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2007年4月10日火曜日

『総員!大隊長殿を救え!』『半数は死にます。よろしくありますか。』『今、あの人を失えば僕らは烏合の衆になる。そうなればどの道全滅する!』

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どこまでこの不条理な出来事を書いていいのかわからないけど。

学祭の時期が半年早まった
今まで、9月上旬スタートの1月下旬発表だったのが、4月上旬(つまり今だ)スタートの9月上旬発表と、半年間前倒しになった。
グループ作業
10人±1人と言う単位でのグループ製作になる。そこでは、各担当に仕事を分担し、なるべく効率良く運営することが望まれる。
問題はそのグループの結成方法についてだが、これは単に「仲良いやつが集まれ」ではない。
それだと、グループ間での戦力バランスが崩れるし、そのわけ方だと必ず1クラスに1グループは、「あまりもの」グループが出来るためだ。一時的なグループならばそれで良いかも知れないが、学校の一大行事としてのグループ編成でそれはまずい。
学校の体面
かなり大々的に行う行事なので、やはり学校側としてももっとも気合を入れる行事である。大学の文化祭と大差あるところは、「生徒の出し物だがイベントの主導は学校側」と言うことだ。
ある意味広告塔として十分に機能するイベントなので、それなりのクオリティは求められる。だから、学内での審査のレベルも高いし、出した企画が必ず通るなんてことはありえない。
要するに、
・グループ編成
・作品の質
・イベント運営
主にこの3つに関しては並々ならぬ圧力がかかっていると言っても差し支えない。
グループ内でのいざこざが起こり、退学するやつが出てくればそれもやはり個人的な問題と言えど管理側の責任を問われてもおかしくない部分にまで発展しかねない。
作品の質が、大々的にするほどのものでもない程度のものであれば、それもやはり学校の戦略として具合が悪い。
どうあっても、主に体面の関係から、学校側の管理が強くなってしまうのだ。
従来のメンバー選出
第一に肝要になってくるのが、グループ編成だが、これは主に次の手順で行われる。

1:リーダーを選出
2:選出されたリーダーたちが別室で、クラス内の有能選手から順にドラフト制で取っていく

1に関しては、クラス内での立候補、推薦、教員からの推薦等、投票、色々勘案された上で決定される。
2に関しては、その選出されたリーダーが「すわ有能!」と思うやつから順にとっていくので、必然的に戦力バランスは分散される。
大前提
しかし、従来のメンバー編成方法には前提がある。
それは、「クラスメイトが互いのことを知っている」と言うことだ。
誰かがリーダーに立候補したところで、それがリーダーに向いているのかどうか、ついてくるやつがいるのかどうか、馬の骨でないかどうかと言うのは、今までの動向から大体推測出来る。
推薦にしても同様で、「すわリーダー向き!」と言うやつはやはり推されるわけだ。
最終的な決定はおそらく投票だろうが、これにしたって「あいつなら大丈夫」と言う墨がつかない限りは当選することはないのだから、確実に民主的ではある。
それに、仮にそのリーダーが馬の骨だったところで、有能なやつからとっていくドラフト制と言う性質上、結果的にもっとも有能なやつが中心になって動くことは間違いがないのだから、戦力が公平に分散されていれば問題にならない。
問題は今年
今までは、「クラスメイトのことがわかっていたから」と言う前提があったので、上記のような方法でいけた。
だが、今年からは違う。
グループの編成が9月ではなくて4月だということ。つまり新クラスになって間もないときにグループを決めなければならないということ。
それは、たとえ誰かが立候補したとしても、多勢からすればそれが馬の骨かどうかと言う判断材料にもならない。
同様に、推薦にしても同じだし、教員にしてもわからない。
そうなると、投票そのものがどう見ても形骸になる。第一印象でリーダーを選ぶことほど馬鹿げたこともそうそうない。

と言うことは、上記の「学校の体面」の側面から考えても、
「ある程度の選考は教員側で行われている」
と考えるのが妥当。

立候補者は立候補者で別枠で勘案されるのだろう。だがそれにももちろん教員方の選抜は入る。
立候補しないけどリーダー向きの人物に関しては、教員の間でリストのようなものが出回るのだろうと推測した。
推理
ある程度、少なくともリーダーの選出に関しては完全に出来レースにならざるを得ないと看破していた僕と茶汰君は、恐らくクラス編成もそれに基づいてされるんじゃないかと言う推論を立てた。
リーダー候補が絞り込まれているのであれば、また、クラスで5人しかリーダーになれないのであれば、リーダー候補が3人だとか8人だとかになると不都合になるので、あらかじめ配分はなされた上でクラス編成をされてる可能性が高い、と言うところまで読んだ。
実際には、新クラスメンバーを見るだけではその証明にはならなかったのだが、少なくとも僕と茶汰君は同じクラスではなかった。

つまり、推理したことをまとめるとこうなる
・立候補者、教員の推薦、と言う二つの面から、あらかじめリーダー候補は絞り込まれている
・絞り込まれたリーダー候補を分散させてクラス編成はされている
・時期的な問題から、投票によってリーダーを確定させるというようなことはありえない。
これらはほぼ確信していたため、あとは実際にどういう風にこれらを展開するか、が問題だった。
裏づけ
茶汰君のクラスはすでにグループ編成がなされた。
話を聞くと、やはり、完全なる予定調和、出来レースも良いところだったらしい。
立候補したのは3人。それは事前に教員に申し出ていた人たちであったらしい。
あと2人リーダーを選ばなくてはならないが、ここで無条件で引っ張り出されたのが茶汰君だということ。そしてそこに拒否権は存在しなかったこと。

ここまで来れば誰でもわかる。やはり、推測どおり、どこまでも出来レースだったのだ。
選抜された立候補者と、教員に推薦された推薦者。
茶汰君は見事に後者の枠に嵌り、そしてリーダーをする羽目になった。
次は…
実に合理的、実に明解、実に無難。
リスクを最小限に抑え、なおかつ上記のような論理を伝家の宝刀にすれば、どうあっても学校の思惑通りに事は収まる。
反対するやつ?出るはずもない。クラスメイトのことが何もわからない状態での、「選抜された立候補者」と「教員から推薦された推薦者」と言う墨のついた人間のことを公表すれば、投票などせずとも答えは明白だ。

僕はたぶんすでに20人ぐらいから「リーダー頑張ってな」と揶揄されている。
それがたとえ冗談であっても、そこまで知りもしない人間からそういわれるということそのものが問題なのだ。
3年次のグループ編成のときにも、僕は見知らぬやつから「リーダーシップがあるから」と言う理由でヘッドハンティングされそうになったが、僕はこの学校では大人しくしているつもりなのに、どうやら知らないうちに情報が漏れたか僕のメッキも剥がれたか。
僕がリーダーに向かない理由

・「出来ないなら僕がやります」と言ってしまう

・一人で抱え込みすぎる

・人を見切るのが早い

・自分は間違っていると迷ってしまう
実績
自意識過剰かも知れないけれど、僕は今まで割とどこでも中心的な人間に祭り上げられてきた。
13年ぐらいやってた少林寺では中学生にしながら大人の部の頭を任されたり(師範は小学生たちの面倒を見ていたため)、バイトでも必ず人を使い管理する立場にいた。
でもそれは僕が望んだことじゃなく、任されたことだ。僕は自分でそんな器だと思ってないし目立つのが嫌いだから立候補なんてしたことがない。唯一例外的なのは、生徒会に入るときぐらいだ。が、あれは内申点稼ぎ以外の何者でもなかった。
僕の気持ちを無視するならば、確かに人をまとめ動かすことに関してはそこそこの経験があるのかも知れない。でも、そんなのは僕がたまたまその立場になっただけで、僕以外の人間でもっと相応しい人物がいるはずだから、そういう人をこそ見てやってほしいと思う。
僕は自動ドアが開かないときが多いぐらい存在感が薄い人間だけれど、何か知らないけど目立つらしいのだ。専門学校に入ってよくわかった。大人しくしてるつもりがいつの間にか有名人だ。
けど、そんなことと僕がリーダーになることはまったく関係ない。それは単に僕の人脈が結果的に広くなったというだけである。
なんだかんだ言うけど
自分の意思とは無関係にそういう役回りで生きてきた僕だから、たぶん今回も僕の意思は関係なくそういう立場にたつことになるんだろうと思う。

願わくば、僕を軽視する人が多いことを……

2007年4月8日日曜日

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琵琶湖についてちょいと調べなきゃいけなかったので公式見てたら

滋賀県のホームページ(日本語)


滋賀県のホームページ(英語)



この違いはなんだよwwwwwwwwwwwww

新世界の髪

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夜神月の髪型は何て言う髪型なんですか?
夜神月の髪型は何て言う髪型なんですか?

回答数: 3  質問した人: takalighttakaさん


回答

たぶん『新世界の髪』だとおもいます

回答した人: rxhkr088さん

普通にうまいwwwwワロスwwwwww

2007年4月6日金曜日

『復讐と言う動機は厄介だからな』

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プロジェクト管理に関しての良書。
そりゃあ僕は実際のプロジェクト管理なんてまだしたことはないけど、規模に関わらず、グループを管理する立場にいた経験はあるものだから、少なからず相似するところはあったから、面白く読めた。
著者はExcel開発チームにいたプログラマであり、現在はとあるソフトウェア会社を設立した。
一般的に言われてる管理者の心構えとは結構逆のことを言ってて新鮮で、それら一つ一つについて合理的な説明をしているものだから、説得力もかなりあった。
…過去30年間の少なくとも2ダースの研究が示しているのは、仕事を完了させたり、仕事を成功させることを、報酬を期待して行う人々というのは、報酬をまったく期待せずに行う人々ほど良いパフォーマンスを示さないということだ
彼の結論は、報酬(あるいは賄賂)は職場では機能しない、ということだ。
(中略)
それは、彼らがご褒美のクッキーがないと仕事が出来ないほど自主性を欠いているのだとほのめかすことであり、侮辱的で人を貶めるものだ。

日本的に言うと、「好きな仕事を探してやれ」ってことなんだろうな。

あと、一つの作業を黙々とこなすのと、複数の作業をマルチタスク的にこなすのが、どちらかが効率的なのかと言うことをわかりやすく説明していたのも面白かった。
人間の頭脳をCPUに準えて話は進んでいたのだが、つまり、一つの作業を黙々とこなす『シーケンシャルタスク』の場合、頭の切り替えが必要ないから、そのことだけを考えて没頭出来る。
他方、複数の処理をこなす『マルチタスク』の場合、頭の切り替えがそのたびに必要なわけだから、それに必要な『切り替え時間』を総合すると、圧倒的にマルチタスクの方が非効率だというのだ。
まあ記号化するとこうなるのだが、実際に即してみると結構わかりやすい。

例えば明日、英語と数学のテストがあるとする。
僕は普段何の勉強もしないアホなので、前日になって教科書の埃を払ってとりあえず開いてみるわけだけど、時間的に考えて同時に勉強したほうが早いと思う。
だから僕は数学の問題が一問終わると、英語の翻訳を1行することにするんだけど、数学の問題に戻ってきたときに、
・次の問題はどこか
・さっきやった問題はどういう問題だったか
・解法はどういう要領だったか
と言うようなことをいちいち思い出さなければならない。
英語に戻ってもそうで、
・次の文はどこか
・今までの文脈はどういう内容だったか
等等、色々ある。
それに、両方に共通することは、それぞれの教科書を閉じたり開いたり、ノートをめくったりする手間が発生するということだ。
とは言え、それは人間時間に換算すると本当に微々たるものだけど(人間の頭は機械より高性能だから)、そういう面倒くさいものは、つまるところ集中力を左右する。やることが多ければ多いほど、それは挫折する確率を等比数列的に上昇させる。

と言うことで、実際問題に置き換えてみても、確かに、とヒザを打てるものではある。

あと、非常に興味深かったのが、ミクロ経済学の、代替財と補完財による需要と供給バランスの説明のくだり。
ほかのすべての条件が同じなら、補完財の値段が下がるとき、その製品への需要は増える。
例えば、マイアミへの航空運賃が下がると、マイアミのホテルの客室の需要は増える──それは、多くの人がマイアミへ行くようになり、客室を必要とするからだ。
コンピュータが安くなれば、より多くの人がそれを買うようになり、それにはオペレーティングシステムが必要なので、オペレーティングシステムに対する需要は増え、それはオペレーティングシステムの値段が上がるかも知れないということを意味する。

これは一部を抜粋したものだが、こういうわかりやすい例を用いて説明してくれるので、頭脳が間抜けな僕でも、ミクロ経済学の先っちょぐらいはわかるようになった。

コアになるのは、如何にしてチームを効率よく動かしていくかと言う、仕事的な意味でのプロジェクトマネージメント論に関する本なのだが、その外堀を埋めるように、数々の逸話がある。それは採用に関する話であったり、企業戦略に関する話であったり、無能な上司とのケンカに関する話であったりする。
こういう系の本では『人月の神話』がバイブルとされているが、あれは書かれた時代が時代だし、完全に経験者向けの本らしいので酷く難解らしいので僕は手をつけにくいのだが。

2007年4月3日火曜日

『あたしで和めよ!』

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P嬢とのxiバトルはヤバすぎるwww
僕もP嬢もかなりの負けず嫌いかつ結構な玄人なので、一回決着がつくのに20~25分ぐらいかかった。一瞬も気を緩めれないので2回やるだけで疲れたww
バトルゲームのルールは、1~6の面を全て早く揃えたほうが勝ちなのだが、例えば僕が6を揃えて、『6の面』を手にするとしても、P嬢がその6に連鎖を加えるような形になれば、『6の面』の所有権はP嬢に移るわけだ。
玄人である互いを出し抜いて全てのカードの所有権を得なければならないわけだから、これがまた難しい。
なぜなら、1や2は一瞬で作ることが出来るから。その分、連鎖もすぐに出来るんだけどね。
また、キャラクターが地面に降りているときにサイコロで踏めば、何らかの条件で相手の持つ面が自分の手元に来るらしい。
だから、白熱してくると、地面に降りた相手めがけて「死ねー!」とサイコロを転がす始末であった。
さすがに5とか6の揃えにくいものを揃えると、取られたらマズイと思うから半透明になった時点で違う数のサイで消していく。これがまたイヤらしい。
連鎖を繋げてサイの目を自分のものにしようとサイコロを転がして頑張ってる横で連鎖が出来ないように消されていくわけだから、「ちょwww」である。べ、別に連鎖なんてしなくてもちゃんと揃えれるんだからねっ!!

このゲーム、人によってはかなり脳を使って考えるみたいで相当難しく感じるみたいだが、僕とかP嬢は完全に感覚でやってるから、頭は使わない。元々脳の構造が同じなので、サイコロの動かし方とかも同じで、トライアルモードで連鎖を繋げるときに何度行動がかぶったことか。普通は、一つの面の上に二人乗れば、どちらか一方は何もせず、上手いほうが動かすか、あるいは同時に転がそうとして連鎖を逃すというパターンがほとんどだが、僕らはそうではない。ハイハイ思考回路思考回路頻度があまりに高すぎる。



画像は、2週間前ぐらいにドンキーコングをやってる途中で電話がかかってきてポーズしたときの衝撃画像。
こんなんポーズ解除した瞬間当たるwwww
SFCのカセットはちょっとした衝撃でフリーズしたりデータが飛んだりするから困る。


ついでに、全国編で開始した桃鉄で全員の名前をデスノ風にした瞬間の画像。
秘書の発言が面白くなる代わりに、僕とP嬢間で呼び名で一瞬混乱する。CPUの判別がより一層難しくなった。
しかし、4人(人間2人+CPU2人)での99年は、3人に比べると長い。
しかも、3人のときは弱っちぃ女子高生が相手だったから、実質上僕とP嬢の一騎打ちだったのだが、今回はCPUがものすごい強いので、CPU一人蹴落とすのが精一杯。風神雷神が相手なんだぜ。あんたなんか神じゃない!とか言ってられないぐらいボンビーに襲われる。
こないだ丸一日やったときでも20年ぐらいしか進まなかったし…まあ、常に波乱で面白そうだ。

ピクロスって二人同時にやること出来たと知って目玉がポロリと落ちるかとおもた。
僕が次に彫れるところを教えようと画面に向かって指を指そうとしたそのときに、近くにあったコントローラを手で押さえてしまったのだが、そのときに2P用のカーソルが出てきて、なんじゃあこりゃあああああ!!!!
今までは代わりばんこにやってたんだが、二人同時にやれると知ってからはクリアするのがめちゃ早いwww20x20のピクロスでも10分かからなかったりするwwタノシス

あとあれだな、スーパーチャイニーズワールドは意味がわからなさすぎるな。
よし、今度なんか面白いクソゲー買ってやってみようぜ。

2007年3月30日金曜日

成果主義な自治体

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あー選挙かーとか思ってる時にふと思った。
僕らは立候補してる人に投票をするわけだけど、それは間接的に掲げる政策に投票していることとなんら変わりはない。
いや、厳密に言うと違うのかも知れないけど、まあ僕の持つ印象がそんな感じだから、その考えは決してマイノリティじゃないだろう。
大体、有権者からしたら、その人がどういう人なのかってのは掲げる政策を見なければわからないし、極端な話、「何かしてくれること」を期待して投票するわけだから、別にその人の人格が腹黒かろうが清純であろうがどうでもいいわけだ。
でも、その人が当選したからと言ってその政策が実現するとは当然限らない。そこにどういう理由があるのかはわからないけど。
だから政策単位で投票するのが良いんじゃないかな、とか思う。立候補者は、その政策にぶら下がる形でのみ存在する、と。
民意の反映としての政策であるならば、そっちのほうが理に適うとは思うんだけどね。
その政策が本当に民の欲しているものかどうかは、その投票数を見れば一発でわかるわけだし。
それに、その立候補者が何らかの理由で辞任しても、政策はなくならないということが大きい。まあ弊害もあるだろうけど。
実際、代議士制度が確立されてからもそういうことってなかったんじゃないかなあ。あったら誰か教えて。

学園黙示録

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佐藤大輔さん何やってんですかちゃんと『皇国の守護者』の続き書いてくださいよ!って突っ込みはあるにしても、このゾンビ漫画は大変な傑作である。佐藤大輔さんがこんなにゾンビに精通していると知って僕はかなり嬉しい。
んで、何が傑作かって、

・絵が萌えるし綺麗だしよく描きこまれている
・ゾンビの『お約束』をよく理解しているために飽きない
・全世界同時発生

と言う点だ。
まあ、ゾンビ漫画と言う点で、絵はぶっちゃけどうでもいいっちゃどうでもいいのだが、それでも見やすいに越したことはない。
が、やっぱゾンビとかになるとオドロオドロしいシーンとかも満載でないとダメなわけだから、軟弱な萌え絵だと、どうしても表現まで軟弱になってしまう上に、単純に言って合わない。萌え絵と言うのは人を和ませるためだけに特化した絵の形態の一つだからな。
が、この漫画は絵はそこそこ萌える割に、建造物や脇役、ゾンビ特有の表情等が非常に良い。ほえほえした女の子からイカつい男までなんでもござれだ。だから違和感もない。完璧。
武器を使った格闘シーンも巧いし、銃器の扱いについても、やっぱりなぜか精通したやつが一人仲間にいたり(これもお約束だが)してて、無駄がない。演出も過剰でも過小でもない。
ビジュアル表現に関して言えばこんなところだ。

次に、ゾンビの『お約束』だが、まあこれは諸説あるのだが、

①篭城は厳禁
 必ず、守りさえ固めていれば助かると言うやつが出てくるが、それは大きな間違いで、いくらゾンビが進入してこれないように注意を払っていたとしても、生存者の精神が先ず持たない。もちろん、人数や確保した物理的スペース、治安状況にもよるが、まあ大体うまく行かない。
 Ⅰ:人数が10人以上の場合
   これは絶望的だ。篭城しているうちに確実に発狂するやつが出てくるし、それは伝染する。それに、食料等の問題が非常に大きいために、まともな頭を持った人間だと必ずそこに不安を覚え、やはり篭城には反対する姿勢を取るようになる。そうでなくても、内部で派閥が出来ることは必定であり、そうなると秩序立った集団行動すら危うくなる。
 Ⅱ:物理的スペースが狭い場合
   『ドーン・オブ・ザ・デッド』のスーパーマーケットぐらい広かったら問題もないだろうが、まあこの漫画で言うならば、せいぜい大きくて倉庫程度のものであり、普通は一軒家を考える(食料の備蓄が容易だし、外部との連絡も希望がある)。一軒家は一見篭城に向きそうだが、そうではない。持久戦にひどく弱いのだ。と言うのは、抱える食料の量に物理的な問題がある。一切買い物に行かずに1ヶ月以上も過ごせる家が存在するだろうか?
 Ⅲ:治安が悪い場合
   警察等の秩序がまともに機能しておらず、夜盗やゴロつき等が略奪を繰り返しているような絶望的な治安状態の場合、仮にⅡの問題をクリアして半年以上の篭城が可能だとしても、それは失敗する。いくら内部秩序が保たれていてもだ。侵入を警戒すべき相手がゾンビに限らなくなる。ただのゾンビ相手の篭城方法は、生きてる人間からすれば穴だらけで、そんなものは軽々と略奪者によって破壊され、ゾンビと一緒に侵入される羽目になる。また、そういう対略奪者に対抗する方法が縦しんばあったとしても、それはやはりいつまでも続くものではないし、武器・食料の消耗を激しくし、結果として篭城出来る期間を短くしてしまうだけだ。

 以上のような理由から、篭城は確実に成功しない。作者はそのことがわかっており、篭城しても一時的なものに留めている。

②見知らぬ人は助けるな
 同じように逃げてる人を見つけたとき、結託を必ず考える。人数が多くなればなるほどその声は多くなるし、それは人道に適ったもので批難の余地はない。僕も、助けられるべきなら助けるべきだと思う。が、それは女子供老人に限定すべきであって、特に血の気の多い男はあまり引き込まないほうが良い。血の気の多い男は真っ先に秩序を乱す原因であって、特にそれが女連れであった場合、主導権を握ろうと諍いを起こす可能性がある。助けるのであれば、信頼出来る人間に限ることは大前提である。

③戦いは極力避ける
 どんな理由があっても、戦うべきは目の前にいるゾンビだけに限るべきで、必要以上に殺戮はすべきではない。それは弾薬の無駄遣いにしかならないし、それに酔ってしまう可能性もなくはない。最も重要視すべきは、弾薬の残りよりも常に自分たちの体力であり、無駄に疲れて休息を欲するようになると肝心なときに戦えなくもなる。思考力も奪われる。人間は電池を換えれば動くようになるものではない。

④身内にも冷徹であれ
 最も悲劇的で同情以外にはないのがこのパターンで、つまり家族恋人親友等がゾンビになってしまった、あるいは噛まれた場合、どれだけ冷徹になれるかで助かる確率は変わる。もっとも、これは単純に生存する意味について考察する余地があるわけだから、家族や恋人を失ってまで生きる意味などないと考える人にとっては他人事ではない。生き残る意味はなんなのか、と言うことまで考えないとこのパターンには決着はつけれない。しかし、多くのゾンビ映画では、ゾンビになった家族などを撃てずに食われてしまうというパターンは決して少なくない。


