ページ

2008年6月11日水曜日

秋葉原の殺傷事件に関して

0 件のコメント:
先ずは被害者やその遺族の方々にお悔やみを申し上げます。

この事件、まあ今は起きたばかりなので色んな番組や紙面を騒がせているけれど、それを見るたびに思う。
なんで誰も彼もがそんな難しく判断するんだ?
この事件には確かに社会的な一面を垣間見ることも出来るけど、単なる自暴自棄に陥った頭の悪い一人の人間の起こした惨劇以上でも以下でもない。
環境や時代がどうとかそういう問題以前に性格の問題だ。
だからこそ被害に遭った人は悔しくて仕方がない。ただの僻みで重軽傷を負ったり、人が死んだりしているんだから…。

そして僕は、極端な話、容疑者に近い環境で生きてる人を十把一からげに犯罪者予備軍にしてしまう危険をはらんでいるくらいに、ニュースで報道されるよりかは容疑者に特殊性はないと考えている。
故に、あれで精神鑑定がどうのこうのと言うのも変な話だ。事件直前のあの冷静な書き込みや、何より監視カメラに映っていた姿を見ればわかる。病んでいたのは確かだろうが精神鑑定が必要なわけがない。宮崎勤や小林薫とはワケが違うのだ。
犯行に及んだかどうかが精神鑑定を実施する線引きになるのなら、それこそ多くの人を予備軍扱いしてしまう驚異のレトリックだ。一体誰がまともな人間と言えるんだ?

掲示板への書き込みも色々と明らかにされていて、僕もネットで話題になってる分には目を通してるけど、いくら読んでも単なる被害妄想の強い人間以上の印象を抱けない。
2chの書き込みで、掲示板の書き込みに対するコメントの中に
クリスマス前の2chの書き込みをズラズラ並べただけのような内容だな
と言うのがあったけどまったくもって的を射てる。真相の方はわからないけど、容疑者は2ちゃんねらーではなかったらしい。つまりはまあ、視野が狭かったということだ。他の人を見たことがなかった。単にそれだけだ。

と、どんな言葉を並べたところで、あの惨劇が起こったことは変えられないし、被害者の方々の傷もなくならないんだけれど、僕ら傍観者に出来ることと言えばせめて教訓を得ることぐらいなんだけど、その教訓が『周りを見ようね』なんていう当たり前のことだったりするとそれはそれでなんとなくやるせない気分になるものなのだ。
まあむしろ、被害者が蘇生措置を施されている最中にTVカメラが回り、それに向かって笑いながらピースサインとかを送ってるアホな連中のほうがよっぽどむかっ腹が立つけどね。