ソフトウェア開発技術者試験が何とか終わったわけだけれど、なんやかやと忙しくて殆ど勉強出来てなかった僕は、「記念受験になりそうかなハハハ」なんて思いながら会場へと足を運んだ。
前回・前々回と、午後Ⅱのアルゴリズムでしてやられたわけだから、今度はちゃんと勉強したら通るだろうと思っていたことは思っていたんだけど、どうにも忙しくて勉強出来なかった。ていうかやる気になれなかった。
けど、前回・前々回は結構まじめに勉強していたから、今回殆ど勉強しない状態でもかなり善戦出来たと思う。
と言うかこの勉強は半ば趣味みたいなものなので、一度理解したらなかなか忘れない。学校のシステム制作にも通じる部分がかなり多いし、ただの座学で終わっちゃいないところがあるから、今回も午前はなんとかなった。要するに、根本的なところを理解していたら、あとは応用の問題なのだ。もちろん、解法のセオリーもあるけれど。
今まで苦渋を舐めさせられてきた午後Ⅱだけど、今回はデータベースの問題だったのでかなり余裕だった。20分も余った。
去年の暮れまでDBと複雑なSQLを使ってプログラムを作っていた所為か、あれぐらいの規模のDBなら見た瞬間に全容が把握出来た。だから説明文なんて始めは全然読んでないし、設問解いていってるときに、『ここはこうじゃないとおかしいはずなんだけど』みたいな経験則を裏付けるために説明文を読むような本末転倒な始末だった。
でも、普通に今回のは難易度は低かったと思う。午後ⅠのDB問題に毛が生えたような難易度だった。ぶっちゃけ、7割ぐらいは図と説明文中に答えが書いてあるような雰囲気だった。
とか大口叩いといて落ちたら格好悪いからこれくらいにしとく。
まあ午後Ⅱはたぶんいけてると思うけど、問題は午前と午後Ⅰだ。特に午後Ⅰ。キャパシティの問題は何あれ新傾向なの?ちょっと戸惑いながら解きました。
あとはあのアルゴリズム。アルゴリズム自体は簡単なんだけど、僕はアルゴリズムの問題に苦手意識を持っているからどうしても解くのが遅くなってしまった。
他はたぶん大丈夫。
ネットワークとセキュリティの問題は、1月から『ネットワークマガジン』を購入して熟読するようになった所為か、かなりぬるく感じたwやっぱああいう業界雑誌って役に立つね。基礎能力の向上っつーか、思考の慣れっつーか。DB系の雑誌も買うようにしようかな。
午前は…まあいつもの通りかなあ、と…。まだ簡単なほうだったのかな。勉強してないから手ごたえに実感が伴わなかった。
総論。午前が受かってればたぶん大丈夫だけど、僕的には合格率は65%ぐらい。これで受かってたらいいけどなあ。
2007年4月15日日曜日
2007年4月14日土曜日
諸君
諸君 私はデスノートが好きだ
諸君私は デスノートが好きだ
諸君 私は デスノートが大好きだ
夜神月が好きだ ニアが好きだ 相沢が好きだ ジェバンニが好きだ 火口が好きだ ワタリが好きだ 竜崎が好きだ
屋外で 自室で ポテチの袋の中で 時計の中で 山手線の車両内で この地上で書かれるありとあらゆるデスノートが大好きだ
キラ幹部をならべたキラ王国の一斉放映で出目川と共に心臓麻痺で死ぬのが好きだ
デスノを抱えて空中高く放り上げられたミサイルがレスターに発見された時など心がおどる
竜崎の操るヘリコプターのライトが火口の車を照らすのが好きだ
悲鳴を上げてのた打ち回る夜神月から助けを求められたリュークがデスノートで名前を書いた時など胸がすくような気持ちだった
モニタを揃えたウェディの仕事がヨツバ幹部の家を蹂躙するのが好きだ
恐慌状態の恐田奇一郎が色々と説明中のリュークに何度も何度も発砲している様など感動すら覚える
完璧主義の魅上照を偽造デスノートで騙していく様などはもうたまらない
苦戦する夜神月がメロの一言とともに半分の寿命を持っていかれるカル・スナイダーをさらに操って殺すのも最高だ
哀れな民衆たちが雑多な小道具で健気にも襲い掛かってきたのをオモチャで冷静に遊んでいるニアが崇拝者ごと分析しこき下ろした時など絶頂すら覚える
ミサミサの友達の看護師姿が好きだ
必死に守るはずだったデスノートが転々としルールが追加され看破されていく様はとてもとても悲しいものだ
竜崎のお菓子の物量に押し潰されて糖尿病になるのが好きだ
ニアに会うためにジェバンニの車に乗った相沢がスパイのように目隠しをされるのは屈辱の極みだ
諸君 私はデスノートを 死神界の様なデスノートを望んでいる
諸君 私に付き従う大犯罪者諸君
君達は一体何を望んでいる?
更なるデスノートを望むか?
情け容赦のありまくる読み切りの様なデスノートを望むか?
鉄風雷火の限りを尽くし三千世界のニアを殺す嵐の様なデスノートを望むか?
『デスノ! デスノ! デスノ!』
よろしい ならばデスノートだ
我々は渾身の力をこめて今まさに書き込まんとするシャープペンシルだ
だがこの暗い監獄の中で50日間もの間竜崎の陰湿な尋問に堪え続けてきた我々にただのデスノートではもはや足りない!!
大デスノートを!!
一心不乱の大デスノートを!!
我らはわずかに一個刑務所 千人に満たぬ犯罪者に過ぎない
だが諸君は一騎当千の犯罪者だと私は信仰している
ならば我らは諸君と私で総力100万と1人の犯罪者集団となる
我々の名前を忘却の彼方へと追いやり眠りこけているキラを叩き起こそう
髪の毛をつかんで引きずり降ろし眼を開けさせ顔を見せよう
キラに恐怖の名前を思い出させてやる
キラに我々の顔を思い出させてやる
天と地のはざまにはキラの哲学では思いもよらない事があることを思い出させてやる
一千人の犯罪者団で
新世界を燃やし尽くしてやる
「最後の犯罪者隊 犯罪者指揮官より全犯罪者艦隊へ」
目標日本国本土東京首都上空!!
第二次キラ作戦 状況を開始せよ
諸君私は デスノートが好きだ
諸君 私は デスノートが大好きだ
夜神月が好きだ ニアが好きだ 相沢が好きだ ジェバンニが好きだ 火口が好きだ ワタリが好きだ 竜崎が好きだ
屋外で 自室で ポテチの袋の中で 時計の中で 山手線の車両内で この地上で書かれるありとあらゆるデスノートが大好きだ
キラ幹部をならべたキラ王国の一斉放映で出目川と共に心臓麻痺で死ぬのが好きだ
デスノを抱えて空中高く放り上げられたミサイルがレスターに発見された時など心がおどる
竜崎の操るヘリコプターのライトが火口の車を照らすのが好きだ
悲鳴を上げてのた打ち回る夜神月から助けを求められたリュークがデスノートで名前を書いた時など胸がすくような気持ちだった
モニタを揃えたウェディの仕事がヨツバ幹部の家を蹂躙するのが好きだ
恐慌状態の恐田奇一郎が色々と説明中のリュークに何度も何度も発砲している様など感動すら覚える
完璧主義の魅上照を偽造デスノートで騙していく様などはもうたまらない
苦戦する夜神月がメロの一言とともに半分の寿命を持っていかれるカル・スナイダーをさらに操って殺すのも最高だ
哀れな民衆たちが雑多な小道具で健気にも襲い掛かってきたのをオモチャで冷静に遊んでいるニアが崇拝者ごと分析しこき下ろした時など絶頂すら覚える
ミサミサの友達の看護師姿が好きだ
必死に守るはずだったデスノートが転々としルールが追加され看破されていく様はとてもとても悲しいものだ
竜崎のお菓子の物量に押し潰されて糖尿病になるのが好きだ
ニアに会うためにジェバンニの車に乗った相沢がスパイのように目隠しをされるのは屈辱の極みだ
諸君 私はデスノートを 死神界の様なデスノートを望んでいる
諸君 私に付き従う大犯罪者諸君
君達は一体何を望んでいる?
更なるデスノートを望むか?
情け容赦のありまくる読み切りの様なデスノートを望むか?
鉄風雷火の限りを尽くし三千世界のニアを殺す嵐の様なデスノートを望むか?
『デスノ! デスノ! デスノ!』
よろしい ならばデスノートだ
我々は渾身の力をこめて今まさに書き込まんとするシャープペンシルだ
だがこの暗い監獄の中で50日間もの間竜崎の陰湿な尋問に堪え続けてきた我々にただのデスノートではもはや足りない!!
大デスノートを!!
一心不乱の大デスノートを!!
我らはわずかに一個刑務所 千人に満たぬ犯罪者に過ぎない
だが諸君は一騎当千の犯罪者だと私は信仰している
ならば我らは諸君と私で総力100万と1人の犯罪者集団となる
我々の名前を忘却の彼方へと追いやり眠りこけているキラを叩き起こそう
髪の毛をつかんで引きずり降ろし眼を開けさせ顔を見せよう
キラに恐怖の名前を思い出させてやる
キラに我々の顔を思い出させてやる
天と地のはざまにはキラの哲学では思いもよらない事があることを思い出させてやる
一千人の犯罪者団で
新世界を燃やし尽くしてやる
「最後の犯罪者隊 犯罪者指揮官より全犯罪者艦隊へ」
目標日本国本土東京首都上空!!
第二次キラ作戦 状況を開始せよ
『your new word この感覚が遮断されても聞こえるよ』
PC接続も定額制に 携帯各社が検討
やけにタイムリーだな。この間事件になったばかりのことをもう…。
実際あの事件に関しては喧嘩両成敗な部分があるにはあるけど、そもそもネット利用全般に関しての『従量課金制』が時代遅れになりつつあると感じる。
ユビキタスを謳う一方で、「使えば使うほど料金はかさむから注意ね」なんて、矛盾も甚だしい。否、矛盾は言いすぎか。アコギな商売かな、と思うぐらいにしておこう。
携帯をPCに接続してネット接続すると言うのは、僕が携帯電話を持った高校3年生のときに、インターネットに接続出来ないPCをなんとかネット利用出来ないかと考えてたことだが、当時でも実現は出来たがあまりに速度が遅すぎた。
現在でも、ネット利用に関して言えばまだまだストレスを感じるものではないんだろうか。
それに、今年中に一部地域でWiMaxは試験稼動しだすだろうし、そうなるとあえて携帯とPCを繋いでネットを利用するなんていうやり方も古いものになる。
ぐああああヤバイマジヤバイ。
グラボのファンの摩擦音がえらいことになってきたwwwwwwwwwwwwww
「ボンッ!」といつ言ってもおかしくないレベルwwww
よし、今から新しいGPUファンだけ買いにいくぜ!