と言うような感じで、読んでても、「作者はよくわかってるなあ」と感心するばかりだ。
だから、主人公グループの動きはゾンビ世界で生き残るために最も無駄がない。
このHigh School Of The Deadは、これらの悉くを痛快なほどに網羅している。
だから、この漫画はゾンビ漫画として頭一つ抜けていると思うのだ。

次に、全世界同時発生と言う点だが、これは色んなゾンビ映画で、ゾンビ発生の解釈が違うために、スケールにも違いが出てくる好例だが、このHSOTDは、疑う余地なく全世界同時発生。
例えば、ロメロの世界だと、原因はまったく不明だが、全世界同時発生的に死人が生き返るという設定で、そこには解釈も何もなく、あるのはただ事実だけと言うものだった。もちろん、これは物議を醸した。
その他多くのゾンビ映画で採用されているのは、地域限定的なゾンビであり、例えばそれは軍の開発したB兵器によって生まれたゾンビであったり、例えばそれは魔術で発生したゾンビであったり、例えばそれは病原体も特定されたゾンビであったりする。それらは結果として考えるならば、話を収束させるために必要なものであって、どれだけ原因のわからないゾンビ発生が魅力的で壮大で哲学的であっても、それはすでにロメロがやってる以上、踏襲と言うよりパクリでしかなくなるのだ。
HSOTDはロメロの世界観を踏襲してるために、原因も何もわからず、描かれているのは単純に暴動とサバイバルだ。
もちろん、主人公グループが高校生と言うこともあって、その辺の人間模様も日本的に描かれていて面白い。

2007年3月28日水曜日

ワロエ

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BGMがつくだけでこんなに面白くなるとはwwwwww

外山恒一候補の政見放送 ~ドラゴンボールZ EDITION~



これもおもろいなwwww




ワロスwwwwwwwwww



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2007年3月25日日曜日

ぐおおおお

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GMarks

見つけた!!
グーグルブックマークのFirefoxAddon!!
しかもこれ、ブックマークするときにNoteも入力出来るのが最高だな。
今まで何かメモをつけようと思っても、いちいちOHPに行って[編集]ボタンを押さないといけなかったから、ブックマークされる時点でNoteを残せるこのアドオンはマジ秀逸。

『愚者は問う。鉄壁の王城を捨て、女王はいずこへゆくのかと。賢者は知る。どれほど堅牢な守備を誇ろうと、陥落しない城など存在しえぬことを』

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高等教育の構造的問題を解決するには

この方のブログは辛辣で面白いのでよく読ませて頂いているのだが、僕が過去に

:一人称の世界: :: 時代の価値観

で、
だから、僕が大学を辞める決意した(一応蛇足的に言うが大学に入る前に大学を辞める決意をしたのだ)のは一種の賭けだった。大学に入学し卒業することが当たり前になってしまえば、「大学も出てないの?プギャー」と笑われるか、あるいは、大学そのものの存在意義を見直すような時代になるか、のどちらかだと思ったからだ。そして、僕はその頃から4年間遊び倒すような人のことを知人から多く見聞きしていたので、「そんなのがスタンダードになるはずがない」と思って、後者を支持するようになったのだ。

と言う風に書いたのだが、僕が18歳のときに主張していたことが、今こうしてそれなりに有識だといえる方が
根本にあるのは、「企業が「四年生大学卒」の肩書きに対する評価を下げつつあることが進学を考える学生の保護者に良く伝わっていない」ということです。「九九もできない大学生」というのはいくらなんでもレアすぎるサンプルですが、「むかしの高卒レベルがいまの大卒レベル」(おそらく十五年から二十年間くらいの変化のことを指して、大学や予備校の人はこう評論することがありますね)であるなら、「どうせうちの子供がなんの苦労もせず入れる大学に行って四年間遊び暮らすなんていうことは無駄だ、高卒で就職させよう」と「そういう学生」の保護者が思うようになれば、「勉強できない大学生」の「社会問題」は自ずと軽減されていく。

と言う風に、後押しするかのように書いてくださるのはなんだか嬉しいことだね。
別に僕が正しかったとか言うわけじゃないけど、単なる僕のエゴではなかった、と言うことの証明のようにも思える。
しかも、

教育再生会議:大学の「卒業認定試験」導入検討

ってなことがあったり、大学の進学率は下げるつもりはないけど質を高めるような努力はするようだ。逆に言うと、今の質では問題があると思ってらっしゃる、と。

でも、僕が勘違いしちゃならないのは、僕の意見を裏付けするような、いわば僕に有利ないくつかの記事やトピックを持ってして、「ほら見たことか僕の言ったとおりだろ」と言うのは、完全に井の中の蛙なんだってことだ。
僕や福耳さんや教育再生会議は、まあ同ベクトルの主張を有しているかも知れないけれど、まったく反対の、等量等質の主張だってあるはずだから、それを知らないといけない。自分サイドの主張だけじゃ説得力がないからね。説得力ってのは統計的なもんだと思うし。

まあここで僕の話をすると、僕は就職活動で、専門学校の身で、試しに大卒以上のみの応募のところに申し込んで、一次選考を受けてきた。
SPIと呼ばれる簡単な学力審査みたいなやつね。プログラムの問題もあったり、文章作成能力等々、まあ短時間にしちゃそこそこ多角的だなって思える試験だったんだけど、確実にほぼ全問正解な手応えを感じたんだけど、やっぱり落ちた。
当たり前だけど、書類選考の段階で、大卒向けのアンケートに対して専門学校のこと書いてるんだしな。先ず前提が違うってこった。
あくまで試しに受けてみただけだから、結果もわかってたんだけど、そういう風に『高専は不可』って企業なんていくらでもあるし、まだまだ多い。
で、福耳さんの
「企業が「四年生大学卒」の肩書きに対する評価を下げつつあることが進学を考える学生の保護者に良く伝わっていない」

だけど、これはなんか金太郎飴みたいで、その企業の中層部以上の人には、やっぱりその『進学を考える学生の保護者』ってやつが含まれてると思うんだよな。
つまりこれはどういうことかっつーと、企業人であると同時に保護者である、で、気付いた人は福耳さんの言うように評価を改めるし、そうじゃない人は改めない。簡単に言うと、企業でも二極に分かれつつあるんじゃないかってこと。

ここからはあんまり関係ない話。

日本のソフトウエア生産性と品質は世界最高水準

今回のエントリーを読んで、目から鱗がポロロンだった。
「OSやミドルウエアがアメリカ主導なことは認めるが、アプリケーションソフトの開発では、日本の技術力は世界最高水準にある。ではなぜ国際競争力がないのかといえば、日本でどんなに優秀な生産管理システムや会計処理システムを開発・構築しても、世界標準の仕様とはほど遠いので、世界ではまったく使いモノにならないからだ」

まず日本人技術者の生産性の高さ、成果物品質の桁違いの高さは、何人ものアメリカの学者の科学的調査で報告されている。さらに事象として、実は日本はソフトウエアの国際競争力トップの分野がただひとつあるんだ。それはアミューズメント系、ゲームソフトだ。この分野はニンデンドーという先駆者の存在、世界トップの日本のアニメーション製造技術、いくつかの日本に取り有利な条件があったが、日本がトップに君臨している最大の理由は、日本社会の独自習慣に仕様をあわせる必要が無く、はじめから世界標準の「楽しさ」の追及だけで勝負できたからだ

本当に良い指摘だと思う。
完全に鎖国状態に入った携帯業界の例を見てもわかるとおり、独自企画にこだわりすぎなんだ。
シグマ計画とかにしてもそうだし、こないだも政府主導のLinuxを作ろうなんてのがあってその後の音沙汰もないし、どうして日本はこうなのかと。
大体、「日本が世界標準になるべきだ!」って言う主張はそもそもがなんかおかしい。
世界標準ってのはたぶん結果であって、志すことじゃない。良いものを作れば、自然にそれは普及し、勝手にデファクトスタンダードになる。
だから、標準標準と模索しているうちに、「こうすればいいんじゃね?」とどっかの誰かが奇天烈な発想して、「それは新しいね、それでいこう」と誰かがゴーサインを出し、それで生まれたものは高品質には違いないが他との互換性がまったく無視された、いわば「独自規格」だったと。僕はそう見てるんだが。
携帯コンテンツの充実度は本当にすごいと思うけど、互換性がなさすぎ。挙句の果てにデザインが一緒。その割にすぐ買い換えないといけない。これが経営戦略でなくてなんだというんだ?国内だけの経営戦略そのものがすでに時代遅れだということに気付いたほうがいい。特にデジタルメディア関係。
篭城が最上の戦略であったことが今までにあったなら、どうか僕に教えてほしい。
0 件のコメント:

読み終わりましたよ。
りすかはなんか否定的な意見をよく聞くんだけど、僕は好きだなあ。キャラが全員ぶっ飛んでるから、過剰演出も不自然じゃないんだよな。
でも、なんと!この『新本格魔法少女りすか』は4巻で完結なんだそうだ!そんな殺生な!
『戯言シリーズ』ぐらいのボリュームになってほしかった…。まああんなgdgdで終わられても嫌だけど。
クラスタの連中とか話の中でしか出てきてないじゃないか!ちゃんとキャラとして登場させろよ!

刀語は内容あんまり面白くないし…維新さん最近失速気味なんじゃないですか。
まあ、化物語の続編が出るとか聞いたので、非常に楽しみにしてるんだけどな。
ひたぎ可愛いよひたぎ。
0 件のコメント:

こういう郷土資料的なものまでyoutubeで見れることに純粋に新鮮な驚きを覚える。
小学校ん時は視聴覚室とか行ってこういう映像は見ることになってたけど、今からするとそんなのも必要ないよなあ…。
まあ、みんなでわいわい言いながら見るのもまた楽しかったけども。

2007年3月24日土曜日

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今から仮説だらけの妄想を書きなぐるから、どうか信じないで貰いたい。

前提1:小泉首相はその方法から、知名度も求心力も高かったが、内部反発も強かった。
前提2:政治家には既得権益を保持しようとする人がとても多い
前提3:次期首相に推薦されたのは、若き安部官房長官だった
前提4:政治家は年長者に対して頗る弱い
前提5:日本人は基本的に「和を持って尊し」とする民族性を持つ

事実1:安部は選挙で圧倒的な勝利を収めた
事実2:安部政権が樹立してからの支持率は下がる一方
事実3:官房長官時代と比べ、覇気がなくなった

僕はこれらの事項から、どうしても安部首相がスケープゴートに見えて仕方がない。
果たして、古い頭を持った人が、進んで自分たちよりも年齢の若い人を小泉さんの後継者として任ずることを是とするだろうか?

ここに一つのレトリックがある。
小泉首相は様々な政策を大胆に行った。それは改革であり、因習を捨てるに足るものであった。
しかしその新しい風を巻き起こした小泉首相は退陣せねばならず、次期首相を選出する必要があった。
新しい風を継ぐのは、若い世代で当然である。よって安部さんが選ばれた。

僕が古い頭を持った政治家であるなら、この論理は確実に快諾する。
前提4と5があるからだ。それは前提2をも保証する結果に直結する。
ならば、事実1は小泉首相の知名度・支持率からしても当然でなんら不自然ではない。

が、ここに事実2がある。
僕の中では、この事実2はどうもしっくり来ない。
指導者としてのカリスマ性がないだとか、そういうレベルではない。
カリスマ性がなくても、地味であっても、踏襲されたことさえやっていれば批難はされないからだ。
もし批難がされるとしたら、「小泉劇場」と言うエンターテイメントに慣れすぎた国民が物足りなさを感じた結果であって、それはそれでまた問題になる。

政治は、司会者が変わったからってチャンネルを変えて良いような番組じゃない。

仮定1:本当に首相としての器がなかった
仮定2:器があってもキッチリ出来ないなんらかの『理由』がある

どちらにしても、後ろになんらかの糸が見え隠れする。
また、それを受けてか、「小泉首相再浮上説」なんてのがあったりもするが、果たしてそれは内閣で肯定的なのだろうか。
もしその説が国民が言っているだけのものならば、仮定2の信憑性が高まるし、内閣でも「小泉さんのほうが良かったなあ」と言う意見のほうが多かったら、仮定1の信憑性が高くなる。
まあ当然、内閣の人たちがそう思っていても、口には出せないわけだが。

もちろん、安部首相の経歴であるとか、その他大臣の発言力であるとかは十分に加味するべきだし、調査して検証する価値もあるものだと思うけど、そこまでは別にしない。
単に、僕は「何かおかしい」と言う違和感を感じただけなのだから。
それに、本当に他の政治家から後継者として相応しいと推薦され、しかし求心力が足りなくて残念でした、と言うような平和なものであるならそれはそれで全然構わない。
もしそうなら前向きになれるから。

以下に記すのは僕が友人とした会話の一部を取り上げたものだ。
例えば、僕が週休完全2日制、土日を休みにした張本人だとしよう。
時代は変わり、僕は第一線を退いて、今はお前が最も発言力のある人物になっている。
つまり、対外的に見れば、お前は僕の後継者と言うことになる。
さて、その状態で、「やっぱり土日の完全休みは返上して、昔のように戻します」と僕の前で言えるだろうか?

これは、つい最近取り上げられたゆとり教育改正に関する世間話の一つだが、
「7限目の創設」と言う誰もが馬鹿だと思う発想の背景にはこんなのがあったりするんじゃないだろうかと思うのだ。
少なくとも、あっても不思議ではないと思っている。
これは前提5に起因する。
日本の政治と言うのが、長いものに巻かれたり、あるいは顔色を伺うことのうまい人格者の集まりだと解釈するなら、そういうことはあってもおかしくない、と思う。

最後に事実5だが、確か有識者の人は「人が変わったようです」と言っていたように記憶している。
官房長官時代はもっと決断力のある人だったと言うのだ。

さて、まあそうなると、安部首相は僕はマリオネットにしか見えないわけだ。
支持率が下がったとは言え、野党がしょぼいので政権交代なんて現実的ではないし、そうなると今度の選挙も出来レースに近くなるんじゃないの?ってのが僕の妄想。

以上の妄想は、なんらの根拠も論拠もなく、単に陰謀説とスパイ映画の大好きな僕が同人誌のネタにと書き殴ったものですので誤解なきよう。

血族

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叔父が亡くなる2日前、近隣に住む親類たちが最後に話をしようと押しかけてきたとき、弱りきっていながらも叔父は

「なんだお前ら、まるでわしが死ぬみたいに」

と悪態をついて、その日の競馬の結果だの、近所の(と言っても車で30分ぐらいかかるが)パチンコの出玉だの、普通の世間話を数時間して元気だったそうな。
人に迷惑をかけることを極端に嫌う叔父の性格と、諧謔味の少なくない叔父の性質とが現れたエピソードだと思う。

叔父は、3男6女の長男として、一族の長として、いわば大黒柱として親類の多くと浅くない縁を持ち続け、心的にも経済的にも親族にとって有難かった。たぶん影ながら色々なところで助力していたものだと思う。口下手な叔父のことだ。

戦中に生まれ、戦後まもなくから小さいながら看護師を定年間近まで勤めていた叔父の半生は、思考力のついてきた高校生以降の関わりが薄かった僕には想像するには余りあるんだろうけど。定年後は財産一つで祖母を養い、妹を食わせていた。祖母の介護は専らその妹、つまり僕の叔母がやっていたのだけれど。それでも裕福だったのは一重に叔父のおかげだと、僕でもわかる。

けれど3年前に叔父が食道ガンで大きな手術をしてからは、入退院を繰り返し、祖母と入れ違いに叔母に面倒を見られる立場になった。
祖母の死後、1年も持つかと主治医も言っていたぐらい(らしい)から、それから2年も元気に持ったのは良かったといえるのかどうか。

臨終を迎える直前と言うのは、やはり自分でそのことがわかるのだろうか。
叔父は午後9時、長年面倒を見てきてくれた叔母を呼び、手を握って長い間ありがとうと言ってから息を引き取ったのだそうだ。
享年72歳、生涯独身、僕が生まれてからは常に一族の長だった。

まあ、そういう風に「もう死ぬらしい」→「まだ元気だ」が何度も繰り返されてきたせいかどうかはわからないが、葬儀の場の悲壮感は完全無欠に0だった。ほとんど老衰に近いからかも知れない。祖母の時もそんなだったから、嗚咽に覆われる葬式と言うのはテレビの中だけなんじゃないかと思えた。
でも、昔からそういう生死については皆が皆色々な意見を戦わせていたのは僕もよく覚えていることなので、それの反映なのかも知れないけど。
曰く、「死者より生者を大切にしろ」。死者に対する敬意はもちろん失くしちゃいけないし、礼儀礼節も必要だとわかっているけれど、必要以上に悲壮感に暮れることもなく前向きに生きるほうが良い、と言うのが、基本的に前向きな皆の意見だ、と僕は思う。
この辺は僕の感想でしかないが、冒頭で述べたような叔父の性格のことをよく知っている皆なので、無駄に打ち沈んでも、たぶん叔父は「お前ら、らしくないことはやめていつもみたいに馬鹿を言えよ」と思うだろうことが暗にわかっているからこそああいう風にどんちゃん騒ぎに興じることが出来るのだと思う、否、確信してる。
親類一同が一堂に会する機会なんて、もう滅多にないし、そんなときに久闊を叙するように笑わないでどうするんだ、久々に集まったんだから笑えよ、と言うほうが、叔父の性格としてはシックリ来る。
改めて言うことでも思うことでもないが、死なない人間なんていない。僕だっていつかは死ぬし、それが遅いか早いかすらわからない。もしかしたら明日交通事故に遭うかも知れないし、こうしている間にも刻々と病害が僕を蝕んでいるかも知れない。けれど、そんなことは考えたって仕方ない。生きてることに意味なんてないんだから。死に不条理を感じるのは人間でしかない。むしろ、死は一番自然なことなんだからね。ちなみに死の対義語は生きることではなくて生まれること。

そういえば、昔こんなことも言われた気がする。
曰く、「死んだ人は笑って送らんとあかんよ」「なんで?」「泣いてばかりいたら、うちらの所為で死に切れん思いになったりするかも知れんやろ?」

まあ確かにその通りだと思う。未練を残すのは死者じゃなくてそれを思う生者であると。
例えばそれが予期せぬ事故死であったりしたら、話は別だろうけど、病死や老衰の場合、時間はあるんだから、やっぱり楽しい思い出話とかをしてあげるほうが供養にもなりそうな気もする。
端から見たら不謹慎かも知れないけどね。でもそんなのって遺族の問題だ。外野からとやかく言われることじゃない。
だから、「冥福を祈る」とは言っても、それほど悲しい顔はしない。特に人前じゃ。

ちなみに、そういう場合であっても、喪中だからと言うことで例えば年賀状を送らないということはないし、あえてそれを言うことも僕らはない。

これも前に一度話題に上ったことがあるのだが、「喪中だから」と言って年賀状を断るのは、「おめでとうございます」と言う言葉が多分に不謹慎に思われるからだという意見が一般的だと思うのだが、それは言葉遊びや韻踏みの悪しき風潮と言うもので、新年がめでたいことと喪中であることはまったくの別問題で、「新年明けましておめでとうございます」と言って、「こないだうちの親戚が死んだところなのにおめでとうなんて不謹慎だわ、ムキー!」なんていう人は言葉を額面通りにしか受け取れない人だという結論に落ち着いたのだ。
だから、うちはたとえ一般的に言う喪中であっても、そういう新年を迎える言葉であっても快く受け止めるし、その他それに類する言葉であっても問題はない。もしも相手が気を遣って送らないのならそれはそれで一向に構わないし。つまるところ、要約して言うならば、相手の好意を第一に考えろ、と言うことだ。

ともあれ、これでまた少し寂しくなった。田舎に帰ることはもうあんまりなくなったとは言え、昔の思い出がいっぱいあるところなので。
僕が子供のころ、叔父の家で滞在していたのだが、広い家だったのでいつも親類が何人も遊びに来ていて、常に10人は家の中にいて賑やかだった(夕飯の時なんか、大きいテーブルを4つぐらい用意したりしていた。)ものだが、その叔父もいなくなり、祖母もいなくなり、もうあの広い家には叔母一人だけになったので、一人残された叔母だけが可哀想でならない。
近所に親類が何人も住んでいるとは言え…ね。あの家はよく座敷童子も出るしなあ。

それにしても、久々に田舎の言葉を喋ろうとするとうまく喋れないものだぜ…。僕の家族は大阪弁で通してるんだけど、なぜか僕だけは昔から、いとこたちと対等に喋ることを心がけていたから、向こうの人と喋るときは最低でもイントネーションは方言なのだ。

2007年3月19日月曜日

『プルーが傍にいたから 私は強くなれた』

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気が向きやがりましたので机周りのリフォームをしましたよっと。
今までの置物の配置を左右反転させました。

スピーカーの配置とかケーブルの配線とか、メモパッドとペンの置き場所とか、机に向かって勉強してるときに携帯は視界に入るのかとか、もう気にしだすと楽しすぎてキングクリムゾン使われたみたいに時間が飛ぶね。消し去るね。
ついでに、もうかれこれ6年ぐらい張り続けていたジョジョのポスターを遂に剥がすことにした。ボロボロだったからな。
代わりに僕の部屋へやってくるのは!M・C・エッシャーだ!実は姉から貰った額つきの1000ピースの絵画パズルがあるのだ。何処に飾ろうかと悩んでいたから、これはジョジョの代わりを務めてもらうしかあるまいて。アルマイト工業ってなんかなかったっけ。

あーもう、掃除って何でやり始めたら止まらないのかね。誰か説明してくれ。10文字以内で。

『パーフェクトだ、ウォルター』

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colinux@debianで、subversionやらtracやら動かしてみるぞー!
と思って色々触ってみたものの、ちょっと数100ステップぐらいすっ飛ばしてしまっていたみたいで…orz

ネットワークに関してはちょっと戸惑ったけど、ブリッジ接続+固定IPで普通に通ったし、puttyによるssh connectionとかまでは行けたんだけど、
pythonやらcgiやらの設定に関してになるとちょっとチンプンカンプンですな。
apacheの設定はわかるんだけど。

http://colinux/trac/test
やらに飛んだら、環境変数のエラーとかが出てもう無理ぽ。
やっぱ一つ一つ理解していく必要があるなあ。
特に、FedoraCoreとはちょっと勝手が違うからなあ。
apacheの扱い方に関しても、パスが違うし。まあ些事ですけど。

tracのインストールは出来たし、windowsからもcheckoutは出来たんだけど、リポジトリが動作してるのかどうかもようわからん。
とりあえず、簡単なcgiプログラムの検証から入ってみましょうかねえ。どういうディレクトリ構成になって動いてるのかさえわかれば。。。

