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2007年6月17日日曜日

グループメンバーから送られてきたドキュメントを校正したり、明日発表すべき事柄や企画を考案したりしている中でふと思ったことだが、最近のインターネットの使われ方はコミュニケーション過剰のような気がしてならない。まあ別にそれが悪いと言うわけではないけれど。
…と、ここまで書いて、僕が今から書くことは、たぶん手紙・電話、それぞれの黎明期において同じことが言われたんだろうなあと思った。
ただ形が変わっただけなのだと僕は自分に言い聞かせる。
電話も、はじめは「情報伝達」が主だったはずだ。しかし、それが普及するにつれ、「離れた人との連絡手段」となり、「実際に会う」ことの一つ下のランクの密接なコミュニケーション手段になった。
インターネットと違うところは、「電話番号を知らないとかけることが出来ない」ということであり、あらかじめ電話番号を知っておく必要があった。電話番号は間接的にしろ直接的にしろ、知らない人のものを知ることはまったく無益で、電話帳の無駄遣いにしかならなかった。
畢竟、電話でのコミュニケーションと言うのは、あくまでも知り合い同士というのが当然だった。知らない人との電話は、連絡網上にある人へのただの連絡に他ならなかった。(小学校6年生の頃にP嬢が「翌日の家庭科に裁縫道具がいる」ということを電話で連絡してきたことをふと思い出した)

時代は移る。インターネットは阪神大震災を契機に、連絡手段としての有効性に目をつけられ脚光を浴び、それから発展を遂げてブロードバンド時代になり誰もがインターネットに気軽に接続できるようになった今、最初は連絡手段だった電話が普及した後と同じようなことが起こっている。
が、電話とメールとチャットの違いについて考えたことのない人はおそらくいないだろうと思う。
認識はほぼ誰もが思ってる通りだ。同時に、「連絡手段」という意味合いでの違いについて考えたことのある人はどれだけいるだろう?
その3つの違いについて考えるとき、誰しもコミュニケーションが前提で考えていないか?
チャットはコミュニケーションを目的として生まれたものだとは思うが、少なくともメール・WEBについては違うと思う。確実に情報発信が目的であったはずだ。
当然、その目的は完遂され、現在のビジネスではメールは欠かせないものになっている。ビジネスでは、メールは電話に比べて「時間を合わせる必要がない」「記録に残る」と言う面で重宝される。
まあ、どの場で用いられるかによって解釈が変わるから一概にはいえないことだけどね。

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