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2007年2月26日月曜日

『羊の夜をビールで洗う』

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土曜日は、茶汰君たちとウワサになっていたジョジョ映画を見に行った。
第一部を映画化、と言うことで、あの濃厚な5巻分の物語をどう映像化するのかとても楽しみだったが、心底ガッカリした。駄作といわれるために生まれてきたような映画だった。
先ず、ジョジョ信者はセリフを全部覚えているために、いわゆる「名台詞」といわれるものが出てこないと憤慨する。この作品の上映中、終始憤慨しっぱなしだった。それぐらい、抑えておかなくてはならない名セリフが出てこなかったのだ。「波紋?呼吸法だと?」まで言っておいて、「フーフー吹くなら、このDIOのために、ファンファーレでも吹いているのが似合っているぞッ!」を言わないのは、詐欺です。ジョジョ詐欺です。
次に、展開にやはり無理がある。たった5巻分とは言え、ストーリー上外せない部分がとてつもなく多く、そのエッセンスをどこまで濃縮還元してくれるものかと期待していたが、結局は無理があったようだ。タルカスとブラフォードは外せない敵なのにあっさり外し、一瞬チラッと出てきたけど一瞬でやられてしまう雑魚キャラレベルにまで堕ちていた。ガッカリ。
作画と音楽と声優は比較的安定していたのだが、内容がもう散々だった。と言うか、スピードワゴンが出てこないことにかなり驚いた。その代わりに、チョイ役のキャラの声優を、スピードワゴンと言うお笑いユニットが務めていた。どんな小ネタだyp。
DIO様の声が緑川光と言うのはアジャストしていたように思うし、その他の声優も合っていた。
ツェペリのおっさんが死んじゃうところが原作とえらい違ってたので、当然、一部ではカルト的人気を誇るガイアーさんとか、裏切り者のストレイツォとかは出てこなかった。トンペティさんは冒頭でちょっと出てきたけどあれはマニアじゃないとわからんような希ガス。
展開があまりに速すぎて、エリナとジョナサンがどれだけ仲が深いのかとか、DIO様はどれほど厄介かってのかがまったく描かれていなくて困る。特に、最後にDIOと対峙したのに、パンチ一発で決めてしまうとか酷いだろwww原作だったらジョナサンがPLACKの剣で一度真っ二つにするんだけど生きてる!みたいなサプライズがあったのに。気化冷凍法とかも、なんの説明もなくいきなり当たり前のように使ってきたからちょっと唖然。
とにかくあれだ、ブレイブストーリーにしてもそうだったが、基本的に長編は映画化に向いてない。長編には長編にするだけの理由があるのだ。例えば、『ちっちゃな雪使いシュガー』の実に22話はどうでもよくて、だからこそ最後の2話が泣けるというように、オチに重みを感じさせるという意味で長編の形を取ってる作品も少なくないと思うので、やっぱりなんでもかんでも映画化にするとか言うのはやめといたほうがいいと思うんですよ。そういう意味では今度の蟲師の映画化とかも危険極まりない。だって予告編見たけど、原作の内容を少しずつかいつまんだような内容になってるから、一つ一つの話に重みが感じられずに始終貫かれるという危険性が高い。
もちろん、原作つきの映画なりと言うのは、原作を読むことが前提にしている部分もあるといえばあると思うけど、原作をただ映像化しただけのような劣化コピーに留まるような作品になり、しかも原作の設定をある程度知っていることが前提とかになると、それはもうハッキリ言うと作らないほうがマシ、と言えると思うんだけど、その辺どうなんだぜ?

+++

日曜日、この日は中学の同窓会だった。18時から近くの居酒屋で11人で飲んでいた。前回やったときは35人ぐらいはいたような気がしたが、1/3に減ってしまっていた。なんとなく幹事は人望がないように思う。と言うか同窓会を開くことが選挙のための免罪符になっているようで少し思惑が気に入らなかったが、まあひとまずなんだかんだで楽しかったので良い。なんかやけに僕がイジられてた気がするんですが…と言うかみんな困ったら僕に振りすぎwwwチラチラこっち見てヘルプ求めてくるなwww
同窓会が終わったあと、生ビールジョッキ1杯とカクテル3杯でトマト顔になった僕とヲタななじみのP嬢で僕の家で二次会だ!と言うことで僕の家で『撲殺天使ドクロちゃん』をまったり観た。『デ・ジ・キャラット』に通じるテンションの高さでなかなか飽きないアニメだと思った。同窓会時はメイド喫茶の話題が出ても涼しくスルーしていたぐらい隠れヲタを決め込んでいた僕だが、うちに帰ってきてドクロちゃんを観始めた瞬間、「ウホッ、この声って沢城みゆきさんじゃね!?」(←結局違った)とか言う絶対ダメ音感を披露するぐらいヲタ全開な僕でした。P嬢がウサ耳を持ってきていたので、それをかぶって部屋を暗くして撮影してもらった。なんか妙な写真が出来上がった。ハードボイルドウサ耳男。いわゆるメソウサ。画像をブログに載せろと言われたが、やっぱキモ恥ずかしいので載せない。P嬢のつけたところを撮ろうと思ったが、うまく撮らせてくれなかった。
その後コワスコワス言いながらこたつ潜ってひぐらし祭をやった。P嬢は速読でかつ理解力があるので助かる。ウサ耳かぶってたけど。
P嬢を家まで送ってから僕も家に帰って、印刷しないといけないドキュメントがあったことを思い出したので印刷していると、P嬢からウサ耳かぶった写メールが届いた。どう控え目に見てもツンデレだぜ。

