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2011年3月24日木曜日

俺の携帯がこんなに便利なわけがない

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先の月曜日、つまり3連休の最終日、Eから「おいゲソ野郎、HTC DESIREが安くなっているぞ。買い時なんじゃなイカ?」と連絡がきた。
ドコモの2年間契約縛りに絡め捕られ、10月まで身動きが取れない僕は、やれやれ、ひとまず情報収集がてら、携帯が壊れたEの相談に乗るかと思い、提示されたURLへアクセスした。

風向きが変わってきたのはそこからだった。

携帯は、四半期ごとに新機種が出る。これは四半期決算に合わせたものだ。だから、新機種が出る直前に在庫処分が始まるため、旧機種の値下げや、特典付きキャンペーンが行われる。故に、値下げが行われたことに対しては特に驚きはなかったのだけれど、量販店側で叩き売りと表現出来る行為が敢行されていることには驚きを禁じ得なかった。

具体的には、データ通信カード(ノーパソとかにグサッと挿す奴だ)の契約をするだけで、端末がロハになるというもの。
その端末とは、SoftBankのHTC DESIRE HD。年明けでも端末価格8万はしてた機種だ。

僕のドコモの契約はちょうど10月に更新だったから、違約金がかからないその時にキャリア変更しようと思ってたが、今回の叩き売りの様子からするに、違約金を払ってでも今買ったほうが圧倒的にお得だと判断したわけだ。

そこからの行動は早かった。
僕とEは各々の地元の全ての量販店に電話をかけて、キャンペーンの有無とその内容(実は店によって条件が少しずつ違う)、そして在庫数と取り置きが可能かどうか、可能ならいつまでなのかを調べて回った。(もちろん、僕の場合はMNPを利用することにもなるので、即日利用が可能かどうかも聞き、すぐに予約番号を押さえた。)

結局、僕らに最も得なキャンペーンをしているところで在庫がちょうど2つあったので、そこで取り置きしてもらって、数時間後に契約に行った。僕にとって面倒だったのは、それがEの地元だったので、とにかく遠かったことだ。
携帯の変更にはとにかく時間がかかる上、担当者の人が残念な手際の持ち主だったので、いつもより時間がかかったように思う。だが、只同然で手に入れれることの代償だと考えるようにした。

かくして、僕は無事にHTC DESIRE HDを手に入れた。
こういう新しい機械を手に入れると、とにかく色々なことをして遊びたくなる。特に、僕が普段利用しているウェブサービスとの連携は全て試したいので、最近は就寝時間が遅くなっている。おかげでここのところ、仕事中眠くて仕方ない。

2011年3月13日日曜日

生きてこそ

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気が重い。
この衛星画像でわかるように、今回の最悪の災害で地形が変わってしまっている。
正直、テレビやネットでの情報ですら、情報不足だと思うほどに、今回の災厄は規模が大きいように思う。
関東の友人や福島の先輩方との連絡はなんとかついたから、僕にとっての最悪の事態は免れた。でも、福島では電気もガスも水も使えないので、そのため、唯一の連絡手段である携帯の充電すらままならず、生活も衛生的に非常に悪い状態が続くのこと。というより、自分の家にはいれない、と言っていた。非常に悲痛な状況だ。

TwitterでRTを繰り返している人は、僕には単なる野次馬にしか見えない。
いくら情報を拡散しても、その情報は、本当に情報が必要な被災者には届かないと思う。
僕が何度携帯に電話しても繋がらなかった先輩たちに、どうしてTwitterで拡散されている情報が届く?ネットはおろか電気も通っていないのに?ぐちゃぐちゃになった家を片付け、生活していくだけでも労力を使うのに、その情報を見る余裕がどこに?Twitterを見た誰かが伝えてくれる?どうやって現地へ行く?自衛隊が大規模な救済を行っている中、液状化した道路に車を走らせ、完全に停止した信号機に注意しながら現地へ向かい、余震を肌で感じながら、東京で購入したペットボトルや食べ物を配りながらTwitterで得た情報を伝えるのか?民間の配送業すら配達を停止する状況なのに?ありえない…本当に何かしたいなら、社会活動を行うことだ。個人で繋がるより、企業として何かアクションを起こしたほうが確実に救済に繋がる。もちろん、誤解しないで欲しいが、個人の繋がりで助け合いを後押しする運動を否定する気は毛頭ない。むしろ素晴らしいと思うが、状況的にそれが効果を発揮するのはもう少し後だろう。

