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2007年11月30日金曜日

電気の恋人

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We Love AKIBA-POP!!
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MOSAIC.WAV (2004/10/29)
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おすすめ度の平均: 5.0
5 A・K・I・B・A! AKIBA−POP!!
5 グダグダ言わずに聴けばわかるさ
5 これを聴かずして電波ソングは語れない。


このアルバムに入ってる『電気の恋人』はもっと評価されてもいい曲だと思う。
' GOTO GOSUB & RETURN
' IF THEN ELSE WHILE FOR TO NEXT
' CLS BEEP PLAY SOUND MUSIC
' NEW FILES LOAD SAVE RUN
' ok
僕の家に それは突然現れた
黒い顔した 未来の箱がやってきた
パパの机に どっしり居座って
ときどきパパと おしゃべりしてたんだ
恐る恐るスイッチ入れたら 無愛想な“OK”の2文字
「konnnichiwa」って入力しても “Syntax Error”何それ? 読めない・・・
図書館で借りたハンドブックで 覚えたてのベーシック文法
0の世界に夢を描くよ 僕ら幼い電気の申し子
' LOCATE INPUT PRINT SYMBOL
' PSET LINE CIRCLE CONNECT
' PEEK POKE EXEC OPEN CLOSE
' MOTOR ON APSS
今じゃネットの世の中で オマケに僕はプログラマー
地球の距離が縮まって なぜか窮屈に感じてる
携帯・ネット・デスクトップ・ノートブック 無い生活はもう信じられない
けれども昔の人は立派さ 8bitで月まで飛んだよ
膨大な知識の電波は すべてを知ってるわけじゃないから
新しいことまだ見つけられる 宇宙の果てに広がってゆける
2003年4月7日に 未来のロボが生まれなくても
2112年9月3日は まだまだ分からないのさ
たった60年の昔から 幾度となく夢積み重ねたね
夢と科学で未来を変える 僕らはみんな電気の恋人

2007年11月29日木曜日

『まっすぐに君を見る ナナメの風ん中 どうでもいいことなんて無くなる』

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学校のほうは一段落。出来の方はあんまり良くないけどね。でも、無理をせず複数人で作り上げたものは関わった人間の能力の平均レベルのものだと言う僕の経験則があるのでそれに照らし合わせてみればまあ妥当な完成度なのかな、と。
やっぱり10数人で作業を続けてると、色々と勉強になることが多い。
ことが分業と言うものになると、今まで積み上げてきたものが如実に差となって現れる。
学校の課題程度でヒィヒィ言ってる人は矢張り戦力外通告の一歩手前。
まあ、普通の作業であれば、ね。

グループ活動においては、作業量と評価はほぼ比例しない。圧倒的に作業量が少ない人間でも評価がなぜか高くなる人間がいる。あるいは某グループのリーダーのように、作業をいくらしていても評価が最悪のケースもある。それらは単純に立ち回りの差だと僕は思う。あと人間関係ね。いくら要領とか立ち回りが良くても誰もに嫌われてちゃ意味がない。

プログラム開発の場合で言えば、みんながコーディング作業に突入する前に、あらかじめ必要になる共通機能の部分だけクラス化しておき、配布しておく。このクラス化と言う作業はモノによっては全然大したことがない。その大したことのない作業を先回りしてやっておき、「みんなの役に立つと思って作っておいた」と一言添えて配布すれば、いくらそいつに実力がなくても評価が増す。打算が過ぎると思われるかも知れないが、そういう気の利かせ方は打算と言うより処世術だ。正攻法で立ち回り、苦労に比例した評価をもらうよりも、ナナメに構えてみんなに楽をさせる方法を提示することで同じぐらいの評価を得るほうがスマート。

戦わずして勝つ、じゃないけど、先回りをして少し行動しておくことでずいぶんと楽になることは多いのです。

他のグループのメンバーはなんか3日か4日ぐらい徹夜が続いてるとか聞いたけど、もうそんな状況になることが先ず最悪だわな。メンバーにいくら能力があっても、戦略的にもうどうしようもないところまで来てるので能力と才能を殺してしまうだけになる。そんな状況じゃモチベーションも上がらないってもんだ…。その辺の状況管理を出来る人間って結構少ないですよね。