2007年3月18日日曜日

快適すぎるブラウジングを行うための二つのツール

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bbs2chreader

今まで、2chはLive2chを使って見てたけど、このアドオン使ってみたらこれを使い続けようと思った。
Firefoxの機能はそのままに使えるってところが強い。
Live2chは、あれはあれでかなり高機能で使えたけど、ブラウザ互換がなかったからなあ。
ID別ポップアップとか、レスポップアップとか色々使えたけど、それを差し引いてもFirefoxアドオンとして使えるのは大きい。

あとは、Live2chの画像ポップアップが便利だったなあ、と思って、それに近いアドオンはないかと探してみたところ、

Cooliris

ってのがかなり便利だったから導入。こりゃすげえ。
例えば、なんかのスクリーンショットリストとか、スキンリストとかを見るとき、今までだと開いては戻って開いては戻って…の繰り返しだったり、別ウィンドウでガッと開いては閉じて…だったけど、これはリンクにカーソルを合わせるだけでリンク先のプレビューが自動的に表示されるからめちゃ便利。
こんな感じに。



画像だけに限ればちょっと大袈裟なポップアップと言えなくもないけど(Live2chの画像ポップアップは小さいウィンドウだった)、汎用性が高そうなのでしばらくの間使ってみることにしよう。
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あーなるほどね。
非公開設定って言うのはディレクトリ・キーワード・タグ単位での検索が無理と言うことで、僕が画像へのリンクを貼ったりなんかした場合はURLを辿ってアルバムを見ることが出来るわけか。

うわ

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今の記事でPicasa上の画像に直リンしてみたけど、これ、遡ればログインしてなくてもアルバム見れるじゃないか(;´Д`)
…リンクだけは外しておこ(;´Д`)

『同じトラウマ重ねれば 響きあう けれどそれ以上には……』

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マイピクチャでの画像管理に限界を感じてきた。と言うのも

  • カテゴリー別にフォルダ分けするにしても、一つの画像は一つのフォルダにしか含まれない(コピーすれば複数カテゴリに属することは出来るが、容量の使い方が非効率だ)

  • 複数のPCを使って良い画像を共有することが出来ない(たとえばノートPCで保存した良い画像をマイピクチャで管理しようと思うと、いちいちデスクトップへメールで送らないといけない)

  • HDDが㌧だら終わり


と言うような理由がある。
特に、一番目の理由は大きい。

僕はほぼ毎日、朝30分~1時間を使って、まあいろんな情報収集をしているわけだが、その時にktkrと思う画像があればすかさず保存している。
で、今みたいに暇を持て余す時間があると、その時間を使って画像管理をしようか!なんて思っちゃったりするわけだが、上記のような非効率な問題にぶち当たって一向にやる気が出ない。
実際、HDDが㌧で折角集めたマイピクチャがバニシュデスな事態になったことは一度や二度ではない。それを思うと、ローカル内で画像管理することに一体どんな意味があるのかと思って、さらに実行する気も無くなってくる。

と言うかそもそも、画像管理をすること自体がどういう意味を持つのかと言うことになってくる。

収集した画像を見返す場面は主に二つだ。

  • 「あれどんな絵だったっけなー」と思い出して見返して自己満悦に浸る。

  • 友達に見せびらかす(送りつける)


この二つのシーンで、まあ無駄な時間を短縮するという意味でカテゴライズされているフォルダがあれば便利なわけだが、上記のような理由から、ローカルで全てやってしまうにしては徒労に終わる感が訪れるであろうことは否めない。
もっとも、定期的にバックアップなりをしていれば良いわけだが、たかが画像のためにそんな殊勝な習慣をつける人なんていないと思うし、大体それだけのためにメディアを使うのも勿体無い。

となると、矢張り僕が起こす行動は一つに絞られる。
WEB上にアップしておく、だ。

僕はFlickrは使っていないので、Picasaを使うことになる。
Flickrは一度使ってみたいと思っているのだが、どうしてもPicasaのほうが使いやすいんじゃないかと思ってしまう。だって、Flickrって写真管理に特化したサイトだけど、Picasaはあらゆるウェブアプリと連動しているんだもの。

Picasaを使うとどうなるか。手順を説明すると

  1. ネットサーフィンで気に入った画像をとりあえずローカルに保存する(この時点で、Picasaたんはリアルタイムに画像リストに追加してくれる)

  2. Picasaを起動する

  3. 先程保存した画像たち(あるいはまだアップロードされていない画像たち(アイコンで一瞬で判別可能))をまとめて選択


  4. 『WEBアルバムにアップロード』を押して、該当アルバムを選択してOKボタン。アップロード開始

  5. WEBPicasaを見に行って、アップロードされた画像に対して適当なタグをつけたりタイトルをつけたりする



となる。
WEBPicasaもPicasaも、常にログインしている状態なので、Gmailですぐに画像メールを送信することも出来るし、その際にアドレスリストをリアルタイムで参照出来たりもする。
ブログに直接投稿することも出来るし、Picasaだと簡単な画像編集も出来る。至れり尽くせりなソフトである。

でも、WEBPicasaの方でタグを付与しようと思っても、たまに見れたり見れなかったりする。イッツ不安定。しかも英語以外まだ未対応だし。タグ機能はまだベータ版ってことだわさ。

WEBPicasaは、現在は非公開にしてるが、招待すれば誰でも見れるようになる。と言うか共有出来るようになる。
また、WEB上でスライドショーを見ることも出来るし、ブログやIMに貼り付ける際のアドレスまでご丁寧に書いてくれてる。
ログインしていることが前提なので、そのままWEB上から画像をメールすることも出来るし。ほんと便利。ヤバイぐらい便利。

用意されてる容量は1Gだが、現在僕が使っているのはわずか50MB程度。まあもし1Gを超えるほどになったら、そのときにFlickrも使ってみようと思う。

ただ、このWEBPicasa、画像のソートにまだ少し足りない機能がいくつかあるけど、まあそこはグーグル先生なので何とかしてくれるだろう。


ちなみに、スクリーンショットの切り出しは、FirefoxアドオンのCaptureIt!と言うのを使いました。これもまた便利。

2007年3月17日土曜日

『願って、守って、信じて、消えた』

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『夏草の線路』の歌詞は矢張り最高だ。
帰る人、過去と繋いだ未来
通り過ぎた夏の彼方
「幻」と醒めた時は呟く
夢だけが ここにある
焼けた線路 たゆとう陽炎は
ゆるやかな風を集めて
優しいかけら 残して消えた
果てしなく続く明日を待つ
いつか 幼い頃
ふたり時を重ねた夢
記憶と傷と
ここに残した レールの向こう はるか目指す

「道はどこまでも続いてく」と
あなたが差し出した手には
ここにある夢 いま 声を上げて!
大切なもの失うことも
変わることも忘れることも
今日取り戻して 笑いあえる

消えない痛み 傷ついた心
揺らめく夏草見ていた
離ればなれのレールみたいに
願いは冷たい水のよう
いつか 仲間たちの夢を乗せて走った
この古い翼と 悲しみさえも
海は静かに 時を癒す

「明日になれば夢は叶う」と
涙をこらえた手の中
ここにある夢 いま 走り出して!
願って、守って、信じて、消えた
一つの夢いつの日にか 
奇蹟呼び起こして 未来になる

空は いつも遠く
わたしたちを見つめて
ただ 光と風と
ここに残したレールの向こう
遥か目指す

「果たせない約束はしない」と
あなたが差し出した手には
ここにある夢 いま 声を上げて!
大切なもの失うことも
変わることも忘れることも今日
取り戻して 笑いあえる

2007年3月15日木曜日

『限りなく同一に近づける 追憶は狂気にも似た幻想』

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『タグ付け』と言う概念メソッドは、今後のコンピューティング技術において確実に基盤に据えられるものだと、僕はなんとなく確信する。
SBMやなんかの汎用的かつ広域なデータマイニングにおいては、今までの狭義な意味でのデータ間関連技法は通用しない。通用するのは概念だけで、半物理的な意味でのリレーションシップは使えない。

先ず、具体例を示そう。
このブログ。最近、僕はその『タグ付け』と言うやつに夢中で、投稿する記事を個別の『もの』として識別するために、要素としてのタグを付加している。
それがリンクを伴う記事であれば、『ニュース』『これはひどい』『政治』等の、その内容を端的に表すためのメタ情報。そのメタ情報のことを『タグ』と呼ぶ。
僕はこのブログでは記事一つ一つを『モノ』と見做してタグ付けを行っているが、別にそれはブログに投稿される記事に限ったことじゃない。
Picasaのウェブアルバムを利用し始めたわけだが、そこにアップしている僕の所有する数多の画像にも、今はまだ全部ではないが、『萌え』だとか『○○(←作家の名前)』等のタグがつけられている。
また、Gmailでもそうだ。僕は現在就職活動中なので、平時に比して更に色々なところからのメールを受信する。そういうときに、自動的にフィルタリングされてタグを付けるように設定しているのだ。
例えば、リクナビからメールが来たなら『就職活動』『リクナビ』、毎日ナビなら『就職活動』『毎日ナビ』と言う具合に。

タグ自体は元はおそらく商品管理に用いられていたものだと思うが、その概念がWEB上に降りて来た。

ではどういう利点があるのかと言うと、上記の例でもわかるとおり、膨大な数に上る情報をカテゴリ分け出来るというメリットが最も多い。
Gmailで顕著だが、メール一つ一つに対していくつかのタグを振り分けておくと、後々「あれはなんだったっけ」と、キーワードすらも思い出せないときに、タグで絞っていくことが出来る。
記事や画像ならば、関連するものを全て引っ張り出すことが出来る。共通するタグが多ければ多いほど、それらで絞り込まれた結果と言うのは内容的に近似する。

情報整理としての手法としての『タグ付け』であるがゆえに、デメリットと言うのはあまり思いつかない。
強いて言えば、どのタグを振るのが最も客観的に適切か、と言うところだろうか。
多数の人の持ち寄った情報をカテゴライズするためのタグなので、それは矢張り誰もが納得出来るものでないといけない。
だが、タグをつけるのが、その情報を投稿する本人であるので、やはり主観の差と言うのは必然的に出てきてしまう。

例えば、僕が萌え死ぬような画像を登録し、そこに『萌え』『これはエロイ』『ゾンビ』と言う3つのタグを振ったところで、見る人が見れば萌えはするがエロくはないし、ゾンビだけれど萌えはするしエロくもない、と言う感想を抱かれるかも知れない。
約言すれば、萌えてエロくてゾンビなように捉えることが出来るのは僕だけだという風になる。もちろん、同じ捉え方をする人間を探すという意味での、主観的近似を探す役割としては有効なのかも知れないが。
その3つのタグを貼り付けてはいるものの、実際の画像がただのゾンビ画像であったならば、『萌え』と言うタグで検索してきた人にとってみれば、それは明らかにジャンク画像であり、見る価値なしと判断され、「どこが萌えなんだよクソが!!」とのお怒りを甘受することはほぼ疑いない。

タグの組み合わせによって主観の差が生まれ、それによって内容が湾曲され、タグの各々の持つ意味は変異する。
逆に、タグ単体で見ても構成要素としてミスマッチな部分があるが、組み合わせ全体としてみれば正しいこともあったりもする。

公明正大なタグ付けを心がけたい所存。
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Wゆかりんファンタジア


ワロタwwwww
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電子マネー もっと身近に
既にサービスを開始している、NTTドコモのiD、JR東日本のSuica(JR西日本ではICOCA)、ソニー陣営のEdy、関西民鉄系のPiTaPa、JCB陣営のQUIC Pay、三菱UFJ陣営のVisa Touch/Smartplusに加えて、民鉄やバス系のPASMO、セブンイレブン系のnanaco が参入する予定だ。

電子マネーは段々加入店も多くなってきて便利になってきたけど、多すぎるんだよ…一元化しろよ…(;´Д`)
ちなみに僕はEdy。おサイフケータイだからね。
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保険証をICカード化・厚労省、2012年メド
ICカードで国が整備するデータベースに接続することで、医療機関は他の病院で受けた診療内容や病歴が分かる。
データベースに認証させるんだったら、そんなことするより生体認証で良いんじゃないですかね…(´・ω・`)

2007年3月14日水曜日

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BloggerBuzz

なんとなく見てて、このブログにアップした画像って何処にアップされるかわかってワロタ。
いやあ、前々から何処にアップされてるのか気にはなってはいたんだけど。
まさかPicasaにアップされてるとは…おかげで僕の『一人称の世界』のウェブアルバムは10枚ちょいの画像があるますよ。うひょー。

てか、ついでにPicasa2落としたけど、これヤバイwwww
ローカルの画像が一気にスキャンされて、いつでもオンライン化出来そうwww
もうこれ、オンライン上にマイピクチャ作っておけば良さそうだなあ。

2007年3月12日月曜日

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TVアニメの番組名を設定するだけで最終話まで自動録画「mAgicAnime.NET」

これは良いね。でもアニメ限定ってところがまたニッチな感じがする。普通の番組にも対応したらシェアウェアでも売れそうなんだけどなー。
でもリアルタイムでアニメを見ることはもう僕はしなくなったからなあ。デスノだけは毎週録画して翌日見てるけど、それってリアルタイム言うんかな。
本当にリアルタイムでアニメ見るのって難しいよな…ある種規則正しい生活してないと無理だ。
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最近の大学生は携帯メールでレポートを書くらしい

卒業論文提出間近に、タイピングしていたのでは間に合わないから手書きで終わらせたという逸話を友人から聞いたことがあるのだが、それに近い話?
まあ3000文字ぐらいなら携帯でも打てる。

声>>>(超えられない壁)>>タッチタイピング>携帯>手書き

だから、質としては携帯はそれなりに高い。
考えながら喋るのと、考えながら手書きで文章を書くのでは、伝え方の質みたいなのに差が出るから、携帯でのレポートはまんざら悪いとも言えないかも知れない、と個人的に思ってみたり。
面と向かって話すと説得力に欠けるようなことがチャットだと巧く説明出来たり、チャットだと面白く話せないことが携帯メールだと面白く話せたり、携帯でも伝えにくいことを手で書いてみると案外良い感じになったり、と。そういう質の違いってのはあると思うんで。

#実際僕のブログは思いつくままダーッと書いてるから質は酷いもんだ。
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電車の中は「無法地帯」 「キレる」乗客のケンカ横行
「公共の場なのに『自分の場』と思う、自分がよければいいという人が増えたからではないでしょうか。混雑している車内で携帯やゲームを平気でやったりしている。そしてケンカするのは自己主張が強い人なのかもしれません」
僕は、「自分に迷惑がかからなければそれで良い」という人が、他者の振る舞いを迷惑に感じて迷惑行為に及んでしまうと思ってるんだけどね。
まあどうでもいいけど、以前Dと東北のほうを移動中に、電車の中で三味線コンサートみたいなことをやってた芸人みたいなのがいたけど、あれも言う人が言えば迷惑行為になるんだろうなあ。あれは許可取ってあったっぽいから、退屈な電車の中で結構楽しめたんだけども。

『とりあえずこんな空の下』

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グーグルトーク+Skypeを薦める8つの理由
グーグル関係は複雑なので巧いことまとめれないけど、頑張ってみる。



オンラインアプリと連動してる

MSNメッセンジャーはhotmailと言うウェブメールと連携しているが、hotmailを使っている人のほとんどが捨てメールとして使っているのではないだろうか。少なくとも、hotmailでの登録を断る場所もあるぐらいだし、メインで使おうと思う人は少ないと思う。
また、普通に使っている人も、あのレスポンスの遅さにウンザリしたことがあるんじゃあないか。
それに、MSNはhotmailと『連携』してはいるけど、まあほとんど個別のものとして考えても良い。
対してグーグルトークは完全にgmailと『連動』している、と言うかgmailのIM機能だけをローカルに落としたものがグーグルトークなのであって、例えばgmailに載っている連絡先リストに載っている友人は、グーグルトークを起動すると自動的にチャットリストに追加されている。もちろん逆に、グーグルトークで追加した友達は、gmailのほうにも勝手に追加されている。

秀逸なのは、グーグルトークで交わした会話は、ローカル内で保存されるのではなく、オンライン上で保存されると言う点だ。

僕がたとえば友人Aとグーグルトークを用いてチャットした場合、そのログはgmail上で読むことが出来るようになる。
MSNはあくまで、会話ログはローカルにxml形式で保存されるため、チャットログはそのPCがないと確認出来ないし、HDDがクラッシュするとログは全部飛ぶという衝撃の事態になってしまう。

ロケーションフリー

上記で、gmailとグーグルトークは完全に連動していると書いた。
これは、gmail上でグーグルトークと同じことが出来る、という意味にもなる。つまり、ブラウザ上でチャットが出来るというものだ。
MSNにも、ウェブメッセなるものがあるが、重くてあんまり使う気が起きない。
gmailはいつも軽快で、操作も簡単で、使っているという感覚すらなくチャットを行える。

ローカルアプリとしてのMSNメッセンジャーは、そのアプリケーションが入っているPCでしかチャットを行えない。

しかし、グーグルトークがないPCでも、gmail上で過去ログを参照しながらチャット出来る。

先にも書いたが、ウェブメッセをわざわざつけてチャットすることと、gmailのついでにチャットをするのでは、使ってみればわかるが手間が段違いになる。

メモリ使用量の大きな違い

ロケーションフリーを前提としているためか、グーグルトークは非常に軽い。
僕が試してみたところ、一人とチャットしている状態での使用メモリは、タスクマネージャーによると

MSN:58000
グーグルトーク:25000

と、2倍以上の差が確認された。
参考までにSkypeも見ると

Skype:37000

だった。
ちなみに、

photoshop:82000

MSNはただのチャットソフトの割りに重いのだ。
マシンスペックの低いPCや、あるいはヘヴィーな使い方をしているときの片手間にチャットをしようというときにはイライラを覚悟しなければならない。

でもMSNにもメリットはある

ここまでMSN叩きばかりしてきたわけだが、グーグルトークになくてMSNにあるような良いところも多い。
たとえば

・グーグルトークにはファイル転送機能がない
・グーグルトークでは複数人チャットが出来ない
・MSNほど多くの機能はない(ゲームとかお絵かきとか)

例えば何人かでチャットするときなんかは、グーグルトークよりもMSNのほうが向いている。確かにそのとおりだ。

が、ここで注意しておきたいのは、グーグルトークはまだ『ベータ版』ということである。

また、次に紹介するSkypeと使い分けることによって、さらに便利になる。

Skypeは最強

先ほど、グーグルトークがMSNに劣っている点を挙げたが、それらに関してはSkypeを使うことによって、MSN以上に快適な作業が保証される。

Skypeのファイル転送には帯域制限がない。もちろん、Skypeのウリである音声通話をしていると転送速度は遅くなるが、通話を切れば転送速度はかなり速くなる。

僕が光ファイバー、友人がADSL10Mで、僕から600MB程度のファイルを送ったんだが、転送終了まで10分かからなかった。
MSNのファイルは転送速度が少し遅いこともあるが、どっかの記事でも証明されていたとおり、Skypeはファイル転送においては圧倒的優位を誇る。

次に複数人チャットについてだが、個人的な感想を言わせてもらえば、Skypeの複数人チャットのインターフェイスはかなり見やすい。
また、そのまま複数人で『音声会議』も出来る。ボイチャに関しては後述。

ファイル転送・複数人チャット、この二点だけでも、僕はSkypeに軍パイが上がると判断する。なにより、先述したメモリ使用量の違いも大きい。

ボイスチャット

MSNとグーグルトークのボイスチャットはほぼ同機能同音質だ。軽快さや利便性という意味でグーグルトークが有利になる程度である。

が、Skypeのボイスチャットは、さすが本家というべきか、ずば抜けている。もう説明不要なぐらい。
そしてMSNやグーグルトークはタイマンでのボイスチャットしか出来ないが、Skypeは複数人でのボイスカンファレンスが可能になるので、それが大きい。

一アカウントに対しての利便性

ここからはチャット以外の話になる。
先ほども言ったように、MSNは基本的にhotmailの登録を済ませていることが前提であり、そのhotmailと言うのはhotmailでしかない。
Skypeにしても同様で、別途料金を払えば固定電話や携帯電話にかけることが出来ると言う、普通の電話と変わらない機能を付属させることも出来るが、別途料金を支払わない限りは、所詮はチャットソフトのままである。

が、gmailアカウントは違う。否、グーグルアカウントというべきか。
グーグルのアカウントをひとつ持っていると、グーグルから提供されるあらゆるウェブアプリが無料で使い放題になる。
僕なら dogsrepublic@gmail.com で、gmailを酷使し、グーグルトークでチャットし、Bloggerでブログを書き、カレンダーでスケジュールを登録し共有し、スプレッドシートで友人たちと共同でひとつのエクセルシートを作り、同様にDocsでひとつのドキュメントを仕上げ、Firefoxエクステンションと連動して google notebook に逐次共有メモを残すことが出来・・・等々、さまざまなことが一アカウントで行えるのだ。

『MSNに代わるチャットソフト』としての位置づけでは、グーグルトークは語れないのだ。

細かいことだけど

MSNメッセンジャーの状態表記というのは、『オンライン』『一時退席中』『退席中』『取り込み中』『電話中』『オフライン』だが、グーグルトークではそれらの状態表記を自分風のカスタマイズメッセージに出来る。だから僕なんかはしょっちゅう『スタクラ中』と表記する具合になる。

また、会話ウィンドウ内のメッセージの表示方法も、7種類ぐらいの中から選ぶことが出来る。

さらに、グーグルトークでの自分のHNはgmailで登録されているものに固定されるのだが、相手のHN表示はこちらで自由に変えることが出来る。
これはMSNに比べると良いのか悪いのかわからない。僕は結構HNを変えて遊ぶのが好きだから。

って感じだけど


グーグル信者丸出しな内容だったが、信者云々は抜きにしても、この汎用性の高さ、総合的に見た機能性の高さは目を見張ってくださいって感じのものがある。。
だって、今言ったような内容で、またほとんどのウェブアプリは『ベータ版』なんだし。
ちなみにこのブログも、グーグルアカウントで使えるウェブアプリの一つだ。

昔に比べてチャットって言う位置づけが変わってきたことは僕の中で間違いない。
用事があるなら携帯メールで済ませる。
重要かつ長い話なら、電話か、直接会って話したほうが早い。
つまるところ、チャットを起動しても、たいていは他愛のない世間話とか、ファイル送信にぐらいしか使わなくなってきたのだ。
そういう風に色々考えてくると、MSNメッセンジャーを使い続ける理由というのがよくわからなくなってくる。
MSNを使い続けるというのは、MSNがチャットソフトとしてのデファクトスタンダードだから、という理由に他ならない、と僕はほぼ確信出来る。
例えば、グーグルトークやSkypeでMSNのチャットリストを表示し会話出来るなら、僕は迷わずMSNメッセンジャーをアンインストールする。
MSNでしかチャットが出来ない人が多いからこそ、そう簡単にチャットソフトを乗り換えることが出来ないのであり、逆に「乗り換えたら?」と進められる人の立場に立って考えてみたら、上記で並べたような利点なんてどうでもよくて、ほとんどの人は「チャットが出来ればなんでもいい」と思ってるに違いないのだ。
だからこそ僕は表立って薦めることが出来ないし、グーグルアプリのすごさを力説したところで「ふーん」ぐらいの感想しか貰えない。

でも、さっき書いたように、グーグルトーク諸々を、『MSNに代わるチャットソフト』として語ることは出来ないのだ。だから解ってもらいたいのだが、所詮そんなウェブアプリなんてのは普通の人は使わない。学生であれば尚更。

極端な話、そこにあるのはいわゆるギーク的なこだわりであって、他者に押し付けるようなものではない。
少し話は戻るが、MSNのチャットリストにいるような人なんて、半分以上が携帯連絡先を知っているような人であり、恒常的にチャットする人なんてやっぱり限られてくる。逆に、誰とでも恒常的にチャットするような人なんてのは、それこそ暇人だけだと思う。
で、他愛のない世間話以外は、携帯で済ませてしまうことも多い…。いや、ちょっとした会話すらも携帯であって、わざわざメッセをつけることもない。
つまり、MSNにいる理由が、「何人かの限られた友人たちと世間話をするため」と言うものに置き換えて差支えがなくなっている。
となると、同程度のことが出来ながらも、サービス的にもパフォーマンス的にも優れたものに移行することはそんなに変なことではないと僕は思う。
優れたサービスがありながら現状に甘えるのは、思考の硬直、惰性に他ならないとまで思ってしまうが、そんな感想はやっぱりギーク的な思考なので大きな声では言えない。ほとんどの人にとっては「チャットソフトなんて別になんでもいい」のだから。

2007年3月9日金曜日

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続いて、『夜桜四重奏』から、町長。
この漫画も結構面白い。魅せる漫画だね。
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SUPERNATURALからディーン。
うん、似てるとか似てない以前の問題なのはわかってるから何も言うな。そもそも僕が男キャラ描くこと自体が稀なんだから。
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ああ、なるほど。とあるコメントを読んでピンと来た。
もし家庭に、全自動で掃除を行ってくれるロボットが普及したとき(今でも簡単なものはあるが)、それでも学校では箒と塵取を持って掃除をすることを続けるのだろうか?

