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2007年6月21日木曜日

なんでもいいが、マイクロソフトのことを毎苦労ソフトと揶揄した人のセンスに嫉妬


読了。
佐藤友哉さんの文章は、人によって好き嫌いが激しく分かれると思うけど、僕はこの人の淡々としている文体は結構好きだ。ポール・オースターの影響を濃く受けているなあと思う。
『水没ピアノ』『飛ぶ教室』と並んで、この小説は僕の中では至高の青春群像小説だ。
佐藤友哉さんは、極端な思想的対立を書くのが本当に巧い。極端なのにどちらも悪くもなく正しくもない、全体として中立を保ち、「何もない」を真理とするその書き方にはいつも呑まれる。けど、生々しい描写であったり、直接的な表現を多用するから、読むのに没頭しているときはたまに顔をしかめてしまうこともある。

『飛ぶ教室』では、「努力すれば何だって出来る」という立場と、「努力してなんとかなるのは強者の論理だ」という立場が戦っていたんだけど(これも大変面白かった)、今回は、「普通なんてクソ食らえだ!」と言う主人公の立場と、「普通こそ人生の本質だよ」という周囲からの軋轢との対立。
祖父のような『覇王』になりたいものの、具体的な『覇王』というものがどのようなものか問われてもわからずに日々苦悩しつつも普通を見下すフリーターの主人公の心境は、「自分は特別だ」と言う、モラトリアム期に誰でも思うことだと思う。「自分には何か出来るはずだ」とか「自分は他人とは違う」とか、そういう自己認識や自意識過剰による肯定と否定。
結局いろんな経験を重ねるうちに、「自分も普通の一員」だとか「平凡が一番」とか言う結論に落ち着いて日々をすごすようになるものだと思うし、逆に、自分の特別性を盲信してずっと突っ走ってる人は、大成するか挫折するかのほぼ二択。挫折の後には当たり前のように「普通」が待っていて、それが素晴らしいものだと思うようになる。
大成したのが、この本で言うところの主人公の覇王であり、挫折したのが周囲を取り巻く人と言うわけだ。
この本の面白いところは、初めから「普通が最高!」と思う人がいないところだ。あ、いや、一人だけいるけど。
朝起きてご飯を食べて、仕事に出かけて働いて賃金を得て、帰ってきて晩飯をたらふく食べて風呂に入って寝る。お金が貯まれば小さな車や家を買い、たまの休みには家族とピクニック。
僕はそんな、些細でも普通な生活に大変憧れるし幸せだと思うけどね。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

タイトルのわりにローゼンについて一切触れられてないのはなぜだw

水没ピアノは青春群像って感じではないと思うが、名前忘れたけど部屋でノートパソコンでメールするのが趣味の男の人生観というか環境は、『灰色の~』のテーマに通じるところがあると思う。佐藤友哉らしくていいね。
ファウスト内で鏡家の次男と妹の友人が会話するって短編があるんだが、その二人の会話がまさに対立思想のぶつけ合いなんだ。単行本とかならんのかなぁ。
まぁ俺は砂絵ちゃんに食べられたい・・・。

水上直也 さんのコメント...

タイトルは常にフェイク!

佐藤友哉さんは、ああいうニヒリズムだとかペシミズムを書かせたら一級だと個人的には思うけどね。あの荒廃っぷりの心理描写はすごい。

ほほう。それは面白そうだな。そういうちょっとした短編だと、よっぽど編集部内とかで人気がない限りは、せいぜい同人誌とかが関の山なんじゃ…w
僕は夜月みたいな妹がほしい。