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2008年4月16日水曜日

マス化された工業化社会からカスタム化された知識社会へ…ってのはアルビントフラーの説

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世の中はマス化からカスタム化へと静かに進行しつつあるわけだが、音楽もまたカスタム化の波に晒されてるんじゃないかと思ってきた。
顕著な例が初音ミクであり、端的な例がキャラソンだ。初音ミクは今は取り上げない。
良い意味でも悪い意味でも音楽はコモディティ化して、CDの売り上げが伸びないこととはまったく別の側面から、音楽的な趣向や価値が移動した。90年代のJPOPは確かに神がかってたけど、あれもよく観察してみたら特別なターゲットがあったわけじゃない。少なくとも、キャラソンとはまったく別のアプローチだ。万人に対して愛を歌うようなJPOPが今日び流行らない、なんて極端なことは言わない。だけど、カスタム化されたキャラソンと、そのカスタム化されたものがスポットライトを浴びるWEBという土壌は、もはや誰も無視できないほどに肥えている。『エアーマンが倒せない』を見ればわかる。ロックマンのたかが一ボスに過ぎないエアーマンがあそこまで脚光を浴びるなんて誰も想像しなかった。それも、『キャラソン』という形で。
キャラソンは大勢の人に聞いてもらうことを目的とした音楽ではなくて(いや、それに越したことはないけど)、あくまでキャラクターを音楽化したものだ。だから別に人へ平和を訴えたり、博愛を唱えたりしない。キャラクターの、キャラクターによる、キャラクターのための音楽、それがキャラソンだ。
キャラソンって言う音楽文化はたぶん日本だけだと思う。アニソンはキャラソンの前身とも言えるもので、そのアニメを歌で表していた。それをもっともっと深いところまで掘り下げていったのがキャラソンだ。それを言うならアニソンやゲーソンはJPOPがないとたぶんなかったと思うけどね。継承関係。

とまあ、そんなことをみさおのキャラソンを聞きながらふと思った。