なーんでもでーきちゃうバット エスカリボールグー

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('A`)

昨日、とある会社の説明会&一次選考として適正試験やったんだが、途中からやけに頭痛が酷くなって、帰宅して飯も食えず布団でのたうちまわった挙句20時ぐらいに意識飛んで目覚めたら朝だった('A`)うん、PCも切らず徹夜で夢見てた。
やることあったのに何もやってねえ('A`)
まあ今からやるけど。

適正試験っても、知識を問うような問題じゃなくて、「文字列の規則を見つけ出して次の文字を当てる」だとか、「絵の規則に基づいて次の絵を推測する」だとか、中学1年生レベルの算数の問題だとか、どちらかと言うとIQテストみたいな雰囲気が強かったので面白かったな。IQテストっつーと、前に身内でやったとき僕はIQ118だか9だかで一番低かったんだよな。まあ音楽聴いてた所為で集中出来ませんでしたァ!って言う言い訳もあるんだけど。
僕は考え事をするとき右下の方を向いて考えることをこないだ自覚した。これって右脳を使ってる証拠なのか?!右脳って非言語系なんだよな。つまり僕の考え事は概念操作に近いということか。注)この結論は短絡です

今日でひとまず学校は終わりだが、僕の手帳は就職関係のイヴェントで一杯だ。長崎に行くとかどうとか言ってたけど、かなわねえ。無理。

<勉強>
・確定拠出型年金
 第三者機関から寄与される、月次手当て型の金。現在では、退職金制度を廃止し、これを導入している会社も多いらしい。
 理由:退職金の大前提が、その会社が『存在している』ことであるため、つまり会社がなくなってしまえば退職金に大きく関わるということ。それを防ぐために、ある種前払いと言うような形で定期預金されるとのこと。

2007年3月8日木曜日

ねこにゃんダンス ねーこにゃんダンスー ねこにゃんダンスッ!

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2巻が出たのでP嬢に借りた。これ段々面白くなってきたぜ。最初はなんか業界事情を軽いノリで描いてるなあって感じだったけど、それってバイト女子高生に優しくしてる視点に過ぎなかったのかッ!って感じで、徐々に厳しい側面が露になってきてオモロ。次巻ではデスマーチに参戦したりするんだろうか…。
MATSUDA98さん可愛いよMATSUDA98さん。

+++

昨日うちに姉の飼ってるロシアンブルーが遊びに来たんだが、うちにいるシェルティーをめっさ怖がって猫にゃんパンチ!「ギャイン!」と大袈裟な悲鳴をあげて逃げるシェルティーでした。ミニチュアダックスには興味は示しても警戒はあんまりしてなかったのになあ。やっぱり体格のデカさの問題なのでしょうか。でも猫好きなのにアレルギーな所為で触れない僕ガイル。
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日本の小学生、将来への期待少なめ…日中韓調査で判明

お国の事情が違うから同じ土俵で語るのがおかしいと思ったりもするけど、国内の内政問題として捉える限り、大量労働社会時代を送った団塊世代、そのJrとしてバブルの恩恵を受けたバブル世代、バブルがはじけて就職氷河期だといわれて今なおニートやフリーターの数が多いとされる氷河期世代、そして僕ら以下の世代、となるわけだが、そうして世代別に見たときの歪がこの調査の結果なんじゃないかな、と思っちゃったり。
この調査の結果を悲観的に捉える人は、少なからず「なんで勉強が良い将来に直結しないんじゃないか」って言う、少し上の世代の価値観に基づくものを持つ。
うーん、全体を分析することなんて出来ないよな。どうしたって、総論としていったときには、「平たく言うと」ってことになる。で、この場合平たく言うと、「今の子供は勉強が将来の安定を保証するものじゃないって思ってる」、ってことになる。でもこれはおかしな話で、小学生と言っても6歳ぐらいから12歳ぐらいまでいるわけだし、そんな年齢の子が社会の現状に対してどうこう言える思考力を持ってるとも思えないし、そうなると、この結果ってのは小学生の社会観に関する調査結果なのではなくて、親が子に対して教えている「自分たちの教訓」と言うことに他ならないんじゃないかってワケだ。
で、現在の小学生の親は、どのくらいだろ、うちの姉ぐらいの年齢か。ちょうど30~35あたり。レンジを伸ばすと30代全域ってことになるんだが、上記で言うところの氷河期世代、つまりバブル崩壊を目の当たりにして、リストラで色々なものが崩壊していく様を目の当たりにしているということだ。その頃僕は小学生だったから詳しいことはわからないけれどもね。
「今の努力は将来結実しない」と言う悲観論は、穿った見方をすれば「望むことがない」と言う贅沢論になる。少なくとも都心部に住んでる人の半数が、本当に「今何したってしゃーねーよ」って風に諦観漂わせてるのか?そんなわけはない。諦観と言うなら、「もう何もすることがないよな」と言う食傷気味なニュアンスのほうが正しいんじゃないかと僕は思う。ありていに言えば、物質的豊かさと精神的飢餓。

あーこれまた何言ってるかわかんなくなってきたな。
そもそも社会的現象を個人レベルまで落として語ろうとするのが間違ってるんだよな。そこに統計の罠がある。統計で示される数値と、個人の意識レベルってのは必ずしも一致しない。と言うか、特にこういう意識に関する統計ってのは真に受けちゃいけないんだけど、ある種の指標になることも確か。
だから、大袈裟に言ってアジテートすることだって難しくはない、と言うかマスメディアと言うのは概してそういうプロパガンダ的な側面があるわけだが、個人が社会的統計を持って他人を批判するからおかしくなるんであって、特にそういう抽象的な統計の場合は少なからず自分の意識を変革させることが重要。

まあ、権力のない一個人の出来ることっつったら、周囲の人が奈落の底に落ちないように見守ることぐらいだ。社会を変える前に周囲を変えろってわけだな。

2007年3月7日水曜日

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「文章ヘタ」でも「自分たちと同じキモチ」…ケータイ小説、女子中高生に超人気
4 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/03/03(土) 14:37:49 ID:ZsXeAsYO0
>自分たち同じ体験をしている

小説に「共感」を求めてるのか…
共感が人生にいったいどれほどの価値があるというのだ
まったく同意。
小説を読む醍醐味って全然違う切り口からの視点であったり、考えたことないような論理展開、自分とは違った価値観に基づく解釈等を楽しむものだと思う。だから僕って小説を速読することが出来ないんだよ。評論系の新書とかだったら、基礎事実とデータによる分析が大半で、あとはちょっぴり主観があるぐらいだから、読もうと思えば立ち読みで40分ぐらいかけたら読めるってもんなんですけど。

2007年3月6日火曜日

『ねじれた味のラズベリー!』

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数日前に『毎日就職ナビ』に登録して、自己PR文をこのブログの戯言を書いてるみたいにだらだら書いたら、一日10件ぐらいドラフトメール来るんだけど、毎日就職ナビに登録してる企業ってそんなに人材不足なのか?それとも超売り手市場といわれてる煽りか?って思う。聞いたことある企業1:聞いたことない企業9ってところかしら。
まあまだ3月頭だし、今は名の知れた企業だけを念頭においていれば良いというのが僕の所見…と言うのも、僕にはある程度の目標みたいなのがあるからだ。具体的には言わないけど。あえて批判的に言うならば、僕の目標を達成出来る可能性があるならば、ベンチャー企業でも構わないっちゃあ構わない。
だけれど、転職が当たり前(特にこの業界は)なこの時代に、初っ端からベンチャー企業に入るのは、つまるところ僕にとってリスクしか見えないわけで。もしベンチャーで成功と言うのがあるのなら、それは精々大企業に買収・あるいは提携することぐらいしか思いつかない。そして、どの道転職、あるいは自立と言う道が視野にあるのなら、前職となるのが名もないベンチャーよりかは名の知れた大企業と言うほうが強い。もちろん、今で言うと不二家みたいに、一晩で没落の道を歩むような大企業もあるわけだから、その辺はしっかり選ばないといけないけど、そこさえちゃんとすれば、大企業に勤務していたという実績はどう転んでも強みになる。仮に前述したような道を何らかの理由で諦めたという場合でも、社会的な保証は小さな会社よりかはある。大きな企業であればあるほど、外聞と言うのがあるからな。
また、僕はこれからの日本社会は完全に淘汰の時代に入っていくと思っている。それは国内的な問題ではない。グローバルな問題としてだ。
元々人的資源以外なんの資源も持たない日本が、あらゆる紙面で問題になるぐらいに人材教育をしてこなかった上、BRICsなんていう21世紀丸出しの国々が押し寄せてくるわけだからな。「英語の勉強はしといたほうが役に立つよ」なんていうレベルじゃもはやない。特にIT業界からすれば、もはや死活問題になる。
よって、僕は僕の意見に従って就職活動を行う。ちなみに某大企業の一次面接は通過した。面接は得意なので安々と落ちる気がしない。自己PRなんかはいつも自己嫌悪してる自分のことを言えばいいだけだし、展望や希望なんかを聞かれてもいつも考えてることを口にすればいいだけだ。何も臆することはない。悪友と話してるほうがよっぽど頭を使いそうだ。

『どんな容易なことにさえ 自らを閉ざして 気付けないこともあるのだ』

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これからの時期、本屋にはズラリと『絶対受かるSPI対策!』だの『面接必勝法!』だのが並べられるのだが、ああいうものが売れる理由が(少なくとも買う人はいるだろう)、僕にはよくわからない。
SPIに関しては概して知識を問うようなものだが、これは普段から新聞読んだり、基礎学力があれば普通に解けるようなものがほとんど。とは言え、まあ例えば理系の人なんかにすればアショカ王がどうのなんてサッパリだし、文系にとってはmol係数なんてサッパリなわけだから、そういう意味じゃ買う理由にはなるんだろうけど、でもだからと言って高校の参考書と同じと見做すべきものでもないと僕は思うわけだ。単にレベルで言えば高等教育で学ぶ内容のほうが確実に上だからだ。SPIなんてむしろ基礎知識を問うものに他ならない。だからSPIの問題集を買って徹夜で俄か勉強してる人ってのは今まで努力してこなかったってことだ。と言うか、『社会人としての基礎学力・知識』を問うためのSPI試験で、学生らしい徹夜俄か勉強をするのって、思考力ないよな、って思う。最低ラインが『身についてるか』どうかを試すものなのに、すぐ忘れてしまうような勉強の仕方をしても後で苦労するだけなのにな。まあ、そういう『努力して切り抜けることが出来る』と言うことが大事なのかも知れないけど。モノは言い様だね。でも学力や知識の本質は継続にあると思うんだけどな。

…ごめんなさい、自分の基礎学力の無さを棚に上げて理想論を話してましたorz
んでまあ、一番悩ましいのが面接必勝法。面接の必勝法なんてのがあったら面接で落ちるのはよっぽどの駄目人間だ。マニュアル化されないのが人格ってもんなのに、それをマニュアル化しようとしてどうするんだと。らしさやアイデンティティってもんがないのか君らはと。面接官に対してある程度自分を飾るのは当たり前だ。だが、そのメッキがマニュアルであるのは僕的にはよろしくない。そのメッキは個々人が持つ愛想や世辞であるべき。面接のときにコミュニケーション能力を見ると言うのが正しい見解であるならば、やはりメッキは薄いほうがいい。言葉を『選んでる』のと『読んでる』のって、見る人が見ればすぐ違いはわかるからね。まあ、元来僕は誰に対しても愛想が良いらしい(だから人付き合いが面倒になるわけだが)ので、そういう意味で言うと「面接なんて普通通りに行けばいいんだよ」なんていう面接のマニュアル化に対する批判ってのは所詮は強者の論理なのかも知れないけれど。あーもう偉そうなことを吐いてる自分に自己嫌悪だ畜生。自己分析・客観分析を行った後に批判が多く出るのは性格の悪い証拠。

『生まれてくる朝と 死んでゆく夜のRoman』

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SUPERNATURALの4話ぐらいで出てきた、鏡の中に住む怪異である『ブラッディ・メアリ』。お勉強の合間にゴシゴシと。
久々に絵とか描くとダメだなー。毎日とは言わなくても時々描くようにしよう。。。

2007年3月5日月曜日

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アドビ、「Photoshop」をウェブアプリ化へ--無償版として提供予定

うん、かなりいい具合になってきた。
様々なアプリケーションがWEBアプリとなる流れの中では、そのアプリケーションの開発能力よりも、それらの運用を支えるものの存在が重要視されるようになるだろう。
と言うより、ウェブアプリをブラウザ上だけでやってのけるという発想には、実現性に限界がある。ウェブアプリの台頭、と言う観点でのみ論じるならば、次に起きうる革命は、ブラウザではないインターネット接続ツール、だろう。

インターネットと言うものが、『情報を得るためのツール』から、必要なタスクをこなすためのアプリケーションを利用する媒体へと変化する。
そうなると、益々『ネットワーク』『セキュリティ』『DB』と言う三本柱が太くなってくる。
そして、変化が非常に早く、相当に複雑化したプログラミングにおいては、横並びの共同開発と言うものが主流になる。アジャイル開発。

フフフ、面白い時代になってきたものだ。

2007年3月4日日曜日

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頼ることと甘えることと利用することは、現象的に見れば同じことだと思う。
問題は、誰が誰にどう伝えるか、であって。
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春は学びのシーズン――いまチェックしたい電子辞書

電子辞書の恩恵を受けたことが一度もない僕が来ましたよ。
一時期持ってたけど、ていうか学校に持っていったりもしたけど、普通の辞書を引くほうがよっぽど良いと思って電子辞書は使わないことにした。
でも最近のって当然ながら高性能なんだよなあ。英和・和英・国語辞典だけじゃないみたいだし。
まあ、同じ調べるなら電子辞書よりも、ネットに接続出来るウェアラブルデバイスが登場するのを僕は待つけどね。
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YouTubeにBBCチャンネル登場

やっぱり
googleは
機を見るに敏だ
な
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NTT東西、次世代ネットに300億円

NGNってイマイチよくわからない。電話網にただ代替するものでもなく、かと言ってインターネット2のようなものでもなく・・・。

2007年3月1日木曜日

『運命よ、お前が私の瞳から光を奪おうとも、この唇からは、歌を、奪えない』

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夜に考え事をしていて鬱々とした気分でマイナス思考にしかならなくても、一晩じっくり徹夜で夢なんかを見てみると、そのマイナス思考が馬鹿げたものに思えるというのはよくあること。
だから、夜に考えたことを実行するのは得策ではないという結論に至るわけだが、毎晩毎晩同じ結論のマイナス思考に至り、次の朝には一笑に付すという毎日を繰り返すのはとても疲れることだと思う。どうにもならない。
人生は、不条理だ。

2007年2月26日月曜日

『羊の夜をビールで洗う』

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土曜日は、茶汰君たちとウワサになっていたジョジョ映画を見に行った。
第一部を映画化、と言うことで、あの濃厚な5巻分の物語をどう映像化するのかとても楽しみだったが、心底ガッカリした。駄作といわれるために生まれてきたような映画だった。
先ず、ジョジョ信者はセリフを全部覚えているために、いわゆる「名台詞」といわれるものが出てこないと憤慨する。この作品の上映中、終始憤慨しっぱなしだった。それぐらい、抑えておかなくてはならない名セリフが出てこなかったのだ。「波紋?呼吸法だと?」まで言っておいて、「フーフー吹くなら、このDIOのために、ファンファーレでも吹いているのが似合っているぞッ!」を言わないのは、詐欺です。ジョジョ詐欺です。
次に、展開にやはり無理がある。たった5巻分とは言え、ストーリー上外せない部分がとてつもなく多く、そのエッセンスをどこまで濃縮還元してくれるものかと期待していたが、結局は無理があったようだ。タルカスとブラフォードは外せない敵なのにあっさり外し、一瞬チラッと出てきたけど一瞬でやられてしまう雑魚キャラレベルにまで堕ちていた。ガッカリ。
作画と音楽と声優は比較的安定していたのだが、内容がもう散々だった。と言うか、スピードワゴンが出てこないことにかなり驚いた。その代わりに、チョイ役のキャラの声優を、スピードワゴンと言うお笑いユニットが務めていた。どんな小ネタだyp。
DIO様の声が緑川光と言うのはアジャストしていたように思うし、その他の声優も合っていた。
ツェペリのおっさんが死んじゃうところが原作とえらい違ってたので、当然、一部ではカルト的人気を誇るガイアーさんとか、裏切り者のストレイツォとかは出てこなかった。トンペティさんは冒頭でちょっと出てきたけどあれはマニアじゃないとわからんような希ガス。
展開があまりに速すぎて、エリナとジョナサンがどれだけ仲が深いのかとか、DIO様はどれほど厄介かってのかがまったく描かれていなくて困る。特に、最後にDIOと対峙したのに、パンチ一発で決めてしまうとか酷いだろwww原作だったらジョナサンがPLACKの剣で一度真っ二つにするんだけど生きてる!みたいなサプライズがあったのに。気化冷凍法とかも、なんの説明もなくいきなり当たり前のように使ってきたからちょっと唖然。
とにかくあれだ、ブレイブストーリーにしてもそうだったが、基本的に長編は映画化に向いてない。長編には長編にするだけの理由があるのだ。例えば、『ちっちゃな雪使いシュガー』の実に22話はどうでもよくて、だからこそ最後の2話が泣けるというように、オチに重みを感じさせるという意味で長編の形を取ってる作品も少なくないと思うので、やっぱりなんでもかんでも映画化にするとか言うのはやめといたほうがいいと思うんですよ。そういう意味では今度の蟲師の映画化とかも危険極まりない。だって予告編見たけど、原作の内容を少しずつかいつまんだような内容になってるから、一つ一つの話に重みが感じられずに始終貫かれるという危険性が高い。
もちろん、原作つきの映画なりと言うのは、原作を読むことが前提にしている部分もあるといえばあると思うけど、原作をただ映像化しただけのような劣化コピーに留まるような作品になり、しかも原作の設定をある程度知っていることが前提とかになると、それはもうハッキリ言うと作らないほうがマシ、と言えると思うんだけど、その辺どうなんだぜ?

+++

日曜日、この日は中学の同窓会だった。18時から近くの居酒屋で11人で飲んでいた。前回やったときは35人ぐらいはいたような気がしたが、1/3に減ってしまっていた。なんとなく幹事は人望がないように思う。と言うか同窓会を開くことが選挙のための免罪符になっているようで少し思惑が気に入らなかったが、まあひとまずなんだかんだで楽しかったので良い。なんかやけに僕がイジられてた気がするんですが…と言うかみんな困ったら僕に振りすぎwwwチラチラこっち見てヘルプ求めてくるなwww
同窓会が終わったあと、生ビールジョッキ1杯とカクテル3杯でトマト顔になった僕とヲタななじみのP嬢で僕の家で二次会だ!と言うことで僕の家で『撲殺天使ドクロちゃん』をまったり観た。『デ・ジ・キャラット』に通じるテンションの高さでなかなか飽きないアニメだと思った。同窓会時はメイド喫茶の話題が出ても涼しくスルーしていたぐらい隠れヲタを決め込んでいた僕だが、うちに帰ってきてドクロちゃんを観始めた瞬間、「ウホッ、この声って沢城みゆきさんじゃね!?」(←結局違った)とか言う絶対ダメ音感を披露するぐらいヲタ全開な僕でした。P嬢がウサ耳を持ってきていたので、それをかぶって部屋を暗くして撮影してもらった。なんか妙な写真が出来上がった。ハードボイルドウサ耳男。いわゆるメソウサ。画像をブログに載せろと言われたが、やっぱキモ恥ずかしいので載せない。P嬢のつけたところを撮ろうと思ったが、うまく撮らせてくれなかった。
その後コワスコワス言いながらこたつ潜ってひぐらし祭をやった。P嬢は速読でかつ理解力があるので助かる。ウサ耳かぶってたけど。
P嬢を家まで送ってから僕も家に帰って、印刷しないといけないドキュメントがあったことを思い出したので印刷していると、P嬢からウサ耳かぶった写メールが届いた。どう控え目に見てもツンデレだぜ。

2007年2月25日日曜日

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大人の人に言って欲しかった24のこと、だそうで。確かに。
1. 世界は自分を中心にはまわっていない
2. 何をしていいのか分からないといってはいけない
3. 反抗するならほんとうの反抗をしなさい
4. ひとと同じことをしてはいけない
5. 同じところにいてはいけない
6. 今見ているものは見えているとおりではない
7. よいことなんていつまでも続かない
8. とにかく終わらせなさい
9. 自分の得意なこと以外はしてはいけない
10. ゼロからスタートしてはいけない
11. 3年間ぐらいは捨ててしまいなさい
12. 生きていることなんかには意味はない
13. よいことからは逃げまわろう
14. 自分がやっていることをひとに話してはいけない
15. 友だちはいらない
16. 今日はないと思いなさい
17. 出遭いは二度とない
18. マイペースでやってはいけない
19. 一番になってはいけない
20. 上をめざすな
21. 背伸びをしなさい
22. 自分ひとりでできることは何ひとつない
23. 自分のことは考えるな
24. 一番大切なことは想いをお使いに出すこと
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街中に突如現れた大きな穴 民家20軒近くがのみ込まれる



なんじゃこりゃ…ただの陥没か…?

2007年2月23日金曜日

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エストニアで世界初のネット投票を導入した総選挙

ほー。遂にきたか。ネットが選挙に生かされるのって、直接ネット民主制だよな(謎
政府が政府活動でネットを利用するのとはまたちょっと違う。国民と政府の間を埋めるものとして作用する。いや、選挙も立派な政府活動か。
個人的には、ネット投票する際に候補者の演説が動画でいつでも見れるようになったり、党のマニフェストが一覧で見れるようになるといいなあって思う。だって今選挙行って投票するときって参考にするもの何もないんですもの。ちょっとぐらい吟味したいよな。投票率が下がったのって、国政に対する意識の低下とかじゃなくて(いやそれももちろん大きいけど)、国政を身近に知る機会を損失してるからだと思うのよ。まあそんなことを言い出すと、「自主的に調べないのが悪い。だって、義務だもん☆」なんて萌える正論が飛んできそうだから言及はしないけれど。
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子どもは選択肢の「後者」を選ぶ!?

なんか昔誰かから聞いたような気がするけど、
順番にかかわらず、キッパリと選べる選択肢を持たせてあげるのって、案外難しいのかも……。
とあるように、考えれば完全平等な選択肢って難しいよな。ひょっとしたら、選択肢の順列で無意識に格付けされる可能性だってあるし、それに後に聞いたものは前に聞いたものよりも鮮明になるわけだし。まあ、細かいことは何もわからんけどね。単なるイメージの話。
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今日でインターンは最後だけど、認印持っていかないといけないから、忘れちゃいけないんでリマインダを一応セットしておいたんだけど、メールが届く前に、「あ、そういえばリマインダセットしたっけ」→「そういや認印要るんだったな」って風に、リマインダの本来の役割が全然実感出来ない(;´Д`)

ああ、昨日ひぐらしのなく頃に祭買った。
絵がめちゃ萌え絵になってて、しかも声優がハマってるから、内容同じでも萌え面白い。
沙都子が可愛すぎる。あれは反則。声が良すぎる。
でもこうホワホワ思ってると、後半の激変っぷりが余計面白くなるんだよな…wktk
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蟲師二十景

蟲師は世界観がたまらんからな。このノスタルジィな雰囲気がむちゃ好き。
でも、今度映画化されるけど、主演がオダギリジョーってのはどうなんだろう。ちょっと鋭すぎるような気がしないでもないんですが。
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国家公務員、「週3日制」で子育て支援・離職防ぐ狙い

やけに大胆な試みなような気がするんだが大丈夫なんかな。

2007年2月22日木曜日

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学校の勉強が理不尽なものになりがちな理由。

わかりやすい例え。手段と目的の入れ替わる様を巧く説明してると思う。
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葬式とか通夜で故人の死に顔の写メ取る人ってどういう教育受けてきたの?
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シューティングゲームの歴史 【日本語字幕付き】

主にメジャーな作品のみ。最近の流れじゃ東方は欠かせないと思うけど出てこない。
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持続可能で国民の満足度の高い医療の実現に向けて

ICTをとっとと導入しようぜってことかな。ネットワーク・セキュリティ系のエンジニアがたぶん足りないと思うけど…。
公的医療保険をセーフティネットとして効率的に機能させるためには、全ての医師が最新の医療知識に基づく効率的な医療を行えることが前提となる。そこで、保険医の更新制を導入し、医師の継続的な技術の向上に対する意識付けを行うことが求められる。
僕は医療業界のことは全然わからないけど、教師もIT技術者も、およそ変化変革に晒されてる業界における資格制度はほぼ免許更新性になる勢いが見られるけど、それ自体には別に反対しないけど、なんだかなあ、って思うのは、「一度取ってしまえばあとは安泰」って言うものから「ずっと勉強し続けなくちゃいけない」って言うものに変わるわけだから、敬遠される原因たると思うわけよ。それってなんか淘汰っぽい。まああれだね、「将来何をしようか」と考えてる人にとっての参入障壁にならないことを祈るばかりだね。
保険診療上、回数制限が設けられている診療行為についても、患者の自主的な選択を基本に、制限を上回る医療行為を自己負担とすることで、原則自由に認めていくべきである。
なお、患者の快適性や利便性を向上させるための選択的なサービスの提供は、医療行為に該当せず、保険診療と併用しても患者の病態に影響を及ぼす懸念はないため、医療機関に十分な説明義務を課した上で、患者の合意を前提に、自由に認めるべきである。
事実上、医療保険の自己負担率をさらに上げるためのもの以外に思えない。

2007年2月20日火曜日

『ありえない明日に憧れ』

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某ブログで目にしたのだけれど、情報処理能力と生産性は比例関係にあると僕も思う。一般論と言えば一般論なんだけど。
プログラマーはプログラマーとしてすごいのではなくて、従来の業務を圧倒的な効率で持って終わらせることが出来るからすごいのだ。そして、それにおいては、如何に美しいプログラムを書けるかとか言うようなマニアックなコーディング能力的なことではなくて、どういう『方法』でやれば最も効率性が高く、生産性が高く、汎用的で、拡張性があるのか、と言う論理思考に主眼が置かれる。僕は数学とかが猫の水泳ぐらいダメなんで、完全に対岸の火事の話をすることになるんですけれども。ていうか、機械が発明されて工業革命が起こったのと同じように、その機械に仕組みを与えるプログラマがゴイス!といわれないのがわからないが、まあどうでもいいや。続き。
仕事時間の大半を費やし、多くの時間を悩ませる問題が、プログラマにかかればほんのちょっとの労力で済むようになる、と言う事例は確実にある。
また、殆どの業務でPCを使うことが当たり前になった今じゃ、なぜプログラマの労働環境がそこまで劣悪なのかわからない反面(わからないというのは総評であって、個別に見ていけばいくらでも反駁する余地はある)、おそらくコーディングする能力はあっても業務を効率化させる能力に乏しい人が多いだけなんじゃないかと言う寂しい疑念が過ぎりざるを得ない。少しでも楽をしよう、自動化しよう、と言う発想があって、ほんのちょっとのプログラミング能力があれば、どんな仕事においても絶対に上手く立ち回ることが出来る時代だ。まあ、今が過渡期だというのは認めるが。

例えば僕は某写真館で幼女の画像を加工するバイトとしていたわけだが、そこで僕の作ったマクロは大変重宝され、辞めた後でも何度かお呼び出しをくらうことがあったというぐらいだ。別にすごいアルゴリズムを考えたわけじゃなく、アナログなルーチンワークを単に機械化することによって生産性の向上、増加する仕事量への対応が出来るようになった、と言うだけだ。たいしたこともしてない。素地なんていらない。PCさえあれば、ソフトウェア的な仕事ならなんだって出来る。イレギュラー対応はまた別の話になるけど。
今もまた仕事を請け負った。インターンでの仕事だから大したことではない、いわゆる単純作業に分類されるものだが、量が量だけに2~3日中と言う期限を明示された。そして僕は膨大な対象データを俯瞰し、全容を把握してから、マクロを組んだ。結果、4時間で終わった。正規表現万歳。
生産性と言うのはそういうことだ。要領と言うのはそういうことだ。見積もり以下の作業時間で仕事をこなすための手法。面倒くさがりのためのメソッド。もともと僕は面倒くさがりなので、楽になるならそういう労は惜しまない。(後述するが、時間をかければいいってもんじゃない仕事は多い。)
が、なぜかよくわからないが、かけた時間が多ければ多いほど自慢をしてくる人と言うのが存在する。「あれ、二徹して仕上げたんだけどさ~」とか。自虐ネタなら笑ってやればいいんだが、そういう時間のかかる仕事を短い時間でこなしたほうがよりクールだということがわからないのだろうか。現に、学校でのグループ作業で、他のグループも当然同じものを作っていたわけだが、徹夜を繰り返して学校も休みがちになり、なんと驚くことにソースの長さが4000行に達するって言う強者がいたが、同じ処理をするにも僕は700行ほどだった。そしてみんなが修羅場だと慌てているのに僕はキッチリ睡眠時間は6時間。学校で残って何かすることは殆どなし。一日の作業時間は大体3~4時間くらいだったか。茶汰君も似たようなことを言っていた。「同じグループの子が2日間悩んでいるのを見て、俺が見てあげたら10秒で解決したよ」と。まあそれは極端な例だが、主にコミュニケーション的な方面での生産性にも関連するだろう。早く相談してれば良かったのにね、って意味で。
とまあ、プログラマの卵が犇めき合うこの学校組織にいて、こういう現状を垣間見ると、確かに巷でよく言われてるような「人月の神話」ってやつを実感する。今言ったような生産性の違いがあるのにもかかわらず、時間報酬制と言うのは合ってないというのも一理ある。まあ、人月モデルそのものがメインフレームを対象にした2~30年も前のものだから、WEB2.0の現在、通用しなくなっても当然なんだけれど。ちなみに僕はゾンビ2.0。
だからと言うわけじゃないが、WCEに関しては当然の動きと見る動きも一理ある。あくまで、この業界に限って言えば、の話だが。
まあこれは難しい問題なんだが、僕なりの解釈で言えばこうなる。

とある仕事を任されたツンデレAちゃんは、1週間納期の仕事を3日で終わらせてしまいました。よって、新しい仕事を貰ってその週は過ごしました。残業はしませんでした。

一方、同じ仕事を任された眼鏡ドジッ子Bちゃんは、1週間納期の仕事を、ラスト2日間はろくに眠らずに、なんとかやり遂げました。残業はよくしていました。

「生産性」と言う観点で見れば、会社にとって利益に直結しているのはどう考えてもAちゃんなのに、労働法規時間労働制の元では、当然、割いた時間はBちゃんのほうが多いわけだから、労働時間の対価として報酬を得ることが当たり前の概念な現在、Bちゃんは当然の結果としてAちゃん以上の報酬を得ることになる。

当たり前の感覚を持っているなら、両者の言い分くらい察せるだろうと思う。でも、困ったことに両方が正しいのだ。それは地盤としているものが違うからなのだけれど。

さて、そうなるとどうなるか。戦前の精神論を現代に持ち込んでいるラストサムライな人でない限り、Aちゃんのほうが評価されて当然だと思うだろう。それがWCE推進派の主張だ。つまりツンデレ好きだ。まあ、実際この例の状態が数年続けば、最終的に評価されるのはAちゃんだろうと思う。PMとかに格上げになるだろうね。
けど、賃金と言う観点でのみ見れば、そりゃあ金は生きるのに必要なわけだから、Aちゃんは生産性の高さを武器に、報酬支払い制度のおかしさを説くわけだ。けど、BちゃんもAちゃんの主張のような裁量労働制を受け入れられるとたまったもんじゃない。時間と報酬の等価交換って概念が骨の髄まで染み付いてるBちゃんにとっちゃ、生産性によって報酬が変わるというのは死ねといわれてるようなもんだ。
そもそも、単純に時間と人を割けばある一定のものが出来るというものでもないからな。時間をかけるだけじゃどうにもならないもんだから生産性と言う言葉が独り歩きするぐらい自立する。

これが、IT業界の現状。惨状?だから、WCEは一方で過労死斡旋法だと批難され、他方では現代に見合った、経営陣にやさしいバファリンのような制度だと見られる。米国では随分前に導入しているらしいから、単純に日本でも導入する可能性が高い、と識者は見てるらしい。まあ、全体的に仕事量がかなり増えてる現況では、優秀だけど多忙なホワイトカラーにとってはそんな問題はキモではないかも知れないけれど。生産性とか時間単位とか言う言葉だけじゃ解決出来ない類の仕事ってのもあるだろうしね。でもそういうものをいちいち勘案していたらいつまでも何の話も出来ない。

デスマーチが頻発する理由は別にBちゃんみたいな人が多いからだってわけじゃないけれど、原因の一端を担っているというのは、プログラマの卵である同じ学生を見ててよくわかる。
でも、時代の流れ(あくまでこの業界ね)は確実に、成果に見合った報酬を、と言う風になってきているんだけど、反面、パート労働法改正案に見られるように、非正規雇用者と正規雇用者の格差間を埋めるためにEUみたいに同一労働同一賃金みたいな話にもなってきている。格差そのものが問題なんじゃなくて、二極化が問題だってのに、おかしい話だけどね。しかしこの問題はほんと入り組んでるな。

ついでだから書くが、非正規雇用者と正規雇用者が仮に同じ仕事をしてたとしたら、お互いの言い分は圧倒的に正しい。

もし完全な同一労働同一賃金ならば、正規雇用者は、「なんで同じ仕事をしてるのにアルバイトと同じ給料なんだ」と言うだろうし、賃金に差があれば、今度は非正規雇用者から「なぜ同じ仕事をしてるのに社員とは給料が違うんだ」と言うことになる。実際、社員より有能なアルバイトと言うのはどこにでもいる。今まではその差を社会保障と言う形だったりボーナスだったり終身雇用と言う安定性で鎹としていたが、転職は当たり前で年金はどうなるかわからない(年金は積み立て型じゃなくて世代間扶養だから貰い手の数が支払い手の数を圧倒すれば自然と破綻する。)で、いわゆる社会不安が増大してるために、その鎹も役立たなくなってきているという形。
社会的・将来的な保証と言う面を無視すれば、働かなくても食っていけるというニートの誕生は、倫理的感情的にはともかく、批難されることなく「幸せだね」と一言言えば済む話だけど、ニートがクローズアップ現代されるのはそういう不平等さや、将来を見据えていない楽観さって部分に尽きるんだろうと思う。まあでもこれは違う話。

否、と言うか、同一労働同一賃金と言う共産主義的な概念の元では、雇用形態そのものが今とは違う形になるのか。契約オプションはどうなるか知らないけど、職業の違いだけで、非正規であるとか正規であるとか言う区別はなくなるのか。なんというフラット化した世界。どう見てもフリードマンです本当にありがとうございました。

まあ、無理矢理包括すると、今は雇用と言う制度自体に見直しがかけられる時代だから、今度の労働法制改革が楽しみですね、と言う話。労働ビッグバン。

2007年2月16日金曜日

邪魅の雫 より

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「世間ってのは何です?」
君と僕だと中善寺は云った。
「は?」
「君でも、僕でもない、君と僕だ。此処には君と僕と関口君とを交えた世間がある。其処では現在、関口作品の批評を巡る話題が流行している。これは関口君が云い出したものだが、僕が受け付けなければ生まれなかったものだし、途中から入ってきた君が拒否すればそこで終わっていたものだ」
「関口さんが生み出したもんではないと」
「そう。僕自身は好んでこんなくだらない話を語りたくはないし、益田君にしてみれば寝耳に水だ。でも、僕等三者の間では現在その話題が続いている訳だな。それは、現在此処だけで語られているものな訳だから、まあ僕等三人が形成する世間でのみ有効な話題なのだ。でもね、どうやら僕等はそれを普遍的な話題として語り合っている。世間で作られたものなのに、世界を語っているような誤解がある。これが流行だ。でも、そんなものはすぐに廃れる。たぶん、後数分で廃れる。それは僕等の関係性を左右するようなものにはなり得ない。」
やっぱり
京極堂の話は
含蓄がある
な

2007年2月15日木曜日

『 「箱庭を騙る檻の中で 禁断の海馬に手を加えて 驕れる無能な創造神にでも成った心算なの…」か…』

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キシリトール(アップルミント)を噛んだ直後に熱いお茶を飲むと、
しょうゆラーメンの味がする。

2007年2月10日土曜日

『あと何回くらい繰り返せば辿り着けるの?』

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「青春18きっぷ」特別価格8千円で JR20周年記念

キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━!!!!!
おし、計画立てるか。
何処行こうかなあ。うーん…宮城か…長崎…かな。海辺の旅館探してそこで2~3日間過ごす。
あーでもそれだと5日間使える切符が余りそうだから、一つの所に留まるのは勿体無いか。まあ余ったら余ったで誰かに譲るとか、またどっか行くとかしたらいいんだけど。
…先ずは行ってみたいところをピックアップだな。
あ、なんだったか、香川かどっかに大きな昔の硬貨の形をしたオブジェ?なるものがあるとか。桃鉄で知った。まあ香川は距離的にも通過点にすることしか出来ないけど…。
前に九州一回りした(とは言っても全県行ったわけじゃないけど)ときに思ったんだけど、九州って18切符使うと勿体無いんよな。コストパフォーマンスが悪いっつーか。距離を稼ぐって意味では意義のある使い方なんだけど、地理的な問題で小回りが利きにくすぎる。「どこでも降りれる」ってのが18切符の強みなんだが、それが発揮しにくい。つまり、一度降りたら絶望的な状況になること請け合い、と言うわけだ。深い霧に覆われた阿蘇山を途中から歩いて降るとかアホなことしなきゃよかったと真剣に後悔したよあんときは。耳元でスピッツが歌ってなきゃ死んでたね。ああ、ゾンビの誕生さ。
北海道は、帯広から釧路までで、大阪東京間ぐらいの距離があるから、そう考えると一日で札幌釧路間を横断出来る18切符ってすげえって思うんだけど、九州はなんかものすごい微妙なんだよな。いや、旅するって意味でね。絶対特急バス使ったほうが効率いいだろ、って思うし。
まあでもその辺含めて考えてみるべきかな。そのまんま東率いる宮崎も行ってみたい気がするけど…居れても2日だな。僕は柳田國男じゃないんだから。
旅するときの持ち物は財布と携帯とスピッツと古典文学、あと最低限の衣類。強行軍でない限り時刻表はそこまで重要ではない。地図も要らない。僕の歩いたところが地図になるんだ!

2007年2月9日金曜日

積読リスト消化

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最近、積んでいた本をひたすら読んでいる。残すところあと2冊…



Kに借りていたもの。
世界観は好き。でも、意図された読みにくさが、本当に読みにくい自体になっていて魅力半減。雰囲気出すのはいいんだが、別に文体とか文字は普通でいいのに。





皇国の守護者の小説。Dに借りてたやつだけど。
これほんま面白い。血が滾るな。生々しいし。でもやっぱヤンと新城はちょっとかぶるわ。性質的には逆なんだけど、常に疑い続けるアナーキストってあたりの本質的なところが。




クソおもろい。この人はある種のムーブメントを引き起こす才能あるんじゃねーの?って思った。展開が、『読ませる』展開なんだよな。




西尾維新もそろそろ終わりか……『化物語』は最高に面白かったんだけどな……。こんなのが12ヶ月も続くと思うとちょっと買う気が失せてくるかも知れない…。


で、残った2冊はこれ。



合計1000P超だから1週間とちょっとはかかりそうだな…。
積読リストはこれで全部消化したことになるけど、読みたい本が積んでた間に多く溜まっていたので、少しずつ買いながらまた読破していこう。
いやあ、本っていいなあ。


つか、なんか妙にリアルな夢を見て変な気分だ……。

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今日みたいな冬らしい空の低い曇り空は好きだ。
僕の記憶には色がないので、こういう灰色の景色を見ると昔のことを思い出す。

2007年2月4日日曜日

『神が完全無欠にして全知全能であるのなら、悪魔は荒唐無稽にして人知無能の現象である』

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何をするにも切り替えってやつは大事で、その切り替え方法が人によって色々あるのだと思うのだけど、概ね誰もに共通するのが散歩するってことのようで。
散歩をすると、よくわからないけど頭がスッキリするようだ。それは理解出来る話。気分転換として最も良い方法じゃないのかって思うぐらい。
あとシャワー浴びるのも良い。皮膚が一新された感じがする。
目を休めるためには遠くを見るのが良いって言うジンクスのように、やっぱそういう普遍的なジンクスはあるもんで。
そこで僕がお勧めしたいのは、まったく普遍的ではないのだけど、入れ込める作品(ゲームでも小説でも映画でも音楽でも何でもいい)に触れる、と言うこと。(現代人でそういう文化的作品に触れたことがない、あるいはまったく関心がないと言う人っているのだろうか?)
いつもどおり主観丸出しの論で行くけど、気分が沈滞しているときはちょっと違う世界を体験してみるのが良い。幸い人間には想像力ってやつが豊富で、僕なんかは『ボーン・スプレマシー』とか『24』とか『SuperNatural』とか見ると、もうなんかその作品の世界に入り込んでしまう。ああいうタイプの作品がすごく好きなのだ。
要するに重要なのは、その個人の好みの問題だ。その好みの対象に短時間でも触れることによって、息抜きにはならないかも知れないけど、精神状態になんらかの影響は及ぼされる。

2007年2月3日土曜日

『太陽系よりも果てしなく コンビニよりも身近な』

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これは大事。何に大事かって、こういう表があるって言う事実を受けて、案件を投げてくる人たちがどう変わってくるかと言う見極めになるから。
開発サイクルが恐ろしく早くなってるっぽいし。従来の開発プロセスでやったおかげで、仕様変更に対応し切れなくてデスマーチを余儀なくされるという話はよくブログで見たりする。いやあブログって便利だな。
と言うか、YOUTUBEにしてもYOUOSにしても、ほんの少人数での開発が、そんじょそこらの企業開発よりも効果的で、なおかつスピードが速いって言うのは、案外そういうプロセスにあるんじゃないかって思ってきたり。
逆に、少人数で開発が行える技術要素は整ってきたのだから、あとは環境構築の問題ってわけだ。
ホイ。言語の壁にぶち当たって糸冬了。
今の時代、プログラムに関わることで飯を食っていこうとする人が英語を勉強しないというのは、タクシーの運ちゃんになりたい人が車の免許を取るのに躊躇しているというのと同じだ。

『繰り返す日々に何故見失う?幼い日描いた夢の続きを』

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うーん、GTDの活用の感想とか聞いてると、ほぼ100%に近い人が「これはすごい」って言ってるんだけど、実際ToDoリストとかってそんなに頻繁に更新するようなもんじゃないってのが僕の意見なんだけど。
僕にもそりゃあいくつか習慣があるけど、それは別に思い出さなくても勝手に気が向くものでもあるし、ていうか忘れるような習慣なんてないw
たとえば情報収集で良いなと思ったものでも、改めてみるまでもなく、一度見れば概要ぐらいは覚えるし、詳細に見たかったらその都度ググったりすればいいし。その手間すら惜しいと言うならば、そういうツールを活用する手間こそが無駄だ。
ブログとかでお勧めの本として挙がっているものも、別にクリップしてメールを見ながら確かめなくても、もう本屋に行くって言う習慣がそもそも僕は確立されているので、そのときに「あ、そういやあんなんあったな」って思い出してかつ気が向いたら立ち読みしに行くし。タイトルとか覚えて無くても分野さえわかればウロついてたら大体わかるでそ。まあそのためのクリップなのかも知れないけど。むしろ、うろついているときにたまたま発見する本のほうが、実は自分的には価値としては高かったりする。あと人伝とかね。実際僕が買った本って、4割ぐらいは人からの推薦であったりするよ。自主的に買った本なんて、それこそけったいなものしかない。
ていうか、買いたいと思った本とか物ならそもそも忘れないし。忘れるってことはそれだけどうでもいいってことだ。

