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2009年7月1日水曜日

萌えの再定義

何故、萌えに相当する形容詞がないのか?おかしいじゃないか、「可愛い」のように対象を直接言い表せないなんて?萌えるは僕のことであって対象のことではないのだろうか?
そして僕は遂に理解した。
萌えと可愛いは同義語なんていう意見がよくあるけど、よく考えてみれば全然別物さ。
「可愛い」は、その対象に対する、自分の主観的な感慨だが、「萌える」はその主観的な感慨によって起こる、結果としての情動さ。
「可愛い」ってのは、対象から受ける印象が、主観というレンズを通って屈折した感慨だ。そのあとに、「だから萌える」という言葉をつけるのが本来の用法だが、そうしたときには『「可愛い」によって私は情動が沸き上がるんですよ』と言ってるのと相違ない。
つまり、萌えを感慨の結論としての情動とみなすなら、形容出来るものに対するフェティシズム(あるいはパラノイア的な何か)だと言い換えることが出来る。

一般的に「あずにゃん萌えー!」というときは、「あずにゃん(の貧乳が可愛いから)萌えー!」というような、名詞に対する形容が省略されるのが普通である。
これは、省略することによって括弧の中の部分を抽象化し、あずにゃんの何かに対して(何でもいい。髪型でもいいし声でも釣り目でも)形容されうる感慨を得(何でもいい。美しいでも楽しいでもキモいでも)、その結論としてリビドーを獲得する人すべての同意を得ることが出来るからだ。
要するに、計らずも、省略がコミュニケーションインターフェイスとしての役割を果たしているわけだ。
簡単に言うとこうなる。

A「けいおん!(の澪の怖がり屋さんなところが可愛くて)萌えるよなー」
B「けいおん!(の唯のほんわかしてるところが癒し系で)萌えるよなー」

AとBは「けいおん!萌えるよなー」と言う言葉で会話を成立させているのであり、何についてどう萌えるのかと言うのはコミュニケーションの第二段階である。
要するに、「けいおん」「萌える」という単純な二語がインターフェイスとなって、二人の仲を取り成しているのだ。

僕は「ゾンビ萌えー!」が口癖の類人猿だが、このインターフェイスでコミュニケーションを図れないのは、ゾンビを形容する何かに対して情動が沸き上がる人がほとんどいないからだ。
(実際、「ゾンビ映画」という括りなら同意してくれる人が少し増える。それはゾンビ映画の『ストーリー』に対して何かを感じる人がいるからだ。それがたとえゾンビとは関係なくても。)

さて、ここまで来ればもう答えは見えたようなもんだ。
何故萌えは性欲と混同されやすいのか?
それは、萌えという言葉が使われるようになったのがヲタクの間からであり、言葉の対象となるのが女の子の場合が圧倒的に多かったからだ。だから、「萌え=可愛い」という図式も成り立つことが非常に多い。昨今の「萌えアニメ」を見ればお分かりだろう。あれは「萌え=可愛い」として捉えた現象だ。
今や萌えは本来の意味で使われるようになり、「廃墟萌え」だとか「戦国時代萌え」とか様々な語法が用いられるようになった。この例でみても、別に廃墟や戦国時代に性的興奮を感じるわけではなく(感じたら単なる性的倒錯者だ)、それらを形容する何かがリビドーを掻き立てるわけだ。だから、腐女子に言わせると戦国BASARAは「萌え漫画」と言うことになる。いや、僕は戦国BASARAのことを全然知らないけど。

かくして、上記のような論法で、僕は萌えを再定義した。
これで僕がゾンビに性的倒錯している変な野郎だとは思われなくなるため、心置きなく叫ぼう。

ゾ ン ビ 萌 え ! 

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

>僕がゾンビに性的倒錯している変な野郎

え、違うの!?

水上直也 さんのコメント...

その命題が成り立たないことを全力で証明しよう。

1:僕がゾンビに性的倒錯していることが真だと仮定する

2:ゾンビは死人であり、それに対し性的倒錯と言うことはネクロフィリアである

3:ネクロフィリアの人は必ず『ネクロマンティック』と言う映画を通る

4:僕は『ネクロマンティック』を見ていないし興味もない

3-4の事実が、1と矛盾するため、1は偽である。
よって僕はゾンビに性的倒錯していない。

Q.E.D