やけにタイムリーだな。この間事件になったばかりのことをもう…。
実際あの事件に関しては喧嘩両成敗な部分があるにはあるけど、そもそもネット利用全般に関しての『従量課金制』が時代遅れになりつつあると感じる。
ユビキタスを謳う一方で、「使えば使うほど料金はかさむから注意ね」なんて、矛盾も甚だしい。否、矛盾は言いすぎか。アコギな商売かな、と思うぐらいにしておこう。
携帯をPCに接続してネット接続すると言うのは、僕が携帯電話を持った高校3年生のときに、インターネットに接続出来ないPCをなんとかネット利用出来ないかと考えてたことだが、当時でも実現は出来たがあまりに速度が遅すぎた。
現在でも、ネット利用に関して言えばまだまだストレスを感じるものではないんだろうか。
それに、今年中に一部地域でWiMaxは試験稼動しだすだろうし、そうなるとあえて携帯とPCを繋いでネットを利用するなんていうやり方も古いものになる。
ぐああああヤバイマジヤバイ。
グラボのファンの摩擦音がえらいことになってきたwwwwwwwwwwwwww
「ボンッ!」といつ言ってもおかしくないレベルwwww
よし、今から新しいGPUファンだけ買いにいくぜ!
2007年4月12日木曜日
かーみーちゅー!
あー危なかった。
PCから変な音がずっとしてたから、気になって原因を確かめようと色々と弄ってたら、まあ結局グラボのファンの建てつけが悪くなってきてるみたいで、それが原因で妙な音が発生してると突き止めたまでは良いんだけど、そのときに、
Windows起動中…
↓
電源長押しシャットダウン
を何度かしたために、マスターブートレコードの一部がぶっ壊れたらしく、何度起動しなおしても、
NTLDR is missing
と言うエラーが出て、Windowsが起動するところまで行かない!
なんかRADEONのX1600Proのファンを覆ってるプラスチックバネルがちょっと鬱陶しかったので外して作業をしていると、よくわからないがBIOS画面ですらフリーズしてしまうという現象に。どういうことだよ!
で、仕方ないからまた付け直して、でも
NTLDR is missing
は直んなくて、あーどうすっかと思って、4台あるHDDのうちOSが入ってるやつを残して他は全部外した。
んでOSのディスク入れて、コンソール画面でちょくちょくとMBR関係の修復みたいなことをして、再起動すると、動いた!
面白かったのが、なんかコンソールではドライブ名がおかしくなってたこと。
Windowsの入ってるドライブはCドライブなのに、
F:/<
とか言う表記になってたwww
まあ普通にコマンドは通じたからいいんですけど。
そして僕がやっと気付いたのは、頻繁に使用しないデータドライブは、基本繋げないほうがいいな、と言うこと。なんか寿命縮みそうだし。
隣の部屋のPC小道具を収納している棚に、5インチベイのHDD増設用ラックが見つかったので、今後はこれを多用することにした。必要なときだけ繋いでデータを吸う。
ていうか、問題のグラボは結局直んないなと言う結論に至ったので、また今度ファンだけ買い換えることにする。
グラボ買い換えるのって高くつくし、たぶん問題になってるのはファンだけなので。
PCから変な音がずっとしてたから、気になって原因を確かめようと色々と弄ってたら、まあ結局グラボのファンの建てつけが悪くなってきてるみたいで、それが原因で妙な音が発生してると突き止めたまでは良いんだけど、そのときに、
Windows起動中…
↓
電源長押しシャットダウン
を何度かしたために、マスターブートレコードの一部がぶっ壊れたらしく、何度起動しなおしても、
NTLDR is missing
と言うエラーが出て、Windowsが起動するところまで行かない!
なんかRADEONのX1600Proのファンを覆ってるプラスチックバネルがちょっと鬱陶しかったので外して作業をしていると、よくわからないがBIOS画面ですらフリーズしてしまうという現象に。どういうことだよ!
で、仕方ないからまた付け直して、でも
NTLDR is missing
は直んなくて、あーどうすっかと思って、4台あるHDDのうちOSが入ってるやつを残して他は全部外した。
んでOSのディスク入れて、コンソール画面でちょくちょくとMBR関係の修復みたいなことをして、再起動すると、動いた!
面白かったのが、なんかコンソールではドライブ名がおかしくなってたこと。
Windowsの入ってるドライブはCドライブなのに、
F:/<
とか言う表記になってたwww
まあ普通にコマンドは通じたからいいんですけど。
そして僕がやっと気付いたのは、頻繁に使用しないデータドライブは、基本繋げないほうがいいな、と言うこと。なんか寿命縮みそうだし。
隣の部屋のPC小道具を収納している棚に、5インチベイのHDD増設用ラックが見つかったので、今後はこれを多用することにした。必要なときだけ繋いでデータを吸う。
ていうか、問題のグラボは結局直んないなと言う結論に至ったので、また今度ファンだけ買い換えることにする。
グラボ買い換えるのって高くつくし、たぶん問題になってるのはファンだけなので。
2007年4月11日水曜日
リーダーならされましたよっと
,. -‐'''''""¨¨¨ヽ
(.___,,,... -ァァフ| あ…ありのまま 今日 起こった事を話すぜ!
|i i| }! }} //|
|l、{ j} /,,ィ//| 『おれは教室の中で大人しくしていると
i|:!ヾ、_ノ/ u {:}//ヘ 思ったらいつのまにかリーダーになっていた』
|リ u' } ,ノ _,!V,ハ |
/´fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人 な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
/' ヾ|宀| {´,)⌒`/ |ヽトiゝ おれも何をされたのかわからなかった…
,゙ / )ヽ iLレ u' | | ヾlトハ〉
|/_/ ハ !ニ⊇ '/:} V:::::ヽ 頭がどうにかなりそうだった…
// 二二二7'T'' /u' __ /:::::::/`ヽ
/'´r -―一ァ‐゙T´ '"´ /::::/-‐ \ 立候補だとか推薦だとか
/ // 广¨´ /' /:::::/´ ̄`ヽ ⌒ヽ そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
ノ ' / ノ:::::`ー-、___/:::::// ヽ }
_/`丶 /:::::::::::::::::::::::::: ̄`ー-{:::... イ もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…
2007年4月10日火曜日
『総員!大隊長殿を救え!』『半数は死にます。よろしくありますか。』『今、あの人を失えば僕らは烏合の衆になる。そうなればどの道全滅する!』
どこまでこの不条理な出来事を書いていいのかわからないけど。
問題はそのグループの結成方法についてだが、これは単に「仲良いやつが集まれ」ではない。
それだと、グループ間での戦力バランスが崩れるし、そのわけ方だと必ず1クラスに1グループは、「あまりもの」グループが出来るためだ。一時的なグループならばそれで良いかも知れないが、学校の一大行事としてのグループ編成でそれはまずい。
ある意味広告塔として十分に機能するイベントなので、それなりのクオリティは求められる。だから、学内での審査のレベルも高いし、出した企画が必ず通るなんてことはありえない。
要するに、
・グループ編成
・作品の質
・イベント運営
主にこの3つに関しては並々ならぬ圧力がかかっていると言っても差し支えない。
グループ内でのいざこざが起こり、退学するやつが出てくればそれもやはり個人的な問題と言えど管理側の責任を問われてもおかしくない部分にまで発展しかねない。
作品の質が、大々的にするほどのものでもない程度のものであれば、それもやはり学校の戦略として具合が悪い。
どうあっても、主に体面の関係から、学校側の管理が強くなってしまうのだ。
1:リーダーを選出
2:選出されたリーダーたちが別室で、クラス内の有能選手から順にドラフト制で取っていく
1に関しては、クラス内での立候補、推薦、教員からの推薦等、投票、色々勘案された上で決定される。
2に関しては、その選出されたリーダーが「すわ有能!」と思うやつから順にとっていくので、必然的に戦力バランスは分散される。
それは、「クラスメイトが互いのことを知っている」と言うことだ。
誰かがリーダーに立候補したところで、それがリーダーに向いているのかどうか、ついてくるやつがいるのかどうか、馬の骨でないかどうかと言うのは、今までの動向から大体推測出来る。
推薦にしても同様で、「すわリーダー向き!」と言うやつはやはり推されるわけだ。
最終的な決定はおそらく投票だろうが、これにしたって「あいつなら大丈夫」と言う墨がつかない限りは当選することはないのだから、確実に民主的ではある。
それに、仮にそのリーダーが馬の骨だったところで、有能なやつからとっていくドラフト制と言う性質上、結果的にもっとも有能なやつが中心になって動くことは間違いがないのだから、戦力が公平に分散されていれば問題にならない。
だが、今年からは違う。
グループの編成が9月ではなくて4月だということ。つまり新クラスになって間もないときにグループを決めなければならないということ。
それは、たとえ誰かが立候補したとしても、多勢からすればそれが馬の骨かどうかと言う判断材料にもならない。
同様に、推薦にしても同じだし、教員にしてもわからない。
そうなると、投票そのものがどう見ても形骸になる。第一印象でリーダーを選ぶことほど馬鹿げたこともそうそうない。
と言うことは、上記の「学校の体面」の側面から考えても、
「ある程度の選考は教員側で行われている」
と考えるのが妥当。
立候補者は立候補者で別枠で勘案されるのだろう。だがそれにももちろん教員方の選抜は入る。
立候補しないけどリーダー向きの人物に関しては、教員の間でリストのようなものが出回るのだろうと推測した。
リーダー候補が絞り込まれているのであれば、また、クラスで5人しかリーダーになれないのであれば、リーダー候補が3人だとか8人だとかになると不都合になるので、あらかじめ配分はなされた上でクラス編成をされてる可能性が高い、と言うところまで読んだ。
実際には、新クラスメンバーを見るだけではその証明にはならなかったのだが、少なくとも僕と茶汰君は同じクラスではなかった。
つまり、推理したことをまとめるとこうなる
・立候補者、教員の推薦、と言う二つの面から、あらかじめリーダー候補は絞り込まれている
・絞り込まれたリーダー候補を分散させてクラス編成はされている
・時期的な問題から、投票によってリーダーを確定させるというようなことはありえない。
これらはほぼ確信していたため、あとは実際にどういう風にこれらを展開するか、が問題だった。
話を聞くと、やはり、完全なる予定調和、出来レースも良いところだったらしい。