そんな僕でも、一応メモ書きを走らせておこうとする習慣はつける努力をしているんだけど、そういうのってホント忘れないんよな…。「あ、これは大事そうだな。忘れちゃいけないからメモっとこう」って思っても、メモを参照するまでもなく、忘れた試しがほとんどないから、どうにも他の人が言うところのメモの重要性ってやつを実感出来ずにいる。メモが大事なのはわかってるんだけどね。大きな用件なら忘れないけど、その仔細に関しては忘れてしまうことは結構あるから。ていうか、どうでもいいことをメモったとしても、そのメモしたこと自体を忘れるよな。じゃあそこにメモを見るって言う習慣を生まなきゃいけないわけだな。うーん。。。

とか何とか言っても、たぶんToDoリストとかの重要性を理解出来ないのは、僕がそんなに忙しくないからだろうな。やることが限られているし予定とかが入っても覚えておける範囲内で留まっていると。実際手におえないレベルになってくれば、理解出来るようになるさ、きっと。

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現在、思いつきをブログなりSNSなりにアップするためには、その都度サイトに接続しないといけない。
WEB上でのToDoもそうだ。
が、デスクトップに常駐するブログウィジェットみたいなものがあったら、より更新が楽になるんじゃないかと思う。
ていうか、Vistaでそういうのやりそうだな。時代の流れはウィジェットだし。
#開発はされ始めているらしい

あと、なんとなくだけど日本のWEBサービスは日本人しか使えない割りに数が多すぎるんじゃないかな、って思った。

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最近自分が時間に正確すぎるって思ってきた。

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いつの間にかグーグルガジェットがバージョンアップされてて、前は微妙に使い勝手が悪かったのだけれど、新しいやつはなんか良い。
ヤフーウィジェットは速攻でアンインストールした。
スクラップ記事とかメモを複数PCで共有出来るのってなんか便利だなあ。申し訳程度につけてるカレンダーの予定もガジェットに表示されるし。
RememberTheMilkとか見てても思うけど、短いスパンで送られてくるリマインダーって鬱陶しいだけだと思うんだが…仕事の管理ぐらい自分でしろよ…って。GTDの発達と敷衍は能率を上げるのには役立つのかも知れないけど、それに依存してしまうと逆に自己管理能力が衰えてしまうような気がするね。木がするだけですか、そうですか。

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人間は、一日数十万の想念が頭の中に浮かんでは消えるんだそうだ。意識下か無意識下かどうかはさておいて。
それらの、経験と記憶と知識がごちゃ混ぜになったカオス状態の想念を人間が判別できるレベルまで落としこめたとき、「良いアイデア」は生まれるって言う考え方があるんだけど、んな「みんな実はすごい能力を持ってるんですよ」みたいなこと言われても、「実はお前らの脳みそは実力の数%しか使っていない」って言われてるのと同じように実感沸かないしどうでもいい。潜在能力は顕在化しないとしゃーないんですよ。秘密兵器は最後まで秘密でいなきゃいけないんですよ。
でもまああれだな、僕もネタ帖一応持ち歩いてるけど、上記に書いたように、ネタ帖に書くようなことはそもそも忘れないし。あーなんか僕何処か間違ってるなorz

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LeafのVocalCollection Vol.1は名盤。心が洗われる。
特に『それぞれの未来へ』とか、さりげなく名曲。

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何度かパチスロに誘われたことがあるのだが全部断っているのは、今までパチスロは良いものだと言って来る人間にロクな人間がいなかったという僕の偏見による。僕からすればあんな機械的な(ていうか機械だけど)ものがギャンブルなんていうのがおこがましいし、「自分の世界に入れるのがいいねん」ってことも言われたけど、だから嫌なんだよ!wって思った。意味わかんね。高校のやつらとトランプ一つで飽きずに高度な心理戦を繰り広げてた僕から言わせると、あんなパチスロみたいなプログラムに一喜一憂するのがつまらん!プログラム作る側の人間だから余計だ。ていうかパチスロって言う仕組み自体が、完全に客が負けるように出来てる。それで生計立ててる人もいるよ、って言う人は頭が悪いか古いかのどちらかだ。僕の以前の知り合いにもパチスロで生計立ててる人がいたが、2年でその生活は終わってた。よく持ったとは思うけど。大体、客が勝つような仕組みだったら、店の存続自体が危うくなるわけだし、そんな危ない橋を渡り続けてる経営なわけがないだろう、と。客から一定以上の金を巻き上げる仕組みがあるから、あんだけ繁栄もしているし社会問題にもなるんだ。

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それで思い出したけど、こないだ本屋で立ち読みした、アメリカの貧困層の事情を書いた『ワーキングプア』を読んでて思ったんだけど、日本でもワーキングプアがどうのこうの言われてるけど、アメリカでのワーキングプアと日本のワーキングプアって意味合いが結構違うよなって思った。アメリカのワーキングプアの意味合いで捉えれば、日本でそれに該当するのは、いわゆる「搾取されてる外国人労働者」であって、コンビニ店員を続けている純日本人じゃない。あーでもどうなんだろう。微妙なところだけど。微妙ってかセンチメンタルってかデリケートなところだけど。
これはもう通説ですらあるけれど、日本ほど努力が結実する社会と言うのも他に類を見ない。まあ外国知らないからネットとか本とかで得た受け売りでしかないんだけどね。(それを言うなら8割の人の主張が受け売りだが)
その過程と、変化はすごい微妙な話になるから割愛するけど、日本でのワーキングプアってのは内面的に問題を抱えている以上に単なる努力不足であると言う意味合いが強いように思う。その『ワーキングプア』って本に書いてた事例は、いわゆる人種的な問題であったり、あるいは極端に思われるほど不遇な幼少時代をすごした結果であったり、と、日本じゃそうそうねえだろって言う事例ばっかりだった。結果としての貧富の差って面で見れば同じだけどね。だからと言って内容や過程を無視して語れるもんじゃないと思うけど。
でも少なくとも、日本の場合は、それこそ政治家とか目指さない限りは相当公平に職業の自由もあるし、努力は何らかの形で結実する社会であることは(たぶん)疑いない。まあでも、仕組みがあるだけで誰もそれを利用しないんじゃ形骸だけど。民生と政治が乖離している証拠でしかないけど。
あれだ、社会が悪い制度が悪いと言うのは努力してからにしよう、ってことだ。

2007年2月1日木曜日

『声を涸らし、駆け抜ける』

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そういや昨日、仕事帰りに日本橋に寄ってWindowsVistaを触ってきますたよ。
うん、目玉である『エアロ』がどれだけ要らん機能かってのがわかった。
いや、もしかしたら隠れて高機能なのかも知れないけど、もしそうだとすると初見でわからないって意味で失敗気味w
インターフェイス的には、エフェクトが豪華になったってだけしかわからなかったなあ。ウィジェットの拡張性は高そうだったけど。
あと、ローカルサーチが検索バーとしてエクスプローラに標準搭載になってた。主にWEBに対してとセキュリティ面で大幅に強化(ていうか互換性を失くしただけのようなイメージがあるけど)されたらしいから、見た目ではわからないのかなあ。

まあ、別にコケたってわけじゃないけど、スタートダッシュとしてはかなり遅い部類に入るし、次第にVistaに移行はしていくんだろうけど、MSの主力製品がOSだって言う時代はもう確かに終わったような気がするね。

ていうか昨日情報収集していて改めて思ったけど、この業界、技術の勃興早すぎるわ。フラット化する世界ってのはすごいね、マジで。

2007年1月30日火曜日

ぐちぐち

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あーもう畜生め。
僕の管理責任だとか言われそうだが、やる気のない人間のやる気をコントロールするのはマネジメントじゃない。それはカウンセリングって言うんだ。
無気力だとか無能だとかは個人の問題であって周囲の問題ではない。もちろん、環境にある程度依存することは認める。一つの窓のない部屋の中で黙々と作業し続けることが良い環境かといえば決してそうは言わない。
だが、その反面自由は与えられている。それは、与えられた自由を行使出来ない僕らが悪いのであって、環境の所為にするのはお門違いと言うものであって、責任のなすりつけも成り立たない。
大体それなら、その自称「劣悪」な環境下でもまだやる気がある僕はどう説明するんだ。
『特別』か?都合の良い言葉だな。
それに、些かの報酬すら貰っていず、むしろ社員さんからは形とは言え労いの言葉すら貰っているのだから、諾々と受け入れる他ないのだ。
「金を貰っていないから」なんてのは遁辞に過ぎないし、大体そんなこと言うやつは金を貰っても意欲が沸く以前に義務感に疲弊してたいした仕事はしない。したとしても良い仕事では決してない。
それはとどのつまり『自主性』ってものに尽きるのだが、それを磨くのがインターンシップってやつだろう。
チームで行ってるからってリーダー責任を暗黙のうちに了解されても困る。
だから今日、僕は突然やる気を失くした風を装ってみた。すると、「急に無責任になられても困る」みたいな表情をされたが別に批判も糾弾もなく、むしろ「それならオレも何もしない」みたいな態度でキーボードを打つ音すら聞こえなくなるほどだった。
偉そうなことを言いつつも、僕自身、自分に欠点が多いとわかってもいるし、一番自分に腹が立つのは、そういう愚痴を吐くことは出来ても、学校の体面、会社に対しての面目等を考えてしまって、本人たちに何も言うことが出来ないことだ。それに、無能だの無気力だの罵っているが、そんなのは主観的なものであり、自分を基準に据えたものなので、特に僕なんかが言う資格なんてないとも思う。僕だって別の人から見たら無能かつ無気力だと捉えられるかも知れないし、逆に彼らの立場からしても、僕を基準に一般論を語って欲しくないとも思っているかも知れない。良い意味でも悪い意味でも捉えられるから、慎重に行くべきだとはわかっているのだが、それでも、なんとなく近々キツく言ってしまいそうな気がする。僕だって人間だ。我慢の限界ってやつもある。だが一応自制せねば…。言葉の暴力は誰よりわかってる。人と接するときは言葉は選ばねばならないことも。

2007年1月29日月曜日

『傷つくことが怖いかね?失うことが怖いかね?信じることが怖いかね?だからこそ私は、そんな君の、話し相手になりたい』

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何処ぞのサイトで目にしたのだが、オープンソース化が進み、各種ライブラリが豊富にある現在、わざわざ自分で一から組む労よりも、活用することに力を注ぐことのほうが生産的であり効率的であり建設的だと言う論は確かに正しいが、それではプログラムに対する根本的な理解をしたことにはならないから注意が必要である、みたいなことを言っていたが、まさにその通りだと思った。
高確率でプログラマからスタートし、まあ少なくともプログラムとは長い付き合いになるであろう僕からも言うと、既存のものを一から作ってみる価値と言うのは、実質的にそこに尽きる。HPを持ちたいならHTMLを覚えなくても今じゃ様々なツールやブログなんてのがあるし、ソフトウェアも簡易的に作るものであればウィザード形式のものがゴロゴロ転がっている。
だが、だからと言ってHTMLを覚えるのが無駄なのかといえばそんなわけはない。卑近な例で言うと自分風にHPをカスタマイズしてみたいだとか言う願望を持つかも知れないし。
それは昨今の教育批判の風潮にも相似するものがあるのだけど、と言うより普遍的な問題である「勉強がいったいなんの役に立つんだ?」と言う問いに対する答えの一つでもある。「因数分解が社会の役に立つのか?」と言う問いは、「PCがあるのに算数なんて要らないんじゃないか」って言う極端な例とほぼ同レベルであると言うことだ。これを子供に説明するときには、もっと簡単な例を持ち出すべきだが。
結果は手段を正当化する。
成人して尚、学校教育の批判以前に、勉強に対する無意味さを説いているやつは論外だが、義務が義務として成立してしまう理由を考えれば勉強が何故子供に対する義務になっているのかは考えるまでもなく自明だろう。んで、「勉強なんていらねえよ」って言ってる人の大半は、消費税を払うことに何の異議も唱えないのだろう。
「PCがあるのに算数なんて要らないんじゃないか」って言う極論は、すなわち、算数その他の学問が昇華して出来たPCと言う産物を肯定しながらも否定していることになる。原理的に見るとある種のパラドックスだな。人に伝えるのに最も適した言葉を選ぶならば、「僕らが便利だと思って当たり前のように使っているものは全て誰かの勉強の賜物なんだ」ってことだ。結局のところそれに尽きるし、これほど説得力のある言葉もないと僕は思っている。
「便利だなあ」と思って使っているものは、そうあるべくしてあるわけじゃなく、誰かが、使う人が便利だと思うように配慮して作られたものに他ならない。こういう論理はあらゆるところで通用すると同時に、この視点を失くしてしまうと本当に非生産的な人間になりおおせてしまう。

話は戻って、最終的にはプログラムを極めるよりかは情報そのものを扱う仕事をしたいと考えている僕からすれば、大事なのはどのライブラリが最も有用で、どのライブラリが最も汎用性が高く、等々と言ったことであり、どういう理屈で動いていて、だとか、どう使えばいいか、だとか言う問題は僕にとって全て瑣末なものだ。要するに、そのライブラリがあることで誰がどういう影響を受けて、何がどう変化するか、と言うことに僕の主眼は置かれるわけで、つまりはそうした視点を活用する仕事を切り開きたいと思うわけだけれど、そういう比較考察の対象に入るライブラリが全て外国のものであったりと、技術的鎖国を元気に突っ走ってる雰囲気のある祖国日本にはそういう余裕はあるのかなあと思う次第でした。

2007年1月28日日曜日

Here at last!!

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ええと、いつだっけ、もう忘れたけど5月だか6月だか7月だかに始めてコツコツ進めていたヲタななじみのP嬢との桃鉄西日本編99年が、ようやく終焉を迎えた。
なんか妙に達成感があるぜよ…!!

昼食を挟んでマリカーとかピクロスとかハルヒ鑑賞とかして、14時半ぐらいに萌え単3片手にこたつでぬくぬくと桃鉄の続きを開始。
そっから23時前までぶっ通しでやって終わらせたwwwゲーヲタ乙。



17時頃の悲劇。「?」マークに止まったら、僕の秘書が地域住民に全財産を寄付してしまった。独断で!!許可取れよ!!悪意がない分ある意味銀次よりタチが悪い!!
せっかく膠着状態だったのに、これでP嬢にかなりの差をつけられてプギャーされて、これ巻き返し不可能じゃないのか…と思って不貞腐れているところに、銀次と言う名の、神が舞い降りた。
P嬢は2兆ほど失い、これで先程の差と合わせて僕が数千億有利な立場に立ち返った。

しかしこのゲーム、持ち金が1兆を超えだすと、数千億の差が小さくも見えるのだがどうにも出来なくなる。物件を買いあさっても、どんな臨時収入を得ようとも、せいぜい一年間で巻き返せるのは1千億が限度。キングボンビーの攻撃をモロに食らっても、被害が3千億に届くかどうかと言うところなのだ。畢竟、勝敗を左右するのは銀次と言うことになる。あと「?」マーク駅。
カレーを食べながら苺ましまろを鑑賞し、バトル再開。茉莉たんは何でこんなに可愛いんだろうか。
最初は今日中に全部終わらせる予定だったのだが、なんか思ったより進むのに時間がかかって、今日中に終わらすの無理じゃね?的な雰囲気だったが、90年を超えたあたりから、むしろ終わらせないと中途半端だった。

銀次やらなにやら色々な不遇が重なり、さらに僕の持ち金が2倍になったところで戦意を喪失していたP嬢に、僕ももう少しスリルを味わいたい気分だったので、入手した『たいらのまさカード』を献上した。



P嬢の秘書は何を言ってるんだ。ぶっ転がすぞ。

『たいらのまさカード』を使用して、全員の持ち金が一律4兆円になったのが、98年の秋。総資産額では僕が3000億ほど優勢だった。
つまり、あと1年ちょい、僕は逃げ切らないといけないわけで、それは結構シビアな戦いになるんじゃないのかとUKIUKIしていたが、その3000億ほどの差を埋めるのが如何に難しいかと言うことがわかったwwありゃ無理だ。僕が銀次にでもスラれない限りは。


カクカクシカジカでエンディングを迎えた。

勝った…!(ノリス風に)

下が最終的な総資産グラフ。画像は98年だけど。



『たいらのまさカード』を使ったときのジェバンアナ(CPU)の伸び率が面白いことになっていた。ほとんど直角伸び杉ワロタwww


P嬢のスリの銀次回数が半端じゃない!!エンディングで、なんか起こったことをダイジェストで流してくれるのがあったんだけど、そこに登場する「ぬ~ん夫人、スリの銀次に○○億円スラれる」みたいな表記が年数を追うごとに額が巨大になっていって最終的に2兆スラれるとか言う憂き目にw
年の初めに、「今年は銀次の年です!社長の皆さん注意してください!」って言われたときに、
僕:「おいおい、これは注意せにゃならんよな」
P嬢:「そうよな。確か銀次が出るのって赤か青か黄のマスだけじゃまいか?」
僕:「だったかな。まあ今年は基本駅に止まるようにしないと…」
P嬢:「うむ。あ、カード売り場でぶっ飛びカード買っておくお」
(銀次中)
P嬢:「orz」
伝説的な流れだ。

ジェバンアナは、まあ1年目から99年目まで、つまり徹頭徹尾してキングぼんびーをほぼ一手に引き受けていたわけだから、当然ぶっちぎりである。
ぶっちぎりって言うかこれカンストしてるっぽくね?99でとどまるはずがないんだが…。でもその上の方は3桁ちゃんと行ってるしなあ。どういうことだ。まあジェバンニだしどうでもいいけど。

ってわけで、次は全国編を始めることにした。今回はCPU弱いのが1人だけだったのだが、今度はCPUを強くして2人に増やし、それでやってみようという話になった。戦略が必要になってくるぜ…!!
とにかくあれだ、ブックマークカードは便利が良すぎるってことだ。

2007年1月26日金曜日

『だからどうだというのだ。莫迦と勇者は命の値段が違う。君の値段は?僕のはどうだ?孤立し、今も戦闘を続けている者のは?救える負傷者を捨てていく者のは?その程度の勘定は誰にでも出来るはずだ。違うか?』

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こりゃ駄目だ僕は無能だ死んだほうがマシだorz

と思っていた某会社の筆記試験に何故か合格しておった。いくら採用枠が多いとは言え、ちょっと驚きだ。僕で受かってんだったら全員合格になってんじゃねーの?って感じ。
まあ、お次は面接。いつになるんかなあ。早いほうがいいよな。迅速に越したことはないし。
グループディスカッションとかありそうだけど、そういうの結構自信あるしな…w
一番問題だと思っていた筆記試験に合格出来ていて、なんか自信ついたかも知れない。
いいのかなあ。業界老舗で6000人超の大企業なのに。

『許しは請わない。だが、後悔だけはさせない』

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ゆとり教育見直しに異論続出=「知識より人間力向上を」-与党

もう僕がいうまでもないことだけれど、人間力なんていう抽象的で定義すらあやふやなものを高めることが知識を得ることより大事だなんて、それって精神論に近いよなって思う。たまたまそういうモラルのない人が増えてきたと感じる人が多くなって、それの煽りを受けて、さらに従来の教育を見直すって言う二兎を得るような発言をするとこうなっちゃう。
実際問題、想像や創造が0からの産物ではなくて既存のものからのインスピレーションが9割以上を占めるということを考えても、ていうか別にそこだけに頓着しなくても、「先ず知識ありき」ってのはちょっと頭の良い人だったらわかると思う。ニワトリとタマゴの話じゃないけど、好奇心が知識を喚起するのか、知識が好奇心を刺激するのかといえば、幼少の頃は前者で通るが、理性の芽生える小学校高学年以上になると完全に後者だ。そして現況の教育批判は幼少を対象にしていない。
と言うか詰め込み教育→知識偏重主義の弊害→じゃあ知識じゃなくせ、って言う腐った三段論法が非常に気に入らない。そういう問題じゃないだろと。制度の問題じゃなくて構造や風潮の問題だと思うわけだよ。時代が違う、といえば話が早いのかな。横並びの教育は先進国に求められるものじゃないってこと。
少し前に読解力が落ちてきているだとか言うデータがあったけど、あれは別に知識偏重教育の所為ではなくて、単なる習慣の問題だ。「はじめは人が習慣を作るが、後になれば習慣が人を作る」だよ。
それにしても、雑誌に書いてたがどうやら小学校での英語教育の義務化が本格化してきたそうだな。
今度の選挙の争点は「教育」と「労働」にあるのかな(教育基本法はこないだ改正されたけど)。おやおや、こいつは憲法で定められた国民の三大義務のうち二つに関することじゃないか。まったく激動を感じさせてくれるね。


たとえばこいつはシビアな問題なのだけれど、「平等な教育」と言うのは、万人に一律の教育を施すことなのだろうか?
あるいは、能力の差を慮って、その能力に見合った教育を個別に施すことなのだろうか?

