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2007年3月24日土曜日

今から仮説だらけの妄想を書きなぐるから、どうか信じないで貰いたい。

前提1:小泉首相はその方法から、知名度も求心力も高かったが、内部反発も強かった。
前提2:政治家には既得権益を保持しようとする人がとても多い
前提3:次期首相に推薦されたのは、若き安部官房長官だった
前提4:政治家は年長者に対して頗る弱い
前提5:日本人は基本的に「和を持って尊し」とする民族性を持つ

事実1:安部は選挙で圧倒的な勝利を収めた
事実2:安部政権が樹立してからの支持率は下がる一方
事実3:官房長官時代と比べ、覇気がなくなった

僕はこれらの事項から、どうしても安部首相がスケープゴートに見えて仕方がない。
果たして、古い頭を持った人が、進んで自分たちよりも年齢の若い人を小泉さんの後継者として任ずることを是とするだろうか?

ここに一つのレトリックがある。
小泉首相は様々な政策を大胆に行った。それは改革であり、因習を捨てるに足るものであった。
しかしその新しい風を巻き起こした小泉首相は退陣せねばならず、次期首相を選出する必要があった。
新しい風を継ぐのは、若い世代で当然である。よって安部さんが選ばれた。

僕が古い頭を持った政治家であるなら、この論理は確実に快諾する。
前提4と5があるからだ。それは前提2をも保証する結果に直結する。
ならば、事実1は小泉首相の知名度・支持率からしても当然でなんら不自然ではない。

が、ここに事実2がある。
僕の中では、この事実2はどうもしっくり来ない。
指導者としてのカリスマ性がないだとか、そういうレベルではない。
カリスマ性がなくても、地味であっても、踏襲されたことさえやっていれば批難はされないからだ。
もし批難がされるとしたら、「小泉劇場」と言うエンターテイメントに慣れすぎた国民が物足りなさを感じた結果であって、それはそれでまた問題になる。

政治は、司会者が変わったからってチャンネルを変えて良いような番組じゃない。

仮定1:本当に首相としての器がなかった
仮定2:器があってもキッチリ出来ないなんらかの『理由』がある

どちらにしても、後ろになんらかの糸が見え隠れする。
また、それを受けてか、「小泉首相再浮上説」なんてのがあったりもするが、果たしてそれは内閣で肯定的なのだろうか。
もしその説が国民が言っているだけのものならば、仮定2の信憑性が高まるし、内閣でも「小泉さんのほうが良かったなあ」と言う意見のほうが多かったら、仮定1の信憑性が高くなる。
まあ当然、内閣の人たちがそう思っていても、口には出せないわけだが。

もちろん、安部首相の経歴であるとか、その他大臣の発言力であるとかは十分に加味するべきだし、調査して検証する価値もあるものだと思うけど、そこまでは別にしない。
単に、僕は「何かおかしい」と言う違和感を感じただけなのだから。
それに、本当に他の政治家から後継者として相応しいと推薦され、しかし求心力が足りなくて残念でした、と言うような平和なものであるならそれはそれで全然構わない。
もしそうなら前向きになれるから。

以下に記すのは僕が友人とした会話の一部を取り上げたものだ。
例えば、僕が週休完全2日制、土日を休みにした張本人だとしよう。
時代は変わり、僕は第一線を退いて、今はお前が最も発言力のある人物になっている。
つまり、対外的に見れば、お前は僕の後継者と言うことになる。
さて、その状態で、「やっぱり土日の完全休みは返上して、昔のように戻します」と僕の前で言えるだろうか?

これは、つい最近取り上げられたゆとり教育改正に関する世間話の一つだが、
「7限目の創設」と言う誰もが馬鹿だと思う発想の背景にはこんなのがあったりするんじゃないだろうかと思うのだ。
少なくとも、あっても不思議ではないと思っている。
これは前提5に起因する。
日本の政治と言うのが、長いものに巻かれたり、あるいは顔色を伺うことのうまい人格者の集まりだと解釈するなら、そういうことはあってもおかしくない、と思う。

最後に事実5だが、確か有識者の人は「人が変わったようです」と言っていたように記憶している。
官房長官時代はもっと決断力のある人だったと言うのだ。

さて、まあそうなると、安部首相は僕はマリオネットにしか見えないわけだ。
支持率が下がったとは言え、野党がしょぼいので政権交代なんて現実的ではないし、そうなると今度の選挙も出来レースに近くなるんじゃないの?ってのが僕の妄想。

以上の妄想は、なんらの根拠も論拠もなく、単に陰謀説とスパイ映画の大好きな僕が同人誌のネタにと書き殴ったものですので誤解なきよう。

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