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2006年12月31日日曜日

『”また会おう”と言った 道の上』

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実に楽しい晦日大晦日だった。
仲の良い高校時代のやつらと毎年やってる忘年会。仲が良くて年に何度か集まって遊んでいる高校時代のグループは2つある。あえて見分けをつくようにすれば、今回集まったのは『オタク的理系グループ』であり、もう一つ、つまりDやEなどがいるほうは『口悪すぎワロタグループ』である。
『口が悪すぎワロタグループ』に関してのほうはどうせ新年会が終わったあと書くことになるので今は省く。
『オタク的理系グループ』は、その名の通り全員理系なのだ。

僕 以 外 な 。

7人いる中で僕だけが低学歴文系脳で、その他の4人は院生、今回来れなかった1人は半?社会人で、残り一人だけ院生でもないが大学生のやつがいた。
理系の院、しかも全員国立なんだっけか?なので僕が普段生活で接するIQレベルとはもう一味も二味も違い、こんなやつらと高校時代は机を並べてたわけかと思うと今の僕の現状にブチ切れドイツ少年並の怒りを覚えるが、まあ頭脳の差はどうであれ気の合う仲間たちだ。
全員が全員、専門分野が違い、かつ互いを理解しようとする姿勢に優れ、かつほぼ全員が聞き上手かつ話上手であるため、会話がエスカレーターのように止まらない。19時から22時過ぎぐらいまで居酒屋で駄弁っていたが、初めは男だけに許される下世話な会話、後に近況報告、そして政治的・社会的なしゃべり場的な議論、と、それぞれの趣味に基づいた話をしなくても会話の幅が異常に広い。馬鹿(良い意味で)と真面目が同居した人間が集まればああいうことになるんだろうなあと思った。『口悪すぎワロタグループ』のほうでも真面目な会話は同じくらい成り立つはずだが、ここ数年お目にかかってない。一言話し始めれば全方位から罵言と突っ込みが入るので成立しにくいのだ。

おさるの言うとおり、確かに高校時代のグループ以外はここまでは達さない。僕らが特殊だと思うのは傲慢かも知れないが、全員頭の切り替えがむちゃくちゃ早いので、短時間でも会話の幅の広いことが相当に感じられるのだと思う。

まあ主観的な自画自賛はこの辺にしとこう。居酒屋で話していた話で最も興味深かったのが、教育問題だった。おさると楓は、道こそ違えど『教育』と言う括りで見れば同じ分野に進むようなので、生の実態が聞けて驚いたのだが、僕が普段耳にする、教育の破綻や馬鹿親の極例に思えるようなニュースが、既にありふれたものであるということ。聞いていると、相当深刻で、危機感を抱かずにはいられない内容だった。僕自身、ニュースで耳にするものは「あくまで一例に過ぎない」って考えがあったのだが、実際は一例どころではなかった。
最近の風潮を受けて教育業界にも成果主義が導入されるとのことだが、現状をなんら改善しないまま成果主義になったところで、教師が親と委員会側に媚を売る以上のことにならない、と言うことがハッキリとわかった。悪循環どころか破綻へのカウントダウンのように思えた。
10ヶ月ぐらい前に別の友人から聞いた、『最近は本当に二極化が進んでると実感した。あれは誇張でもなんでもないよ』と言う言葉が、ここでももう一度聞けた。危機感を抱いてももう遅いんじゃないかと思うほど深刻だ。

アパート火災で2歳児死亡 母親はスノーボードで外出

僕はこういうニュースに関しては感情的になってしまうのであまり触れたくないのだが、流れ的にこの記事をあえて紹介する。
これを読んで「全員が全員こんな馬鹿な親じゃない!」って思うのが多数だろうけど、楓とおさるの話を聞く限り、全員とは言わないまでも、かなり多くなってきたのは本当に事実らしい。『義務』とか『責任』とか『自由』とか、そういうものをどこかで履き違えてる人が多い。最も僕が考えてることだって履き違えてない確証があるわけじゃないけれど。けど自身の主張を疑うことは大事だ。


真面目な話終わり。


貝類の数々。
誰が何を食べるかをジャンケンで決めた結果、案の定僕が真っ先に負けて、カスミと一緒に小さなアサリだけを食べた。ホタテ…!


