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2007年4月10日火曜日

『総員!大隊長殿を救え!』『半数は死にます。よろしくありますか。』『今、あの人を失えば僕らは烏合の衆になる。そうなればどの道全滅する!』

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どこまでこの不条理な出来事を書いていいのかわからないけど。

学祭の時期が半年早まった
今まで、9月上旬スタートの1月下旬発表だったのが、4月上旬(つまり今だ)スタートの9月上旬発表と、半年間前倒しになった。
グループ作業
10人±1人と言う単位でのグループ製作になる。そこでは、各担当に仕事を分担し、なるべく効率良く運営することが望まれる。
問題はそのグループの結成方法についてだが、これは単に「仲良いやつが集まれ」ではない。
それだと、グループ間での戦力バランスが崩れるし、そのわけ方だと必ず1クラスに1グループは、「あまりもの」グループが出来るためだ。一時的なグループならばそれで良いかも知れないが、学校の一大行事としてのグループ編成でそれはまずい。
学校の体面
かなり大々的に行う行事なので、やはり学校側としてももっとも気合を入れる行事である。大学の文化祭と大差あるところは、「生徒の出し物だがイベントの主導は学校側」と言うことだ。
ある意味広告塔として十分に機能するイベントなので、それなりのクオリティは求められる。だから、学内での審査のレベルも高いし、出した企画が必ず通るなんてことはありえない。
要するに、
・グループ編成
・作品の質
・イベント運営
主にこの3つに関しては並々ならぬ圧力がかかっていると言っても差し支えない。
グループ内でのいざこざが起こり、退学するやつが出てくればそれもやはり個人的な問題と言えど管理側の責任を問われてもおかしくない部分にまで発展しかねない。
作品の質が、大々的にするほどのものでもない程度のものであれば、それもやはり学校の戦略として具合が悪い。
どうあっても、主に体面の関係から、学校側の管理が強くなってしまうのだ。
従来のメンバー選出
第一に肝要になってくるのが、グループ編成だが、これは主に次の手順で行われる。

1:リーダーを選出
2:選出されたリーダーたちが別室で、クラス内の有能選手から順にドラフト制で取っていく

1に関しては、クラス内での立候補、推薦、教員からの推薦等、投票、色々勘案された上で決定される。
2に関しては、その選出されたリーダーが「すわ有能!」と思うやつから順にとっていくので、必然的に戦力バランスは分散される。
大前提
しかし、従来のメンバー編成方法には前提がある。
それは、「クラスメイトが互いのことを知っている」と言うことだ。
誰かがリーダーに立候補したところで、それがリーダーに向いているのかどうか、ついてくるやつがいるのかどうか、馬の骨でないかどうかと言うのは、今までの動向から大体推測出来る。
推薦にしても同様で、「すわリーダー向き!」と言うやつはやはり推されるわけだ。
最終的な決定はおそらく投票だろうが、これにしたって「あいつなら大丈夫」と言う墨がつかない限りは当選することはないのだから、確実に民主的ではある。
それに、仮にそのリーダーが馬の骨だったところで、有能なやつからとっていくドラフト制と言う性質上、結果的にもっとも有能なやつが中心になって動くことは間違いがないのだから、戦力が公平に分散されていれば問題にならない。
問題は今年
今までは、「クラスメイトのことがわかっていたから」と言う前提があったので、上記のような方法でいけた。
だが、今年からは違う。
グループの編成が9月ではなくて4月だということ。つまり新クラスになって間もないときにグループを決めなければならないということ。
それは、たとえ誰かが立候補したとしても、多勢からすればそれが馬の骨かどうかと言う判断材料にもならない。
同様に、推薦にしても同じだし、教員にしてもわからない。
そうなると、投票そのものがどう見ても形骸になる。第一印象でリーダーを選ぶことほど馬鹿げたこともそうそうない。

と言うことは、上記の「学校の体面」の側面から考えても、
「ある程度の選考は教員側で行われている」
と考えるのが妥当。

立候補者は立候補者で別枠で勘案されるのだろう。だがそれにももちろん教員方の選抜は入る。
立候補しないけどリーダー向きの人物に関しては、教員の間でリストのようなものが出回るのだろうと推測した。
推理
ある程度、少なくともリーダーの選出に関しては完全に出来レースにならざるを得ないと看破していた僕と茶汰君は、恐らくクラス編成もそれに基づいてされるんじゃないかと言う推論を立てた。
リーダー候補が絞り込まれているのであれば、また、クラスで5人しかリーダーになれないのであれば、リーダー候補が3人だとか8人だとかになると不都合になるので、あらかじめ配分はなされた上でクラス編成をされてる可能性が高い、と言うところまで読んだ。
実際には、新クラスメンバーを見るだけではその証明にはならなかったのだが、少なくとも僕と茶汰君は同じクラスではなかった。

つまり、推理したことをまとめるとこうなる
・立候補者、教員の推薦、と言う二つの面から、あらかじめリーダー候補は絞り込まれている
・絞り込まれたリーダー候補を分散させてクラス編成はされている
・時期的な問題から、投票によってリーダーを確定させるというようなことはありえない。
これらはほぼ確信していたため、あとは実際にどういう風にこれらを展開するか、が問題だった。
裏づけ
茶汰君のクラスはすでにグループ編成がなされた。
話を聞くと、やはり、完全なる予定調和、出来レースも良いところだったらしい。
立候補したのは3人。それは事前に教員に申し出ていた人たちであったらしい。
あと2人リーダーを選ばなくてはならないが、ここで無条件で引っ張り出されたのが茶汰君だということ。そしてそこに拒否権は存在しなかったこと。

ここまで来れば誰でもわかる。やはり、推測どおり、どこまでも出来レースだったのだ。
選抜された立候補者と、教員に推薦された推薦者。
茶汰君は見事に後者の枠に嵌り、そしてリーダーをする羽目になった。
次は…
実に合理的、実に明解、実に無難。
リスクを最小限に抑え、なおかつ上記のような論理を伝家の宝刀にすれば、どうあっても学校の思惑通りに事は収まる。
反対するやつ?出るはずもない。クラスメイトのことが何もわからない状態での、「選抜された立候補者」と「教員から推薦された推薦者」と言う墨のついた人間のことを公表すれば、投票などせずとも答えは明白だ。

僕はたぶんすでに20人ぐらいから「リーダー頑張ってな」と揶揄されている。
それがたとえ冗談であっても、そこまで知りもしない人間からそういわれるということそのものが問題なのだ。
3年次のグループ編成のときにも、僕は見知らぬやつから「リーダーシップがあるから」と言う理由でヘッドハンティングされそうになったが、僕はこの学校では大人しくしているつもりなのに、どうやら知らないうちに情報が漏れたか僕のメッキも剥がれたか。
僕がリーダーに向かない理由

・「出来ないなら僕がやります」と言ってしまう

・一人で抱え込みすぎる

・人を見切るのが早い

・自分は間違っていると迷ってしまう
実績
自意識過剰かも知れないけれど、僕は今まで割とどこでも中心的な人間に祭り上げられてきた。
13年ぐらいやってた少林寺では中学生にしながら大人の部の頭を任されたり(師範は小学生たちの面倒を見ていたため)、バイトでも必ず人を使い管理する立場にいた。
でもそれは僕が望んだことじゃなく、任されたことだ。僕は自分でそんな器だと思ってないし目立つのが嫌いだから立候補なんてしたことがない。唯一例外的なのは、生徒会に入るときぐらいだ。が、あれは内申点稼ぎ以外の何者でもなかった。
僕の気持ちを無視するならば、確かに人をまとめ動かすことに関してはそこそこの経験があるのかも知れない。でも、そんなのは僕がたまたまその立場になっただけで、僕以外の人間でもっと相応しい人物がいるはずだから、そういう人をこそ見てやってほしいと思う。
僕は自動ドアが開かないときが多いぐらい存在感が薄い人間だけれど、何か知らないけど目立つらしいのだ。専門学校に入ってよくわかった。大人しくしてるつもりがいつの間にか有名人だ。
けど、そんなことと僕がリーダーになることはまったく関係ない。それは単に僕の人脈が結果的に広くなったというだけである。
なんだかんだ言うけど
自分の意思とは無関係にそういう役回りで生きてきた僕だから、たぶん今回も僕の意思は関係なくそういう立場にたつことになるんだろうと思う。

願わくば、僕を軽視する人が多いことを……