2007年2月25日日曜日

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大人の人に言って欲しかった24のこと、だそうで。確かに。
1. 世界は自分を中心にはまわっていない
2. 何をしていいのか分からないといってはいけない
3. 反抗するならほんとうの反抗をしなさい
4. ひとと同じことをしてはいけない
5. 同じところにいてはいけない
6. 今見ているものは見えているとおりではない
7. よいことなんていつまでも続かない
8. とにかく終わらせなさい
9. 自分の得意なこと以外はしてはいけない
10. ゼロからスタートしてはいけない
11. 3年間ぐらいは捨ててしまいなさい
12. 生きていることなんかには意味はない
13. よいことからは逃げまわろう
14. 自分がやっていることをひとに話してはいけない
15. 友だちはいらない
16. 今日はないと思いなさい
17. 出遭いは二度とない
18. マイペースでやってはいけない
19. 一番になってはいけない
20. 上をめざすな
21. 背伸びをしなさい
22. 自分ひとりでできることは何ひとつない
23. 自分のことは考えるな
24. 一番大切なことは想いをお使いに出すこと
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街中に突如現れた大きな穴 民家20軒近くがのみ込まれる



なんじゃこりゃ…ただの陥没か…?

2007年2月23日金曜日

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エストニアで世界初のネット投票を導入した総選挙

ほー。遂にきたか。ネットが選挙に生かされるのって、直接ネット民主制だよな(謎
政府が政府活動でネットを利用するのとはまたちょっと違う。国民と政府の間を埋めるものとして作用する。いや、選挙も立派な政府活動か。
個人的には、ネット投票する際に候補者の演説が動画でいつでも見れるようになったり、党のマニフェストが一覧で見れるようになるといいなあって思う。だって今選挙行って投票するときって参考にするもの何もないんですもの。ちょっとぐらい吟味したいよな。投票率が下がったのって、国政に対する意識の低下とかじゃなくて(いやそれももちろん大きいけど)、国政を身近に知る機会を損失してるからだと思うのよ。まあそんなことを言い出すと、「自主的に調べないのが悪い。だって、義務だもん☆」なんて萌える正論が飛んできそうだから言及はしないけれど。
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子どもは選択肢の「後者」を選ぶ!?

なんか昔誰かから聞いたような気がするけど、
順番にかかわらず、キッパリと選べる選択肢を持たせてあげるのって、案外難しいのかも……。
とあるように、考えれば完全平等な選択肢って難しいよな。ひょっとしたら、選択肢の順列で無意識に格付けされる可能性だってあるし、それに後に聞いたものは前に聞いたものよりも鮮明になるわけだし。まあ、細かいことは何もわからんけどね。単なるイメージの話。
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今日でインターンは最後だけど、認印持っていかないといけないから、忘れちゃいけないんでリマインダを一応セットしておいたんだけど、メールが届く前に、「あ、そういえばリマインダセットしたっけ」→「そういや認印要るんだったな」って風に、リマインダの本来の役割が全然実感出来ない(;´Д`)

ああ、昨日ひぐらしのなく頃に祭買った。
絵がめちゃ萌え絵になってて、しかも声優がハマってるから、内容同じでも萌え面白い。
沙都子が可愛すぎる。あれは反則。声が良すぎる。
でもこうホワホワ思ってると、後半の激変っぷりが余計面白くなるんだよな…wktk
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蟲師二十景

蟲師は世界観がたまらんからな。このノスタルジィな雰囲気がむちゃ好き。
でも、今度映画化されるけど、主演がオダギリジョーってのはどうなんだろう。ちょっと鋭すぎるような気がしないでもないんですが。
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国家公務員、「週3日制」で子育て支援・離職防ぐ狙い

やけに大胆な試みなような気がするんだが大丈夫なんかな。

2007年2月22日木曜日

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学校の勉強が理不尽なものになりがちな理由。

わかりやすい例え。手段と目的の入れ替わる様を巧く説明してると思う。
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葬式とか通夜で故人の死に顔の写メ取る人ってどういう教育受けてきたの?
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シューティングゲームの歴史 【日本語字幕付き】

