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2008年9月29日月曜日

『鳥を追いかけて 裸足で駆け出す』

昨日はEと3時間テニスをやり、家へ帰ったらくたくたで、実に21時半には眠っていたという体たらく。
テニスを月1でやり始めて早1年ほど経つんだけど、最初はテニスボールを相手側のコートに入れることも出来なかったのに、今はバックハンドでやや無理な体勢でも相手に返せる程度には上達してきて、毎月の練習が楽しみなのだ。
来月は強打を練習したいなあ。現段階じゃ強打しても狙いが定まらない。
まあ、僕とEは運動不足解消を目的にこうして定期的に運動しているので、そこまで上達を望んでいるわけでもないんだけど、やっぱりやるからには少しぐらい人に見せれる程度にはなりたいというわけで、少し不純な動機を持ちながらやっているのだ。

それにしても、高校生の時にハマっていた曲を今聴いたときに、当時のことを思い出す脳の働きってのはとんでもないものがあるな。ちょっと当時の気持ちが蘇っちゃったよ。あの時は何もかもが新鮮で楽しかった。いや、今も楽しいけど。

人間この信じやすきもの―迷信・誤信はどうして生まれるか (認知科学選書)
トーマス ギロビッチ
新曜社
売り上げランキング: 1475
おすすめ度の平均: 4.5
5 優れた知能とそれ故の誤りを楽しむ
3 唯物論的立場からの考察
5 湾岸戦争の水鳥が教える物--誰がカルト教団の信者を笑えるか?
5 迷信・誤信はなぜ排除できないのかがわかります
4 日常での知性の働きを説く良書


結局、僕がこの本につけた折り目の数は40箇所を下ることはない。
各章の具体的な事例一つ一つ取ってみても非常に示唆に富む内容。
ちょうどこの本の『AIDSに関する迷信』に関する章を読んでいるとき、電車の中の吊り広告に、「エイズは今や4人に1人です」みたいな警鐘を鳴らしてる文章があったものだから、ついつい懐疑的な目を向けてしまった。
ギロビッチ氏曰く
しかしながら、エイズへの恐怖が性の自由化への効果的な抑止力であるためには、それが同性愛や両性愛の男や、薬物の静脈注射をする薬物乱用者、そして、その配偶者や恋人だけに留まるものだけであってはまずいことになる。その結果、異性間の性交渉によるエイズ感染の事例が、大々的に宣伝されることになる。同様に、アフリカ諸国やハイチにおける異性間でのエイズ感染率も大きく報じられる。これに対して、異性間の性交渉でエイズ感染が起こった例の殆どが、同性愛者や薬物乱用者などの高リスクグループが関わったものであることはあまり報じられない。また、アフリカ諸国やハイチとアメリカ合衆国とでは、性の習慣や公衆衛生の状況が大きく違っているために、そうした国々での現状がそのままアメリカ合衆国にも起こりうるとはほとんど考えられないこともめったに報じられない。
(中略)
1990年には、普通の人でも5人にひとりがエイズで死ぬ!1991年には、赤ちゃんの10人にひとりがエイズに感染して生まれてくる!こうした予測が正しいとすれば、それが出された時点において、普通の人々にもエイズ・ウィルスが相当広まっていなければならない。一度の性行為でエイズがうつる危険性も相当大きいものでなければならない。
(中略)
今この原稿が書かれている時点ではもう1990年であるが、普通の人の5人にひとりがエイズで死ぬどころか、感染もしていない。今でもなお、エイズ感染者の圧倒的多数は、同性愛者や、薬物駐車の常習者とその恋人である。
(中略)
これと著しい対比をなすのが、私たちの個人的な経験である。個人的経験に基づく判断は誤りやすいものであるが、エイズの危険性の予測に関してはかなり正確であったようである。アメリカ国民の大半は、異性間交渉によってエイズに感染した人が誰も身近にいなかった。身近にそうした人がいる人を知っている人でさえ、身近にはいなかった。
それゆえ、こうした個人的な経験に基づいて判断する限り、異性間の性交渉によるエイズ感染の危険性は、現実離れした誇張としか思えないものだったのである。
かなり省略しているが、大綱はこのようなものだ。報道の誇張と個人的直感の齟齬による面を厳しく指摘しているし、またこの例で言うと、何故報道の誇張が行われるかという『政治的な理由』も明確かつ詳細に述べている。
こんな論文めいた文を読んだ後に、例の「元カレの元カノの元カレの…」とか言う広告を見ても、誇張以上に架空とものとしか思えないぐらいに現実と乖離してるように感じるわけだ。大体、そんな感染力と致死率の高いようなウィルスなら世界はもっと大変なことになってるよ、常識的に考えて。

あと、面白かったのが「自分の置かれた状況を楽観視出来ない人ほど鬱になる可能性は高い」というのが統計的に示されているということかな。これは文だけ見ると「当たり前じゃん」と思うけど、実際個人的な感想以上に統計的にも証明されていると言うのが興味深かった。
まあ、僕みたいな楽観的な人間にはまったく関係のなさそうなことですけど。鬱っぽい人は確かに妙に悲観したがる人が多いなあと言うのは事実でもある。

いやあ、この本を読んで色んな物事に対する見方が変わった。
まあ実際、話のタネになるかと言われると微妙なところなんだけどね。あんまり笑えるようなものでもないし、理屈っぽすぎて敬遠される可能性の方が高いから。日常会話には不向き。
真面目に物事を判断するときの思考材料としては絶品。ちょっと高い視点からの考察が可能になるね。ジョハリの窓。

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