まあとにかくアレですよ、老婆心で言うけど長いものに巻かれてるフリくらいはしたほうがいいですよ茶汰君。

2007年11月25日日曜日

『一つだけ色の違うボタン 気に入らなくて捨ててしまったけど大人になったときに ズレた世界も愛しく思う』

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特技があればひとまず食うには困らない、なんて時には聞く言葉だけれど、実際のところその食うに困らない『特技』ってやつも定義するのが難しいように思う。と言うのは特技ってのはどこまで考えても相対的なものでしかなくて、例えば友達の間で一番○○が上手いからこれは自分の特技だとか言っても、別の友達が出来ればそんなのは特技でも何でもなく普通の技能であったりなんかして、そうするとたまたま前の友達はそれが苦手だったのかも知れない、と言うように、広げれば広げるほどに意味が違ってくる。じゃあ、食うのに困らないレベルってどういうこと?ってなるんだけど、それはもう前時代的なノリで、特技で何か困っている人を助けることにより報酬を得る、と言う意味での言葉なんじゃないかと言う結論になる。
僕はご存知のように多芸非才極まれりな人間なんだけど、そんな僕が自分の特技で何か食っていこうかと考えると気が滅入るどころの騒ぎじゃなくて、「一体自分は何が得意なんだ?」と言う禅問答に陥ってしまうこと請け合いなわけですよ。
最近はあんまりだけど、以前はよく趣味で絵を書いて同人誌も発行したりしてて、「絵が上手いね」とお世辞でも言われるレベルだったけど、そんなレベルなんて同人界の中じゃ下っ端も良いところなわけで。
同じように、実は今日久々にバンド仲間たちと朝2時間半ほどスタジオに篭もって音楽をやってたんだけど、それだって学校じゃ「演奏上手いね」何て言われるレベルかも知れないが、アマチュアバンドすらやっていけないようなレベルなわけで。
同じように、頻繁にやっているボウリング、1ヶ月に一度やることを習慣付けているテニス、冬場になると必ずいくスキー、それに学校で専門的に学んでいるプログラミング、等々、僕の活動範囲はそれなりに広いんだが、まさに器用貧乏と言う具合にすべてが「ほど良く出来るけど特技とは言えない」レベル。
とまあ自分を例にとって見ても、「特技ってなんだ?」って言う問いに対して禅問答めいた自己否定論理が繰り広げられるで、つまりはまあ曖昧なもんだよなって言うこと。
一つのことをずっと続けてやって、それをほとんどの人が認めるようになれば、それはいつの間にか特技と言うよりはプロの仕事みたいなニュアンスに変化するわけで。
突き詰めれば、特技って言うのは相対的なもんだけど、自分で言わないことには定義されないものなんだよな、とか思ってしまう。
だから、僕は絵を描くのが特技です、と言ったところで、肯定もされれば同じくらいの頻度で否定もされるわけだ。
でも、ほんの一つだけ忘れちゃいけない視点があって、それは趣味との違い。
履歴書に趣味と特技を書く欄が設けられていて、それを見るたびに僕はいつも「一体何が違うんだろう」と思っていて、重複してるような内容しか書けなかったんだけど、今ならなんとなくわかる。
それは、趣味が嗜好の問題であるのに対して、特技はプレゼンスの問題であると言うこと。
項目が同じだったところで別に良いと思う。だって、捉えてる面が違うだけなのだから。
「僕の趣味はスキーです。そして僕の特技はスキーです。」
こう言うと、「僕はスキーが好きなんです。あ、洒落じゃないです。そして、スキーが上手いと言う自負があります」と言うニュアンスを含む。
「僕の趣味はスキーです。」
だけならば、「僕はスキーが好きなんです。あ、洒落じゃないです。でも、純粋に楽しんでいるだけなので技術のほどは詮索しないでください」みたいなニュアンスになる。
「僕の特技はスキーです。」
であれば、「僕はスキーが上手いと言う自負があります。でも、別に好きでやってるわけじゃありません。」となる。

