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2011年3月6日日曜日

『悪から生まれる正が秩序ある正義ってやつだ…逆に、正から生まれた悪は性質が悪い…それは卑なる正だ』

僕は以下のエントリに全面的に同意する。
自分の運の良さを「正しさ」だと勘違いしている人たちへ
この日、病院の会議で、「救急での研修医たちの仕事の漏れが多い(適切な科に紹介してこないとか、そういう話)」というのが問題になっていたのだが、そのなかで、「研修医をキツイ目に遭わせるのが『教育』なのだ」と勘違いしている「偉い人」が少なからずいることに愕然としてしまった。

 「自分が研修医の頃は、もっと大変だった」

 僕はこういうのって、本当に不思議でしょうがないんだけど、自分がつらかったのなら、どうして次の世代の連中を同じ目にあわせようとするのだろうか。ラクに楽しく、とはいかない業界なのは百も承知ではあるけれども、負担を減らせるようにサポートする体制もつくろうとせずに「そのくらいキツイのが当然。ミスをするな」では、あまりに不合理だと思う。
(中略)
たぶん、大部分の人は、そうなのだ。

 にもかかわらず、少なくない数の人が、「自分はこんなに苦労して、ちゃんとやってきた」と他人にプレッシャーをかけようとするのだ。

 自分が以前、「その場」にいたときに、どんな気持ちだったかを、すっかり忘れてしまって。

 そういうのって、あなたの「運の良さ」を「正しさ」にすり替えているんじゃない?

 どうして、他人の不幸を、自分の「正しさ」をアピールする道具にしようとするのだろうか。
自分が何か不条理な目に遭った時、人は次の2パターンのいずれかの考えに至る。1つは、「他の人には自分と同じ目に遭って欲しくない」と言うもの。もう一つは、「自分もそうしてきたのだから他の人もそうあるべき」と言うようなもの。人並みに思いやりのある人間だと、普通は前者の感情を持つものだが、なまじっか成功体験のある人間は後者の考えにたどり着くことが多い。そしてそういう実績は極めて厄介なものになる。このエントリにあるように、自分の体験と現在の自分の境遇が正しいものだと思い込んでいるが故に、他人にそれを強要するようになるのだ。あるいは、たぶん心理としては、自分の苦労を否定されたくないのかも知れない。それで自分が成功しているなら尚更、だ。自分の成功の原因が、自分の苦労とは無関係の所にあったなんて思いたくない。暴かれたくない。誰だってそうだ。だからこのエントリは、色々と考えさせられる。

人がもっとも残酷になるのは自分の正しさを確信している時。逆に、おそらく人がもっともやさしく寛容になれるのは、自分の失敗や過ちを認めた時なんじゃないだろうかと思う。

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