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2012年9月17日月曜日

閾値

中国での反日デモが過激化して、大変なことになっているね。会社からも、中国への渡航はしばらく禁止という命令が出された。駐在してる人は大使館とかの安全な場所に避難してください。

僕が前に中国に出張に行った時、たまたま歴史問題とかのちょっと避けたい話題の話になったことがあって、駐在の人が「やっぱり中国の人って南京事件とか根に持ってたりするん?」とか聞いてた。その返答は、「年寄りと、昔ながらの考え方の人と、考え方の過激な人はそういうこともあるかもしれないけど、普通のたいていの若い人は全然きにしてないとおもいますよ。」だった。

まあそうだろうなあと思うと同時に、やっぱり過去に対する考え方って国・人種によって、というよりは育ってきた環境にあるんだろうなあと思う。

ところで今回みたいな大規模デモ。
昔読んだ本で、心理学か社会学の本だったけど、自分の行動は周囲の人によって制御されている、というような主張があって、それが何かというと、とある感情を持つ人たちが周囲に何人いるかで自分の感情が決まる、という「閾値」に関するもの。そして、この閾値には個人差がある。

例えば、僕の怒りの閾値が「5人」だったとする。
僕の周囲には今10人いるとして、そのうち4人が、「政府を倒せー!」なんて怒りの声を上げている。
僕はその時、傍観者になれる。
しかし、それが5人になったとき、僕も同じように「政府を倒せー!」と声を上げるようになっている、というもの。

デモには煽動者が必要不可欠だ。
煽動者が煽るのは一般大衆ではなく、怒りの閾値が非常に低い人だ。
怒りの閾値が1人の人は、煽動者の怒りを受けてすぐに怒り出す。閾値が低いからだ。
煽動者+怒りの閾値1人の人がいれば、怒りの閾値2人の人も怒り出す。
そうしてデモ隊は増えていく。だから煽動者はなるべく多くの人が集まるところで演説を行う。
人の感情には、周囲に対する閾値があり、皆が集まるところでないと効果的でないからだ。


とまあ、そういう感じの主張があるわけだが、なるほど面白い。実際、結構真理だと思う。
周囲を無視して自分の考えだけを最優先できる社会人なんてそうはいない。人は社会的な生き物だからだ。

これをもって、中国人は怒りの閾値が低い、なんて結論付けることなんてしない。

むしろ僕が面白く思うのは、尖閣諸島に対してあまり感情を出さない日本人の方だ。
それとも、僕の周囲が騒ぎ立ててないだけで、実際はマスコミの報道以上に盛り上がっているんだろうか?わからない。

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