主にメジャーな作品のみ。最近の流れじゃ東方は欠かせないと思うけど出てこない。
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持続可能で国民の満足度の高い医療の実現に向けて

ICTをとっとと導入しようぜってことかな。ネットワーク・セキュリティ系のエンジニアがたぶん足りないと思うけど…。
公的医療保険をセーフティネットとして効率的に機能させるためには、全ての医師が最新の医療知識に基づく効率的な医療を行えることが前提となる。そこで、保険医の更新制を導入し、医師の継続的な技術の向上に対する意識付けを行うことが求められる。
僕は医療業界のことは全然わからないけど、教師もIT技術者も、およそ変化変革に晒されてる業界における資格制度はほぼ免許更新性になる勢いが見られるけど、それ自体には別に反対しないけど、なんだかなあ、って思うのは、「一度取ってしまえばあとは安泰」って言うものから「ずっと勉強し続けなくちゃいけない」って言うものに変わるわけだから、敬遠される原因たると思うわけよ。それってなんか淘汰っぽい。まああれだね、「将来何をしようか」と考えてる人にとっての参入障壁にならないことを祈るばかりだね。
保険診療上、回数制限が設けられている診療行為についても、患者の自主的な選択を基本に、制限を上回る医療行為を自己負担とすることで、原則自由に認めていくべきである。
なお、患者の快適性や利便性を向上させるための選択的なサービスの提供は、医療行為に該当せず、保険診療と併用しても患者の病態に影響を及ぼす懸念はないため、医療機関に十分な説明義務を課した上で、患者の合意を前提に、自由に認めるべきである。
事実上、医療保険の自己負担率をさらに上げるためのもの以外に思えない。

2007年2月20日火曜日

『ありえない明日に憧れ』

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某ブログで目にしたのだけれど、情報処理能力と生産性は比例関係にあると僕も思う。一般論と言えば一般論なんだけど。
プログラマーはプログラマーとしてすごいのではなくて、従来の業務を圧倒的な効率で持って終わらせることが出来るからすごいのだ。そして、それにおいては、如何に美しいプログラムを書けるかとか言うようなマニアックなコーディング能力的なことではなくて、どういう『方法』でやれば最も効率性が高く、生産性が高く、汎用的で、拡張性があるのか、と言う論理思考に主眼が置かれる。僕は数学とかが猫の水泳ぐらいダメなんで、完全に対岸の火事の話をすることになるんですけれども。ていうか、機械が発明されて工業革命が起こったのと同じように、その機械に仕組みを与えるプログラマがゴイス!といわれないのがわからないが、まあどうでもいいや。続き。
仕事時間の大半を費やし、多くの時間を悩ませる問題が、プログラマにかかればほんのちょっとの労力で済むようになる、と言う事例は確実にある。
また、殆どの業務でPCを使うことが当たり前になった今じゃ、なぜプログラマの労働環境がそこまで劣悪なのかわからない反面(わからないというのは総評であって、個別に見ていけばいくらでも反駁する余地はある)、おそらくコーディングする能力はあっても業務を効率化させる能力に乏しい人が多いだけなんじゃないかと言う寂しい疑念が過ぎりざるを得ない。少しでも楽をしよう、自動化しよう、と言う発想があって、ほんのちょっとのプログラミング能力があれば、どんな仕事においても絶対に上手く立ち回ることが出来る時代だ。まあ、今が過渡期だというのは認めるが。

