための手法。面倒くさがりのためのメソッド。もともと僕は面倒くさがりなので、楽になるならそういう労は惜しまない。(後述するが、時間をかければいいってもんじゃない仕事は多い。)
が、なぜかよくわからないが、かけた時間が多ければ多いほど自慢をしてくる人と言うのが存在する。「あれ、二徹して仕上げたんだけどさ~」とか。自虐ネタなら笑ってやればいいんだが、そういう時間のかかる仕事を短い時間でこなしたほうがよりクールだということがわからないのだろうか。現に、学校でのグループ作業で、他のグループも当然同じものを作っていたわけだが、徹夜を繰り返して学校も休みがちになり、なんと驚くことにソースの長さが4000行に達するって言う強者がいたが、同じ処理をするにも僕は700行ほどだった。そしてみんなが修羅場だと慌てているのに僕はキッチリ睡眠時間は6時間。学校で残って何かすることは殆どなし。一日の作業時間は大体3~4時間くらいだったか。茶汰君も似たようなことを言っていた。「同じグループの子が2日間悩んでいるのを見て、俺が見てあげたら10秒で解決したよ」と。まあそれは極端な例だが、主にコミュニケーション的な方面での生産性にも関連するだろう。早く相談してれば良かったのにね、って意味で。
とまあ、プログラマの卵が犇めき合うこの学校組織にいて、こういう現状を垣間見ると、確かに巷でよく言われてるような「人月の神話」ってやつを実感する。今言ったような生産性の違いがあるのにもかかわらず、時間報酬制と言うのは合ってないというのも一理ある。まあ、人月モデルそのものがメインフレームを対象にした2~30年も前のものだから、WEB2.0の現在、通用しなくなっても当然なんだけれど。ちなみに僕はゾンビ2.0。
だからと言うわけじゃないが、WCEに関しては当然の動きと見る動きも一理ある。あくまで、この業界に限って言えば、の話だが。
まあこれは難しい問題なんだが、僕なりの解釈で言えばこうなる。
とある仕事を任されたツンデレAちゃんは、1週間納期の仕事を3日で終わらせてしまいました。よって、新しい仕事を貰ってその週は過ごしました。残業はしませんでした。
一方、同じ仕事を任された眼鏡ドジッ子Bちゃんは、1週間納期の仕事を、ラスト2日間はろくに眠らずに、なんとかやり遂げました。残業はよくしていました。
「生産性」と言う観点で見れば、会社にとって利益に直結しているのはどう考えてもAちゃんなのに、労働法規時間労働制の元では、当然、割いた時間はBちゃんのほうが多いわけだから、労働時間の対価として報酬を得ることが当たり前の概念な現在、Bちゃんは当然の結果としてAちゃん以上の報酬を得ることになる。
当たり前の感覚を持っているなら、両者の言い分くらい察せるだろうと思う。でも、困ったことに両方が正しいのだ。それは地盤としているものが違うからなのだけれど。
さて、そうなるとどうなるか。戦前の精神論を現代に持ち込んでいるラストサムライな人でない限り、Aちゃんのほうが評価されて当然だと思うだろう。それがWCE推進派の主張だ。つまりツンデレ好きだ。まあ、実際この例の状態が数年続けば、最終的に評価されるのはAちゃんだろうと思う。PMとかに格上げになるだろうね。
けど、賃金と言う観点でのみ見れば、そりゃあ金は生きるのに必要なわけだから、Aちゃんは生産性の高さを武器に、報酬支払い制度のおかしさを説くわけだ。けど、BちゃんもAちゃんの主張のような裁量労働制を受け入れられるとたまったもんじゃない。時間と報酬の等価交換って概念が骨の髄まで染み付いてるBちゃんにとっちゃ、生産性によって報酬が変わるというのは死ねといわれてるようなもんだ。
そもそも、単純に時間と人を割けばある一定のものが出来るというものでもないからな。時間をかけるだけじゃどうにもならないもんだから生産性と言う言葉が独り歩きするぐらい自立する。
これが、IT業界の現状。惨状?だから、WCEは一方で過労死斡旋法だと批難され、他方では現代に見合った、経営陣にやさしいバファリンのような制度だと見られる。米国では随分前に導入しているらしいから、単純に日本でも導入する可能性が高い、と識者は見てるらしい。まあ、全体的に仕事量がかなり増えてる現況では、優秀だけど多忙なホワイトカラーにとってはそんな問題はキモではないかも知れないけれど。生産性とか時間単位とか言う言葉だけじゃ解決出来ない類の仕事ってのもあるだろうしね。でもそういうものをいちいち勘案していたらいつまでも何の話も出来ない。
デスマーチが頻発する理由は別にBちゃんみたいな人が多いからだってわけじゃないけれど、原因の一端を担っているというのは、プログラマの卵である同じ学生を見ててよくわかる。
でも、時代の流れ(あくまでこの業界ね)は確実に、成果に見合った報酬を、と言う風になってきているんだけど、反面、パート労働法改正案に見られるように、非正規雇用者と正規雇用者の格差間を埋めるためにEUみたいに同一労働同一賃金みたいな話にもなってきている。格差そのものが問題なんじゃなくて、二極化が問題だってのに、おかしい話だけどね。しかしこの問題はほんと入り組んでるな。
ついでだから書くが、非正規雇用者と正規雇用者が仮に同じ仕事をしてたとしたら、お互いの言い分は圧倒的に正しい。
もし完全な同一労働同一賃金ならば、正規雇用者は、「なんで同じ仕事をしてるのにアルバイトと同じ給料なんだ」と言うだろうし、賃金に差があれば、今度は非正規雇用者から「なぜ同じ仕事をしてるのに社員とは給料が違うんだ」と言うことになる。実際、社員より有能なアルバイトと言うのはどこにでもいる。今まではその差を社会保障と言う形だったりボーナスだったり終身雇用と言う安定性で鎹としていたが、転職は当たり前で年金はどうなるかわからない(年金は積み立て型じゃなくて世代間扶養だから貰い手の数が支払い手の数を圧倒すれば自然と破綻する。)で、いわゆる社会不安が増大してるために、その鎹も役立たなくなってきているという形。
社会的・将来的な保証と言う面を無視すれば、働かなくても食っていけるというニートの誕生は、倫理的感情的にはともかく、批難されることなく「幸せだね」と一言言えば済む話だけど、ニートがクローズアップ現代されるのはそういう不平等さや、将来を見据えていない楽観さって部分に尽きるんだろうと思う。まあでもこれは違う話。
否、と言うか、同一労働同一賃金と言う共産主義的な概念の元では、雇用形態そのものが今とは違う形になるのか。契約オプションはどうなるか知らないけど、職業の違いだけで、非正規であるとか正規であるとか言う区別はなくなるのか。なんというフラット化した世界。どう見てもフリードマンです本当にありがとうございました。
まあ、無理矢理包括すると、今は雇用と言う制度自体に見直しがかけられる時代だから、今度の労働法制改革が楽しみですね、と言う話。労働ビッグバン。
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