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2008年2月13日水曜日

『散らかった思い出をそっと空に浮かべて』

随分と書くのが遅くなってしまったけど、前回の記事で書いたとおり、こないだの連休を使ってスキーに行ってきた。
行き先は新潟県妙高杉ノ原スキー場。

午後11時半ぐらいに夜行急行列車に乗り込み………大富豪の時間が始まった。
(どうでもいいけど、大富豪ってローカルルールが多数あることでも知られてるけど、呼称すらローカルによって違うらしい。地域によっちゃ『大貧民』と言うんだとか)
夜行急行の座席はボックスシートといわれるもので、地方では最もポピュラーで、2人掛けの座席が向かい合っているものだ。僕らは3人で行ったので、ボックスシートに座ると1人余る。最初はそこに荷物を置いていたのだが、思ったよりも混雑していて、途中で1人座ってきた。しかし、それに構うことはなく僕らは1時半ぐらいまで大富豪をしていた。さすがに寝ないとキツイので、それから朝5時半ぐらいまで睡眠を取った。荷物のおかげで足元が狭かったので体が少し痛かった。
午前6時に直江津でローカル線に乗り換え、そこから1時間ほど大富豪をしていると、宿の最寄り駅である妙高高原駅に着いた。


寒いことは寒いのだが、大阪や東京のような無機質な寒さとは違い、純自然的な寒さ。気温は低くても、なぜか耐えることが出来る。
バスの出発時刻を見ると10分ほどで来るようだったので少し待ち、乗り込む。料金はなんと一律200円。安い。ここは京都か!?

宿に到着して、すぐに着替えてスキー場に行く。徒歩5分ぐらいでゲレンデなので宿の位置は上々。まあスキー宿ってこんなもんだけど。
そして滑り始める。天気は快晴!非常に良いコンディションだ。後に知ることになるが、この日は大阪や東京ではえらい雪が降っていたらしく、随分積もったらしい。新潟は天気良かった。


ゲレンデコンディションは上々、かつ朝一番、なのに圧雪面がほとんど見えなかった。つまり、それだけ多くの人に滑られているのだ。何故かと言うと、1年か2年ぐらい前から、妙高杉ノ原で早朝スキーが解禁になったからだ。日も昇らない午前6時から滑っている人が相当多いという事実にここで気付いた。ナメてはいけない…。
と言うような理由で、早朝のゲレンデと言うコンディションではなかったのだが、それでも天気も良く視界もクリアで文句なかったことは間違いない。妙高杉ノ原は結構穴場なのか、めちゃくちゃ広い割りに人が少ない。人口密度が低い。(まあたぶんベース施設が貧弱だからだろうけど…)

まあ人が多いよりはマシだ。少ないほうが事故の危険が減るのでスピードが出せる。僕はDにスキーを教えてもらったので、当然スピードスキーの傾向が強い。なにしろDはスピード違反の常習者なのだ。

僕が19歳のころは、このスキー場の最長滑走距離8kmをノンストップでDと滑っていたものだが、体力が落ちた今じゃもうそんなことは不可能。せいぜい3km程度が限界だ。休憩を取りながら、リフト最終運行まで滑りまくった。
宿に戻って少し足を休め、風呂に入って飯を食べて、大富豪。大富豪。大富豪。僕の大富豪戦略に勝てるやつなどいない!!
23時半ぐらいになるとさすがに眠たくなってきたし、寝ないとマズイので消灯。Dは5秒ぐらいで爆睡モードに入ったが、僕と戯言遣いはすぐに寝れなかったので喋っているうちに随分ヒートアップしてしまい、気付いたら午前2時半だった。
マズイ!早朝滑走を楽しむために午前5時に起きる予定なのに…と言うことで、なんとか頑張って寝た。睡眠時間は2時間半だった…。
しかしそんな短い睡眠時間でも動くのが水上クオリティ。戯言遣いはチャージに8時間睡眠を要するらしいが、僕はそんな燃費の悪い肉体を有してはいない。
が、さすがに2~3分逡巡したが、この早朝滑走のチャンスを逃すなんて!と思い、飛び起きてすぐに着替えて用意をした。
僕とDはフットワークの軽さに定評がある。5時20分くらいには全ての用意が済み宿を出ることが出来た。

宿を出ても当然真っ暗である。街灯すら殆どない。早朝滑走ではリフトは動いてなく、ゴンドラのみしか動いていないので、前日に使った数分で着くゲレンデは利用出来ない。なので、ゴンドラの近くまで行かないと行けなかったわけだが、そこまでは宿から歩いて約30分と言う情報だった。
ほぼ真っ暗な山道を、スキー板を担いで25分ほど歩くとようやく到着した。早朝チケットを手に入れ、列に並んだ。列に並んでたのは約10人ほど。まだ周囲にぞろぞろと集まってきていることから、やはり早朝滑走利用者は多いようだ。