例えば僕は某写真館で幼女の画像を加工するバイトとしていたわけだが、そこで僕の作ったマクロは大変重宝され、辞めた後でも何度かお呼び出しをくらうことがあったというぐらいだ。別にすごいアルゴリズムを考えたわけじゃなく、アナログなルーチンワークを単に機械化することによって生産性の向上、増加する仕事量への対応が出来るようになった、と言うだけだ。たいしたこともしてない。素地なんていらない。PCさえあれば、ソフトウェア的な仕事ならなんだって出来る。イレギュラー対応はまた別の話になるけど。
今もまた仕事を請け負った。インターンでの仕事だから大したことではない、いわゆる単純作業に分類されるものだが、量が量だけに2~3日中と言う期限を明示された。そして僕は膨大な対象データを俯瞰し、全容を把握してから、マクロを組んだ。結果、4時間で終わった。正規表現万歳。
生産性と言うのはそういうことだ。要領と言うのはそういうことだ。見積もり以下の作業時間で仕事をこなすための手法。面倒くさがりのためのメソッド。もともと僕は面倒くさがりなので、楽になるならそういう労は惜しまない。(後述するが、時間をかければいいってもんじゃない仕事は多い。)
が、なぜかよくわからないが、かけた時間が多ければ多いほど自慢をしてくる人と言うのが存在する。「あれ、二徹して仕上げたんだけどさ~」とか。自虐ネタなら笑ってやればいいんだが、そういう時間のかかる仕事を短い時間でこなしたほうがよりクールだということがわからないのだろうか。現に、学校でのグループ作業で、他のグループも当然同じものを作っていたわけだが、徹夜を繰り返して学校も休みがちになり、なんと驚くことにソースの長さが4000行に達するって言う強者がいたが、同じ処理をするにも僕は700行ほどだった。そしてみんなが修羅場だと慌てているのに僕はキッチリ睡眠時間は6時間。学校で残って何かすることは殆どなし。一日の作業時間は大体3~4時間くらいだったか。茶汰君も似たようなことを言っていた。「同じグループの子が2日間悩んでいるのを見て、俺が見てあげたら10秒で解決したよ」と。まあそれは極端な例だが、主にコミュニケーション的な方面での生産性にも関連するだろう。早く相談してれば良かったのにね、って意味で。
とまあ、プログラマの卵が犇めき合うこの学校組織にいて、こういう現状を垣間見ると、確かに巷でよく言われてるような「人月の神話」ってやつを実感する。今言ったような生産性の違いがあるのにもかかわらず、時間報酬制と言うのは合ってないというのも一理ある。まあ、人月モデルそのものがメインフレームを対象にした2~30年も前のものだから、WEB2.0の現在、通用しなくなっても当然なんだけれど。ちなみに僕はゾンビ2.0。
だからと言うわけじゃないが、WCEに関しては当然の動きと見る動きも一理ある。あくまで、この業界に限って言えば、の話だが。
まあこれは難しい問題なんだが、僕なりの解釈で言えばこうなる。

とある仕事を任されたツンデレAちゃんは、1週間納期の仕事を3日で終わらせてしまいました。よって、新しい仕事を貰ってその週は過ごしました。残業はしませんでした。

一方、同じ仕事を任された眼鏡ドジッ子Bちゃんは、1週間納期の仕事を、ラスト2日間はろくに眠らずに、なんとかやり遂げました。残業はよくしていました。

「生産性」と言う観点で見れば、会社にとって利益に直結しているのはどう考えてもAちゃんなのに、労働法規時間労働制の元では、当然、割いた時間はBちゃんのほうが多いわけだから、労働時間の対価として報酬を得ることが当たり前の概念な現在、Bちゃんは当然の結果としてAちゃん以上の報酬を得ることになる。

当たり前の感覚を持っているなら、両者の言い分くらい察せるだろうと思う。でも、困ったことに両方が正しいのだ。それは地盤としているものが違うからなのだけれど。

さて、そうなるとどうなるか。戦前の精神論を現代に持ち込んでいるラストサムライな人でない限り、Aちゃんのほうが評価されて当然だと思うだろう。それがWCE推進派の主張だ。つまりツンデレ好きだ。まあ、実際この例の状態が数年続けば、最終的に評価されるのはAちゃんだろうと思う。PMとかに格上げになるだろうね。
けど、賃金と言う観点でのみ見れば、そりゃあ金は生きるのに必要なわけだから、Aちゃんは生産性の高さを武器に、報酬支払い制度のおかしさを説くわけだ。けど、BちゃんもAちゃんの主張のような裁量労働制を受け入れられるとたまったもんじゃない。時間と報酬の等価交換って概念が骨の髄まで染み付いてるBちゃんにとっちゃ、生産性によって報酬が変わるというのは死ねといわれてるようなもんだ。
そもそも、単純に時間と人を割けばある一定のものが出来るというものでもないからな。時間をかけるだけじゃどうにもならないもんだから生産性と言う言葉が独り歩きするぐらい自立する。

これが、IT業界の現状。惨状?だから、WCEは一方で過労死斡旋法だと批難され、他方では現代に見合った、経営陣にやさしいバファリンのような制度だと見られる。米国では随分前に導入しているらしいから、単純に日本でも導入する可能性が高い、と識者は見てるらしい。まあ、全体的に仕事量がかなり増えてる現況では、優秀だけど多忙なホワイトカラーにとってはそんな問題はキモではないかも知れないけれど。生産性とか時間単位とか言う言葉だけじゃ解決出来ない類の仕事ってのもあるだろうしね。でもそういうものをいちいち勘案していたらいつまでも何の話も出来ない。

