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2007年3月24日土曜日

血族

叔父が亡くなる2日前、近隣に住む親類たちが最後に話をしようと押しかけてきたとき、弱りきっていながらも叔父は

「なんだお前ら、まるでわしが死ぬみたいに」

と悪態をついて、その日の競馬の結果だの、近所の(と言っても車で30分ぐらいかかるが)パチンコの出玉だの、普通の世間話を数時間して元気だったそうな。
人に迷惑をかけることを極端に嫌う叔父の性格と、諧謔味の少なくない叔父の性質とが現れたエピソードだと思う。

叔父は、3男6女の長男として、一族の長として、いわば大黒柱として親類の多くと浅くない縁を持ち続け、心的にも経済的にも親族にとって有難かった。たぶん影ながら色々なところで助力していたものだと思う。口下手な叔父のことだ。

戦中に生まれ、戦後まもなくから小さいながら看護師を定年間近まで勤めていた叔父の半生は、思考力のついてきた高校生以降の関わりが薄かった僕には想像するには余りあるんだろうけど。定年後は財産一つで祖母を養い、妹を食わせていた。祖母の介護は専らその妹、つまり僕の叔母がやっていたのだけれど。それでも裕福だったのは一重に叔父のおかげだと、僕でもわかる。

けれど3年前に叔父が食道ガンで大きな手術をしてからは、入退院を繰り返し、祖母と入れ違いに叔母に面倒を見られる立場になった。
祖母の死後、1年も持つかと主治医も言っていたぐらい(らしい)から、それから2年も元気に持ったのは良かったといえるのかどうか。

臨終を迎える直前と言うのは、やはり自分でそのことがわかるのだろうか。
叔父は午後9時、長年面倒を見てきてくれた叔母を呼び、手を握って長い間ありがとうと言ってから息を引き取ったのだそうだ。
享年72歳、生涯独身、僕が生まれてからは常に一族の長だった。

まあ、そういう風に「もう死ぬらしい」→「まだ元気だ」が何度も繰り返されてきたせいかどうかはわからないが、葬儀の場の悲壮感は完全無欠に0だった。ほとんど老衰に近いからかも知れない。祖母の時もそんなだったから、嗚咽に覆われる葬式と言うのはテレビの中だけなんじゃないかと思えた。
でも、昔からそういう生死については皆が皆色々な意見を戦わせていたのは僕もよく覚えていることなので、それの反映なのかも知れないけど。
曰く、「死者より生者を大切にしろ」。死者に対する敬意はもちろん失くしちゃいけないし、礼儀礼節も必要だとわかっているけれど、必要以上に悲壮感に暮れることもなく前向きに生きるほうが良い、と言うのが、基本的に前向きな皆の意見だ、と僕は思う。
この辺は僕の感想でしかないが、冒頭で述べたような叔父の性格のことをよく知っている皆なので、無駄に打ち沈んでも、たぶん叔父は「お前ら、らしくないことはやめていつもみたいに馬鹿を言えよ」と思うだろうことが暗にわかっているからこそああいう風にどんちゃん騒ぎに興じることが出来るのだと思う、否、確信してる。
親類一同が一堂に会する機会なんて、もう滅多にないし、そんなときに久闊を叙するように笑わないでどうするんだ、久々に集まったんだから笑えよ、と言うほうが、叔父の性格としてはシックリ来る。
改めて言うことでも思うことでもないが、死なない人間なんていない。僕だっていつかは死ぬし、それが遅いか早いかすらわからない。もしかしたら明日交通事故に遭うかも知れないし、こうしている間にも刻々と病害が僕を蝕んでいるかも知れない。けれど、そんなことは考えたって仕方ない。生きてることに意味なんてないんだから。死に不条理を感じるのは人間でしかない。むしろ、死は一番自然なことなんだからね。ちなみに死の対義語は生きることではなくて生まれること。

そういえば、昔こんなことも言われた気がする。
曰く、「死んだ人は笑って送らんとあかんよ」「なんで?」「泣いてばかりいたら、うちらの所為で死に切れん思いになったりするかも知れんやろ?」

まあ確かにその通りだと思う。未練を残すのは死者じゃなくてそれを思う生者であると。
例えばそれが予期せぬ事故死であったりしたら、話は別だろうけど、病死や老衰の場合、時間はあるんだから、やっぱり楽しい思い出話とかをしてあげるほうが供養にもなりそうな気もする。
端から見たら不謹慎かも知れないけどね。でもそんなのって遺族の問題だ。外野からとやかく言われることじゃない。
だから、「冥福を祈る」とは言っても、それほど悲しい顔はしない。特に人前じゃ。

ちなみに、そういう場合であっても、喪中だからと言うことで例えば年賀状を送らないということはないし、あえてそれを言うことも僕らはない。

これも前に一度話題に上ったことがあるのだが、「喪中だから」と言って年賀状を断るのは、「おめでとうございます」と言う言葉が多分に不謹慎に思われるからだという意見が一般的だと思うのだが、それは言葉遊びや韻踏みの悪しき風潮と言うもので、新年がめでたいことと喪中であることはまったくの別問題で、「新年明けましておめでとうございます」と言って、「こないだうちの親戚が死んだところなのにおめでとうなんて不謹慎だわ、ムキー!」なんていう人は言葉を額面通りにしか受け取れない人だという結論に落ち着いたのだ。
だから、うちはたとえ一般的に言う喪中であっても、そういう新年を迎える言葉であっても快く受け止めるし、その他それに類する言葉であっても問題はない。もしも相手が気を遣って送らないのならそれはそれで一向に構わないし。つまるところ、要約して言うならば、相手の好意を第一に考えろ、と言うことだ。

ともあれ、これでまた少し寂しくなった。田舎に帰ることはもうあんまりなくなったとは言え、昔の思い出がいっぱいあるところなので。
僕が子供のころ、叔父の家で滞在していたのだが、広い家だったのでいつも親類が何人も遊びに来ていて、常に10人は家の中にいて賑やかだった(夕飯の時なんか、大きいテーブルを4つぐらい用意したりしていた。)ものだが、その叔父もいなくなり、祖母もいなくなり、もうあの広い家には叔母一人だけになったので、一人残された叔母だけが可哀想でならない。
近所に親類が何人も住んでいるとは言え…ね。あの家はよく座敷童子も出るしなあ。

それにしても、久々に田舎の言葉を喋ろうとするとうまく喋れないものだぜ…。僕の家族は大阪弁で通してるんだけど、なぜか僕だけは昔から、いとこたちと対等に喋ることを心がけていたから、向こうの人と喋るときは最低でもイントネーションは方言なのだ。

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