ページ

2010年2月3日水曜日

Thoghts in chaos

「イチゴのあの赤い感じ」や「巫女さんのあの萌える感じ」といったものはいずれも主観的なものであり、客観的事実かどうかということは、クオリアの観点からは科学的説明が不可能ということだ。
経験によって醸成された認識は、同じ人間同士、あるいは同じ生物同士なら絶対的な事実として扱われるが、例外がある以上、それは真理ではない。日本で巫女が絶大な人気を誇るのは初詣という土壌としてのイベントがあるからであり、そうした経験なしに巫女さんへの萌えを感じることは、犬にスカイダイビングの楽しさをわかってもらうほどに難しい。

色は光から生まれる。これは科学的に証明された確かな真理だ。
だが、「イチゴのあの赤い感じ」はそれを元にした感覚であって、絶対的ではない。虹を構成する色の数が人種や国によって変わるように、認識や感覚は共有可能だがそれ以上のものにはならない。

僕ら人間は、光がないと空間の把握が出来ないし、水の中では匂いを感じれない。
コウモリは光がなくても空間の把握が出来るし、魚は水の中で匂いを嗅ぎ付けることが出来る。
光で世界を知覚することは僕ら人間の物理的な特長であり、世界を知覚する方法が光しかないということにはならない。
それは異なる生物でのメタな話に留まらず、同じ人間でも言える。
僕ら日本人は、いくら「二次元のおにゃのこ」でも、ミュータント・タートルズに出てくるエイプリルにはお引き取り願いたくなるだろう。つまり、「二次元に行きたい」がどれだけ人間の相違であったとしても、「人間としての真理」であったとしても、現象を科学的に説明出来ても、相違が生じる理由は非科学的。

僕らが素晴らしい山を見上げたときに感じるあの壮大な感覚。巫女さんの静かな佇まいを目にしたときのあの和な感覚。
ほぼ全ての人類がこれに同意するため、ついつい絶対的な真実だと勘違いしてしまいそうになるが、実はそうではない。感覚を受けた理由は説明可能だが、「何故その感覚が生じたか」は厳密な説明は不可能なのだ。

クオリアが科学で証明されないことを踏まえると、これだけは確かに言える。
「巫女さん萌えは科学的に証明出来ない。」

0 件のコメント: