ページ

2007年7月6日金曜日

『そのはずだそのはずだ───ちくしょうめ どうしたらいいのだ』

細かなスケジューリングを僕が決めてしまうことはせず、大雑把なことしか決めていない。それには理由がある。
第一に、作業項目の割り出しを僕がやってしまった場合、個々の作業を割り当てられた人は、それを何のためにやるのかがわからないままやってしまう恐れがあるからだ。それは人を舐めていると思われるかも知れないが、実際問題として細かなことをしながら全体での自分の位置を常に見ることの出来る人などそうそういない。そんなスーパーマンがもしいるなら僕がリーダーなんてやってるわけがないのだ。
メンバーを信用して細かな指示を与えても良いと真剣に悩んだが、結局のところ最終的に全て結合して一つのものとするのならば、各人には出来るかぎり各作業の意味をわかってほしい。そういう意味で僕は作業項目の割り出しを分担させた。

当然僕は割り出しをする以前に、項目はある程度は把握している。その項目それぞれがどの程度の時間を要するのか、どこで詰まる可能性があるか、漠然とはわかる。それプラス、不確定の要素、思わぬところで詰まったりする可能性もあることも。
けど、僕はそれらを全部言わない。やってもいない状態での僕の憶測の意見でしかないし、口頭で全部言われたほうもいっぺんに理解出来ないからだ。

同時に、今から述べるのが本当に理由として大きい。
僕の考えるスケジュールの見積もりは、「僕がその作業をするとすれば」と言う視点が前提にあると言うことだ。
それは各人の能力や知識のことを無視して見積もったものであり、各人の個人的都合のこともまた無視している。
自分で洗い出した作業ならば見積もりは立てやすいし、もし週末に予定があると言うならばそれを加味してスケジュールを立てることが出来る。僕はメンバーのプライベートを捨てさせてまで頑張ってもらおうとは思わない。人にはそれぞれの人生があるのだ。

畢竟、僕がスケジューリングすることは、「僕がやるなら」ということでしかないのだ。

だから僕は作業項目の割り出しからスケジューリングまでをそれぞれにやらせる。
一番最初にそういうことに時間を割くことは決してマイナスにはならないと断言出来る。自分のやるべきことがどれくらいなのか数量で見て取れるし、なればこそ現在の進捗状況が一目でわかる。

けど、みんなそういう「最初に考える」ということに慣れていないから、時間の無駄だと思われてるんだろうなあということはひしひしと感じる。
だが、「とりあえず目的に向かってコーディング」と言う姿勢は、時間がないときには本当に危険なのだ。結果的に無駄な時間が生じることが多い。

僕がリーダー権限を駆使して大雑把にスケジュールを立て、それを基にそれぞれに作業項目の割り出し+スケジューリングを行わせる。
作業項目単位の進捗状況は僕が全て把握し管理。
そうすることで、作業が速く終わった人を別の作業の手伝いに回せるし、それは項目として洗い出されてるから余計な手間がかからない。
「やることが多いから手伝って欲しい」という要望があってから、「じゃあ他の人にやってもらうことを洗い出して」というのでは遅すぎるのだ。
アウトソーシングの原則は、外部に委託できるものを把握していることだ。
そういうわけで、全体の進捗を項目数で把握できるのは現状では最も効率が良いやり方となる。

そこで問題になるのは、僕の仕事だ。
正直なところ、僕が何かの作業に没頭することは避けたい。
一歩引いた状態で全体を見渡していたいと言うのがあるからだ。
作業は1日単位で進むわけじゃない。リアルタイムで進む。
僕が全体を把握していれば、各人の状況によってフレキシブルに僕がサポートに回ることが出来る。手の空いた人がどこを手伝えば良いのかというのが即断出来る。
だから端から見て、僕はまったく仕事をしない状態になる。リーダーとしてはそれはベターな状態だと個人的には思うんだが、果たして実際に動いてる人がそう解釈してくれるかどうかが心配なのだ。
「うちのリーダーは仕事を与えるだけ与えてスケジューリングも作業の洗い出しもこっち任せで何もしない」
と思われたら終わりなのだ。
でも、上記で書いたように、「作業の先読みをリアルタイムで出来る」「適切な人員配置が即断出来る」「僕の小回りが効く」と言ういくつかの利点があるから、何かに集中するわけにはいかない。

とは言え、みんなが頑張ってる横で何もしないと言うのはさすがに罪悪感を感じるのだけど、それは僕の面の皮が薄いだけなのだと自分に言い聞かせる。

0 件のコメント: