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2008年1月27日日曜日

『ナイルのほとりにいた 前世からの鼻歌』

暇人は社会のインフラ
逆に、労働力を潤沢に提供されても、そこから価値を生み出し、競争力のある企業を作ることは難しい。労働力は雇う前に選別することが容易なので、総数より質が重要ですが、暇人力はそうではありません。強制力によって人を組織化して創造する価値より、暇人の自発性から自然発生する価値の方が高いのです。技術という外的な制約の変化から、そうなっています。
鋭い考察。
ニコ動が出てきてから色んな人がコラムで取り上げてるように、「暇人」と言うか「組織に依存しない人の力」が激しくクローズアップされる時代になったというか。

アルビン・トフラーが『富の時代』で書いてたように、産業革命によって「職」が生まれ労働力が資本とされる時代になり、さらに100年後インターネットが普及することにより、ここでも書かれてる「強制力によって人を組織化して創造する価値より、暇人の自発性から自然発生する価値の方が高い」という、なんとも知的産業的な構造が生まれてきてる。
労働力を売って金を得るという図式は、もう成り立たない。労働力自体は途上国にアウトソーシングすることがインターネットで容易になり、さらにロボットなんてものも今後ますます発展する。先進国における単純な労働力なんて無くなるとまでは言わなくても価値は低下する。

価値の遷移か・・・うん、悪くないですな。

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