2007年1月24日水曜日

『戦争と平和にどんな違いがあると言うの?違うのは一つじゃなくって?』『確かに。しかし普段ならば傷つけただけで罪に問われるような高級品が特化大廉売されるというのは、よほどの大違いである、と僕はそう判断いたします』

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PS3システムソフトウェアVer.1.50にアップデート――「Edy」での入金に対応

くるとこまで来たなあって感じ。
しかしそれはまだ始まりに過ぎなかったのである…(謎


SII、ダウンロードした英語小説や辞書などを利用できる電子辞書を発表

なんでUSB1.1なんだろう


エンジニアのやる気は報酬だけじゃ維持できない

非常にわかりやすい構造的問題。悪者がいないのに憂き目を見る人がいるという好例。
1つの解は、前述の「多くのエンジニアは、ほかに技術的興味や、メンバーとの親愛の情、あるいは顧客や仲間の評価などをモチベーションの源泉にしている場合が多いようです」ではないかと考えています。

ここで少しゲンナリ。結局精神論かよ、と。それが思いつく唯一の解であり、この構造的な問題が「仕方のないこと」であるなら、時間と金銭を引き換えに仕事をしている人を半分以上否定していることになる。やる気は大事だが、結局それを盾にされると「見合わない報酬」が正当化されることになる。よく言われることだけど、日本には正当な評価システムが存在しない。今まで年功序列だったから。欧米の評価システムは取り入れられないそうだ。文化の違いがとても大きいから。
てわけで、しばらくは迷走確定ってわけだ。


教員免許「国家試験」化を検討課題に

大変だな。でも質の高い教員が出来ると良いね。
質と量のバランスを慮ってのことだろうけど、実際に導入されるとなると『虻蜂取らず』って叫ばれるんだろうな。
教育改革の折り返し地点となるか、はたまた対症療法的な改悪に終わる結果になるか…。


電通とエンターブレイン、「オンラインゲームに関する意識調査」結果を発表

一番上の記事とちょっぴり関係してるけど。もう何事につけオンライン化は避けて通れないな。

電子政府がなんだの叫ばれて五月蝿いが、自治体レベルから導入してみたらいいのに。ていうか、電子マネーが何かの理由で爆発的に普及するようになれば、実質的に電子的に人間を囲うことも不可能じゃなくなるな。

Firefoxの時代だ

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zoteroを導入してみた。
これは…良いな。見ているページのスナップショットや、ブックマークとは似て非なるタグ付けによる参考URL管理が最高だ。
ブックマークはいわゆる『お気に入りURL』を保存するものだが、これは一時的な情報参考場としてのURLを保存するものなので、似ているようで意味合いが大きく違う。
物品、例えばCDやDVD、書籍やテレビ放送等々、様々なカテゴリに分かれたアイテムをアイテムとして参考程度にとどめておくことが出来る。
また、amazonとも連携していて、何かを参考しているときにアドレスバーに出るアイコンをクリックすると、その品物に対する情報がアイテムとしてクリップされる。

便利だなあ。でもノートPCにも同じ情報をクリップしておきたいんだけど、その辺はさすがに無理なのかな。WEB上で共有できれば便利なんだけど。
ていうかもうIEもスレイプニルも使わないな。FirefoxのExtensionが最高すぎる。動作が軽快だし。

2007年1月23日火曜日

この携帯使い始めて何気にもう2年以上経つんだよな

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聞けば聞くほど、ヤバイぐらいのスルメアルバムだということがわかる。
特に、Tr.1の『朝の夜の物語』のソロ前のフランス語の部分は脳汁が垂れる。涙がでひゃううぅぅぅぅぅぅ。
あと、Tr.6の『緋色の風車』の世界観が一番好きかも知れない。
廻る回る《緋色の風車》(Moulin Rouge)綺麗な花を咲かせて
躍る踊る《血色の風車》(Moulin Rouge)綺麗な花を散らせて

小さな掌に乗せた硝子(ガラス)細工
其の宝石を『幸福』(しあわせ)と謳うならば
其の夜の蛮行は時代にどんな爪痕を遺し
彼等にはどんな傷痕を残したのか
運命に翻弄される弱者の立場に嘆いた少年は
やがて『力』を欲するだろう
其れは強大な力から身を守る為の『楯』か?
其れとも より強大な力でそれをも平らげる『剣』か?

何が起こったのか 良く解らなかった
泣き叫ぶ狂乱(Lune)の和音(Harmonie) 灼けた屍肉(にく)の風味(Saveur)
何が襲ったのか 良く解らなかったけど
唯ひとつ 此処に居ては 危ないと判った
僕は一番大切な《宝物》(もの)を
持って逃げようと → 君の手を掴んだ

嗚呼…訳も解らず息を切らせて走っていた二人
欲望が溢れだすままに暴れて奴等は追い掛けてくる

( 「はっ」 「はっ」 )

星屑を辿るように森へ至る
闇に潜んだままで訳も解らず息を殺して震えていた二人
絶望が溢れだすことを怖れて強く抱き合っていた――

不意に君の肢体(からだ)が宙に浮かんだ

(「あああ…」)

怯え縋るような瞳(め)が ← 逃げ出した僕の背中に灼きついた

(「にげて、あ…」)

狂おしい《季節》(とき)を経て…少年の《時》は流転する
廻る回る《緋色の風車》(Moulin Rouge)灼けつく《刻》(とき)を送って
躍る踊る《血色の風車》(Moulin Rouge)凍える《瞬間》(とき)を迎えて

嗚呼…もし生まれ変わったら 小さな花を咲かせよう
ごめんね…次は逃げずに 君の傍で共に散ろう

(Moulin Rouge)

(其処にロマンは在るのかしら?)

『次は逃げずに 君の傍で共に散ろう』
こういう言い回し大好きだ。
なんかオレンジレンジの『花』でも似たような歌詞があったが、あれは確か『君の傍で咲きたい』とかそんな肯定的な歌詞だった。
しかし、これは『君の傍で共に散ろう』だ。もうこの微妙なニュアンスがたまらんね。
草野さんがこういうニュアンス出すのすごい得意なんだけど、それに通じるものがある。一筋縄じゃないような、そんなちょっとひねくれた歌詞が僕は好きなのだ。

+++

携帯の電池が段々持たなくなってきたので、そろそろ機種変更をしようと考えている。
でも、今使っているPreminiⅡは僕の中で最高傑作に分類されるほど洗練されたデザインを誇る携帯なので、そう簡単に手放したくはなかった。
少なくとも、これに勝るとも劣らない程度のデザインを持つ携帯に買い換えることは必須だと思えた。
そして、先程アホみたいな顔面をして何気なくDoCoMoのサイトを見ていたら、2月発売のD703iが僕の心にクリーンヒットした。
見事にスティックタイプ。飾らず、小さく、そして最も薄い。
機能的に少し問題がありそうだが、そんなことはどうでもいい。モバイルはデザインが大事なのだ。
よって、3ヶ月以内に機種変をするときには絶対にこの携帯にする。
現在のPreminiⅡは生産台数が少ない上にかなり人気だったために何処でも品薄状態で、姉と一緒に7~8店舗回った記憶があるので、今度もしっかりと店を回って在庫状況を確認しておくことにしよう。
出来るならば、フルブラウザがついていたほうが嬉しいのだが、まあDoCoMoだしあんまり望めない。
スケジュールとかToDoとかって、もう全部リマインダ付きのWEBサービスとかウィジェットを使って共有したりしてるから、携帯のメモ機能とか全然使わんのよな。まあメールと電話さえ出来ればいいんですけど。あと、メールは最大文字数がたっぷりあってほしい。500文字ごとに切れる仕様はもうやめてほしい。

2007年1月22日月曜日

圧倒的じゃないか我が軍は、とか言いたい

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スタクラとか戦国ランスとかしてて思うんだけど、僕は対人戦には結構ギリギリのキワドイ戦いを好むにも関わらず、それがこと対CPU戦になるとそんなギリギリの戦いをすることは恥だと考えるようになる。
昨晩Eとスタクラをしたのだが、島マップで、それはもう通常の地上戦に比べると相当難しい。
島は地上とは違って、ハッキリと領土ってのがあるから、守るにしてもそのわかりやすい境界線を守ればいいだけだし、逆にだからこそ攻める側はやりにくい。「そこを突破しないと」って言う考えしか抱けなくなるから。また、島が篭城戦に向いてるのは周知の通り。島である以上、そこに攻めうる方策は自然、3つほどに絞られる。

1:遠距離対岸攻撃
2:輸送上陸攻撃
3:空爆

1のメリットは、こちらが一方的に攻撃出来るということである。デメリットは、それだけでは勝利をもぎ取れない。つまり、その後の攻撃への「つなぎ」と言う位置づけに他ならないというところだろう。
2のメリットは、生きる前提があり、それはつまり、我軍の兵力が彼軍の兵力より上回らねばならない、ということだ。その前提があれば、輸送さえ成功すれば勝利に直結するという単純な結論に至る。が、2はデメリットやリスクがべらぼーに高い。先ず、輸送が成功するかどうかと言うところである。対輸送の策を練られていれば、その作戦は惨事を迎える結果以外を導けるわけがなくなる。スターリングランド戦線の被害を見れば一目瞭然である。次に、輸送はある単位に分けて通常行われるものであるため、輸送直後の兵力と言うのは、通常行動する隊と比べて少ない可能性が高い。現象的に見れば輸送と言うのは逐次投入に他ならない。大量の輸送を同時に完了できることが難解を極める以上、上陸したと同時に狙い撃ちにされることはほぼ覚悟せねばならず、それ故に我軍の兵力は彼軍の兵力を質量共に圧倒しておかなくてはならないという結論になる。
3のメリットは、少ない被害で最大の戦果を挙げられるというところだろうか。空には境界がない。あるのは地からの迎撃だけである。それを超えることが出来れば、それこそ本陣の重要陣地を好きなだけ蹂躙することが出来る。スタクラでは、固定砲台と言うものがあり、それがいわば対空砲台となるわけだが、これを超えられるとたまったものではない。

諸々の条件を全て互いに把握しているものだとすれば、勝利を左右する唯一の要因と言うのは「読み」に尽きる。相手がどの条件をどう生かして、どのリスクを負って行動するのか。それを裏付ける行為が偵察である。相手の行動が読める以上に、勝利により近いものは存在しない。だから対CPU戦は面白くないのだ。こっちの動きに合わせて行動を変えてくるのがわかっている、つまりこちらが一方的に条件を与えたり奪ったり出来るためだ。所詮はプログラムと言うべきか。スタクラだけでなくても、CPUの動きはほぼ全て読めるので対CPUに対しては圧倒的に勝って当然、と言う頭があるのだ。

だから僕は読み合いに頭を使う対人戦が好きだ。

『其処に浪漫はあるのかしら』

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茶汰君からこの漫画の概要を聞いて興味が沸いたので購入。
舞台は、謎の魔物が突然発生し、人類が窮地に瀕しているというガンパレっぽいもの。
人類の対魔物兵器として開発された特殊能力を持った人が、主人公の少年と少女なのだが、少女は笑顔を向けることで能力が発動し、対象を破壊する。逆に言うと、笑顔を向けた相手は有機物であろうと無機物であろうと破壊してしまうので、魔物以外には基本的には笑顔を向けることが出来ない。
と言う設定で、特殊能力を持った二人は世界を救うことが出来るのか!?みたいな話なのだが、読み終わってから、短編にしておくのが勿体無いと思った。この設定だったら6~7巻ぐらいはマンネリせずにいけそうなのに…。実に惜しい。まあ短編と言うこともあって普通にサックリ読めて面白いのでお勧め。

+++

学費納入すてきた。おかげで預金は空っぽさ。ハハハ。
しかし、これで学費と言う大きな肩の荷が下りたわけだ。せいせいした。実際のところ、こうしてみるとなんか金の管理に関して自信が出てきたなあ。さて、次の目標は……

2007年1月15日月曜日

『人は過誤から決して逃れられない。過てば義務の不履行を糾弾され、名誉にもとると非難される。』

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ポータル各社、「口コミ型」へ変身急ぐ――ミクシィに対抗

大手は大変だなあ。でもmixiが急成長と言うのは僕としては違和感。むしろもう頭打ちの段階に入ってきていると思うんだけどね。
一方向型情報提供から双方向情報提供・双方向交流へとほんの5年ぐらいの間にWEB2.0って言う言葉が台頭するほどの進化を遂げたわけだが、じゃあ次は何なのかって言うと、僕はリアルへの介入じゃないかと思っている。ああ、いや、この言い方には語弊があるな。ネットとリアルの境目を意識させない、と言うところかな。現在はまだまだ厳として『世界』としての違いがある。ネットを、リアルへ繋ぐ道具とするのか、リアルを扱う道具とするのか、はっきりしないことには境目はくっきり残るままだ。
インターネットユーザが、それもネットリテラシーのそこまで高くない人ほどリアルでの付き合いを求めることに貪欲と言うところ(こういうのは何だが、ネットトラブルの大半は不可抗力以上に自己責任で終わることの出来るものが多い。慢心。勘違い。)に付け込む企業は、次に『場』を提供し始める。双方向交流がここまで当たり前となってるのを安々と見逃す手もない。むしろもっと安全な形での交流を提供しようと言うのはある種必然。先ず現状を鑑みると、交流が始まってしまえばそこからは完全にユーザ任せ。オフで会おうが会うまいがユーザの自由。それがメリットになる場合ももちろんあるし、それを悪用したものがあるのもまた事実。じゃあ、そのデメリットが大きいからと言う理由が交流の妨げになっているという面もあると言うならば、そこに安全性を提供しようとする企業が現れても不思議じゃない。『社会貢献』と言う意味合いからしても、例えばとある地域、とある地方、そういう地理レベルでの結びつきを促進することは決して外聞は悪くない。しかし現状ではそれは完全にユーザ任せなので常に危険が付き纏う。『公式オフ』のような形にするしか今は道はない、と言うのもネットユーザ同士のコミュニケートが基本的にネットである以上は、それしかないのだ。…具体案もあるにはあるが、僕の中でまだ熟成されていないので言うに憚る。ぶっちゃけ言うと、出会い系サイトとの違いをはっきりさせないといけないということが問題だ。極言すると、出会い系サイトから非合法性を除去して理論武装すれば、それに勝る普遍的ビジネスなんてねーよなって思う。風俗ってのは現在じゃほとんどの人のモラルに反するけど、あれほど歴史ある必要不可欠な職業も珍しいからな。風俗を完全に取り締まって滅びた国もあったような気がするし。必要悪と言うならあれこそ必要悪だ。まあ別に悪じゃないけど。
話逸れそう。要するに、WEB3.0なんてものがあるとしたら、それこそネットワークとリアルの境界を限りなく薄くするインターフェイスじゃないのかと思う。行っちゃいけない過ちは、現状のビジネスをネットに置き換えれば、それが新ビジネスだと思うことだ。そんなことはもうインターネット黎明期に終わったんだ。
でもあれだな、WEB系エンジニアと言う道を選んだのは間違いではなかったと思える。5年ほど前まで、静的コンテンツ時代のWEBエンジニアと言うのはそれこそHPを作るだけの存在だったけど、今は違う。HPを作る以上に『仕組み』を作ることが出来る。それも、社会現象を巻き起こせるだけの仕組みをだ。これほど想像力を掻き立てられることもない。

2007年1月14日日曜日

『ほう、表現の自由は、思想の自由よりもテリトリーが狭いというわけですな。さて、自由民主同盟の自由とはどちらに由来するのですかな』

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大河ラノベ第一巻、『刀語 絶刀・鉋』読了。ボリュームが230P程度だったので2時間くらいでサクッと読めた。
相変わらず設定が魅力的だなあと思いつつも、時間がないのかどうかはわからないけど非常にラノベラノベしてるところがちょっと勿体無いと思ったり。まあ西尾維新はあの人自体そういう人だから、惜しむところでもないけど。
ていうか竹さんのイラストが非常に微妙になってきたんですが…『ネコソギラジカル』あたりからおかしくなってきたぞ。

『敗北の結果として到来する平和より、勝利の結果として掴み取る平和の方が、自分の希望がより多く叶えられるだろうと”期待”出来るからであった。つまりは、人間とは即物的であると同時に功利性を重んじる動物に他ならない』

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iPhoneが日本で発売されない理由 -閉鎖的携帯電話市場「日本」とGSM

この大変面白い記事を読んで、僕は真っ先に『鎖国』を連想した。技術的鎖国とでも言おうか。各携帯キャリアが意識しているしていないに関わらず、シェアと利益を確保することだけに捉われて、技術的・機能的には成熟したものが生まれたには違いないが、こと『拡張性』『汎用性』と言うことになると非常に薄っぺらい感じがする。市場調査をして、イニシャルコスト・ランニングコストを算出、最終的な利益が見込めるかどうかで新技術導入に踏み切ってるようなイメージがある。DoCoMoが二番煎じだといわれているのは単に『後の先』を取り、シェア的にもまだトップでい続けられる自信があるからなのだろうか。僕は、日本国内の携帯会社の現在の勢力図には、本当に鎖国的なものを感じる。

関連して、僕と同様に鎖国イメージを持った人のとあるブログに以下のような面白いリストがあったので紹介しておく。

  1. 宣教師ゲイツ来訪

  2. 鎖国強化(MSのCodecを使わないなど)

  3. 産業革命を知らずに過ごす

  4. 黒船来航(1回目 iPOD)

  5. 黒船来航(2回目 iPhone) ←いまここ

  6. 開国調印

  7. 大政奉還

  8. 武士失業


ここでは、鎖国をぶち壊す黒船としてAppleを槍玉に挙げている。
が、Appleはただ再開発を行うだけ。ただ、そのインパクトがとてつもないと言うことだ。
同日別地で開かれていたCESでの数々の次世代家電商品が、iPhone・iTVと言うたった二つの商品に話題を軒並攫われていることからも、この二つの商品が如何に桁外れなものかわかると思う。とある人は10日のことをこう言う。『世界の家電メーカーが力を合わせても、Apple一社に勝てなかった日』と。

iPhoneが日本で発売されるまで相当な時間がかかると読んでる人は多いが、その理由が通信規格の問題である、とそういうわけだが、単純に考えて道は二つある。
1:iPhoneが日本の通信規格に対応させた状態で上陸してくる
2:1の前に、日本のキャリアがiPhoneを模した携帯を発表する

2はなんか結構ありそうな話、と言うか実際にiPhoneが普及しだしたら、確実に各携帯会社は便乗しなくちゃいけない状況になるとは思うが、どうせならiPhoneが上陸する前にやっておいたほうが戦略的には上々だと僕は思うが、問題がある。OSだ。
iPhoneには、MacOSXが乗っている。これが、Appleのうまいところだと思う。MSとはまったく違うところでOSのシェアを奪還しようとしている。
日本の携帯会社はこの点をどう見るのか?国内で独自OSを400億程度で開発しようと言う国家プロジェクトがあったが、あんなのはシグマプロジェクト同様頓挫するに決まってる。大体オフラインOSを今さら開発したところでどうなるんだ。本当に何もわかってない。
Appleと提携して、既存の携帯にMacOSを載せるならばまだ賢明だと思う。が、なんとなく今の風潮からして、国内携帯企業が協賛して、『モバイルOS』なんて作らないとも限らない。Appleと対抗しようと言う意思表示に他ならないが、それに載せるのがLinuxならまだ良いが、これまた独自規格で作るなら、それはもう見限ったほうがよろしいな。

2007年1月13日土曜日

チョコラータの到着か!

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カエル殺すカビ日本上陸、流行すれば絶滅の危機も

これなんて『グリーン・デイ』?(※ジョジョネタ)

時代の価値観

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先日、僕と母と甥の3人で飯を食っていて、母が携帯の操作に関しての話をしてきたついでに、僕がiPhoneってやつが出てだな、と言う話をした。
僕は、iPhoneにはボタンがなくて、画面しかなくて、それで操作するんだ、ってことを言った(僕はこういう風に、あえて説明を少なくして想像力を見ることがたまにある)。
母はどういうことだという風に理解出来なかった。
僕は専門分野でないにしろ畑であることには違いないので割愛。
甥は「DSみたいにするん?」と想像した。ていうかDSはボタンあるんだが。まあでも大体あってる。ペンはないけどね、と僕は補足した。
母と甥の年齢差は約50。時代の価値観ってやつが如実に出ても不思議でない年齢だ。
母は戦後、いわば団塊の世代に生きた人である。僕はバブルがはじけた後の不況のときに学生時代を過ごし、現在の「実感なき好景気」時代に社会に出ようとする人間である。甥は教育論争が全国的に巻き起こり、少子化の煽りをモロに受けるであろう世代の人間だ。
まるで歴史小説の中の登場人物のように、こう俯瞰してみると、時代ってのが感じられて面白い。
僕は甥に、「英語だけはしっかり勉強しておけよ」と言うぐらいしかアドバイスが出来ないけれど。少なくとも、甥が小学校を卒業するまでには、週休完全2日制は撤回されてるだろうと予想する。お偉方が相当な国粋主義者でない限り、英語教育により力を入れるようになるだろうことも。また、中学校に上がったときにクラスに何人かは外国人がいるのが当たり前だというようなことになるというのもあながちフィクションの世界ではない。
中国に労働資本を移した大企業では、今までは日本語で指揮を執っていたのだが(採用される側の中国人の前提能力として『日本語理解』ってのがあった)、現在ではもう殆ど英語にシフトして行ってるらしい。理由は色々あってそれぞれが複雑に絡まっているけれど。
僕が最も注視すべき問題は、そういう、労働力の質量共の流動・変動だ。国内では正社員が減少し(これは不況の煽りを受けただけって見方もあるけど)、非正規社員の割合が多くなっている。労働資本は、安くて数が多くて質の高い中国やインドへ自然に流れる(インターネットの発展がそれを手助けしている)。中国・インドの総人口で世界の1/3ほどになるしな。
とまあ、こういうことを言うと、必ず「実際はそんなことないから」と反駁してくる人が何人かはいるのだが、僕から言うと「それはあなたの周囲での話でしょ」と言う感じだ。好景気だと数値でも示されてるにも関わらず実感がない、それの相似だということにそう言う人は気付かない。大体、本当に実際はそんなことがないんだったら、わざわざ社会問題として取り上げられもしない。まあ確かに、僕が上記で書いた「注視すべき問題」ってのは僕の主張や意見じゃなく「見方」に過ぎないけれどもね。とある中小企業で働いてる人にとって見れば、その「見方」は実生活に即さないわけだから一笑に付す価値があると言うわけだ。正しい間違ってるってのはその見方が違うだけであって、善悪二元的なものでもない。僕はその見方を支持する。他の人は別の見方を支持する。それでいいじゃないか。
専門学校の友人の多くは、「いいなあ、大学生は遊べて」と言う見方をしている人が多い。この見方は面白いと僕は思う。専門学校生には大きく分けて以下のタイプがある。
1:大学生になっている友人がいない
2:大学生になっている友人はいるが文系だけである
3:大学生になっている友人はいるが理系だけである
4:自身も過去に文系の大学生だったことがある(僕がこれに当てはまる)
5:自身も過去に理系の大学生だったことがある
厳密に分ければ、大学のランク等も関わってくるがこの際は無視する。
①の人の言うそれは、あくまで、大学にたいして持つイメージや理想に過ぎない。
②の人の言うそれは、あくまで、友人に聞いた話でしかない。
③の人の言うそれは、あくまで、友人に聞いた話でしかない。
④の人の言うそれは、あくまで、自身の体験談でしかない。
⑤の人の言うそれは、あくまで、自身の体験談でしかない。
②と③、④と⑤、それぞれの間にはちょっとした注釈が必要だと思う。
その前に先ず僕の解釈から言うと、理系は文系に比べて圧倒的に忙しいということだ。4年と言うタイムラインで観たときも、僕が周囲から聞く限り、文系と理系では学校に行く時間が、時間軸が流れるに連れて反比例する。最もこれも個人差があるために総論ではないけど。
そういう解釈を踏まえて言えば、②③の友人に聞いた話でしかないのに「大学生は遊べていいなあ」と言うことは、②の場合はその友人の現実なのかも知れないし、③の場合はその友人の現実ではないにしろ、「大学生」に関しての世間のイメージをそのまま言っているだけなのかも知れない。


