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2012年9月22日土曜日

練習と反復と慣習と

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画像はこないだ家で作ったたこ焼き。


エビングハウスの忘却曲線を出すまでもなく、人間というのは忘れてしまう生き物だ。忘れることで、健全な自我を保つことが出来ているということでもある。

今はググればなんでもわかる時代だ。会社の名前さえわかっていれば、ググって電話番号すら出せる。
スマートフォンに友人の情報は全て入っているため、その友人の電話番号を覚えておく必要もないし、友人の誕生日が近づけば、SNSが知らせてくれるから常に記憶している必要はない(寂しいけどね)。

僕はそんな状況の現代に対し、2つほど主張がある。
それは「『ググれ』の世界は危険」というものと、「記憶は検索に勝る」というもの。

前者については、今は書かない。今は後者だけ。

「調べればすぐにわかることだから覚えておく必要はない」というのは一理あるけれど、調べることがネットに接続できるというのを前提にしている以上、覚えておく必要はなくはない。
「ただし、ネットがある場合に限る」という但し書きが必要な主張だろう。

ネットがなかった時代、僕らは気になることをどうやって調べていたんだろうと思う。思い出そうとするけれど、思い出せない。たぶん、所持している本をいくつかパラパラをめくって、アテになるものがなければ調べることを諦めていたんだろう。

今は、気になることがあれば、すぐに調べる。ググる。結果、目に見えるのは情報の海、頭に入るのは知識の波だ。
心配いらない。読んだものを全て覚えていられるほど、普通の人間の脳は高性能じゃない。
「あー、そういえばあれ気になるなー」→「よし、調べてみよう」を何度繰り返しても、忘れるものは忘れる。興味があるのを調べるのだから覚えていられる確率は高いけど、3年後まで覚えているかというと疑問符がつく。いや、たぶん覚えてないだろう。

だから無駄だという極論に着地する気はない。すぐに知識欲を満たせる今は素晴らしい時代だと思う。
だけど、「それだけだ」という認識は持つべきだ。

本当に覚えていたいなら、反復しかない。
反復。反復。反復。練習。練習。練習。

大人になったら、反復や練習の凄さってやつを理解出来るようになる反面、忙しさにかまけて全くしなくなる。

誰しも子供の頃、ひたすら反復させられたことはあると思う。
それはピアノの練習だったかもしれないし、野球の素振りだったかもしれない。
僕の場合は、少林寺拳法の型だった。14年も同じような型を練習していたから、今でも身体が覚えているし、条件反射で動作出来る。しかも、少林寺拳法の教義もまだ暗誦出来る。

10年もする必要はないけど、1年間の反復で身につくこともかなり多い。僕ら大人はもう一度それを思い出すべきだ。目まぐるしい時代で、常に新しいことを学び続けないといけないけれど、基本は変わらないから、基本を反復する練習をするべきだ。

どんなに難しいことでも、繰り返し繰り返しやっていればパターンが見えてくる。理解出来るようになってくる。
練習しないと何もうまくならない。はじめからうまく出来る人間なんていないし、そんな物事もない。練習は必要。どんなに小さなことでも練習が大事。



苦しめば苦しむほどスキルや知識はよく身につくという研究結果

こういうのもあるし、ちょっと壁にぶち当たったぐらいで諦めることなかれ!
・・・向き不向き、得手不得手はちゃんと考えないといけないけど。

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