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2007年2月20日火曜日

『ありえない明日に憧れ』

某ブログで目にしたのだけれど、情報処理能力と生産性は比例関係にあると僕も思う。一般論と言えば一般論なんだけど。
プログラマーはプログラマーとしてすごいのではなくて、従来の業務を圧倒的な効率で持って終わらせることが出来るからすごいのだ。そして、それにおいては、如何に美しいプログラムを書けるかとか言うようなマニアックなコーディング能力的なことではなくて、どういう『方法』でやれば最も効率性が高く、生産性が高く、汎用的で、拡張性があるのか、と言う論理思考に主眼が置かれる。僕は数学とかが猫の水泳ぐらいダメなんで、完全に対岸の火事の話をすることになるんですけれども。ていうか、機械が発明されて工業革命が起こったのと同じように、その機械に仕組みを与えるプログラマがゴイス!といわれないのがわからないが、まあどうでもいいや。続き。
仕事時間の大半を費やし、多くの時間を悩ませる問題が、プログラマにかかればほんのちょっとの労力で済むようになる、と言う事例は確実にある。
また、殆どの業務でPCを使うことが当たり前になった今じゃ、なぜプログラマの労働環境がそこまで劣悪なのかわからない反面(わからないというのは総評であって、個別に見ていけばいくらでも反駁する余地はある)、おそらくコーディングする能力はあっても業務を効率化させる能力に乏しい人が多いだけなんじゃないかと言う寂しい疑念が過ぎりざるを得ない。少しでも楽をしよう、自動化しよう、と言う発想があって、ほんのちょっとのプログラミング能力があれば、どんな仕事においても絶対に上手く立ち回ることが出来る時代だ。まあ、今が過渡期だというのは認めるが。

例えば僕は某写真館で幼女の画像を加工するバイトとしていたわけだが、そこで僕の作ったマクロは大変重宝され、辞めた後でも何度かお呼び出しをくらうことがあったというぐらいだ。別にすごいアルゴリズムを考えたわけじゃなく、アナログなルーチンワークを単に機械化することによって生産性の向上、増加する仕事量への対応が出来るようになった、と言うだけだ。たいしたこともしてない。素地なんていらない。PCさえあれば、ソフトウェア的な仕事ならなんだって出来る。イレギュラー対応はまた別の話になるけど。
今もまた仕事を請け負った。インターンでの仕事だから大したことではない、いわゆる単純作業に分類されるものだが、量が量だけに2~3日中と言う期限を明示された。そして僕は膨大な対象データを俯瞰し、全容を把握してから、マクロを組んだ。結果、4時間で終わった。正規表現万歳。
生産性と言うのはそういうことだ。要領と言うのはそういうことだ。見積もり以下の作業時間で仕事をこなすための手法。面倒くさがりのためのメソッド。もともと僕は面倒くさがりなので、楽になるならそういう労は惜しまない。(後述するが、時間をかければいいってもんじゃない仕事は多い。)
が、なぜかよくわからないが、かけた時間が多ければ多いほど自慢をしてくる人と言うのが存在する。「あれ、二徹して仕上げたんだけどさ~」とか。自虐ネタなら笑ってやればいいんだが、そういう時間のかかる仕事を短い時間でこなしたほうがよりクールだということがわからないのだろうか。現に、学校でのグループ作業で、他のグループも当然同じものを作っていたわけだが、徹夜を繰り返して学校も休みがちになり、なんと驚くことにソースの長さが4000行に達するって言う強者がいたが、同じ処理をするにも僕は700行ほどだった。そしてみんなが修羅場だと慌てているのに僕はキッチリ睡眠時間は6時間。学校で残って何かすることは殆どなし。一日の作業時間は大体3~4時間くらいだったか。茶汰君も似たようなことを言っていた。「同じグループの子が2日間悩んでいるのを見て、俺が見てあげたら10秒で解決したよ」と。まあそれは極端な例だが、主にコミュニケーション的な方面での生産性にも関連するだろう。早く相談してれば良かったのにね、って意味で。
とまあ、プログラマの卵が犇めき合うこの学校組織にいて、こういう現状を垣間見ると、確かに巷でよく言われてるような「人月の神話」ってやつを実感する。今言ったような生産性の違いがあるのにもかかわらず、時間報酬制と言うのは合ってないというのも一理ある。まあ、人月モデルそのものがメインフレームを対象にした2~30年も前のものだから、WEB2.0の現在、通用しなくなっても当然なんだけれど。ちなみに僕はゾンビ2.0。
だからと言うわけじゃないが、WCEに関しては当然の動きと見る動きも一理ある。あくまで、この業界に限って言えば、の話だが。
まあこれは難しい問題なんだが、僕なりの解釈で言えばこうなる。