デスマーチが頻発する理由は別にBちゃんみたいな人が多いからだってわけじゃないけれど、原因の一端を担っているというのは、プログラマの卵である同じ学生を見ててよくわかる。
でも、時代の流れ(あくまでこの業界ね)は確実に、成果に見合った報酬を、と言う風になってきているんだけど、反面、パート労働法改正案に見られるように、非正規雇用者と正規雇用者の格差間を埋めるためにEUみたいに同一労働同一賃金みたいな話にもなってきている。格差そのものが問題なんじゃなくて、二極化が問題だってのに、おかしい話だけどね。しかしこの問題はほんと入り組んでるな。

ついでだから書くが、非正規雇用者と正規雇用者が仮に同じ仕事をしてたとしたら、お互いの言い分は圧倒的に正しい。

もし完全な同一労働同一賃金ならば、正規雇用者は、「なんで同じ仕事をしてるのにアルバイトと同じ給料なんだ」と言うだろうし、賃金に差があれば、今度は非正規雇用者から「なぜ同じ仕事をしてるのに社員とは給料が違うんだ」と言うことになる。実際、社員より有能なアルバイトと言うのはどこにでもいる。今まではその差を社会保障と言う形だったりボーナスだったり終身雇用と言う安定性で鎹としていたが、転職は当たり前で年金はどうなるかわからない(年金は積み立て型じゃなくて世代間扶養だから貰い手の数が支払い手の数を圧倒すれば自然と破綻する。)で、いわゆる社会不安が増大してるために、その鎹も役立たなくなってきているという形。
社会的・将来的な保証と言う面を無視すれば、働かなくても食っていけるというニートの誕生は、倫理的感情的にはともかく、批難されることなく「幸せだね」と一言言えば済む話だけど、ニートがクローズアップ現代されるのはそういう不平等さや、将来を見据えていない楽観さって部分に尽きるんだろうと思う。まあでもこれは違う話。

否、と言うか、同一労働同一賃金と言う共産主義的な概念の元では、雇用形態そのものが今とは違う形になるのか。契約オプションはどうなるか知らないけど、職業の違いだけで、非正規であるとか正規であるとか言う区別はなくなるのか。なんというフラット化した世界。どう見てもフリードマンです本当にありがとうございました。

まあ、無理矢理包括すると、今は雇用と言う制度自体に見直しがかけられる時代だから、今度の労働法制改革が楽しみですね、と言う話。労働ビッグバン。

2007年2月16日金曜日

邪魅の雫 より

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「世間ってのは何です?」
君と僕だと中善寺は云った。
「は?」
「君でも、僕でもない、君と僕だ。此処には君と僕と関口君とを交えた世間がある。其処では現在、関口作品の批評を巡る話題が流行している。これは関口君が云い出したものだが、僕が受け付けなければ生まれなかったものだし、途中から入ってきた君が拒否すればそこで終わっていたものだ」
「関口さんが生み出したもんではないと」
「そう。僕自身は好んでこんなくだらない話を語りたくはないし、益田君にしてみれば寝耳に水だ。でも、僕等三者の間では現在その話題が続いている訳だな。それは、現在此処だけで語られているものな訳だから、まあ僕等三人が形成する世間でのみ有効な話題なのだ。でもね、どうやら僕等はそれを普遍的な話題として語り合っている。世間で作られたものなのに、世界を語っているような誤解がある。これが流行だ。でも、そんなものはすぐに廃れる。たぶん、後数分で廃れる。それは僕等の関係性を左右するようなものにはなり得ない。」
やっぱり
京極堂の話は
含蓄がある

2007年2月15日木曜日

『 「箱庭を騙る檻の中で 禁断の海馬に手を加えて 驕れる無能な創造神にでも成った心算なの…」か…』

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キシリトール(アップルミント)を噛んだ直後に熱いお茶を飲むと、
しょうゆラーメンの味がする。