じゃあ、特技がプレゼンスで、かつとても相対的なものだとすると、正直言って「僕の特技は〜〜〜」と言うのは少し気が引ける感覚も納得がいくと言うものだろう。だって、それは言外に「僕のスキーの腕前は平均よりは確実に上ですね」と言ってるようなものだから。そういうニュアンスは日本ではあんまり好かれないので、みんな自己紹介をするときには「僕の趣味は〜」と言う言い方をする、と言う結論に落ち着くとちょうど綺麗に終わるのかな?←結論

2007年11月18日日曜日

『君と遊ぶ 誰もいない市街地 目と目が合うたび笑う 夜を駆けていく 今は撃たないで 遠くの灯りの方へ駆けていく』

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一昨日の金曜日、Tが就活の関係で僕の学校の近くまで来るらしくて、その日は僕も最終まで授業があったので、晩飯でも食いに行こうかと言う話になり、近くのスタバで待ち合わせてコーヒーを一杯飲んだあと、僕が学校の友人達と頻繁に足を運ぶ美味しい饂飩屋に行って饂飩を食べた。
いつも、Tと晩飯を食ったあとはひとまずカラオケに行ってスピッツを歌いまくって日頃溜まっているストレスを発散すると言う運びになっているので、一昨日も例に漏れずそうした。
しかし、いつも僕達はシダックスにいくのだが、梅田にあるのを僕達は知らない。なので難波まで出てシダックスに入った。さすがに広い。

スピッツのニューアルバムが先月出たので、時期的にもう全曲カラオケに入ってるだろうと予想を立て、見事命中。まあ一ヶ月も経ってるんで当然なんだけど。
シングル化されてるやつと、バラードすぎてテンションの下がる『P』を除いて全部歌ってみたので、その所感を。この日僕の喉はかなり調子が良く、高音域までちゃんと出た。いつも出ないのに。

1:僕のギター
サビが人類では出せない音域。舌が飛んでいくかと思った。

2:桃
名曲すぎて歌っている途中もお目々がウルルン滞在記。調子が良いときには出ない音域ではない。

3:群青
まごうことなき名曲。音も高くないし、結構歌いやすい。息継ぎがちょっとしんどいけど。

4:Na・de・Na・deボーイ
ノリの良いロック調で、かつラップ部分が少しあって、ハングルの言葉も含まれてたりする、スピッツならではの遊び曲。サビの直前からサビの終わりにかけて音が異常に高くなるため命の危険。標識で言うところのスピード落とせ

5:ルキンフォー
実はこのアルバムの中で一番微妙な曲。シングルとして聞けば別に悪い曲ではないんだけど、この名アルバムの中ではかすんでしまう。調子が良ければ歌える。

6:不思議
もしシングルになっていればミリオンヒットは確実だろと言う見解が身内のスピヲタの中で常識となっている名曲。でもサビが高くて歌えましぇん。

7:点と点
やっぱりスピッツはロックだよな!ってことを再確認させるロックな名曲。サビのリードギターのかっこよさは異常。一部だけ異常に音が跳ね上がるけど、それも出ないことはないので調子の良いときは積極的に歌っていきたい。

8:P
歌詞は良いんだけど如何せん暗い。カラオケで歌う曲ではないけどあえて歌うなら、オールの時の夜中3時半とかあのあたり。

9:魔法のコトバ
腹と背中がくっつくぐらいの名曲。ちゃんと歌える確率は街中でメジロを見かけるぐらいなので、どうしても!って時にしか歌っちゃ駄目。

10:トビウオ
今の邦楽にはない、ロック&ポップテイスツを内在した名曲。ノリが良くて結構歌いやすいのでテンション上げるときに歌いましょう。

11:ネズミの進化
このアルバムの中で最ッッッ高に気に入っている曲。歌詞が秀逸。ノリも良くて歌いやすい。僕が総理大臣なら国歌にしてる。

12:漣
まずタイトルがかっこいい。曲もスピッツらしい。歌詞に「君に会うのよ」ってあるんだが、その「のよ」の部分が草野さんらしいぜ!って僕達スピヲタは失禁してる。平凡なアーティストならそこは「君に会うのさ」とかそんな気取った歌詞になるんだけど、やっぱり草野さんはあqwsでfrgthyじゅ89きぉ;p:@[

