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2007年3月30日金曜日

学園黙示録



佐藤大輔さん何やってんですかちゃんと『皇国の守護者』の続き書いてくださいよ!って突っ込みはあるにしても、このゾンビ漫画は大変な傑作である。佐藤大輔さんがこんなにゾンビに精通していると知って僕はかなり嬉しい。
んで、何が傑作かって、

・絵が萌えるし綺麗だしよく描きこまれている
・ゾンビの『お約束』をよく理解しているために飽きない
・全世界同時発生

と言う点だ。
まあ、ゾンビ漫画と言う点で、絵はぶっちゃけどうでもいいっちゃどうでもいいのだが、それでも見やすいに越したことはない。
が、やっぱゾンビとかになるとオドロオドロしいシーンとかも満載でないとダメなわけだから、軟弱な萌え絵だと、どうしても表現まで軟弱になってしまう上に、単純に言って合わない。萌え絵と言うのは人を和ませるためだけに特化した絵の形態の一つだからな。
が、この漫画は絵はそこそこ萌える割に、建造物や脇役、ゾンビ特有の表情等が非常に良い。ほえほえした女の子からイカつい男までなんでもござれだ。だから違和感もない。完璧。
武器を使った格闘シーンも巧いし、銃器の扱いについても、やっぱりなぜか精通したやつが一人仲間にいたり(これもお約束だが)してて、無駄がない。演出も過剰でも過小でもない。
ビジュアル表現に関して言えばこんなところだ。

次に、ゾンビの『お約束』だが、まあこれは諸説あるのだが、

①篭城は厳禁
 必ず、守りさえ固めていれば助かると言うやつが出てくるが、それは大きな間違いで、いくらゾンビが進入してこれないように注意を払っていたとしても、生存者の精神が先ず持たない。もちろん、人数や確保した物理的スペース、治安状況にもよるが、まあ大体うまく行かない。
 Ⅰ:人数が10人以上の場合
   これは絶望的だ。篭城しているうちに確実に発狂するやつが出てくるし、それは伝染する。それに、食料等の問題が非常に大きいために、まともな頭を持った人間だと必ずそこに不安を覚え、やはり篭城には反対する姿勢を取るようになる。そうでなくても、内部で派閥が出来ることは必定であり、そうなると秩序立った集団行動すら危うくなる。
 Ⅱ:物理的スペースが狭い場合
   『ドーン・オブ・ザ・デッド』のスーパーマーケットぐらい広かったら問題もないだろうが、まあこの漫画で言うならば、せいぜい大きくて倉庫程度のものであり、普通は一軒家を考える(食料の備蓄が容易だし、外部との連絡も希望がある)。一軒家は一見篭城に向きそうだが、そうではない。持久戦にひどく弱いのだ。と言うのは、抱える食料の量に物理的な問題がある。一切買い物に行かずに1ヶ月以上も過ごせる家が存在するだろうか?
 Ⅲ:治安が悪い場合
   警察等の秩序がまともに機能しておらず、夜盗やゴロつき等が略奪を繰り返しているような絶望的な治安状態の場合、仮にⅡの問題をクリアして半年以上の篭城が可能だとしても、それは失敗する。いくら内部秩序が保たれていてもだ。侵入を警戒すべき相手がゾンビに限らなくなる。ただのゾンビ相手の篭城方法は、生きてる人間からすれば穴だらけで、そんなものは軽々と略奪者によって破壊され、ゾンビと一緒に侵入される羽目になる。また、そういう対略奪者に対抗する方法が縦しんばあったとしても、それはやはりいつまでも続くものではないし、武器・食料の消耗を激しくし、結果として篭城出来る期間を短くしてしまうだけだ。

 以上のような理由から、篭城は確実に成功しない。作者はそのことがわかっており、篭城しても一時的なものに留めている。

②見知らぬ人は助けるな
 同じように逃げてる人を見つけたとき、結託を必ず考える。人数が多くなればなるほどその声は多くなるし、それは人道に適ったもので批難の余地はない。僕も、助けられるべきなら助けるべきだと思う。が、それは女子供老人に限定すべきであって、特に血の気の多い男はあまり引き込まないほうが良い。血の気の多い男は真っ先に秩序を乱す原因であって、特にそれが女連れであった場合、主導権を握ろうと諍いを起こす可能性がある。助けるのであれば、信頼出来る人間に限ることは大前提である。

③戦いは極力避ける
 どんな理由があっても、戦うべきは目の前にいるゾンビだけに限るべきで、必要以上に殺戮はすべきではない。それは弾薬の無駄遣いにしかならないし、それに酔ってしまう可能性もなくはない。最も重要視すべきは、弾薬の残りよりも常に自分たちの体力であり、無駄に疲れて休息を欲するようになると肝心なときに戦えなくもなる。思考力も奪われる。人間は電池を換えれば動くようになるものではない。

④身内にも冷徹であれ
 最も悲劇的で同情以外にはないのがこのパターンで、つまり家族恋人親友等がゾンビになってしまった、あるいは噛まれた場合、どれだけ冷徹になれるかで助かる確率は変わる。もっとも、これは単純に生存する意味について考察する余地があるわけだから、家族や恋人を失ってまで生きる意味などないと考える人にとっては他人事ではない。生き残る意味はなんなのか、と言うことまで考えないとこのパターンには決着はつけれない。しかし、多くのゾンビ映画では、ゾンビになった家族などを撃てずに食われてしまうというパターンは決して少なくない。


と言うような感じで、読んでても、「作者はよくわかってるなあ」と感心するばかりだ。
だから、主人公グループの動きはゾンビ世界で生き残るために最も無駄がない。
このHigh School Of The Deadは、これらの悉くを痛快なほどに網羅している。
だから、この漫画はゾンビ漫画として頭一つ抜けていると思うのだ。

次に、全世界同時発生と言う点だが、これは色んなゾンビ映画で、ゾンビ発生の解釈が違うために、スケールにも違いが出てくる好例だが、このHSOTDは、疑う余地なく全世界同時発生。
例えば、ロメロの世界だと、原因はまったく不明だが、全世界同時発生的に死人が生き返るという設定で、そこには解釈も何もなく、あるのはただ事実だけと言うものだった。もちろん、これは物議を醸した。
その他多くのゾンビ映画で採用されているのは、地域限定的なゾンビであり、例えばそれは軍の開発したB兵器によって生まれたゾンビであったり、例えばそれは魔術で発生したゾンビであったり、例えばそれは病原体も特定されたゾンビであったりする。それらは結果として考えるならば、話を収束させるために必要なものであって、どれだけ原因のわからないゾンビ発生が魅力的で壮大で哲学的であっても、それはすでにロメロがやってる以上、踏襲と言うよりパクリでしかなくなるのだ。
HSOTDはロメロの世界観を踏襲してるために、原因も何もわからず、描かれているのは単純に暴動とサバイバルだ。
もちろん、主人公グループが高校生と言うこともあって、その辺の人間模様も日本的に描かれていて面白い。

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