2007年2月10日土曜日

『あと何回くらい繰り返せば辿り着けるの?』

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「青春18きっぷ」特別価格8千円で JR20周年記念

キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━!!!!!
おし、計画立てるか。
何処行こうかなあ。うーん…宮城か…長崎…かな。海辺の旅館探してそこで2~3日間過ごす。
あーでもそれだと5日間使える切符が余りそうだから、一つの所に留まるのは勿体無いか。まあ余ったら余ったで誰かに譲るとか、またどっか行くとかしたらいいんだけど。
…先ずは行ってみたいところをピックアップだな。
あ、なんだったか、香川かどっかに大きな昔の硬貨の形をしたオブジェ?なるものがあるとか。桃鉄で知った。まあ香川は距離的にも通過点にすることしか出来ないけど…。
前に九州一回りした(とは言っても全県行ったわけじゃないけど)ときに思ったんだけど、九州って18切符使うと勿体無いんよな。コストパフォーマンスが悪いっつーか。距離を稼ぐって意味では意義のある使い方なんだけど、地理的な問題で小回りが利きにくすぎる。「どこでも降りれる」ってのが18切符の強みなんだが、それが発揮しにくい。つまり、一度降りたら絶望的な状況になること請け合い、と言うわけだ。深い霧に覆われた阿蘇山を途中から歩いて降るとかアホなことしなきゃよかったと真剣に後悔したよあんときは。耳元でスピッツが歌ってなきゃ死んでたね。ああ、ゾンビの誕生さ。
北海道は、帯広から釧路までで、大阪東京間ぐらいの距離があるから、そう考えると一日で札幌釧路間を横断出来る18切符ってすげえって思うんだけど、九州はなんかものすごい微妙なんだよな。いや、旅するって意味でね。絶対特急バス使ったほうが効率いいだろ、って思うし。
まあでもその辺含めて考えてみるべきかな。そのまんま東率いる宮崎も行ってみたい気がするけど…居れても2日だな。僕は柳田國男じゃないんだから。
旅するときの持ち物は財布と携帯とスピッツと古典文学、あと最低限の衣類。強行軍でない限り時刻表はそこまで重要ではない。地図も要らない。僕の歩いたところが地図になるんだ!

2007年2月9日金曜日

積読リスト消化

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最近、積んでいた本をひたすら読んでいる。残すところあと2冊…



Kに借りていたもの。
世界観は好き。でも、意図された読みにくさが、本当に読みにくい自体になっていて魅力半減。雰囲気出すのはいいんだが、別に文体とか文字は普通でいいのに。





皇国の守護者の小説。Dに借りてたやつだけど。
これほんま面白い。血が滾るな。生々しいし。でもやっぱヤンと新城はちょっとかぶるわ。性質的には逆なんだけど、常に疑い続けるアナーキストってあたりの本質的なところが。




クソおもろい。この人はある種のムーブメントを引き起こす才能あるんじゃねーの?って思った。展開が、『読ませる』展開なんだよな。




西尾維新もそろそろ終わりか……『化物語』は最高に面白かったんだけどな……。こんなのが12ヶ月も続くと思うとちょっと買う気が失せてくるかも知れない…。


で、残った2冊はこれ。



合計1000P超だから1週間とちょっとはかかりそうだな…。
積読リストはこれで全部消化したことになるけど、読みたい本が積んでた間に多く溜まっていたので、少しずつ買いながらまた読破していこう。
いやあ、本っていいなあ。


つか、なんか妙にリアルな夢を見て変な気分だ……。

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今日みたいな冬らしい空の低い曇り空は好きだ。
僕の記憶には色がないので、こういう灰色の景色を見ると昔のことを思い出す。

2007年2月4日日曜日

『神が完全無欠にして全知全能であるのなら、悪魔は荒唐無稽にして人知無能の現象である』

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何をするにも切り替えってやつは大事で、その切り替え方法が人によって色々あるのだと思うのだけど、概ね誰もに共通するのが散歩するってことのようで。
散歩をすると、よくわからないけど頭がスッキリするようだ。それは理解出来る話。気分転換として最も良い方法じゃないのかって思うぐらい。
あとシャワー浴びるのも良い。皮膚が一新された感じがする。
目を休めるためには遠くを見るのが良いって言うジンクスのように、やっぱそういう普遍的なジンクスはあるもんで。
そこで僕がお勧めしたいのは、まったく普遍的ではないのだけど、入れ込める作品(ゲームでも小説でも映画でも音楽でも何でもいい)に触れる、と言うこと。(現代人でそういう文化的作品に触れたことがない、あるいはまったく関心がないと言う人っているのだろうか?)
いつもどおり主観丸出しの論で行くけど、気分が沈滞しているときはちょっと違う世界を体験してみるのが良い。幸い人間には想像力ってやつが豊富で、僕なんかは『ボーン・スプレマシー』とか『24』とか『SuperNatural』とか見ると、もうなんかその作品の世界に入り込んでしまう。ああいうタイプの作品がすごく好きなのだ。
要するに重要なのは、その個人の好みの問題だ。その好みの対象に短時間でも触れることによって、息抜きにはならないかも知れないけど、精神状態になんらかの影響は及ぼされる。

2007年2月3日土曜日

『太陽系よりも果てしなく コンビニよりも身近な』

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これは大事。何に大事かって、こういう表があるって言う事実を受けて、案件を投げてくる人たちがどう変わってくるかと言う見極めになるから。
開発サイクルが恐ろしく早くなってるっぽいし。従来の開発プロセスでやったおかげで、仕様変更に対応し切れなくてデスマーチを余儀なくされるという話はよくブログで見たりする。いやあブログって便利だな。
と言うか、YOUTUBEにしてもYOUOSにしても、ほんの少人数での開発が、そんじょそこらの企業開発よりも効果的で、なおかつスピードが速いって言うのは、案外そういうプロセスにあるんじゃないかって思ってきたり。
逆に、少人数で開発が行える技術要素は整ってきたのだから、あとは環境構築の問題ってわけだ。
ホイ。言語の壁にぶち当たって糸冬了。
今の時代、プログラムに関わることで飯を食っていこうとする人が英語を勉強しないというのは、タクシーの運ちゃんになりたい人が車の免許を取るのに躊躇しているというのと同じだ。

