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2007年3月8日木曜日

日本の小学生、将来への期待少なめ…日中韓調査で判明

お国の事情が違うから同じ土俵で語るのがおかしいと思ったりもするけど、国内の内政問題として捉える限り、大量労働社会時代を送った団塊世代、そのJrとしてバブルの恩恵を受けたバブル世代、バブルがはじけて就職氷河期だといわれて今なおニートやフリーターの数が多いとされる氷河期世代、そして僕ら以下の世代、となるわけだが、そうして世代別に見たときの歪がこの調査の結果なんじゃないかな、と思っちゃったり。
この調査の結果を悲観的に捉える人は、少なからず「なんで勉強が良い将来に直結しないんじゃないか」って言う、少し上の世代の価値観に基づくものを持つ。
うーん、全体を分析することなんて出来ないよな。どうしたって、総論としていったときには、「平たく言うと」ってことになる。で、この場合平たく言うと、「今の子供は勉強が将来の安定を保証するものじゃないって思ってる」、ってことになる。でもこれはおかしな話で、小学生と言っても6歳ぐらいから12歳ぐらいまでいるわけだし、そんな年齢の子が社会の現状に対してどうこう言える思考力を持ってるとも思えないし、そうなると、この結果ってのは小学生の社会観に関する調査結果なのではなくて、親が子に対して教えている「自分たちの教訓」と言うことに他ならないんじゃないかってワケだ。
で、現在の小学生の親は、どのくらいだろ、うちの姉ぐらいの年齢か。ちょうど30~35あたり。レンジを伸ばすと30代全域ってことになるんだが、上記で言うところの氷河期世代、つまりバブル崩壊を目の当たりにして、リストラで色々なものが崩壊していく様を目の当たりにしているということだ。その頃僕は小学生だったから詳しいことはわからないけれどもね。
「今の努力は将来結実しない」と言う悲観論は、穿った見方をすれば「望むことがない」と言う贅沢論になる。少なくとも都心部に住んでる人の半数が、本当に「今何したってしゃーねーよ」って風に諦観漂わせてるのか?そんなわけはない。諦観と言うなら、「もう何もすることがないよな」と言う食傷気味なニュアンスのほうが正しいんじゃないかと僕は思う。ありていに言えば、物質的豊かさと精神的飢餓。

あーこれまた何言ってるかわかんなくなってきたな。
そもそも社会的現象を個人レベルまで落として語ろうとするのが間違ってるんだよな。そこに統計の罠がある。統計で示される数値と、個人の意識レベルってのは必ずしも一致しない。と言うか、特にこういう意識に関する統計ってのは真に受けちゃいけないんだけど、ある種の指標になることも確か。
だから、大袈裟に言ってアジテートすることだって難しくはない、と言うかマスメディアと言うのは概してそういうプロパガンダ的な側面があるわけだが、個人が社会的統計を持って他人を批判するからおかしくなるんであって、特にそういう抽象的な統計の場合は少なからず自分の意識を変革させることが重要。

まあ、権力のない一個人の出来ることっつったら、周囲の人が奈落の底に落ちないように見守ることぐらいだ。社会を変える前に周囲を変えろってわけだな。

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