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2008年9月10日水曜日

『問題なのは、われわれが無知であることではなく、間違った知識を持っているということなのである』

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人間この信じやすきもの―迷信・誤信はどうして生まれるか (認知科学選書)
トーマス ギロビッチ
新曜社
売り上げランキング: 3861
おすすめ度の平均: 4.5
3 唯物論的立場からの考察
5 湾岸戦争の水鳥が教える物--誰がカルト教団の信者を笑えるか?
5 迷信・誤信はなぜ排除できないのかがわかります
4 日常での知性の働きを説く良書
5 人の解釈は千差万別


まだ50Pほどしか読んでないけど、目からウロコが落ちっぱなし。
一つ一つの事例・証明が示唆に富みすぎ。
ほんのちょっとしか読んでないのに間違いなく良書だと言えるこの凄さ。

迷信や誤信の発生源を、統計学的かつ心理学的に推察している。
で、もちろん統計学なんて露ほども知らない僕にとってみれば非常に新鮮なわけだ。解りやすいしね。

『スポーツ・イラストレイテッド・ジンクス』という迷信について。
この迷信は、スポーツ雑誌の表紙を飾ったものはしばらくの間不運に見舞われやすいというもの。
これを紐解いて見ると、統計学で言うところの回帰効果と言うものらしい。
回帰効果と言うのは、「二つの変量が相関関係にあり、その相関が完全でないときに、一方の変量の両端部分の値は、もう一方の変量ではより平均値に近い値と対応する傾向がある」ということらしいのだが、なんのことやらサッパリだな。
例えば非常に背の高いジョースター家の血統そのものみたいな男が10人いたとする。
その男たちにそれぞれ子供が出来れば、当然血統的に血が高い子供が生まれやすくなるのだが、その父親(一方の変量の両端部分の値)よりは、全人類の男性の身長の平均に近くなる(もう一方の変量ではより平均値に近い値と対応する)のだそうだ。
極端ないくつかの例があっても、その他の例はそれを越えることは統計的にほぼ無く、むしろ全ての平均値に近い値を取ることが多いのだ、と。
大数の法則と何が違うのか僕には明確にはわからないが、たぶん確率的なことか相関的なことかという違いなんだろう。

で、この回帰効果で何故迷信が起きるのかというと、という話だ。僕は説明がうまくないので引用で誤魔化す。
「スポーツ・イラストレイテッド・ジンクス」への誤信が、回帰効果によるものにすぎないことは、難しい統計学の理論を持ち出すまでもなく、説明できる。種種の大会ごとの、あるいは試合ごとの、スポーツ選手の成績は、不完全な相関関係を持つ。そこで、回帰効果からだけでも、特別によい成績を残した後には、平均して、いくぶんか成績が悪くなることが予想されるのは当然である。『スポーツ・イラストレイテッド』誌の表紙にスポーツ選手が登場するのは、そのときの成績が特別によかったなどの理由により、ファンの注目を集めているからである。そこで、特別な好成績を残したがために表紙に取り上げられたスポーツ選手のその後の数週間の成績が、いくぶんか悪くなりがちなのは、十分考えられることである。このジンクスを信じている人々は、「波に乗る」現象を誤信している人々と同様に、事実の観察が正しく出来なかったと言うよりも、観察された事実をどう解釈するかというところで誤ってしまったのである。多くのスポーツ選手が、『スポーツ・イラストレイテッド』誌の表紙を飾った後、成績の落ち込みを経験するのは事実でらう。しかし、そうした現象は決してジンクスによるものではなく、回帰効果に過ぎない。
と。素晴らしい!
また、回帰効果の身近な例としてもう一つ紹介しよう。
ほめることが心理学的に推奨されているにも関わらず、親たちは何故叱るのを止めないのだろうか?これも、回帰効果で説明できる。(中略)ほめられるのは、多くの場合、子供が特別に良いことをした後である。ところが、ここでも回帰効果があり、そうした特別に良い行為の後には、平均して、それほど良い行為が続かないと予想できる。それがゆえ、ほめたことは効果がないように見えたり、反対に、むしろ逆効果のように見えてしまうのである。それに対し、同じ回帰効果により、元々悪い成績の後にはいくぶんかの向上が見られる傾向があるため、悪い成績の後に与えられた罰は効果があったように感じられてしまうのである。

なるほど!ウロコ!
当たり前のことでもこうやって推察してみると、ちゃんと筋が通ってるもんだなあと思う。

もう一つ。
子供たちは、イエスと答えてもらうのだけが良い答えだ、という考えを頑固に持ち続けている。そこで、子供たちが『その数は5000から10000の間にありますか?』と質問してきたときに、『イエス』と答えてやると大喜びをし、『ノー』と答えるとガッカリする。しかし、「1から10000までの数の数当て遊び」では、どちらの答えでも、まったく同じだけの情報が得られているのである。
すげえ!
これは僕が今読み進めている「肯定と否定に対する解釈の違いによる誤信」の中で紹介されてるものだけど、確かにそうだよなあと思う。
肯定的な質問・返答は、否定的な質問・返答に比べて非常に人の理解を促すらしい。これは心理学的なものだそうだ。
それを証明する実験の一つがこれだ。
ある人物が外交的性格の人であるかどうかを判断するときによく使われる質問は、「パーティを盛り上げたい場合、あなたはどんなことをすればいいと思いますか?」というものであるという。しかし、この質問に対して否定的な答えが返ってくるはずがない。(中略)事実、この研究でも、「面接者」役を務めた被験者が選択した質問は、面接者自身が検証しようとしている仮説に合う回答が得られやすいものだった。実際にこうした質問がなされたときの回答を別の被験者に聞かせて、回答者の性格特性を判定してもらうと、質問によって判定が影響を受けることが確認された。対象となる人物が内向的性格であることを検証しようとしていた面接者が選んだ質問への回答は、内向的であることを検証しようとしていた面接者が選んだ質問への回答よりも、外交的な印象を与えると判定されることが多かったのである。つまり、面接者役を務めた被験者たちは、自分が検証しようとしている仮説を肯定するような回答が得られやすい質問をしがちであったということである。
ハッとするような実験結果だな。
そして、以前僕が誰かに言ったように、実際こういうことは現実問題結構起こっている。
特にネットで。
「痛いニュース+」を必要以上に見ていると世の中に対して厭世的な気分になるのは、まあこれに近いものがある。
それに、たとえば「自民党 腐敗」と言うキーワードで検索して、世の中の頽廃を喧伝するのも同じだ。そんなキーワードで検索したら、当然自民党の腐敗に対して否定的な主張を見ることなんて出来ないのだ。
ネットでは、検索という素晴らしいシステムを用いて、自分の知りたいことを即座に知ることが出来るけど、それはこの引用で言うところの「自分が検証しようとしている仮説を肯定するような回答」を素早く探しているだけで、その補強しようとしている仮説の正誤についてはまったく問い質されていないわけだ。そこが誤信の入り口になる、と本書は言っている。ような気がする。

まあとにかくこの本かなり面白いからとっとと読んでしまうー。