23時からフリータイムで朝6時までカラオケ。なんか『グラカラ』とか言うやつがあった。
『グラカラ』モードに登録されている曲を選択すると、背景の映像がグラビアアイドルのプロモーションビデオになるとか言うものだった。
全員少なくとも一度は入れた。たぶん合計10回は入れた。
予約曲目が
グラカラ
グラカラ
グラカラ
グラカラ
とかになってたwwwwアホだwww
もちろん4連続でグラビアアイドルのキワドイ映像である。歌ってる最中に、グラビアアイドルの水着が取れそうになって「うおおおお!」とかwww
一番面白かったのは、海辺ではしゃぐグラビアアイドルが下の水着に手をかけたときに「うおおおお!」って歓声が聞こえて、本当に下に降ろしたときに「脱いだ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━!!!!!」ってなって、その下にさらに水着があったことがわかったときの笑い声がむしろとても面白かった。お前ら最高wwwwwww

カラオケといえば、2~3ヶ月ほど前に友人Eとカラオケに行ったときに、僕らの人生の共通の目標である、『死ぬまでにスピッツは歌えるようになる』と言うことを実現するためにはどうすればよいかと言うことで、3時間ほど秘密特訓をした覚えがある。
今までは、単純に喉を使って高い声を頑張って出していたのだが(まあ昔に比べると努力の甲斐あってそれなりに高い声は出るようになったが)、喉が潰れるのが早い上に、限界があることが早く見て取れたので、僕とEは「たぶんオレらの今の歌い方だと一生スピッツを歌うことは出来ない」と悟り、新たな境地へ踏み出したのだ。『本気で努力して出来ないことなんてない』。僕らが貫いてきた姿勢である。才能だの何だのは言い訳だ。まあその姿勢が僕みたいな半端者を生んだわけだが。
先ず僕らが始めたのは、歌の上手い人の分析である。声の出し方が根本的に違うのであれば今まで通り頑張っていても仕方がない。どこかで一度革命を起こさねばならない。そこで、僕らの知人・友人・知ってるアーティストの例などを挙げて、検証してみた。
結果わかったのは、男性に限れば上手い人は喉で歌っていないということだ。
ライブ時の草野さんの歌うバラードでわかるのだが、深い息継ぎの音すら聞こえるのだ。しかもそれでいて、声を張り上げず、声量は一定に保ったまま音域だけを高くしている。もはや人間業ではない。
その他のアーティストでも、たとえば坂本真綾たんにしてもそうだが、息を吐くときの音が、喉で歌っているときのそれとは段違いなのだ。喉で歌っているときの息継ぎは浅く、吐息としても胡散臭い。
と言うわけで、僕とEは声量をあげないまま、喉を使わず、音域だけ高くする特訓をした。かなりキモかったと思う。キモヲタ乙って感じだった。
結果、腹から歌うという感覚はわかったものの、声量をあげないというのは不可能だ。むしろ腹から声を出せるようになって声量がデカくなったような気さえする。もはや意味がわからない。どうやったら上手くなれんだ。ていうかどうやったらスピッツ歌えるようになるんだ。死ぬときは『甘い手』を聞きながらって決めてるのに。(´・ω・`)


さて話が収拾つかなくなってきたところで、今年最後の『一人称の世界』のまとめでもしようかと。
って言っても別に何を書くわけでもないけど。もうこの『一人称の世界』が始まって3~4年ぐらい経つんですかね。
今年は晦日大晦日が上記のようにかなり楽しかっただけに、終わりよければ全てよしじゃないけど、良い年だったと思える。自分も周囲も色々紆余曲折や変化があったにはあったけど、実に楽しい1年だった。1年って言うのは振り返るのには長すぎる。過ぎたと思うのには短いけど。自分でも少しは成長していると思うし、それ以上に自分は幸せなんだととみに思うことが出来た年だった。幸不幸を決めるのは他人ではない。僕が幸せかどうかは僕が決める。
ただ、2007年は高確率で、どの時期かで相当な欝時期に入るであろうことがもうほぼ確定済みなので、そればかりが、考えると今からため息の、来年に残る懸念だ。

まあ今年もあともう6時間ほどだ。いつものように過ごそう。