立候補したのは3人。それは事前に教員に申し出ていた人たちであったらしい。
あと2人リーダーを選ばなくてはならないが、ここで無条件で引っ張り出されたのが茶汰君だということ。そしてそこに拒否権は存在しなかったこと。
ここまで来れば誰でもわかる。やはり、推測どおり、どこまでも出来レースだったのだ。
選抜された立候補者と、教員に推薦された推薦者。
茶汰君は見事に後者の枠に嵌り、そしてリーダーをする羽目になった。
リスクを最小限に抑え、なおかつ上記のような論理を伝家の宝刀にすれば、どうあっても学校の思惑通りに事は収まる。
反対するやつ?出るはずもない。クラスメイトのことが何もわからない状態での、「選抜された立候補者」と「教員から推薦された推薦者」と言う墨のついた人間のことを公表すれば、投票などせずとも答えは明白だ。
僕はたぶんすでに20人ぐらいから「リーダー頑張ってな」と揶揄されている。
それがたとえ冗談であっても、そこまで知りもしない人間からそういわれるということそのものが問題なのだ。
3年次のグループ編成のときにも、僕は見知らぬやつから「リーダーシップがあるから」と言う理由でヘッドハンティングされそうになったが、僕はこの学校では大人しくしているつもりなのに、どうやら知らないうちに情報が漏れたか僕のメッキも剥がれたか。
・「出来ないなら僕がやります」と言ってしまう
・一人で抱え込みすぎる
・人を見切るのが早い
・自分は間違っていると迷ってしまう
13年ぐらいやってた少林寺では中学生にしながら大人の部の頭を任されたり(師範は小学生たちの面倒を見ていたため)、バイトでも必ず人を使い管理する立場にいた。
でもそれは僕が望んだことじゃなく、任されたことだ。僕は自分でそんな器だと思ってないし目立つのが嫌いだから立候補なんてしたことがない。唯一例外的なのは、生徒会に入るときぐらいだ。が、あれは内申点稼ぎ以外の何者でもなかった。
僕の気持ちを無視するならば、確かに人をまとめ動かすことに関してはそこそこの経験があるのかも知れない。でも、そんなのは僕がたまたまその立場になっただけで、僕以外の人間でもっと相応しい人物がいるはずだから、そういう人をこそ見てやってほしいと思う。
僕は自動ドアが開かないときが多いぐらい存在感が薄い人間だけれど、何か知らないけど目立つらしいのだ。専門学校に入ってよくわかった。大人しくしてるつもりがいつの間にか有名人だ。
けど、そんなことと僕がリーダーになることはまったく関係ない。それは単に僕の人脈が結果的に広くなったというだけである。
願わくば、僕を軽視する人が多いことを……
学祭の時期が半年早まった
今まで、9月上旬スタートの1月下旬発表だったのが、4月上旬(つまり今だ)スタートの9月上旬発表と、半年間前倒しになった。グループ作業
10人±1人と言う単位でのグループ製作になる。そこでは、各担当に仕事を分担し、なるべく効率良く運営することが望まれる。問題はそのグループの結成方法についてだが、これは単に「仲良いやつが集まれ」ではない。
それだと、グループ間での戦力バランスが崩れるし、そのわけ方だと必ず1クラスに1グループは、「あまりもの」グループが出来るためだ。一時的なグループならばそれで良いかも知れないが、学校の一大行事としてのグループ編成でそれはまずい。
学校の体面
かなり大々的に行う行事なので、やはり学校側としてももっとも気合を入れる行事である。大学の文化祭と大差あるところは、「生徒の出し物だがイベントの主導は学校側」と言うことだ。ある意味広告塔として十分に機能するイベントなので、それなりのクオリティは求められる。だから、学内での審査のレベルも高いし、出した企画が必ず通るなんてことはありえない。
要するに、
・グループ編成
・作品の質
・イベント運営
主にこの3つに関しては並々ならぬ圧力がかかっていると言っても差し支えない。
グループ内でのいざこざが起こり、退学するやつが出てくればそれもやはり個人的な問題と言えど管理側の責任を問われてもおかしくない部分にまで発展しかねない。
作品の質が、大々的にするほどのものでもない程度のものであれば、それもやはり学校の戦略として具合が悪い。
どうあっても、主に体面の関係から、学校側の管理が強くなってしまうのだ。
従来のメンバー選出
第一に肝要になってくるのが、グループ編成だが、これは主に次の手順で行われる。1:リーダーを選出
2:選出されたリーダーたちが別室で、クラス内の有能選手から順にドラフト制で取っていく
1に関しては、クラス内での立候補、推薦、教員からの推薦等、投票、色々勘案された上で決定される。
2に関しては、その選出されたリーダーが「すわ有能!」と思うやつから順にとっていくので、必然的に戦力バランスは分散される。
大前提
しかし、従来のメンバー編成方法には前提がある。それは、「クラスメイトが互いのことを知っている」と言うことだ。
誰かがリーダーに立候補したところで、それがリーダーに向いているのかどうか、ついてくるやつがいるのかどうか、馬の骨でないかどうかと言うのは、今までの動向から大体推測出来る。
推薦にしても同様で、「すわリーダー向き!」と言うやつはやはり推されるわけだ。
最終的な決定はおそらく投票だろうが、これにしたって「あいつなら大丈夫」と言う墨がつかない限りは当選することはないのだから、確実に民主的ではある。
それに、仮にそのリーダーが馬の骨だったところで、有能なやつからとっていくドラフト制と言う性質上、結果的にもっとも有能なやつが中心になって動くことは間違いがないのだから、戦力が公平に分散されていれば問題にならない。
問題は今年
今までは、「クラスメイトのことがわかっていたから」と言う前提があったので、上記のような方法でいけた。だが、今年からは違う。
グループの編成が9月ではなくて4月だということ。つまり新クラスになって間もないときにグループを決めなければならないということ。
それは、たとえ誰かが立候補したとしても、多勢からすればそれが馬の骨かどうかと言う判断材料にもならない。
同様に、推薦にしても同じだし、教員にしてもわからない。
そうなると、投票そのものがどう見ても形骸になる。第一印象でリーダーを選ぶことほど馬鹿げたこともそうそうない。
と言うことは、上記の「学校の体面」の側面から考えても、
「ある程度の選考は教員側で行われている」
と考えるのが妥当。
立候補者は立候補者で別枠で勘案されるのだろう。だがそれにももちろん教員方の選抜は入る。
立候補しないけどリーダー向きの人物に関しては、教員の間でリストのようなものが出回るのだろうと推測した。
推理
ある程度、少なくともリーダーの選出に関しては完全に出来レースにならざるを得ないと看破していた僕と茶汰君は、恐らくクラス編成もそれに基づいてされるんじゃないかと言う推論を立てた。リーダー候補が絞り込まれているのであれば、また、クラスで5人しかリーダーになれないのであれば、リーダー候補が3人だとか8人だとかになると不都合になるので、あらかじめ配分はなされた上でクラス編成をされてる可能性が高い、と言うところまで読んだ。
実際には、新クラスメンバーを見るだけではその証明にはならなかったのだが、少なくとも僕と茶汰君は同じクラスではなかった。
つまり、推理したことをまとめるとこうなる
・立候補者、教員の推薦、と言う二つの面から、あらかじめリーダー候補は絞り込まれている
・絞り込まれたリーダー候補を分散させてクラス編成はされている
・時期的な問題から、投票によってリーダーを確定させるというようなことはありえない。
これらはほぼ確信していたため、あとは実際にどういう風にこれらを展開するか、が問題だった。
裏づけ
茶汰君のクラスはすでにグループ編成がなされた。話を聞くと、やはり、完全なる予定調和、出来レースも良いところだったらしい。
立候補したのは3人。それは事前に教員に申し出ていた人たちであったらしい。
あと2人リーダーを選ばなくてはならないが、ここで無条件で引っ張り出されたのが茶汰君だということ。そしてそこに拒否権は存在しなかったこと。
ここまで来れば誰でもわかる。やはり、推測どおり、どこまでも出来レースだったのだ。
選抜された立候補者と、教員に推薦された推薦者。
茶汰君は見事に後者の枠に嵌り、そしてリーダーをする羽目になった。
次は…
実に合理的、実に明解、実に無難。リスクを最小限に抑え、なおかつ上記のような論理を伝家の宝刀にすれば、どうあっても学校の思惑通りに事は収まる。
反対するやつ?出るはずもない。クラスメイトのことが何もわからない状態での、「選抜された立候補者」と「教員から推薦された推薦者」と言う墨のついた人間のことを公表すれば、投票などせずとも答えは明白だ。
僕はたぶんすでに20人ぐらいから「リーダー頑張ってな」と揶揄されている。
それがたとえ冗談であっても、そこまで知りもしない人間からそういわれるということそのものが問題なのだ。
3年次のグループ編成のときにも、僕は見知らぬやつから「リーダーシップがあるから」と言う理由でヘッドハンティングされそうになったが、僕はこの学校では大人しくしているつもりなのに、どうやら知らないうちに情報が漏れたか僕のメッキも剥がれたか。
僕がリーダーに向かない理由
・「出来ないなら僕がやります」と言ってしまう
・一人で抱え込みすぎる
・人を見切るのが早い
・自分は間違っていると迷ってしまう
実績
自意識過剰かも知れないけれど、僕は今まで割とどこでも中心的な人間に祭り上げられてきた。13年ぐらいやってた少林寺では中学生にしながら大人の部の頭を任されたり(師範は小学生たちの面倒を見ていたため)、バイトでも必ず人を使い管理する立場にいた。
でもそれは僕が望んだことじゃなく、任されたことだ。僕は自分でそんな器だと思ってないし目立つのが嫌いだから立候補なんてしたことがない。唯一例外的なのは、生徒会に入るときぐらいだ。が、あれは内申点稼ぎ以外の何者でもなかった。
僕の気持ちを無視するならば、確かに人をまとめ動かすことに関してはそこそこの経験があるのかも知れない。でも、そんなのは僕がたまたまその立場になっただけで、僕以外の人間でもっと相応しい人物がいるはずだから、そういう人をこそ見てやってほしいと思う。
僕は自動ドアが開かないときが多いぐらい存在感が薄い人間だけれど、何か知らないけど目立つらしいのだ。専門学校に入ってよくわかった。大人しくしてるつもりがいつの間にか有名人だ。
けど、そんなことと僕がリーダーになることはまったく関係ない。それは単に僕の人脈が結果的に広くなったというだけである。
なんだかんだ言うけど
自分の意思とは無関係にそういう役回りで生きてきた僕だから、たぶん今回も僕の意思は関係なくそういう立場にたつことになるんだろうと思う。願わくば、僕を軽視する人が多いことを……
2007年4月8日日曜日
2007年4月6日金曜日
『復讐と言う動機は厄介だからな』
プロジェクト管理に関しての良書。
そりゃあ僕は実際のプロジェクト管理なんてまだしたことはないけど、規模に関わらず、グループを管理する立場にいた経験はあるものだから、少なからず相似するところはあったから、面白く読めた。