金曜日、震災の情報を会社で聞いた僕は、なんとか現地の情報を掴もうと頑張ったが、通信系が途絶していたため不可能だった。本社にいる誰もが、状況を掴めなかった。現地からの連絡を待つしかない状況だった。
状況が明らかになるにつれて、被害の大きさがわかってきたが、この土日では個人では何も出来ないと感じた。会社員として出来ることがあれば休出して何かしようと思っていたが、土曜日の午前中に上司から連絡があり、会社としては月曜日以降に対応を行うとのこと。それは決して悠長な判断ではなく、状況的に仕方のない判断だ。国内だけでなく全世界からの支援を臨む状況で、一企業が出来ることなど限られている。それに、僕の所属している会社も、被災しているのだ。せめて、ある程度状況が改善しているだろう週明けに対応を行うというのは冷静な判断だ。
だから、個人として出来ることは、今まで以上により一層日常生活に力を入れる、ぐらいしかない。
言い方は悪いが、僕らは生活を続けるしかない。被災者の無事を祈り続けるしかない。

2011年3月6日日曜日

『悪から生まれる正が秩序ある正義ってやつだ…逆に、正から生まれた悪は性質が悪い…それは卑なる正だ』

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僕は以下のエントリに全面的に同意する。
自分の運の良さを「正しさ」だと勘違いしている人たちへ
この日、病院の会議で、「救急での研修医たちの仕事の漏れが多い(適切な科に紹介してこないとか、そういう話)」というのが問題になっていたのだが、そのなかで、「研修医をキツイ目に遭わせるのが『教育』なのだ」と勘違いしている「偉い人」が少なからずいることに愕然としてしまった。

 「自分が研修医の頃は、もっと大変だった」

 僕はこういうのって、本当に不思議でしょうがないんだけど、自分がつらかったのなら、どうして次の世代の連中を同じ目にあわせようとするのだろうか。ラクに楽しく、とはいかない業界なのは百も承知ではあるけれども、負担を減らせるようにサポートする体制もつくろうとせずに「そのくらいキツイのが当然。ミスをするな」では、あまりに不合理だと思う。
(中略)
たぶん、大部分の人は、そうなのだ。

 にもかかわらず、少なくない数の人が、「自分はこんなに苦労して、ちゃんとやってきた」と他人にプレッシャーをかけようとするのだ。

 自分が以前、「その場」にいたときに、どんな気持ちだったかを、すっかり忘れてしまって。

 そういうのって、あなたの「運の良さ」を「正しさ」にすり替えているんじゃない?

 どうして、他人の不幸を、自分の「正しさ」をアピールする道具にしようとするのだろうか。
自分が何か不条理な目に遭った時、人は次の2パターンのいずれかの考えに至る。1つは、「他の人には自分と同じ目に遭って欲しくない」と言うもの。もう一つは、「自分もそうしてきたのだから他の人もそうあるべき」と言うようなもの。人並みに思いやりのある人間だと、普通は前者の感情を持つものだが、なまじっか成功体験のある人間は後者の考えにたどり着くことが多い。そしてそういう実績は極めて厄介なものになる。このエントリにあるように、自分の体験と現在の自分の境遇が正しいものだと思い込んでいるが故に、他人にそれを強要するようになるのだ。あるいは、たぶん心理としては、自分の苦労を否定されたくないのかも知れない。それで自分が成功しているなら尚更、だ。自分の成功の原因が、自分の苦労とは無関係の所にあったなんて思いたくない。暴かれたくない。誰だってそうだ。だからこのエントリは、色々と考えさせられる。

人がもっとも残酷になるのは自分の正しさを確信している時。逆に、おそらく人がもっともやさしく寛容になれるのは、自分の失敗や過ちを認めた時なんじゃないだろうかと思う。