とある仕事を任されたツンデレAちゃんは、1週間納期の仕事を3日で終わらせてしまいました。よって、新しい仕事を貰ってその週は過ごしました。残業はしませんでした。

一方、同じ仕事を任された眼鏡ドジッ子Bちゃんは、1週間納期の仕事を、ラスト2日間はろくに眠らずに、なんとかやり遂げました。残業はよくしていました。

「生産性」と言う観点で見れば、会社にとって利益に直結しているのはどう考えてもAちゃんなのに、労働法規時間労働制の元では、当然、割いた時間はBちゃんのほうが多いわけだから、労働時間の対価として報酬を得ることが当たり前の概念な現在、Bちゃんは当然の結果としてAちゃん以上の報酬を得ることになる。

当たり前の感覚を持っているなら、両者の言い分くらい察せるだろうと思う。でも、困ったことに両方が正しいのだ。それは地盤としているものが違うからなのだけれど。

さて、そうなるとどうなるか。戦前の精神論を現代に持ち込んでいるラストサムライな人でない限り、Aちゃんのほうが評価されて当然だと思うだろう。それがWCE推進派の主張だ。つまりツンデレ好きだ。まあ、実際この例の状態が数年続けば、最終的に評価されるのはAちゃんだろうと思う。PMとかに格上げになるだろうね。
けど、賃金と言う観点でのみ見れば、そりゃあ金は生きるのに必要なわけだから、Aちゃんは生産性の高さを武器に、報酬支払い制度のおかしさを説くわけだ。けど、BちゃんもAちゃんの主張のような裁量労働制を受け入れられるとたまったもんじゃない。時間と報酬の等価交換って概念が骨の髄まで染み付いてるBちゃんにとっちゃ、生産性によって報酬が変わるというのは死ねといわれてるようなもんだ。
そもそも、単純に時間と人を割けばある一定のものが出来るというものでもないからな。時間をかけるだけじゃどうにもならないもんだから生産性と言う言葉が独り歩きするぐらい自立する。

これが、IT業界の現状。惨状?だから、WCEは一方で過労死斡旋法だと批難され、他方では現代に見合った、経営陣にやさしいバファリンのような制度だと見られる。米国では随分前に導入しているらしいから、単純に日本でも導入する可能性が高い、と識者は見てるらしい。まあ、全体的に仕事量がかなり増えてる現況では、優秀だけど多忙なホワイトカラーにとってはそんな問題はキモではないかも知れないけれど。生産性とか時間単位とか言う言葉だけじゃ解決出来ない類の仕事ってのもあるだろうしね。でもそういうものをいちいち勘案していたらいつまでも何の話も出来ない。

デスマーチが頻発する理由は別にBちゃんみたいな人が多いからだってわけじゃないけれど、原因の一端を担っているというのは、プログラマの卵である同じ学生を見ててよくわかる。
でも、時代の流れ(あくまでこの業界ね)は確実に、成果に見合った報酬を、と言う風になってきているんだけど、反面、パート労働法改正案に見られるように、非正規雇用者と正規雇用者の格差間を埋めるためにEUみたいに同一労働同一賃金みたいな話にもなってきている。格差そのものが問題なんじゃなくて、二極化が問題だってのに、おかしい話だけどね。しかしこの問題はほんと入り組んでるな。

ついでだから書くが、非正規雇用者と正規雇用者が仮に同じ仕事をしてたとしたら、お互いの言い分は圧倒的に正しい。

もし完全な同一労働同一賃金ならば、正規雇用者は、「なんで同じ仕事をしてるのにアルバイトと同じ給料なんだ」と言うだろうし、賃金に差があれば、今度は非正規雇用者から「なぜ同じ仕事をしてるのに社員とは給料が違うんだ」と言うことになる。実際、社員より有能なアルバイトと言うのはどこにでもいる。今まではその差を社会保障と言う形だったりボーナスだったり終身雇用と言う安定性で鎹としていたが、転職は当たり前で年金はどうなるかわからない(年金は積み立て型じゃなくて世代間扶養だから貰い手の数が支払い手の数を圧倒すれば自然と破綻する。)で、いわゆる社会不安が増大してるために、その鎹も役立たなくなってきているという形。
社会的・将来的な保証と言う面を無視すれば、働かなくても食っていけるというニートの誕生は、倫理的感情的にはともかく、批難されることなく「幸せだね」と一言言えば済む話だけど、ニートがクローズアップ現代されるのはそういう不平等さや、将来を見据えていない楽観さって部分に尽きるんだろうと思う。まあでもこれは違う話。

否、と言うか、同一労働同一賃金と言う共産主義的な概念の元では、雇用形態そのものが今とは違う形になるのか。契約オプションはどうなるか知らないけど、職業の違いだけで、非正規であるとか正規であるとか言う区別はなくなるのか。なんというフラット化した世界。どう見てもフリードマンです本当にありがとうございました。

まあ、無理矢理包括すると、今は雇用と言う制度自体に見直しがかけられる時代だから、今度の労働法制改革が楽しみですね、と言う話。労働ビッグバン。

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