あーつまらん分析だ。僕が学歴コンプレックスみたいに見えるからこんなのは止めだ。高校時代の友人なら感じていると思うが、僕はむしろ学歴主義から真っ向から反対するタイプの人間だ。17歳ぐらいのときから学歴主義はこれからの時代にそぐわないと思ってきた。その頃には雑誌で「大学全入時代突入」ってこともひそかに言われていたし。だから、僕が大学を辞める決意した(一応蛇足的に言うが大学に入る前に大学を辞める決意をしたのだ)のは一種の賭けだった。大学に入学し卒業することが当たり前になってしまえば、「大学も出てないの?プギャー」と笑われるか、あるいは、大学そのものの存在意義を見直すような時代になるか、のどちらかだと思ったからだ。そして、僕はその頃から4年間遊び倒すような人のことを知人から多く見聞きしていたので、「そんなのがスタンダードになるはずがない」と思って、後者を支持するようになったのだ。もし僕が何らかの理由で前者を支持すれば、大学はちゃんと卒業していただろうね。でもその理由がなかった。むしろ思いつく理由は、全て後者を支持させるに足る理由だった。それが、後者を支持したいがために正当化した理由じゃないのかといわれると難しいところだけど。まあ、高校生のときの浅はかな思考だ。

学歴の価値暴落 東大卒「割に合わない」

それに大体学歴ってのは一種の偏見に他ならない。学歴が高いから有能になるんではなくて、有能な人に学歴高い人が多いというだけで。『知性と知識を履き違えるような…』と言うやつだな。僕は知性がないので張子の虎になることは止めた。学があれば小うるさく感じるし、学がないと馬鹿にされる。ジョン・レノンもこう言ってた。『賢いと嫌われるし、馬鹿だと軽蔑される』。『否定されない人間などいない』ってやつだ。アダム・スミスも『自分の道を進め。批判は他人に任せろ』って諧謔たっぷりに言ってた。気にしちゃ何も出来ないよな。『いわゆる優等生タイプは好かれはするが距離を置かれ、何かが欠如した人ほど愛される』と言う皮肉な言葉もあったしな。後悔しない人などいない。万能の人もいない。けど自分への自信や正しさを持つことは、片足を狂気の世界に突っ込んでいることと同じだ。僕?僕はどうか?唯一いえることは、僕はたぶん致命的な間違いを犯しているということだな。

2007年1月11日木曜日

『何が襲ったのか よくわからなかったけど 唯一つ ここにいては危ないとわかった 僕が一番大切なものを持って逃げようと、君の手を掴んだ』

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毎月一冊、規定の作家の新刊を出し続けるというぶっ飛んだ企画を始めた講談社から、今月もまた僕が買うべき本が出た。それが上記の2冊の本だ。奈須きのこさんと西尾維新さん。前々から楽しみにしていた本なので、これは積読リストには含めず、優先的に読破することにしよう。幸い、ボリュームが少ないのですぐに読めそうだ。最も、月一でボリュームが400P程度あったら、講談社は計画殺人として訴えられることになるだろうが。

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IT系業務と言うと、とかく『論理的』であるとか思われがちだが、ちょっとインターンシップで仕事を体験した僕が感じるのはそういうものではなくて、どちらかと言うと『想像力』がモノを言う仕事だと感じている。コンピュータと言うことから、単純にそういう理系ちっくなことを連想させるのだろうが、論理的な部分といえば、それこそデータフローを考えることに他ならない。大体そんなのは、どんな業務にも当てはまることなので、もはや理数的ですらないのが現実なのだ。むしろ、もっと言うならば、現在のコンピュータを使う業務なんてのはほとんどが旧来の業務の置き換えに他ならないのだから、なんてことはないのだ。プログラムなんて、誰だって出来る。出来ないのは、プログラムと言うものを概念として想像できない人だと僕は思っている。論理性なんて必要ない。
最も、問題を解明するときには多大な論理性が必要とされるのだけれど。

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日本の携帯企業は、他社との差別化を図るあまり、オープンソースと言う技術的な時代の流れを無視して独自規格に走りまくり、おかげで、海外で主流になりつつあるものを導入するのにも一苦労だということになっている。
先日発表されたiPhoneなんかは、それこそ携帯自体が変わってしまうようなインパクトを秘めたものだけれど、ああしたスマートフォン的な技術は日本では生まれにくい。ハードからソフトまでがキャリアによってほぼ占有されてる状態だから、外部アプリが載せにくいのだ。たぶんね。あ、でもウィルコムは違うな。あそこは結構先見性ある戦略とってると思うけど日本市場ってので苦戦してるのかな。まあ、それでも流石にオープンソースな流れになってきてはいるけどね、日本も。
他の民族がどうなのかは知らないけど、日本人って結構精神論多用するよな、って思う。

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「これからの情報過多時代に、子供には何をどう教えていけば良いのでしょうか!?」
みたいな質問が、教えて!goo!だかOK Waveだかにあって、その返答の一つに
「石器時代の人が"最近の若いもんは青銅器ばっかり使って…"と嘆くようなもので、心配するのは自分たちの時代の価値観に侵されてる証拠ですよ」
みたいな切り返し方をしているものがあって面白かった。こういうユーモア良いなあ。

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スタバに行ったら『ホワイト・チョコレート・モカ』ってのがあって、見知らなかったので頼んだら、究極に美味かった。程よい甘さがたまらん。トールサイズで410円はちょっと高いけど、飲む価値もある。しばらくハマりそうだ。

メイドロボ?

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お茶をお持ちします…「お手伝いロボ」東大が公開

なんだこのレイズナーみたいなメイドロボは。

2007年1月9日火曜日

『愚か者とは、過ちを犯す者のことではないの。過ちと知って尚、正そうとしない者のことを言うのよ。…そうでしょ?』

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國府田マリ子の『PURE ENERGY』は結構名盤かも知れないとおもた。
Tr.3の『心の矢印』が良い。歌い方が素敵だ。

なんか急にままにょにょ熱が再燃して、朦朧とした意識の中でレベル上げに勤しんでるわけだが、カバッハーンが仲間になったときにテンション上がった。コレットが攻撃されるときの、泣きながらお菓子を投げてるチビアニメーションが萌え萌えで仕方ないぜチクショウメ。


2ヶ月ぐらい前にまとめスレで読んだけど、これはスレ住人の反応が相乗効果で面白いんだよな。本屋でちょっと立ち読みしてみたけど、スレ的なコメントがないと、ただの詩集になっちゃってる。シュールには変わりないけどさ。僕的にはコメントを載せて欲しかったところだ。ところでこういう風に簡単に出版にまで漕ぎ着けれるようになってる時代ってのは考えものだね。と言うのは、手法が簡単になってしまえば当然のように供給過多になってしまうからさ。誰もが簡単に出来るんだったら、そりゃあ誰だってやるさ。出版業界の趨勢がどのようなものなのかは無知な僕には及びもつかないところだけれど、昨今の簡単にポンポン出版されてる状況を鑑みれば、頭打ちになってないのかと危惧するに充分なのだ。

ところで昨晩ビデオ予約したはずのデスノートが録画されていなかった。
今僕の手元にデスノートがあったら確実に「水上直也 豆腐の角に頭をぶつけて…」と書いてる。
こんなお茶を濁したような書き方をしたら一体全体どうなるんだろうか。あるいは冷蔵庫の豆腐に角がなかったら?豆腐の角に頭をぶつけて死ぬのが現実的でない時点で単に心臓麻痺になっちまいそうだけどな。でも、『マジカル☆タルるーと』の8巻だか9巻で、言ったことが本当になってしまう首輪をつけた両口屋が、本丸に向かって「豆腐の角に頭をぶつけて死んじゃいなさい」と言った直後、「ぷにゅ」と頭をぶつけて即死したシーンがあったが、あんな風になるんだろうか。そう考えるととても間抜けだ。

2007年1月7日日曜日

『そして 僕に才能をくれ』

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1/2

学友の一人と茶汰君の家へお邪魔して、夜を徹してベラベラと喋っていた。
しょこたんの出ている番組を観ていたが、展開がちょっとグダグダっぽかったので他の番組でも見ようとチャンネルと変えると、洋画しかやっていなかった。ちょっとすげえ!
2時間ほど仮眠を取った後、茶汰の体調が激変。そのまま日本橋に行く予定だったのをキャンセルして、学友と一緒に家を出て茶汰を休ませ、びっくりラーメンを食べて帰った。

1/3

学友と別れて家に帰り、両親が不在だったので犬の散歩に行き、帰って友人と新年初スタクラをした。
何か食べるものを買ってこようと思ったが、睡眠不足のためか食欲がなかったので近くにあったものを食べて、すぐ寝た(不摂生

1/4

普通の休日

1/5

朝4時に起きて、18切符の余りを持っていたDと、岐阜は飛騨高山までぶらり旅に行ってきた。
雪はほとんどなかった。
正午頃に下呂温泉にて小休止、飛騨牛の串焼きが異常にうまかった。
15時前に高山に着いて、街を散策しながら名物を食べ歩く。飛騨牛うますぎ。ヤバイ。
20時ぐらいに岐阜で夕食を摂り(この日では唯一のまともな飯)、ちょうど日付が変わるぐらいに家に帰ってきた。
風呂に入ったあと、倒れるように寝た。

1/6

9時に起床し、11時に家を出て、正午に全員集合。
年末にちらりと書いた『口悪すぎワロタ』グループの新年会である。
マクドで軽く昼飯を食べて、ジャンカラに入る。
目的は
トランプ
である。
歌いながら大富豪と言う面妖なことを約5時間ほど成し遂げ、18時に居酒屋に入って晩飯。
20時に店を辞去し、ROUND1へ。3:3に別れて対戦をした。一方のグループはほぼ素面だったのだが、もう一方はへべれけで、相当酷いスコアだった。
22時にROUND1を出て、二人ほど帰ったが、残りは僕の家へ。
鳥取に帰らねばならないやつが30分ほど仮眠を取って、6時半に帰った。残り3人のうち1人は割りと炬燵で寝ていたが、残りの2人(僕も含む)はまったく一睡もせず9時まで起きていた。
と言うかこの日はすごい風だった。おばあちゃんとかが外に出たら、その風に乗って海外旅行が成就されそうな程に。
9時に残りの2人も帰り、僕も一応寝ておくことにした。そして起きたら今だった。

そして今まさに、「今から新年会でオールして遊ぶんだがどうか」と電話がかかってきたんだが、丁重かつ乱暴にお断りした。2日連続で徹夜とか神になれる。ていうか新年明けて1週間の内に徹夜で遊ぶのが3回あると言うのはちょっとアレだった。まあ断ったので2回で済んだが…一週間で2回と言うのもなかなかのハイペースだ。
30日から数えると1週間で3回になるけど。

僕がまだ大学生だった頃、予定が重なって3日間フル活動したことがあって、あのときは信号機で立ち止まった瞬間に意識が飛んでしまったから、もう無理はしまいと決めたんだ…。

簡潔に書くとここ数日はこんな感じだったのだが、充実したというかなんつーか。楽しかったね。年末年始で徹夜して遊ぶ日が多かったためか、なんか朝8時ぐらいまでだったら元気に遊べるようになってしまった。否、たぶん48時間活動し続けることも今じゃ出来そうな気さえする…!2日完徹は無理だけれど。

2007年1月2日火曜日

Cryptozoology

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姉が超お勧めしてきた『SUPERNATURAL』を観ている。
これは、タイトルの通り超常現象を扱う海外ドラマで、母親を悪霊に殺された二人の兄弟が、失踪した父親を追う途中に様々な事件に出会う、と言う話なのだが、そのベタなストーリーにも関わらず、非常に面白い。系統としては悪魔祓いに近い。
2話で出てきたWendigoと言う怪物は、ネイティブアメリカンの民間伝承で実際に言い伝えられている話だったり、民俗学好きにとっても結構骨のある内容となっている。

最近の海外ドラマは面白いな…。『TRUE CALLING』も早く観たいし、『PRISON BREAK』も一応観ておきたい。あと『4400』と『LOST』も。

2007年1月1日月曜日

寝正月

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明けましておめでとうございます。出来たら本年もよろしくお願いいたします。
今年は僕の干支の年だ。縁起が良いな。

しかし昨晩の『ガキの使いやあらへんで!』の24時間耐久罰ゲームは最高に面白かった…3時間笑いっぱなしだったから両親が不審に思ったぐらいだ。ズーズー弁が面白すぎるwwww

2006年12月31日日曜日

『”また会おう”と言った 道の上』

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実に楽しい晦日大晦日だった。
仲の良い高校時代のやつらと毎年やってる忘年会。仲が良くて年に何度か集まって遊んでいる高校時代のグループは2つある。あえて見分けをつくようにすれば、今回集まったのは『オタク的理系グループ』であり、もう一つ、つまりDやEなどがいるほうは『口悪すぎワロタグループ』である。
『口が悪すぎワロタグループ』に関してのほうはどうせ新年会が終わったあと書くことになるので今は省く。
『オタク的理系グループ』は、その名の通り全員理系なのだ。

僕 以 外 な 。

7人いる中で僕だけが低学歴文系脳で、その他の4人は院生、今回来れなかった1人は半?社会人で、残り一人だけ院生でもないが大学生のやつがいた。
理系の院、しかも全員国立なんだっけか?なので僕が普段生活で接するIQレベルとはもう一味も二味も違い、こんなやつらと高校時代は机を並べてたわけかと思うと今の僕の現状にブチ切れドイツ少年並の怒りを覚えるが、まあ頭脳の差はどうであれ気の合う仲間たちだ。
全員が全員、専門分野が違い、かつ互いを理解しようとする姿勢に優れ、かつほぼ全員が聞き上手かつ話上手であるため、会話がエスカレーターのように止まらない。19時から22時過ぎぐらいまで居酒屋で駄弁っていたが、初めは男だけに許される下世話な会話、後に近況報告、そして政治的・社会的なしゃべり場的な議論、と、それぞれの趣味に基づいた話をしなくても会話の幅が異常に広い。馬鹿(良い意味で)と真面目が同居した人間が集まればああいうことになるんだろうなあと思った。『口悪すぎワロタグループ』のほうでも真面目な会話は同じくらい成り立つはずだが、ここ数年お目にかかってない。一言話し始めれば全方位から罵言と突っ込みが入るので成立しにくいのだ。

おさるの言うとおり、確かに高校時代のグループ以外はここまでは達さない。僕らが特殊だと思うのは傲慢かも知れないが、全員頭の切り替えがむちゃくちゃ早いので、短時間でも会話の幅の広いことが相当に感じられるのだと思う。

まあ主観的な自画自賛はこの辺にしとこう。居酒屋で話していた話で最も興味深かったのが、教育問題だった。おさると楓は、道こそ違えど『教育』と言う括りで見れば同じ分野に進むようなので、生の実態が聞けて驚いたのだが、僕が普段耳にする、教育の破綻や馬鹿親の極例に思えるようなニュースが、既にありふれたものであるということ。聞いていると、相当深刻で、危機感を抱かずにはいられない内容だった。僕自身、ニュースで耳にするものは「あくまで一例に過ぎない」って考えがあったのだが、実際は一例どころではなかった。
最近の風潮を受けて教育業界にも成果主義が導入されるとのことだが、現状をなんら改善しないまま成果主義になったところで、教師が親と委員会側に媚を売る以上のことにならない、と言うことがハッキリとわかった。悪循環どころか破綻へのカウントダウンのように思えた。
10ヶ月ぐらい前に別の友人から聞いた、『最近は本当に二極化が進んでると実感した。あれは誇張でもなんでもないよ』と言う言葉が、ここでももう一度聞けた。危機感を抱いてももう遅いんじゃないかと思うほど深刻だ。

アパート火災で2歳児死亡 母親はスノーボードで外出

僕はこういうニュースに関しては感情的になってしまうのであまり触れたくないのだが、流れ的にこの記事をあえて紹介する。
これを読んで「全員が全員こんな馬鹿な親じゃない!」って思うのが多数だろうけど、楓とおさるの話を聞く限り、全員とは言わないまでも、かなり多くなってきたのは本当に事実らしい。『義務』とか『責任』とか『自由』とか、そういうものをどこかで履き違えてる人が多い。最も僕が考えてることだって履き違えてない確証があるわけじゃないけれど。けど自身の主張を疑うことは大事だ。


真面目な話終わり。


貝類の数々。
誰が何を食べるかをジャンケンで決めた結果、案の定僕が真っ先に負けて、カスミと一緒に小さなアサリだけを食べた。ホタテ…!


23時からフリータイムで朝6時までカラオケ。なんか『グラカラ』とか言うやつがあった。
『グラカラ』モードに登録されている曲を選択すると、背景の映像がグラビアアイドルのプロモーションビデオになるとか言うものだった。
全員少なくとも一度は入れた。たぶん合計10回は入れた。
予約曲目が
グラカラ
グラカラ
グラカラ
グラカラ
とかになってたwwwwアホだwww
もちろん4連続でグラビアアイドルのキワドイ映像である。歌ってる最中に、グラビアアイドルの水着が取れそうになって「うおおおお!」とかwww
一番面白かったのは、海辺ではしゃぐグラビアアイドルが下の水着に手をかけたときに「うおおおお!」って歓声が聞こえて、本当に下に降ろしたときに「脱いだ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━!!!!!」ってなって、その下にさらに水着があったことがわかったときの笑い声がむしろとても面白かった。お前ら最高wwwwwww

カラオケといえば、2~3ヶ月ほど前に友人Eとカラオケに行ったときに、僕らの人生の共通の目標である、『死ぬまでにスピッツは歌えるようになる』と言うことを実現するためにはどうすればよいかと言うことで、3時間ほど秘密特訓をした覚えがある。
今までは、単純に喉を使って高い声を頑張って出していたのだが(まあ昔に比べると努力の甲斐あってそれなりに高い声は出るようになったが)、喉が潰れるのが早い上に、限界があることが早く見て取れたので、僕とEは「たぶんオレらの今の歌い方だと一生スピッツを歌うことは出来ない」と悟り、新たな境地へ踏み出したのだ。『本気で努力して出来ないことなんてない』。僕らが貫いてきた姿勢である。才能だの何だのは言い訳だ。まあその姿勢が僕みたいな半端者を生んだわけだが。
先ず僕らが始めたのは、歌の上手い人の分析である。声の出し方が根本的に違うのであれば今まで通り頑張っていても仕方がない。どこかで一度革命を起こさねばならない。そこで、僕らの知人・友人・知ってるアーティストの例などを挙げて、検証してみた。
結果わかったのは、男性に限れば上手い人は喉で歌っていないということだ。
ライブ時の草野さんの歌うバラードでわかるのだが、深い息継ぎの音すら聞こえるのだ。しかもそれでいて、声を張り上げず、声量は一定に保ったまま音域だけを高くしている。もはや人間業ではない。
その他のアーティストでも、たとえば坂本真綾たんにしてもそうだが、息を吐くときの音が、喉で歌っているときのそれとは段違いなのだ。喉で歌っているときの息継ぎは浅く、吐息としても胡散臭い。
と言うわけで、僕とEは声量をあげないまま、喉を使わず、音域だけ高くする特訓をした。かなりキモかったと思う。キモヲタ乙って感じだった。
結果、腹から歌うという感覚はわかったものの、声量をあげないというのは不可能だ。むしろ腹から声を出せるようになって声量がデカくなったような気さえする。もはや意味がわからない。どうやったら上手くなれんだ。ていうかどうやったらスピッツ歌えるようになるんだ。死ぬときは『甘い手』を聞きながらって決めてるのに。(´・ω・`)


さて話が収拾つかなくなってきたところで、今年最後の『一人称の世界』のまとめでもしようかと。
って言っても別に何を書くわけでもないけど。もうこの『一人称の世界』が始まって3~4年ぐらい経つんですかね。
今年は晦日大晦日が上記のようにかなり楽しかっただけに、終わりよければ全てよしじゃないけど、良い年だったと思える。自分も周囲も色々紆余曲折や変化があったにはあったけど、実に楽しい1年だった。1年って言うのは振り返るのには長すぎる。過ぎたと思うのには短いけど。自分でも少しは成長していると思うし、それ以上に自分は幸せなんだととみに思うことが出来た年だった。幸不幸を決めるのは他人ではない。僕が幸せかどうかは僕が決める。
ただ、2007年は高確率で、どの時期かで相当な欝時期に入るであろうことがもうほぼ確定済みなので、そればかりが、考えると今からため息の、来年に残る懸念だ。

まあ今年もあともう6時間ほどだ。いつものように過ごそう。

2006年12月29日金曜日

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電子タグでお待たせ短縮 百貨店、在庫を把握

在庫をウェブで確認して、取り置きしておくことも出来そうになりそうだなあ。
なんか商品情報を一意に特定出来るコードかなんか作って、その位置情報・在庫数情報等々をグーグルマップなんかに載せたら、どの店にどの商品がいくつあるかわかって、お偉方が考える『顧客サービスの向上』ってやつに繋がりそうだね。

『諸君、現状はどう控え目に見ても地獄だ』

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今日は大掃除をする予定だったのだけれど、部屋を見渡してみると、せいぜい紙切れを数十枚処分する程度で、特に目立ってやることもないかなと思って放置プレイ真っ最中。家具とか動かして綺麗にするべきなんだろうけど…そこまでするのは面倒臭い。
今年の初めに新しく買った本棚がもう飽和状態で、いまや新刊の置き場がなくなっている。もう一つの部屋にある本棚も、これまた雑誌等でいっぱいだ。大掃除ならばまず本棚から始めるべきなんだろうけど、これ下手すると元通り収まらなくなる可能性があるからな。まあ今も収まってないんですけど。
全体としてどれくらいの量になるんだろうと思う。まあ僕の蔵書数なんてまだ少ないほうだと思うけどな。
本当に大雑把な数で言うと
漫画:300冊
小説:150冊
参考書:70冊
ぐらいになるんかな。
いかにも文系!って感じの本ばっかりなので、来年は理系的な本も読んでいきたいなあ。薬学と地質学と熱学のそれぞれの入門書みたいなやつしか持ってないよ。『ご冗談でしょう、ファインマンさん』でも買って読むか。
本を定期購入する習慣を持つ人種にとって最も重要視しなければならないのは空間との戦い方だという格言があるがまさにそのとおりだな。狭い部屋はあんまり落ち着かないので広く保つべく努力しているが、それだと本の量に限界が…
あ、そうだ押入れを利用すればいいんじゃないか!
だが取り出せなくなる罠。取り出しやすいように工夫をしてみようか…たとえば襖を半分の高さにしてもらって(親父は幸いそういう職業だ)、下半分をスライド式の書棚に改造してみるとか…。
今は押入れに何が入っているのかと言うと、幼少の頃から溜め込んでいるVHSの映画約60本と、PCの部品であったり、ゲームのCDであったりだ。VHSはもう見ないし、何十回も見てる所為でテープが擦り切れてるやつもあるし、邪魔っちゃ邪魔なんだけどな…あーもう面倒くさい('A`)

空の境界が映画化するそうですよ。ストーリーはどういう風になるんだろうな。小説だったら6つぐらいのストーリーに分かれてたはずだが…。
ていうか空の境界の小説どこ行った!!!誰かに貸したんだったか!?あるいは何処かに眠っているのか!?

もういっそのこと図書館に住みたい。