ゴンドラで、一緒になった栃木県在住の人と話した。もうこのスキー場に通い詰めて30年ほどになるらしい。相当うまい。
早朝滑走はさすがに楽しい。日が出ていないのでかなり寒いが、圧雪したてで人もまったくいないので、好きなように好きなだけ滑れる。ゲレンデの幅を全部使って滑った。非常にtrackの無駄遣い。
1時間も経つと、随分人が多くなってきて、雪面が荒れだした。昨日の原因はこれか。だんだんスピードを出せなくなってきたので、人の多いコースから少ないコースに切り替えた。するとすげえ幻想的な景色の場所に出た。そこはとあるコースの一部なんだが、ぼたん雪がかなり降っていて、当然空は雲で覆われているのだが、朝日が半端に透過していて雲が薄いオレンジ色をしていた。太陽は一番明るいところで、輪郭のぼやけた丸として存在していた。あれは非常に幻想的だった。まるで中世の退廃した農民生活を描いた映画の中に迷い込んだようだった。

画像ではわかりにくい。下手に露光量を下げたのが裏目に出たか…。実際はもっと神々しい感じ。

8時半ぐらいに宿に戻り、寝ていた戯言遣いを起こして朝食を取った。大変美味しゅうございました。前日の夕飯だったかんずり汁があれば最高だったなあ。あれはマジうまい。まいうー。
そして部屋の荷物をまとめて宿を出る。荷物は帰るまでは宿に置かせてくれるらしい。まあスキー宿の通例どおりだな。
早くも起こった筋肉痛に鞭打って既に2時間ほど滑ったわけだが、まだまだ勝負はこれからだ。時刻は9時半。リフトが止まるのは16時なのだ。

何故そんなに筋肉痛が起こるのかと言うと、まあ単純に体力がなくなったという理由が過半数を占めるのだが、そのほかにも、『滑り方を少し変えた』と言うのがある。向上心旺盛な僕は、どうやったら上手い人のようにエレガントかつスピーディに滑ることが出来るのかとずっと洞察をしていた。Dに尋ねると、僕や戯言遣いはまだ体で無理に曲がっているようだった。なので、膝を曲げて前に体重をかけ、それでいてふらつかないように重心を落として滑るようにした。最初はスキー靴の中で爪先立ちになってみるぐらい極端にやってみた。そうしていると、なんとなく感覚が掴めてきたってわけだ。重心を落として前に体重をかけて滑る。そうすると足元が如何にぐちゃぐちゃでもバランスを保てた。カービングのときはエッジを意識することで乗ったスピードを殺すことなく曲がったりも出来た。
言うほど確実な滑り方が出来たわけではないけど、少なくともスポーツによくある「ああ、これか」と言う感触を掴むことは出来た。杉ノ原に来たらいつも何かレベルアップするww

レベルアップと引き換えにまだ慣れない負担のかかる滑り方を習得した僕は膝を笑わせながら滑走。ていうか超ガスってきた。視界がワロシ。スピード出すのが怖い。

11時になったので昼食。早いうちに飯を食べないと店が混雑しまくって時間が無駄に過ぎてしまう。
僕が道を間違えたおかげで少しレストランに着くのが遅れてしまい、そのせいで他の客と相席することになった。僕ら3人の前には、父親と息子の二人組みがいてご飯を食べていた。
僕らは特に気にすることもなくご飯を食べていた。僕が注文したのは海鮮丼。まぐろとかいくらとか色々入ってるアレだ。

僕「最近わさびにハマっててさ…ついつい多目に取って入れてしまうんだよ。このツーン(デレ)とした感覚がたまんねぇなハァハァ…おいD、わさびが余ってるんならくれないか」
D「好きにしろ」
戯言遣い「入れすぎだろ…」
僕「これくらいがちょうどいいんだよ。回る寿司とかでもさ、わさびが入った樽ごと回ってくることがあるだろ?あれって最高のサービスだと思うよ。むしろ米の上にはネタじゃなくてわさびがこうドサッと載ってるだけでいいよ」
戯言遣い「それ寿司じゃないから!回ってこんでいいし!」

と言うような掛け合いをしてたら、正面にいた男の子がめちゃくちゃ笑っていた。
調子に乗った僕らはボケとツッコミに分かれてワサビネタでちょっとした漫談を繰り広げていた。その男の子が席を離れるまで。
僕らはいつもよく似た調子で話をするんだが、客観的に見れば10歳ぐらいの男の子ですら笑っちまうほどアホな会話をしていたのかと思うとちょっと自分でも面白くなった。まあ何はともあれ男の子が僕らの会話で笑ったくれたのは朗らかな気分になれた。いい思い出だ。あれが女の子だったらもっとよかtうわなんだお前何をするやm