『繰り返す日々に何故見失う?幼い日描いた夢の続きを』

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うーん、GTDの活用の感想とか聞いてると、ほぼ100%に近い人が「これはすごい」って言ってるんだけど、実際ToDoリストとかってそんなに頻繁に更新するようなもんじゃないってのが僕の意見なんだけど。
僕にもそりゃあいくつか習慣があるけど、それは別に思い出さなくても勝手に気が向くものでもあるし、ていうか忘れるような習慣なんてないw
たとえば情報収集で良いなと思ったものでも、改めてみるまでもなく、一度見れば概要ぐらいは覚えるし、詳細に見たかったらその都度ググったりすればいいし。その手間すら惜しいと言うならば、そういうツールを活用する手間こそが無駄だ。
ブログとかでお勧めの本として挙がっているものも、別にクリップしてメールを見ながら確かめなくても、もう本屋に行くって言う習慣がそもそも僕は確立されているので、そのときに「あ、そういやあんなんあったな」って思い出してかつ気が向いたら立ち読みしに行くし。タイトルとか覚えて無くても分野さえわかればウロついてたら大体わかるでそ。まあそのためのクリップなのかも知れないけど。むしろ、うろついているときにたまたま発見する本のほうが、実は自分的には価値としては高かったりする。あと人伝とかね。実際僕が買った本って、4割ぐらいは人からの推薦であったりするよ。自主的に買った本なんて、それこそけったいなものしかない。
ていうか、買いたいと思った本とか物ならそもそも忘れないし。忘れるってことはそれだけどうでもいいってことだ。

そんな僕でも、一応メモ書きを走らせておこうとする習慣はつける努力をしているんだけど、そういうのってホント忘れないんよな…。「あ、これは大事そうだな。忘れちゃいけないからメモっとこう」って思っても、メモを参照するまでもなく、忘れた試しがほとんどないから、どうにも他の人が言うところのメモの重要性ってやつを実感出来ずにいる。メモが大事なのはわかってるんだけどね。大きな用件なら忘れないけど、その仔細に関しては忘れてしまうことは結構あるから。ていうか、どうでもいいことをメモったとしても、そのメモしたこと自体を忘れるよな。じゃあそこにメモを見るって言う習慣を生まなきゃいけないわけだな。うーん。。。

とか何とか言っても、たぶんToDoリストとかの重要性を理解出来ないのは、僕がそんなに忙しくないからだろうな。やることが限られているし予定とかが入っても覚えておける範囲内で留まっていると。実際手におえないレベルになってくれば、理解出来るようになるさ、きっと。

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現在、思いつきをブログなりSNSなりにアップするためには、その都度サイトに接続しないといけない。
WEB上でのToDoもそうだ。
が、デスクトップに常駐するブログウィジェットみたいなものがあったら、より更新が楽になるんじゃないかと思う。
ていうか、Vistaでそういうのやりそうだな。時代の流れはウィジェットだし。
#開発はされ始めているらしい

あと、なんとなくだけど日本のWEBサービスは日本人しか使えない割りに数が多すぎるんじゃないかな、って思った。

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最近自分が時間に正確すぎるって思ってきた。

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いつの間にかグーグルガジェットがバージョンアップされてて、前は微妙に使い勝手が悪かったのだけれど、新しいやつはなんか良い。
ヤフーウィジェットは速攻でアンインストールした。
スクラップ記事とかメモを複数PCで共有出来るのってなんか便利だなあ。申し訳程度につけてるカレンダーの予定もガジェットに表示されるし。
RememberTheMilkとか見てても思うけど、短いスパンで送られてくるリマインダーって鬱陶しいだけだと思うんだが…仕事の管理ぐらい自分でしろよ…って。GTDの発達と敷衍は能率を上げるのには役立つのかも知れないけど、それに依存してしまうと逆に自己管理能力が衰えてしまうような気がするね。木がするだけですか、そうですか。

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人間は、一日数十万の想念が頭の中に浮かんでは消えるんだそうだ。意識下か無意識下かどうかはさておいて。
それらの、経験と記憶と知識がごちゃ混ぜになったカオス状態の想念を人間が判別できるレベルまで落としこめたとき、「良いアイデア」は生まれるって言う考え方があるんだけど、んな「みんな実はすごい能力を持ってるんですよ」みたいなこと言われても、「実はお前らの脳みそは実力の数%しか使っていない」って言われてるのと同じように実感沸かないしどうでもいい。潜在能力は顕在化しないとしゃーないんですよ。秘密兵器は最後まで秘密でいなきゃいけないんですよ。
でもまああれだな、僕もネタ帖一応持ち歩いてるけど、上記に書いたように、ネタ帖に書くようなことはそもそも忘れないし。あーなんか僕何処か間違ってるなorz

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LeafのVocalCollection Vol.1は名盤。心が洗われる。
特に『それぞれの未来へ』とか、さりげなく名曲。

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何度かパチスロに誘われたことがあるのだが全部断っているのは、今までパチスロは良いものだと言って来る人間にロクな人間がいなかったという僕の偏見による。僕からすればあんな機械的な(ていうか機械だけど)ものがギャンブルなんていうのがおこがましいし、「自分の世界に入れるのがいいねん」ってことも言われたけど、だから嫌なんだよ!wって思った。意味わかんね。高校のやつらとトランプ一つで飽きずに高度な心理戦を繰り広げてた僕から言わせると、あんなパチスロみたいなプログラムに一喜一憂するのがつまらん!プログラム作る側の人間だから余計だ。ていうかパチスロって言う仕組み自体が、完全に客が負けるように出来てる。それで生計立ててる人もいるよ、って言う人は頭が悪いか古いかのどちらかだ。僕の以前の知り合いにもパチスロで生計立ててる人がいたが、2年でその生活は終わってた。よく持ったとは思うけど。大体、客が勝つような仕組みだったら、店の存続自体が危うくなるわけだし、そんな危ない橋を渡り続けてる経営なわけがないだろう、と。客から一定以上の金を巻き上げる仕組みがあるから、あんだけ繁栄もしているし社会問題にもなるんだ。

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それで思い出したけど、こないだ本屋で立ち読みした、アメリカの貧困層の事情を書いた『ワーキングプア』を読んでて思ったんだけど、日本でもワーキングプアがどうのこうの言われてるけど、アメリカでのワーキングプアと日本のワーキングプアって意味合いが結構違うよなって思った。アメリカのワーキングプアの意味合いで捉えれば、日本でそれに該当するのは、いわゆる「搾取されてる外国人労働者」であって、コンビニ店員を続けている純日本人じゃない。あーでもどうなんだろう。微妙なところだけど。微妙ってかセンチメンタルってかデリケートなところだけど。
これはもう通説ですらあるけれど、日本ほど努力が結実する社会と言うのも他に類を見ない。まあ外国知らないからネットとか本とかで得た受け売りでしかないんだけどね。(それを言うなら8割の人の主張が受け売りだが)
その過程と、変化はすごい微妙な話になるから割愛するけど、日本でのワーキングプアってのは内面的に問題を抱えている以上に単なる努力不足であると言う意味合いが強いように思う。その『ワーキングプア』って本に書いてた事例は、いわゆる人種的な問題であったり、あるいは極端に思われるほど不遇な幼少時代をすごした結果であったり、と、日本じゃそうそうねえだろって言う事例ばっかりだった。結果としての貧富の差って面で見れば同じだけどね。だからと言って内容や過程を無視して語れるもんじゃないと思うけど。
でも少なくとも、日本の場合は、それこそ政治家とか目指さない限りは相当公平に職業の自由もあるし、努力は何らかの形で結実する社会であることは(たぶん)疑いない。まあでも、仕組みがあるだけで誰もそれを利用しないんじゃ形骸だけど。民生と政治が乖離している証拠でしかないけど。
あれだ、社会が悪い制度が悪いと言うのは努力してからにしよう、ってことだ。

2007年2月1日木曜日

『声を涸らし、駆け抜ける』

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そういや昨日、仕事帰りに日本橋に寄ってWindowsVistaを触ってきますたよ。
うん、目玉である『エアロ』がどれだけ要らん機能かってのがわかった。
いや、もしかしたら隠れて高機能なのかも知れないけど、もしそうだとすると初見でわからないって意味で失敗気味w
インターフェイス的には、エフェクトが豪華になったってだけしかわからなかったなあ。ウィジェットの拡張性は高そうだったけど。
あと、ローカルサーチが検索バーとしてエクスプローラに標準搭載になってた。主にWEBに対してとセキュリティ面で大幅に強化(ていうか互換性を失くしただけのようなイメージがあるけど)されたらしいから、見た目ではわからないのかなあ。

まあ、別にコケたってわけじゃないけど、スタートダッシュとしてはかなり遅い部類に入るし、次第にVistaに移行はしていくんだろうけど、MSの主力製品がOSだって言う時代はもう確かに終わったような気がするね。

ていうか昨日情報収集していて改めて思ったけど、この業界、技術の勃興早すぎるわ。フラット化する世界ってのはすごいね、マジで。