著者はExcel開発チームにいたプログラマであり、現在はとあるソフトウェア会社を設立した。
一般的に言われてる管理者の心構えとは結構逆のことを言ってて新鮮で、それら一つ一つについて合理的な説明をしているものだから、説得力もかなりあった。
…過去30年間の少なくとも2ダースの研究が示しているのは、仕事を完了させたり、仕事を成功させることを、報酬を期待して行う人々というのは、報酬をまったく期待せずに行う人々ほど良いパフォーマンスを示さないということだ
彼の結論は、報酬(あるいは賄賂)は職場では機能しない、ということだ。(中略)
それは、彼らがご褒美のクッキーがないと仕事が出来ないほど自主性を欠いているのだとほのめかすことであり、侮辱的で人を貶めるものだ。
日本的に言うと、「好きな仕事を探してやれ」ってことなんだろうな。
あと、一つの作業を黙々とこなすのと、複数の作業をマルチタスク的にこなすのが、どちらかが効率的なのかと言うことをわかりやすく説明していたのも面白かった。
人間の頭脳をCPUに準えて話は進んでいたのだが、つまり、一つの作業を黙々とこなす『シーケンシャルタスク』の場合、頭の切り替えが必要ないから、そのことだけを考えて没頭出来る。
他方、複数の処理をこなす『マルチタスク』の場合、頭の切り替えがそのたびに必要なわけだから、それに必要な『切り替え時間』を総合すると、圧倒的にマルチタスクの方が非効率だというのだ。
まあ記号化するとこうなるのだが、実際に即してみると結構わかりやすい。
例えば明日、英語と数学のテストがあるとする。
僕は普段何の勉強もしないアホなので、前日になって教科書の埃を払ってとりあえず開いてみるわけだけど、時間的に考えて同時に勉強したほうが早いと思う。
だから僕は数学の問題が一問終わると、英語の翻訳を1行することにするんだけど、数学の問題に戻ってきたときに、
・次の問題はどこか
・さっきやった問題はどういう問題だったか
・解法はどういう要領だったか
と言うようなことをいちいち思い出さなければならない。
英語に戻ってもそうで、
・次の文はどこか
・今までの文脈はどういう内容だったか
等等、色々ある。
それに、両方に共通することは、それぞれの教科書を閉じたり開いたり、ノートをめくったりする手間が発生するということだ。
とは言え、それは人間時間に換算すると本当に微々たるものだけど(人間の頭は機械より高性能だから)、そういう面倒くさいものは、つまるところ集中力を左右する。やることが多ければ多いほど、それは挫折する確率を等比数列的に上昇させる。
と言うことで、実際問題に置き換えてみても、確かに、とヒザを打てるものではある。
あと、非常に興味深かったのが、ミクロ経済学の、代替財と補完財による需要と供給バランスの説明のくだり。
ほかのすべての条件が同じなら、補完財の値段が下がるとき、その製品への需要は増える。
例えば、マイアミへの航空運賃が下がると、マイアミのホテルの客室の需要は増える──それは、多くの人がマイアミへ行くようになり、客室を必要とするからだ。
コンピュータが安くなれば、より多くの人がそれを買うようになり、それにはオペレーティングシステムが必要なので、オペレーティングシステムに対する需要は増え、それはオペレーティングシステムの値段が上がるかも知れないということを意味する。
例えば、マイアミへの航空運賃が下がると、マイアミのホテルの客室の需要は増える──それは、多くの人がマイアミへ行くようになり、客室を必要とするからだ。
コンピュータが安くなれば、より多くの人がそれを買うようになり、それにはオペレーティングシステムが必要なので、オペレーティングシステムに対する需要は増え、それはオペレーティングシステムの値段が上がるかも知れないということを意味する。
これは一部を抜粋したものだが、こういうわかりやすい例を用いて説明してくれるので、頭脳が間抜けな僕でも、ミクロ経済学の先っちょぐらいはわかるようになった。
コアになるのは、如何にしてチームを効率よく動かしていくかと言う、仕事的な意味でのプロジェクトマネージメント論に関する本なのだが、その外堀を埋めるように、数々の逸話がある。それは採用に関する話であったり、企業戦略に関する話であったり、無能な上司とのケンカに関する話であったりする。
こういう系の本では『人月の神話』がバイブルとされているが、あれは書かれた時代が時代だし、完全に経験者向けの本らしいので酷く難解らしいので僕は手をつけにくいのだが。
2007年4月3日火曜日
『あたしで和めよ!』
P嬢とのxiバトルはヤバすぎるwww
僕もP嬢もかなりの負けず嫌いかつ結構な玄人なので、一回決着がつくのに20~25分ぐらいかかった。一瞬も気を緩めれないので2回やるだけで疲れたww
バトルゲームのルールは、1~6の面を全て早く揃えたほうが勝ちなのだが、例えば僕が6を揃えて、『6の面』を手にするとしても、P嬢がその6に連鎖を加えるような形になれば、『6の面』の所有権はP嬢に移るわけだ。
玄人である互いを出し抜いて全てのカードの所有権を得なければならないわけだから、これがまた難しい。
なぜなら、1や2は一瞬で作ることが出来るから。その分、連鎖もすぐに出来るんだけどね。
また、キャラクターが地面に降りているときにサイコロで踏めば、何らかの条件で相手の持つ面が自分の手元に来るらしい。
だから、白熱してくると、地面に降りた相手めがけて「死ねー!」とサイコロを転がす始末であった。
さすがに5とか6の揃えにくいものを揃えると、取られたらマズイと思うから半透明になった時点で違う数のサイで消していく。これがまたイヤらしい。
連鎖を繋げてサイの目を自分のものにしようとサイコロを転がして頑張ってる横で連鎖が出来ないように消されていくわけだから、「ちょwww」である。べ、別に連鎖なんてしなくてもちゃんと揃えれるんだからねっ!!
このゲーム、人によってはかなり脳を使って考えるみたいで相当難しく感じるみたいだが、僕とかP嬢は完全に感覚でやってるから、頭は使わない。元々脳の構造が同じなので、サイコロの動かし方とかも同じで、トライアルモードで連鎖を繋げるときに何度行動がかぶったことか。普通は、一つの面の上に二人乗れば、どちらか一方は何もせず、上手いほうが動かすか、あるいは同時に転がそうとして連鎖を逃すというパターンがほとんどだが、僕らはそうではない。ハイハイ思考回路思考回路頻度があまりに高すぎる。

画像は、2週間前ぐらいにドンキーコングをやってる途中で電話がかかってきてポーズしたときの衝撃画像。
こんなんポーズ解除した瞬間当たるwwww
SFCのカセットはちょっとした衝撃でフリーズしたりデータが飛んだりするから困る。

ついでに、全国編で開始した桃鉄で全員の名前をデスノ風にした瞬間の画像。
秘書の発言が面白くなる代わりに、僕とP嬢間で呼び名で一瞬混乱する。CPUの判別がより一層難しくなった。
しかし、4人(人間2人+CPU2人)での99年は、3人に比べると長い。
しかも、3人のときは弱っちぃ女子高生が相手だったから、実質上僕とP嬢の一騎打ちだったのだが、今回はCPUがものすごい強いので、CPU一人蹴落とすのが精一杯。風神雷神が相手なんだぜ。あんたなんか神じゃない!とか言ってられないぐらいボンビーに襲われる。
こないだ丸一日やったときでも20年ぐらいしか進まなかったし…まあ、常に波乱で面白そうだ。
ピクロスって二人同時にやること出来たと知って目玉がポロリと落ちるかとおもた。
僕が次に彫れるところを教えようと画面に向かって指を指そうとしたそのときに、近くにあったコントローラを手で押さえてしまったのだが、そのときに2P用のカーソルが出てきて、なんじゃあこりゃあああああ!!!!
今までは代わりばんこにやってたんだが、二人同時にやれると知ってからはクリアするのがめちゃ早いwww20x20のピクロスでも10分かからなかったりするwwタノシス
あとあれだな、スーパーチャイニーズワールドは意味がわからなさすぎるな。
よし、今度なんか面白いクソゲー買ってやってみようぜ。
僕もP嬢もかなりの負けず嫌いかつ結構な玄人なので、一回決着がつくのに20~25分ぐらいかかった。一瞬も気を緩めれないので2回やるだけで疲れたww
バトルゲームのルールは、1~6の面を全て早く揃えたほうが勝ちなのだが、例えば僕が6を揃えて、『6の面』を手にするとしても、P嬢がその6に連鎖を加えるような形になれば、『6の面』の所有権はP嬢に移るわけだ。
玄人である互いを出し抜いて全てのカードの所有権を得なければならないわけだから、これがまた難しい。
なぜなら、1や2は一瞬で作ることが出来るから。その分、連鎖もすぐに出来るんだけどね。
また、キャラクターが地面に降りているときにサイコロで踏めば、何らかの条件で相手の持つ面が自分の手元に来るらしい。
だから、白熱してくると、地面に降りた相手めがけて「死ねー!」とサイコロを転がす始末であった。
さすがに5とか6の揃えにくいものを揃えると、取られたらマズイと思うから半透明になった時点で違う数のサイで消していく。これがまたイヤらしい。
連鎖を繋げてサイの目を自分のものにしようとサイコロを転がして頑張ってる横で連鎖が出来ないように消されていくわけだから、「ちょwww」である。べ、別に連鎖なんてしなくてもちゃんと揃えれるんだからねっ!!
このゲーム、人によってはかなり脳を使って考えるみたいで相当難しく感じるみたいだが、僕とかP嬢は完全に感覚でやってるから、頭は使わない。元々脳の構造が同じなので、サイコロの動かし方とかも同じで、トライアルモードで連鎖を繋げるときに何度行動がかぶったことか。普通は、一つの面の上に二人乗れば、どちらか一方は何もせず、上手いほうが動かすか、あるいは同時に転がそうとして連鎖を逃すというパターンがほとんどだが、僕らはそうではない。ハイハイ思考回路思考回路頻度があまりに高すぎる。
画像は、2週間前ぐらいにドンキーコングをやってる途中で電話がかかってきてポーズしたときの衝撃画像。
こんなんポーズ解除した瞬間当たるwwww
SFCのカセットはちょっとした衝撃でフリーズしたりデータが飛んだりするから困る。
ついでに、全国編で開始した桃鉄で全員の名前をデスノ風にした瞬間の画像。
秘書の発言が面白くなる代わりに、僕とP嬢間で呼び名で一瞬混乱する。CPUの判別がより一層難しくなった。
しかし、4人(人間2人+CPU2人)での99年は、3人に比べると長い。
しかも、3人のときは弱っちぃ女子高生が相手だったから、実質上僕とP嬢の一騎打ちだったのだが、今回はCPUがものすごい強いので、CPU一人蹴落とすのが精一杯。風神雷神が相手なんだぜ。あんたなんか神じゃない!とか言ってられないぐらいボンビーに襲われる。
こないだ丸一日やったときでも20年ぐらいしか進まなかったし…まあ、常に波乱で面白そうだ。
ピクロスって二人同時にやること出来たと知って目玉がポロリと落ちるかとおもた。
僕が次に彫れるところを教えようと画面に向かって指を指そうとしたそのときに、近くにあったコントローラを手で押さえてしまったのだが、そのときに2P用のカーソルが出てきて、なんじゃあこりゃあああああ!!!!
