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2007年9月7日金曜日

『ええい、命令というのはもう少し厳格でなくてはならないな』

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ようやく5ヶ月間にも渡る大きなイベントが終わった。
僕は受賞は出来なかったけど、それはまあ妥当な結果と言うか、頑張った生徒が順当に評価され、頑張らなかった生徒が残念な結果に終わるというただの現実。
やる気という面で見れば微妙なところだが、極端な楽も死にそうなほどの苦労もしたくない。だから穏当に物事を進めてきたわけだが、それもまあ結局のところ自分だけの身勝手だ。
が、言い訳をさせてもらえば、僕のグループはあまりに分裂が多すぎて、一丸となることが果てしなく出来なかった。それは個性の強いメンバー同士の対立がほとんど。能力的なことではなくて性格的なこと。僕はリーダーという立場上、そんな純個人的な人間的な問題の仲介役をせざるを得ず、そこにほとんどの心的リソースを費やした。それは皆も同様なのだろうと思う。
全てをモチベーションの所為にはしたくはないけど、モチベーションの占める割合は思っているほどに大きい。
意思の疎通。意識の統一。そういったこと全てが原因。誰に原因があるのかはわからない。僕だけかも知れないし、僕以外のメンバー全員かも知れないし、特定の誰かかも知れないし、全員かも知れないし、誰にもないかも知れない。
問題の多かったグループ活動。その問題の全ては人間的な問題に尽きる。それ以外の問題は何一つ起こらなかった。

リーダーは行動の全責任を負わねばならないというのは当たり前だが、それに託けてメンバーが責任感を感じないと言うのはリーダーの管理責任以上に本人の性格だ。性格を簡単に直せるのならカウンセラーなんて廃業の一途だ。
いくらリーダーシップがあろうと統率力があろうと責任感が強かろうと、メンバーシップがなけりゃグループ行動なんてうまくいきっこない。

そういう組織行動原理はともかくとしても、今回の僕のグループは『純個人的な諍い』が多かったので、どうしようもなかった。僕は相談に乗ることしか出来ず、乗ったからと言って何が出来るわけでもなく。仲直りとか雨降って地固まるとか言うレベルでもなかったしな。ほんとにどうしようもなかった。だから無力感は感じないけど、その分公私の分別のつかない人間として僕の頭には残った。

はあ…僕がいくら何を言っても、それは僕の視点からの主観的な意見でしかないし思い上がりでしかないから、まったく書いてて嫌になる。誰も彼も僕と同じではないと言うのに。
協調性とは同一化?いや、差異を認めた上での歩み寄りだろう。

まあ、とにかくようやく一息つける。
来週からはまた通常の学校が始まり(学生生活最後の半年だ)、Dの会社から戴いた仕事をし、P嬢と教習所に通うのだ。
うん、僕はやっぱり、平凡なほうが好きだ。有能だとか優秀だとか、そんなのは僕に合う服じゃない。