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2007年3月6日火曜日

『どんな容易なことにさえ 自らを閉ざして 気付けないこともあるのだ』

これからの時期、本屋にはズラリと『絶対受かるSPI対策!』だの『面接必勝法!』だのが並べられるのだが、ああいうものが売れる理由が(少なくとも買う人はいるだろう)、僕にはよくわからない。
SPIに関しては概して知識を問うようなものだが、これは普段から新聞読んだり、基礎学力があれば普通に解けるようなものがほとんど。とは言え、まあ例えば理系の人なんかにすればアショカ王がどうのなんてサッパリだし、文系にとってはmol係数なんてサッパリなわけだから、そういう意味じゃ買う理由にはなるんだろうけど、でもだからと言って高校の参考書と同じと見做すべきものでもないと僕は思うわけだ。単にレベルで言えば高等教育で学ぶ内容のほうが確実に上だからだ。SPIなんてむしろ基礎知識を問うものに他ならない。だからSPIの問題集を買って徹夜で俄か勉強してる人ってのは今まで努力してこなかったってことだ。と言うか、『社会人としての基礎学力・知識』を問うためのSPI試験で、学生らしい徹夜俄か勉強をするのって、思考力ないよな、って思う。最低ラインが『身についてるか』どうかを試すものなのに、すぐ忘れてしまうような勉強の仕方をしても後で苦労するだけなのにな。まあ、そういう『努力して切り抜けることが出来る』と言うことが大事なのかも知れないけど。モノは言い様だね。でも学力や知識の本質は継続にあると思うんだけどな。

…ごめんなさい、自分の基礎学力の無さを棚に上げて理想論を話してましたorz
んでまあ、一番悩ましいのが面接必勝法。面接の必勝法なんてのがあったら面接で落ちるのはよっぽどの駄目人間だ。マニュアル化されないのが人格ってもんなのに、それをマニュアル化しようとしてどうするんだと。らしさやアイデンティティってもんがないのか君らはと。面接官に対してある程度自分を飾るのは当たり前だ。だが、そのメッキがマニュアルであるのは僕的にはよろしくない。そのメッキは個々人が持つ愛想や世辞であるべき。面接のときにコミュニケーション能力を見ると言うのが正しい見解であるならば、やはりメッキは薄いほうがいい。言葉を『選んでる』のと『読んでる』のって、見る人が見ればすぐ違いはわかるからね。まあ、元来僕は誰に対しても愛想が良いらしい(だから人付き合いが面倒になるわけだが)ので、そういう意味で言うと「面接なんて普通通りに行けばいいんだよ」なんていう面接のマニュアル化に対する批判ってのは所詮は強者の論理なのかも知れないけれど。あーもう偉そうなことを吐いてる自分に自己嫌悪だ畜生。自己分析・客観分析を行った後に批判が多く出るのは性格の悪い証拠。

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