今までは代わりばんこにやってたんだが、二人同時にやれると知ってからはクリアするのがめちゃ早いwww20x20のピクロスでも10分かからなかったりするwwタノシス
あとあれだな、スーパーチャイニーズワールドは意味がわからなさすぎるな。
よし、今度なんか面白いクソゲー買ってやってみようぜ。
2007年3月30日金曜日
成果主義な自治体
あー選挙かーとか思ってる時にふと思った。
僕らは立候補してる人に投票をするわけだけど、それは間接的に掲げる政策に投票していることとなんら変わりはない。
いや、厳密に言うと違うのかも知れないけど、まあ僕の持つ印象がそんな感じだから、その考えは決してマイノリティじゃないだろう。
大体、有権者からしたら、その人がどういう人なのかってのは掲げる政策を見なければわからないし、極端な話、「何かしてくれること」を期待して投票するわけだから、別にその人の人格が腹黒かろうが清純であろうがどうでもいいわけだ。
でも、その人が当選したからと言ってその政策が実現するとは当然限らない。そこにどういう理由があるのかはわからないけど。
だから政策単位で投票するのが良いんじゃないかな、とか思う。立候補者は、その政策にぶら下がる形でのみ存在する、と。
民意の反映としての政策であるならば、そっちのほうが理に適うとは思うんだけどね。
その政策が本当に民の欲しているものかどうかは、その投票数を見れば一発でわかるわけだし。
それに、その立候補者が何らかの理由で辞任しても、政策はなくならないということが大きい。まあ弊害もあるだろうけど。
実際、代議士制度が確立されてからもそういうことってなかったんじゃないかなあ。あったら誰か教えて。
僕らは立候補してる人に投票をするわけだけど、それは間接的に掲げる政策に投票していることとなんら変わりはない。
いや、厳密に言うと違うのかも知れないけど、まあ僕の持つ印象がそんな感じだから、その考えは決してマイノリティじゃないだろう。
大体、有権者からしたら、その人がどういう人なのかってのは掲げる政策を見なければわからないし、極端な話、「何かしてくれること」を期待して投票するわけだから、別にその人の人格が腹黒かろうが清純であろうがどうでもいいわけだ。
でも、その人が当選したからと言ってその政策が実現するとは当然限らない。そこにどういう理由があるのかはわからないけど。
だから政策単位で投票するのが良いんじゃないかな、とか思う。立候補者は、その政策にぶら下がる形でのみ存在する、と。
民意の反映としての政策であるならば、そっちのほうが理に適うとは思うんだけどね。
その政策が本当に民の欲しているものかどうかは、その投票数を見れば一発でわかるわけだし。
それに、その立候補者が何らかの理由で辞任しても、政策はなくならないということが大きい。まあ弊害もあるだろうけど。
実際、代議士制度が確立されてからもそういうことってなかったんじゃないかなあ。あったら誰か教えて。
学園黙示録
佐藤大輔さん何やってんですかちゃんと『皇国の守護者』の続き書いてくださいよ!って突っ込みはあるにしても、このゾンビ漫画は大変な傑作である。佐藤大輔さんがこんなにゾンビに精通していると知って僕はかなり嬉しい。
んで、何が傑作かって、
・絵が萌えるし綺麗だしよく描きこまれている
・ゾンビの『お約束』をよく理解しているために飽きない
・全世界同時発生
と言う点だ。
まあ、ゾンビ漫画と言う点で、絵はぶっちゃけどうでもいいっちゃどうでもいいのだが、それでも見やすいに越したことはない。
が、やっぱゾンビとかになるとオドロオドロしいシーンとかも満載でないとダメなわけだから、軟弱な萌え絵だと、どうしても表現まで軟弱になってしまう上に、単純に言って合わない。萌え絵と言うのは人を和ませるためだけに特化した絵の形態の一つだからな。
が、この漫画は絵はそこそこ萌える割に、建造物や脇役、ゾンビ特有の表情等が非常に良い。ほえほえした女の子からイカつい男までなんでもござれだ。だから違和感もない。完璧。
武器を使った格闘シーンも巧いし、銃器の扱いについても、やっぱりなぜか精通したやつが一人仲間にいたり(これもお約束だが)してて、無駄がない。演出も過剰でも過小でもない。
ビジュアル表現に関して言えばこんなところだ。
次に、ゾンビの『お約束』だが、まあこれは諸説あるのだが、
①篭城は厳禁
必ず、守りさえ固めていれば助かると言うやつが出てくるが、それは大きな間違いで、いくらゾンビが進入してこれないように注意を払っていたとしても、生存者の精神が先ず持たない。もちろん、人数や確保した物理的スペース、治安状況にもよるが、まあ大体うまく行かない。
Ⅰ:人数が10人以上の場合
これは絶望的だ。篭城しているうちに確実に発狂するやつが出てくるし、それは伝染する。それに、食料等の問題が非常に大きいために、まともな頭を持った人間だと必ずそこに不安を覚え、やはり篭城には反対する姿勢を取るようになる。そうでなくても、内部で派閥が出来ることは必定であり、そうなると秩序立った集団行動すら危うくなる。
Ⅱ:物理的スペースが狭い場合
『ドーン・オブ・ザ・デッド』のスーパーマーケットぐらい広かったら問題もないだろうが、まあこの漫画で言うならば、せいぜい大きくて倉庫程度のものであり、普通は一軒家を考える(食料の備蓄が容易だし、外部との連絡も希望がある)。一軒家は一見篭城に向きそうだが、そうではない。持久戦にひどく弱いのだ。と言うのは、抱える食料の量に物理的な問題がある。一切買い物に行かずに1ヶ月以上も過ごせる家が存在するだろうか?
Ⅲ:治安が悪い場合
警察等の秩序がまともに機能しておらず、夜盗やゴロつき等が略奪を繰り返しているような絶望的な治安状態の場合、仮にⅡの問題をクリアして半年以上の篭城が可能だとしても、それは失敗する。いくら内部秩序が保たれていてもだ。侵入を警戒すべき相手がゾンビに限らなくなる。ただのゾンビ相手の篭城方法は、生きてる人間からすれば穴だらけで、そんなものは軽々と略奪者によって破壊され、ゾンビと一緒に侵入される羽目になる。また、そういう対略奪者に対抗する方法が縦しんばあったとしても、それはやはりいつまでも続くものではないし、武器・食料の消耗を激しくし、結果として篭城出来る期間を短くしてしまうだけだ。
以上のような理由から、篭城は確実に成功しない。作者はそのことがわかっており、篭城しても一時的なものに留めている。
②見知らぬ人は助けるな
同じように逃げてる人を見つけたとき、結託を必ず考える。人数が多くなればなるほどその声は多くなるし、それは人道に適ったもので批難の余地はない。僕も、助けられるべきなら助けるべきだと思う。が、それは女子供老人に限定すべきであって、特に血の気の多い男はあまり引き込まないほうが良い。血の気の多い男は真っ先に秩序を乱す原因であって、特にそれが女連れであった場合、主導権を握ろうと諍いを起こす可能性がある。助けるのであれば、信頼出来る人間に限ることは大前提である。
③戦いは極力避ける
どんな理由があっても、戦うべきは目の前にいるゾンビだけに限るべきで、必要以上に殺戮はすべきではない。それは弾薬の無駄遣いにしかならないし、それに酔ってしまう可能性もなくはない。最も重要視すべきは、弾薬の残りよりも常に自分たちの体力であり、無駄に疲れて休息を欲するようになると肝心なときに戦えなくもなる。思考力も奪われる。人間は電池を換えれば動くようになるものではない。
④身内にも冷徹であれ
最も悲劇的で同情以外にはないのがこのパターンで、つまり家族恋人親友等がゾンビになってしまった、あるいは噛まれた場合、どれだけ冷徹になれるかで助かる確率は変わる。もっとも、これは単純に生存する意味について考察する余地があるわけだから、家族や恋人を失ってまで生きる意味などないと考える人にとっては他人事ではない。生き残る意味はなんなのか、と言うことまで考えないとこのパターンには決着はつけれない。しかし、多くのゾンビ映画では、ゾンビになった家族などを撃てずに食われてしまうというパターンは決して少なくない。
と言うような感じで、読んでても、「作者はよくわかってるなあ」と感心するばかりだ。
だから、主人公グループの動きはゾンビ世界で生き残るために最も無駄がない。
このHigh School Of The Deadは、これらの悉くを痛快なほどに網羅している。
だから、この漫画はゾンビ漫画として頭一つ抜けていると思うのだ。
次に、全世界同時発生と言う点だが、これは色んなゾンビ映画で、ゾンビ発生の解釈が違うために、スケールにも違いが出てくる好例だが、このHSOTDは、疑う余地なく全世界同時発生。
例えば、ロメロの世界だと、原因はまったく不明だが、全世界同時発生的に死人が生き返るという設定で、そこには解釈も何もなく、あるのはただ事実だけと言うものだった。もちろん、これは物議を醸した。
その他多くのゾンビ映画で採用されているのは、地域限定的なゾンビであり、例えばそれは軍の開発したB兵器によって生まれたゾンビであったり、例えばそれは魔術で発生したゾンビであったり、例えばそれは病原体も特定されたゾンビであったりする。それらは結果として考えるならば、話を収束させるために必要なものであって、どれだけ原因のわからないゾンビ発生が魅力的で壮大で哲学的であっても、それはすでにロメロがやってる以上、踏襲と言うよりパクリでしかなくなるのだ。
HSOTDはロメロの世界観を踏襲してるために、原因も何もわからず、描かれているのは単純に暴動とサバイバルだ。
もちろん、主人公グループが高校生と言うこともあって、その辺の人間模様も日本的に描かれていて面白い。
2007年3月28日水曜日
2007年3月25日日曜日
『愚者は問う。鉄壁の王城を捨て、女王はいずこへゆくのかと。賢者は知る。どれほど堅牢な守備を誇ろうと、陥落しない城など存在しえぬことを』
高等教育の構造的問題を解決するには
この方のブログは辛辣で面白いのでよく読ませて頂いているのだが、僕が過去に
:一人称の世界: :: 時代の価値観
で、
と言う風に書いたのだが、僕が18歳のときに主張していたことが、今こうしてそれなりに有識だといえる方が
と言う風に、後押しするかのように書いてくださるのはなんだか嬉しいことだね。
別に僕が正しかったとか言うわけじゃないけど、単なる僕のエゴではなかった、と言うことの証明のようにも思える。
しかも、
教育再生会議:大学の「卒業認定試験」導入検討
