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2007年1月26日金曜日

『許しは請わない。だが、後悔だけはさせない』

ゆとり教育見直しに異論続出=「知識より人間力向上を」-与党

もう僕がいうまでもないことだけれど、人間力なんていう抽象的で定義すらあやふやなものを高めることが知識を得ることより大事だなんて、それって精神論に近いよなって思う。たまたまそういうモラルのない人が増えてきたと感じる人が多くなって、それの煽りを受けて、さらに従来の教育を見直すって言う二兎を得るような発言をするとこうなっちゃう。
実際問題、想像や創造が0からの産物ではなくて既存のものからのインスピレーションが9割以上を占めるということを考えても、ていうか別にそこだけに頓着しなくても、「先ず知識ありき」ってのはちょっと頭の良い人だったらわかると思う。ニワトリとタマゴの話じゃないけど、好奇心が知識を喚起するのか、知識が好奇心を刺激するのかといえば、幼少の頃は前者で通るが、理性の芽生える小学校高学年以上になると完全に後者だ。そして現況の教育批判は幼少を対象にしていない。
と言うか詰め込み教育→知識偏重主義の弊害→じゃあ知識じゃなくせ、って言う腐った三段論法が非常に気に入らない。そういう問題じゃないだろと。制度の問題じゃなくて構造や風潮の問題だと思うわけだよ。時代が違う、といえば話が早いのかな。横並びの教育は先進国に求められるものじゃないってこと。
少し前に読解力が落ちてきているだとか言うデータがあったけど、あれは別に知識偏重教育の所為ではなくて、単なる習慣の問題だ。「はじめは人が習慣を作るが、後になれば習慣が人を作る」だよ。
それにしても、雑誌に書いてたがどうやら小学校での英語教育の義務化が本格化してきたそうだな。
今度の選挙の争点は「教育」と「労働」にあるのかな(教育基本法はこないだ改正されたけど)。おやおや、こいつは憲法で定められた国民の三大義務のうち二つに関することじゃないか。まったく激動を感じさせてくれるね。


たとえばこいつはシビアな問題なのだけれど、「平等な教育」と言うのは、万人に一律の教育を施すことなのだろうか?
あるいは、能力の差を慮って、その能力に見合った教育を個別に施すことなのだろうか?

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