昼食を食べた僕らはスーパーモーグルコースへと進んだ。
モーグルと言うのは、コブコブをクリアするアレだ。世間的には上級者が行うものとされている。
Dは転ぶことなくうまくクリアできるのだが、僕と戯言遣いはヘッピリ腰で恐る恐る進むしかない…。
そこで事件は起きた。
僕が目の前にあるコブを降りようとすると、旋回がうまく出来ずにコブに乗り上げてしまった。斜度が結構あるので短距離でもすぐにスピードがついてしまうので、コブのてっぺんからジャンプをしてしまうような形になり、着地すると同時に速度を殺して止まろうとするも失敗。膝は曲がれど板は真っ直ぐと進む。僕はコースの両端に引かれてある「ここからコース外」と言うことを示すロープの下を潜ってしまい、コース外へと飛び出した。このままだと良くて木に衝突、悪くて崖から滑落する危険性がかなり高かったのですぐに身を捻じ曲げた。そこでようやく止まったのだが、その衝撃で板の片方は吹っ飛び、左足が捻ったショックで痛かった。体勢が悪いし左足が動かせなかったのでしばらくそこを動けなかった。上から降りてきたDに手伝って助けてもらってようやく滑走を再開できるようになった。あれほどヒヤッとしたのは野沢温泉で崖から落ちて以来だな…。

そしてその後、戯言遣いが同じような状況になり、木に激突していた。と言っても軽いものだったらしく、怪我とかはなかったようなのでよかった。だが木に激突したというのは面白いので今後ネタにさせてもらおう。

スーパーモーグルコースで異常なまでに足腰に負担をかけてもう満身創痍になったのだが、まだ時間は14時前…。
いいだろう、僕は限界に挑戦してやるぜ…!!!

と意気込んだはいいがスタミナがとにかくなくなってきたのでDや戯言遣いに全然追いつけなかった。すぐに足がフラフラして止まってしまう。足がフラフラし始めたらすぐに止まるのが得策だ。見栄を張って滑り続けるといつか大きな事故になる。過信は禁物。
しかし、疲れたときに覚醒することがあるのが人間。今までよくわからなかった小回りの感覚がなんとなくだが捕めた。否、客観的に見れたわけではないからなんともいえないところだけど。少なくともDは「感覚はつかめたみたいだな」と認めてくれた。

そんなこんなで16時になり、リフトも止まりだすころに。随分とガスも出てきて雪も止まず視界も悪かったので頃合かと。
宿に戻り荷物をまとめ、近くの銭湯(温泉?)に入浴に行った。が、人が多くて入れなかったので先に近くで晩飯を食べることにした。
食べたあと銭湯に戻ったが、結局人の多さは殆ど変わらなかった。体洗うために行列が出来てた。なんてこった。

風呂に入ってサッパリしたあと、1Fの休憩室で3人ゴロンと寝転がって30分ほど寝た。さすがに2日間ずっとは疲れた…前日2時間半だったし。
そしてもう一度宿に戻って荷物をすっかりまとめてから、バスに乗って妙高高原駅まで戻ってきた。電車まで1時間ほど時間があったのでまたもや待合室でトランプを楽しんだ。

そうそう、駅の目の前にある土産物屋で飲むヨーグルトがあったので買ってみて飲んだ。

僕はこれをドロリ濃厚と名づけることに決めた。戯言遣いにも異存はないようだった。

電車が来たので数駅移動し、寝台特急の来る時間まで時間を潰さなくてはならなかったので、Dが事前に調べていたカラオケに入って2時間ほど歌った。

無駄に幻想的な駅前のオブジェ。
地方だからかどうかはわからないけど、曲数が異常に少なかった。スピッツが4~50曲しか入ってないのってどうよ。でも店員さんが可愛かったので良しとしようか。

僕らの予定は分刻みで進む。定刻通り直江津駅に到着し、50分ほど時間を潰したあと、寝台列車に乗り込んだ。3段ベッドだったので高さが非常に狭かったが、まあ横になって休めるだけマシだった。たぶん1駅も進まないうちに僕は意識を閉ざして、目が覚めると大津だった。そして鹿の事故と濃霧のおかげで25分ほどダイヤに遅れが生じていたらしい。まったく気付かなかった。

大阪に着いてからはいつもの通り。駅から歩いて帰るのがいつも億劫になるんだけど、後から思い返すとその億劫さがまたなんとなく感慨深いものだったりするのだ。

この冬は随分寒くて、大阪でも雪がチラホラ降っている。今冬、あと一度スキーに行けるかどうかはわからないけど、今度行くときは社会人になってからなので、5年も使ったスキー板を新調しようと今から企む水上であった。

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