ってなことがあったり、大学の進学率は下げるつもりはないけど質を高めるような努力はするようだ。逆に言うと、今の質では問題があると思ってらっしゃる、と。
でも、僕が勘違いしちゃならないのは、僕の意見を裏付けするような、いわば僕に有利ないくつかの記事やトピックを持ってして、「ほら見たことか僕の言ったとおりだろ」と言うのは、完全に井の中の蛙なんだってことだ。
僕や福耳さんや教育再生会議は、まあ同ベクトルの主張を有しているかも知れないけれど、まったく反対の、等量等質の主張だってあるはずだから、それを知らないといけない。自分サイドの主張だけじゃ説得力がないからね。説得力ってのは統計的なもんだと思うし。
まあここで僕の話をすると、僕は就職活動で、専門学校の身で、試しに大卒以上のみの応募のところに申し込んで、一次選考を受けてきた。
SPIと呼ばれる簡単な学力審査みたいなやつね。プログラムの問題もあったり、文章作成能力等々、まあ短時間にしちゃそこそこ多角的だなって思える試験だったんだけど、確実にほぼ全問正解な手応えを感じたんだけど、やっぱり落ちた。
当たり前だけど、書類選考の段階で、大卒向けのアンケートに対して専門学校のこと書いてるんだしな。先ず前提が違うってこった。
あくまで試しに受けてみただけだから、結果もわかってたんだけど、そういう風に『高専は不可』って企業なんていくらでもあるし、まだまだ多い。
で、福耳さんの
だけど、これはなんか金太郎飴みたいで、その企業の中層部以上の人には、やっぱりその『進学を考える学生の保護者』ってやつが含まれてると思うんだよな。
つまりこれはどういうことかっつーと、企業人であると同時に保護者である、で、気付いた人は福耳さんの言うように評価を改めるし、そうじゃない人は改めない。簡単に言うと、企業でも二極に分かれつつあるんじゃないかってこと。
ここからはあんまり関係ない話。
日本のソフトウエア生産性と品質は世界最高水準
今回のエントリーを読んで、目から鱗がポロロンだった。
本当に良い指摘だと思う。
完全に鎖国状態に入った携帯業界の例を見てもわかるとおり、独自企画にこだわりすぎなんだ。
シグマ計画とかにしてもそうだし、こないだも政府主導のLinuxを作ろうなんてのがあってその後の音沙汰もないし、どうして日本はこうなのかと。
大体、「日本が世界標準になるべきだ!」って言う主張はそもそもがなんかおかしい。
世界標準ってのはたぶん結果であって、志すことじゃない。良いものを作れば、自然にそれは普及し、勝手にデファクトスタンダードになる。
だから、標準標準と模索しているうちに、「こうすればいいんじゃね?」とどっかの誰かが奇天烈な発想して、「それは新しいね、それでいこう」と誰かがゴーサインを出し、それで生まれたものは高品質には違いないが他との互換性がまったく無視された、いわば「独自規格」だったと。僕はそう見てるんだが。
携帯コンテンツの充実度は本当にすごいと思うけど、互換性がなさすぎ。挙句の果てにデザインが一緒。その割にすぐ買い換えないといけない。これが経営戦略でなくてなんだというんだ?国内だけの経営戦略そのものがすでに時代遅れだということに気付いたほうがいい。特にデジタルメディア関係。
篭城が最上の戦略であったことが今までにあったなら、どうか僕に教えてほしい。
この方のブログは辛辣で面白いのでよく読ませて頂いているのだが、僕が過去に
:一人称の世界: :: 時代の価値観
で、
だから、僕が大学を辞める決意した(一応蛇足的に言うが大学に入る前に大学を辞める決意をしたのだ)のは一種の賭けだった。大学に入学し卒業することが当たり前になってしまえば、「大学も出てないの?プギャー」と笑われるか、あるいは、大学そのものの存在意義を見直すような時代になるか、のどちらかだと思ったからだ。そして、僕はその頃から4年間遊び倒すような人のことを知人から多く見聞きしていたので、「そんなのがスタンダードになるはずがない」と思って、後者を支持するようになったのだ。
と言う風に書いたのだが、僕が18歳のときに主張していたことが、今こうしてそれなりに有識だといえる方が
根本にあるのは、「企業が「四年生大学卒」の肩書きに対する評価を下げつつあることが進学を考える学生の保護者に良く伝わっていない」ということです。「九九もできない大学生」というのはいくらなんでもレアすぎるサンプルですが、「むかしの高卒レベルがいまの大卒レベル」(おそらく十五年から二十年間くらいの変化のことを指して、大学や予備校の人はこう評論することがありますね)であるなら、「どうせうちの子供がなんの苦労もせず入れる大学に行って四年間遊び暮らすなんていうことは無駄だ、高卒で就職させよう」と「そういう学生」の保護者が思うようになれば、「勉強できない大学生」の「社会問題」は自ずと軽減されていく。
と言う風に、後押しするかのように書いてくださるのはなんだか嬉しいことだね。
別に僕が正しかったとか言うわけじゃないけど、単なる僕のエゴではなかった、と言うことの証明のようにも思える。
しかも、
教育再生会議:大学の「卒業認定試験」導入検討
ってなことがあったり、大学の進学率は下げるつもりはないけど質を高めるような努力はするようだ。逆に言うと、今の質では問題があると思ってらっしゃる、と。
でも、僕が勘違いしちゃならないのは、僕の意見を裏付けするような、いわば僕に有利ないくつかの記事やトピックを持ってして、「ほら見たことか僕の言ったとおりだろ」と言うのは、完全に井の中の蛙なんだってことだ。
僕や福耳さんや教育再生会議は、まあ同ベクトルの主張を有しているかも知れないけれど、まったく反対の、等量等質の主張だってあるはずだから、それを知らないといけない。自分サイドの主張だけじゃ説得力がないからね。説得力ってのは統計的なもんだと思うし。
まあここで僕の話をすると、僕は就職活動で、専門学校の身で、試しに大卒以上のみの応募のところに申し込んで、一次選考を受けてきた。
SPIと呼ばれる簡単な学力審査みたいなやつね。プログラムの問題もあったり、文章作成能力等々、まあ短時間にしちゃそこそこ多角的だなって思える試験だったんだけど、確実にほぼ全問正解な手応えを感じたんだけど、やっぱり落ちた。
当たり前だけど、書類選考の段階で、大卒向けのアンケートに対して専門学校のこと書いてるんだしな。先ず前提が違うってこった。
あくまで試しに受けてみただけだから、結果もわかってたんだけど、そういう風に『高専は不可』って企業なんていくらでもあるし、まだまだ多い。
で、福耳さんの
「企業が「四年生大学卒」の肩書きに対する評価を下げつつあることが進学を考える学生の保護者に良く伝わっていない」
だけど、これはなんか金太郎飴みたいで、その企業の中層部以上の人には、やっぱりその『進学を考える学生の保護者』ってやつが含まれてると思うんだよな。
つまりこれはどういうことかっつーと、企業人であると同時に保護者である、で、気付いた人は福耳さんの言うように評価を改めるし、そうじゃない人は改めない。簡単に言うと、企業でも二極に分かれつつあるんじゃないかってこと。
ここからはあんまり関係ない話。
日本のソフトウエア生産性と品質は世界最高水準
今回のエントリーを読んで、目から鱗がポロロンだった。
「OSやミドルウエアがアメリカ主導なことは認めるが、アプリケーションソフトの開発では、日本の技術力は世界最高水準にある。ではなぜ国際競争力がないのかといえば、日本でどんなに優秀な生産管理システムや会計処理システムを開発・構築しても、世界標準の仕様とはほど遠いので、世界ではまったく使いモノにならないからだ」
まず日本人技術者の生産性の高さ、成果物品質の桁違いの高さは、何人ものアメリカの学者の科学的調査で報告されている。さらに事象として、実は日本はソフトウエアの国際競争力トップの分野がただひとつあるんだ。それはアミューズメント系、ゲームソフトだ。この分野はニンデンドーという先駆者の存在、世界トップの日本のアニメーション製造技術、いくつかの日本に取り有利な条件があったが、日本がトップに君臨している最大の理由は、日本社会の独自習慣に仕様をあわせる必要が無く、はじめから世界標準の「楽しさ」の追及だけで勝負できたからだ
本当に良い指摘だと思う。
完全に鎖国状態に入った携帯業界の例を見てもわかるとおり、独自企画にこだわりすぎなんだ。
シグマ計画とかにしてもそうだし、こないだも政府主導のLinuxを作ろうなんてのがあってその後の音沙汰もないし、どうして日本はこうなのかと。
大体、「日本が世界標準になるべきだ!」って言う主張はそもそもがなんかおかしい。
世界標準ってのはたぶん結果であって、志すことじゃない。良いものを作れば、自然にそれは普及し、勝手にデファクトスタンダードになる。
だから、標準標準と模索しているうちに、「こうすればいいんじゃね?」とどっかの誰かが奇天烈な発想して、「それは新しいね、それでいこう」と誰かがゴーサインを出し、それで生まれたものは高品質には違いないが他との互換性がまったく無視された、いわば「独自規格」だったと。僕はそう見てるんだが。
携帯コンテンツの充実度は本当にすごいと思うけど、互換性がなさすぎ。挙句の果てにデザインが一緒。その割にすぐ買い換えないといけない。これが経営戦略でなくてなんだというんだ?国内だけの経営戦略そのものがすでに時代遅れだということに気付いたほうがいい。特にデジタルメディア関係。
篭城が最上の戦略であったことが今までにあったなら、どうか僕に教えてほしい。
2007年3月24日土曜日
今から仮説だらけの妄想を書きなぐるから、どうか信じないで貰いたい。
前提1:小泉首相はその方法から、知名度も求心力も高かったが、内部反発も強かった。
前提2:政治家には既得権益を保持しようとする人がとても多い
前提3:次期首相に推薦されたのは、若き安部官房長官だった
前提4:政治家は年長者に対して頗る弱い
前提5:日本人は基本的に「和を持って尊し」とする民族性を持つ
事実1:安部は選挙で圧倒的な勝利を収めた
事実2:安部政権が樹立してからの支持率は下がる一方
事実3:官房長官時代と比べ、覇気がなくなった
僕はこれらの事項から、どうしても安部首相がスケープゴートに見えて仕方がない。
果たして、古い頭を持った人が、進んで自分たちよりも年齢の若い人を小泉さんの後継者として任ずることを是とするだろうか?
ここに一つのレトリックがある。
小泉首相は様々な政策を大胆に行った。それは改革であり、因習を捨てるに足るものであった。
しかしその新しい風を巻き起こした小泉首相は退陣せねばならず、次期首相を選出する必要があった。
新しい風を継ぐのは、若い世代で当然である。よって安部さんが選ばれた。
僕が古い頭を持った政治家であるなら、この論理は確実に快諾する。
前提4と5があるからだ。それは前提2をも保証する結果に直結する。
ならば、事実1は小泉首相の知名度・支持率からしても当然でなんら不自然ではない。
が、ここに事実2がある。
僕の中では、この事実2はどうもしっくり来ない。
指導者としてのカリスマ性がないだとか、そういうレベルではない。
カリスマ性がなくても、地味であっても、踏襲されたことさえやっていれば批難はされないからだ。
もし批難がされるとしたら、「小泉劇場」と言うエンターテイメントに慣れすぎた国民が物足りなさを感じた結果であって、それはそれでまた問題になる。
政治は、司会者が変わったからってチャンネルを変えて良いような番組じゃない。
仮定1:本当に首相としての器がなかった
仮定2:器があってもキッチリ出来ないなんらかの『理由』がある
どちらにしても、後ろになんらかの糸が見え隠れする。
また、それを受けてか、「小泉首相再浮上説」なんてのがあったりもするが、果たしてそれは内閣で肯定的なのだろうか。
もしその説が国民が言っているだけのものならば、仮定2の信憑性が高まるし、内閣でも「小泉さんのほうが良かったなあ」と言う意見のほうが多かったら、仮定1の信憑性が高くなる。
まあ当然、内閣の人たちがそう思っていても、口には出せないわけだが。
もちろん、安部首相の経歴であるとか、その他大臣の発言力であるとかは十分に加味するべきだし、調査して検証する価値もあるものだと思うけど、そこまでは別にしない。
単に、僕は「何かおかしい」と言う違和感を感じただけなのだから。
それに、本当に他の政治家から後継者として相応しいと推薦され、しかし求心力が足りなくて残念でした、と言うような平和なものであるならそれはそれで全然構わない。
もしそうなら前向きになれるから。
以下に記すのは僕が友人とした会話の一部を取り上げたものだ。
これは、つい最近取り上げられたゆとり教育改正に関する世間話の一つだが、
「7限目の創設」と言う誰もが馬鹿だと思う発想の背景にはこんなのがあったりするんじゃないだろうかと思うのだ。
少なくとも、あっても不思議ではないと思っている。
これは前提5に起因する。
日本の政治と言うのが、長いものに巻かれたり、あるいは顔色を伺うことのうまい人格者の集まりだと解釈するなら、そういうことはあってもおかしくない、と思う。
最後に事実5だが、確か有識者の人は「人が変わったようです」と言っていたように記憶している。
官房長官時代はもっと決断力のある人だったと言うのだ。
さて、まあそうなると、安部首相は僕はマリオネットにしか見えないわけだ。
支持率が下がったとは言え、野党がしょぼいので政権交代なんて現実的ではないし、そうなると今度の選挙も出来レースに近くなるんじゃないの?ってのが僕の妄想。
以上の妄想は、なんらの根拠も論拠もなく、単に陰謀説とスパイ映画の大好きな僕が同人誌のネタにと書き殴ったものですので誤解なきよう。
前提1:小泉首相はその方法から、知名度も求心力も高かったが、内部反発も強かった。
前提2:政治家には既得権益を保持しようとする人がとても多い
前提3:次期首相に推薦されたのは、若き安部官房長官だった
前提4:政治家は年長者に対して頗る弱い
前提5:日本人は基本的に「和を持って尊し」とする民族性を持つ
事実1:安部は選挙で圧倒的な勝利を収めた
事実2:安部政権が樹立してからの支持率は下がる一方
事実3:官房長官時代と比べ、覇気がなくなった
僕はこれらの事項から、どうしても安部首相がスケープゴートに見えて仕方がない。
果たして、古い頭を持った人が、進んで自分たちよりも年齢の若い人を小泉さんの後継者として任ずることを是とするだろうか?
ここに一つのレトリックがある。
小泉首相は様々な政策を大胆に行った。それは改革であり、因習を捨てるに足るものであった。
しかしその新しい風を巻き起こした小泉首相は退陣せねばならず、次期首相を選出する必要があった。
新しい風を継ぐのは、若い世代で当然である。よって安部さんが選ばれた。
僕が古い頭を持った政治家であるなら、この論理は確実に快諾する。
前提4と5があるからだ。それは前提2をも保証する結果に直結する。
ならば、事実1は小泉首相の知名度・支持率からしても当然でなんら不自然ではない。
が、ここに事実2がある。
僕の中では、この事実2はどうもしっくり来ない。
指導者としてのカリスマ性がないだとか、そういうレベルではない。
カリスマ性がなくても、地味であっても、踏襲されたことさえやっていれば批難はされないからだ。
もし批難がされるとしたら、「小泉劇場」と言うエンターテイメントに慣れすぎた国民が物足りなさを感じた結果であって、それはそれでまた問題になる。
政治は、司会者が変わったからってチャンネルを変えて良いような番組じゃない。
仮定1:本当に首相としての器がなかった
仮定2:器があってもキッチリ出来ないなんらかの『理由』がある
どちらにしても、後ろになんらかの糸が見え隠れする。
また、それを受けてか、「小泉首相再浮上説」なんてのがあったりもするが、果たしてそれは内閣で肯定的なのだろうか。
もしその説が国民が言っているだけのものならば、仮定2の信憑性が高まるし、内閣でも「小泉さんのほうが良かったなあ」と言う意見のほうが多かったら、仮定1の信憑性が高くなる。
まあ当然、内閣の人たちがそう思っていても、口には出せないわけだが。
もちろん、安部首相の経歴であるとか、その他大臣の発言力であるとかは十分に加味するべきだし、調査して検証する価値もあるものだと思うけど、そこまでは別にしない。
単に、僕は「何かおかしい」と言う違和感を感じただけなのだから。
それに、本当に他の政治家から後継者として相応しいと推薦され、しかし求心力が足りなくて残念でした、と言うような平和なものであるならそれはそれで全然構わない。
もしそうなら前向きになれるから。
以下に記すのは僕が友人とした会話の一部を取り上げたものだ。
例えば、僕が週休完全2日制、土日を休みにした張本人だとしよう。
時代は変わり、僕は第一線を退いて、今はお前が最も発言力のある人物になっている。
つまり、対外的に見れば、お前は僕の後継者と言うことになる。
さて、その状態で、「やっぱり土日の完全休みは返上して、昔のように戻します」と僕の前で言えるだろうか?
時代は変わり、僕は第一線を退いて、今はお前が最も発言力のある人物になっている。
つまり、対外的に見れば、お前は僕の後継者と言うことになる。
さて、その状態で、「やっぱり土日の完全休みは返上して、昔のように戻します」と僕の前で言えるだろうか?
これは、つい最近取り上げられたゆとり教育改正に関する世間話の一つだが、
「7限目の創設」と言う誰もが馬鹿だと思う発想の背景にはこんなのがあったりするんじゃないだろうかと思うのだ。
少なくとも、あっても不思議ではないと思っている。
これは前提5に起因する。
日本の政治と言うのが、長いものに巻かれたり、あるいは顔色を伺うことのうまい人格者の集まりだと解釈するなら、そういうことはあってもおかしくない、と思う。
最後に事実5だが、確か有識者の人は「人が変わったようです」と言っていたように記憶している。
官房長官時代はもっと決断力のある人だったと言うのだ。
さて、まあそうなると、安部首相は僕はマリオネットにしか見えないわけだ。
支持率が下がったとは言え、野党がしょぼいので政権交代なんて現実的ではないし、そうなると今度の選挙も出来レースに近くなるんじゃないの?ってのが僕の妄想。
以上の妄想は、なんらの根拠も論拠もなく、単に陰謀説とスパイ映画の大好きな僕が同人誌のネタにと書き殴ったものですので誤解なきよう。
血族
叔父が亡くなる2日前、近隣に住む親類たちが最後に話をしようと押しかけてきたとき、弱りきっていながらも叔父は
「なんだお前ら、まるでわしが死ぬみたいに」
と悪態をついて、その日の競馬の結果だの、近所の(と言っても車で30分ぐらいかかるが)パチンコの出玉だの、普通の世間話を数時間して元気だったそうな。
人に迷惑をかけることを極端に嫌う叔父の性格と、諧謔味の少なくない叔父の性質とが現れたエピソードだと思う。
叔父は、3男6女の長男として、一族の長として、いわば大黒柱として親類の多くと浅くない縁を持ち続け、心的にも経済的にも親族にとって有難かった。たぶん影ながら色々なところで助力していたものだと思う。口下手な叔父のことだ。
戦中に生まれ、戦後まもなくから小さいながら看護師を定年間近まで勤めていた叔父の半生は、思考力のついてきた高校生以降の関わりが薄かった僕には想像するには余りあるんだろうけど。定年後は財産一つで祖母を養い、妹を食わせていた。祖母の介護は専らその妹、つまり僕の叔母がやっていたのだけれど。それでも裕福だったのは一重に叔父のおかげだと、僕でもわかる。
けれど3年前に叔父が食道ガンで大きな手術をしてからは、入退院を繰り返し、祖母と入れ違いに叔母に面倒を見られる立場になった。
祖母の死後、1年も持つかと主治医も言っていたぐらい(らしい)から、それから2年も元気に持ったのは良かったといえるのかどうか。
臨終を迎える直前と言うのは、やはり自分でそのことがわかるのだろうか。
叔父は午後9時、長年面倒を見てきてくれた叔母を呼び、手を握って長い間ありがとうと言ってから息を引き取ったのだそうだ。
享年72歳、生涯独身、僕が生まれてからは常に一族の長だった。
まあ、そういう風に「もう死ぬらしい」→「まだ元気だ」が何度も繰り返されてきたせいかどうかはわからないが、葬儀の場の悲壮感は完全無欠に0だった。ほとんど老衰に近いからかも知れない。祖母の時もそんなだったから、嗚咽に覆われる葬式と言うのはテレビの中だけなんじゃないかと思えた。
でも、昔からそういう生死については皆が皆色々な意見を戦わせていたのは僕もよく覚えていることなので、それの反映なのかも知れないけど。
曰く、「死者より生者を大切にしろ」。死者に対する敬意はもちろん失くしちゃいけないし、礼儀礼節も必要だとわかっているけれど、必要以上に悲壮感に暮れることもなく前向きに生きるほうが良い、と言うのが、基本的に前向きな皆の意見だ、と僕は思う。
この辺は僕の感想でしかないが、冒頭で述べたような叔父の性格のことをよく知っている皆なので、無駄に打ち沈んでも、たぶん叔父は「お前ら、らしくないことはやめていつもみたいに馬鹿を言えよ」と思うだろうことが暗にわかっているからこそああいう風にどんちゃん騒ぎに興じることが出来るのだと思う、否、確信してる。
親類一同が一堂に会する機会なんて、もう滅多にないし、そんなときに久闊を叙するように笑わないでどうするんだ、久々に集まったんだから笑えよ、と言うほうが、叔父の性格としてはシックリ来る。
改めて言うことでも思うことでもないが、死なない人間なんていない。僕だっていつかは死ぬし、それが遅いか早いかすらわからない。もしかしたら明日交通事故に遭うかも知れないし、こうしている間にも刻々と病害が僕を蝕んでいるかも知れない。けれど、そんなことは考えたって仕方ない。生きてることに意味なんてないんだから。死に不条理を感じるのは人間でしかない。むしろ、死は一番自然なことなんだからね。ちなみに死の対義語は生きることではなくて生まれること。
そういえば、昔こんなことも言われた気がする。
曰く、「死んだ人は笑って送らんとあかんよ」「なんで?」「泣いてばかりいたら、うちらの所為で死に切れん思いになったりするかも知れんやろ?」
まあ確かにその通りだと思う。未練を残すのは死者じゃなくてそれを思う生者であると。
例えばそれが予期せぬ事故死であったりしたら、話は別だろうけど、病死や老衰の場合、時間はあるんだから、やっぱり楽しい思い出話とかをしてあげるほうが供養にもなりそうな気もする。
端から見たら不謹慎かも知れないけどね。でもそんなのって遺族の問題だ。外野からとやかく言われることじゃない。
だから、「冥福を祈る」とは言っても、それほど悲しい顔はしない。特に人前じゃ。
ちなみに、そういう場合であっても、喪中だからと言うことで例えば年賀状を送らないということはないし、あえてそれを言うことも僕らはない。
これも前に一度話題に上ったことがあるのだが、「喪中だから」と言って年賀状を断るのは、「おめでとうございます」と言う言葉が多分に不謹慎に思われるからだという意見が一般的だと思うのだが、それは言葉遊びや韻踏みの悪しき風潮と言うもので、新年がめでたいことと喪中であることはまったくの別問題で、「新年明けましておめでとうございます」と言って、「こないだうちの親戚が死んだところなのにおめでとうなんて不謹慎だわ、ムキー!」なんていう人は言葉を額面通りにしか受け取れない人だという結論に落ち着いたのだ。
だから、うちはたとえ一般的に言う喪中であっても、そういう新年を迎える言葉であっても快く受け止めるし、その他それに類する言葉であっても問題はない。もしも相手が気を遣って送らないのならそれはそれで一向に構わないし。つまるところ、要約して言うならば、相手の好意を第一に考えろ、と言うことだ。
ともあれ、これでまた少し寂しくなった。田舎に帰ることはもうあんまりなくなったとは言え、昔の思い出がいっぱいあるところなので。
僕が子供のころ、叔父の家で滞在していたのだが、広い家だったのでいつも親類が何人も遊びに来ていて、常に10人は家の中にいて賑やかだった(夕飯の時なんか、大きいテーブルを4つぐらい用意したりしていた。)ものだが、その叔父もいなくなり、祖母もいなくなり、もうあの広い家には叔母一人だけになったので、一人残された叔母だけが可哀想でならない。
近所に親類が何人も住んでいるとは言え…ね。あの家はよく座敷童子も出るしなあ。
それにしても、久々に田舎の言葉を喋ろうとするとうまく喋れないものだぜ…。僕の家族は大阪弁で通してるんだけど、なぜか僕だけは昔から、いとこたちと対等に喋ることを心がけていたから、向こうの人と喋るときは最低でもイントネーションは方言なのだ。
「なんだお前ら、まるでわしが死ぬみたいに」
と悪態をついて、その日の競馬の結果だの、近所の(と言っても車で30分ぐらいかかるが)パチンコの出玉だの、普通の世間話を数時間して元気だったそうな。
人に迷惑をかけることを極端に嫌う叔父の性格と、諧謔味の少なくない叔父の性質とが現れたエピソードだと思う。
叔父は、3男6女の長男として、一族の長として、いわば大黒柱として親類の多くと浅くない縁を持ち続け、心的にも経済的にも親族にとって有難かった。たぶん影ながら色々なところで助力していたものだと思う。口下手な叔父のことだ。
戦中に生まれ、戦後まもなくから小さいながら看護師を定年間近まで勤めていた叔父の半生は、思考力のついてきた高校生以降の関わりが薄かった僕には想像するには余りあるんだろうけど。定年後は財産一つで祖母を養い、妹を食わせていた。祖母の介護は専らその妹、つまり僕の叔母がやっていたのだけれど。それでも裕福だったのは一重に叔父のおかげだと、僕でもわかる。
けれど3年前に叔父が食道ガンで大きな手術をしてからは、入退院を繰り返し、祖母と入れ違いに叔母に面倒を見られる立場になった。
祖母の死後、1年も持つかと主治医も言っていたぐらい(らしい)から、それから2年も元気に持ったのは良かったといえるのかどうか。
臨終を迎える直前と言うのは、やはり自分でそのことがわかるのだろうか。
叔父は午後9時、長年面倒を見てきてくれた叔母を呼び、手を握って長い間ありがとうと言ってから息を引き取ったのだそうだ。
享年72歳、生涯独身、僕が生まれてからは常に一族の長だった。
まあ、そういう風に「もう死ぬらしい」→「まだ元気だ」が何度も繰り返されてきたせいかどうかはわからないが、葬儀の場の悲壮感は完全無欠に0だった。ほとんど老衰に近いからかも知れない。祖母の時もそんなだったから、嗚咽に覆われる葬式と言うのはテレビの中だけなんじゃないかと思えた。
でも、昔からそういう生死については皆が皆色々な意見を戦わせていたのは僕もよく覚えていることなので、それの反映なのかも知れないけど。
曰く、「死者より生者を大切にしろ」。死者に対する敬意はもちろん失くしちゃいけないし、礼儀礼節も必要だとわかっているけれど、必要以上に悲壮感に暮れることもなく前向きに生きるほうが良い、と言うのが、基本的に前向きな皆の意見だ、と僕は思う。
この辺は僕の感想でしかないが、冒頭で述べたような叔父の性格のことをよく知っている皆なので、無駄に打ち沈んでも、たぶん叔父は「お前ら、らしくないことはやめていつもみたいに馬鹿を言えよ」と思うだろうことが暗にわかっているからこそああいう風にどんちゃん騒ぎに興じることが出来るのだと思う、否、確信してる。
親類一同が一堂に会する機会なんて、もう滅多にないし、そんなときに久闊を叙するように笑わないでどうするんだ、久々に集まったんだから笑えよ、と言うほうが、叔父の性格としてはシックリ来る。
改めて言うことでも思うことでもないが、死なない人間なんていない。僕だっていつかは死ぬし、それが遅いか早いかすらわからない。もしかしたら明日交通事故に遭うかも知れないし、こうしている間にも刻々と病害が僕を蝕んでいるかも知れない。けれど、そんなことは考えたって仕方ない。生きてることに意味なんてないんだから。死に不条理を感じるのは人間でしかない。むしろ、死は一番自然なことなんだからね。ちなみに死の対義語は生きることではなくて生まれること。
そういえば、昔こんなことも言われた気がする。
曰く、「死んだ人は笑って送らんとあかんよ」「なんで?」「泣いてばかりいたら、うちらの所為で死に切れん思いになったりするかも知れんやろ?」
まあ確かにその通りだと思う。未練を残すのは死者じゃなくてそれを思う生者であると。
例えばそれが予期せぬ事故死であったりしたら、話は別だろうけど、病死や老衰の場合、時間はあるんだから、やっぱり楽しい思い出話とかをしてあげるほうが供養にもなりそうな気もする。
端から見たら不謹慎かも知れないけどね。でもそんなのって遺族の問題だ。外野からとやかく言われることじゃない。
だから、「冥福を祈る」とは言っても、それほど悲しい顔はしない。特に人前じゃ。
ちなみに、そういう場合であっても、喪中だからと言うことで例えば年賀状を送らないということはないし、あえてそれを言うことも僕らはない。
これも前に一度話題に上ったことがあるのだが、「喪中だから」と言って年賀状を断るのは、「おめでとうございます」と言う言葉が多分に不謹慎に思われるからだという意見が一般的だと思うのだが、それは言葉遊びや韻踏みの悪しき風潮と言うもので、新年がめでたいことと喪中であることはまったくの別問題で、「新年明けましておめでとうございます」と言って、「こないだうちの親戚が死んだところなのにおめでとうなんて不謹慎だわ、ムキー!」なんていう人は言葉を額面通りにしか受け取れない人だという結論に落ち着いたのだ。
だから、うちはたとえ一般的に言う喪中であっても、そういう新年を迎える言葉であっても快く受け止めるし、その他それに類する言葉であっても問題はない。もしも相手が気を遣って送らないのならそれはそれで一向に構わないし。つまるところ、要約して言うならば、相手の好意を第一に考えろ、と言うことだ。
ともあれ、これでまた少し寂しくなった。田舎に帰ることはもうあんまりなくなったとは言え、昔の思い出がいっぱいあるところなので。
僕が子供のころ、叔父の家で滞在していたのだが、広い家だったのでいつも親類が何人も遊びに来ていて、常に10人は家の中にいて賑やかだった(夕飯の時なんか、大きいテーブルを4つぐらい用意したりしていた。)ものだが、その叔父もいなくなり、祖母もいなくなり、もうあの広い家には叔母一人だけになったので、一人残された叔母だけが可哀想でならない。
近所に親類が何人も住んでいるとは言え…ね。あの家はよく座敷童子も出るしなあ。
それにしても、久々に田舎の言葉を喋ろうとするとうまく喋れないものだぜ…。僕の家族は大阪弁で通してるんだけど、なぜか僕だけは昔から、いとこたちと対等に喋ることを心がけていたから、向こうの人と喋るときは最低でもイントネーションは方言なのだ。
2007年3月19日月曜日
『プルーが傍にいたから 私は強くなれた』
気が向きやがりましたので机周りのリフォームをしましたよっと。
今までの置物の配置を左右反転させました。
スピーカーの配置とかケーブルの配線とか、メモパッドとペンの置き場所とか、机に向かって勉強してるときに携帯は視界に入るのかとか、もう気にしだすと楽しすぎてキングクリムゾン使われたみたいに時間が飛ぶね。消し去るね。
ついでに、もうかれこれ6年ぐらい張り続けていたジョジョのポスターを遂に剥がすことにした。ボロボロだったからな。
代わりに僕の部屋へやってくるのは!M・C・エッシャーだ!実は姉から貰った額つきの1000ピースの絵画パズルがあるのだ。何処に飾ろうかと悩んでいたから、これはジョジョの代わりを務めてもらうしかあるまいて。アルマイト工業ってなんかなかったっけ。
あーもう、掃除って何でやり始めたら止まらないのかね。誰か説明してくれ。10文字以内で。
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