13:砂漠の花
高そうに思えて実は一番歌いやすい曲。ゆっくりと音が上がっていくので、自然に高音も出る。アルバムのラストソングに相応しい。


と言う感じだ。スピッツの良さがご理解いただけただろうか?ちなみに僕は11歳のころからスピッツファンなので、人生の半分以上をスピッツとともに過ごしている。
なので、僕の人生の目標の一つに、『スピッツの曲を歌えるようになる』と設定されているものがあるので、それを達成すべく日夜カラオケに足を運んで精進しているんだが、なかなか遅々として進まない。

ところが、一昨日は喉の調子がテレサ・テンみたいに良くて、今までまともに歌えた試しが一つもなかった『夜を駆ける』をなんと歌いきることに成功した!!!!!!!!1111
これは僕の中では記念すべき事態である。
21歳のころ、愛媛県は八幡浜のとあるバス停で野宿をしていたときに一晩中聞いていたおかげで頭の中に『夜を駆ける』に合わせた映像が明確に出来るほどまでシンクロしたあの『夜を駆ける』を歌えた!!!!!!!!!!!!1111112345

右心房が破裂しかねない喜びを仕舞っておいて、この調子の良い日を出来るだけ前向きに使おうと、今度は次の曲に挑戦した。

・ロビンソン
・仲良し
・迷子の兵隊

結果から言うと、仲良しは割とすんなりと歌えた。サビが2段構成で襲いかかってくるこの血迷った歌に以前は苦労させられていたが、波状攻撃の2度目のサビの冒頭、「雨上がりの切れ間から」と「悪ふざけで飛べたのさ」の音が出たのでクリア出来た。フフフフ。

しかし、ロビンソンと迷子の兵隊はまだまだまだまだまだまだ歌える気がしなかった。
ロビンソンは、メロ部分が割かし低い音なのでなんとなく歌えそうな気になっちゃうが、サビに入った瞬間そんなものは夢幻に過ぎないと言う現実が襲いかかってくる。ありゃまだ無理だ。僕のチャクラが足りない。

迷子の兵隊は、僕等スピヲタが束になってかかっても歌えない狂気の曲である。まるで農民が猟銃を持ってラディッツに挑むようなものだ。ワンフレーズで喉がbreakする。
が、一昨日の僕はそれなりに健闘した。初っ端のサビを越え、AメロとBメロを越え、2番のサビで撃破されたのだ。なかなかの快挙である。しかし、醜態を晒しながらも最後まで行けたロビンソンに比べ、この迷子の兵隊は断念した時点で体力が尽きてしまい先に進めなくなる。アナちゃんは溶けた。

まあそんなこんなで、まだまだスピッツの曲は精進する必要があるよな、ってことだ。
ていうか限られたメンツの中でしかスピッツを歌えないと言うのはほんと縛りだよな。

こないだスーパーで寿司を買ってきたら賞味期限が切れてたんだよ。
時既にお寿司ってか。黙れ。

2007年11月15日木曜日

『4年に1度のハッピーバースデイ 平均律で祝えば ピアノもきっとぐにゃっとするよ もきゅもきゅ!』

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口は災いの元w

20人近いグループになると、トップが一人だと色々苦労する。そんなに大人数の行動を見れるような超人はそこかしこにいるわけでもないし。
まあとにかく、例を持ち出すまでもなく、一人しかいないと言うのはリスキーなのだ。
だから、もし僕がトップならば同等の権限を持つ人をもう一人作る、つまり見掛け上トップは2人と言う形にする。

ってなことを言うと、さっそくそれが採用されて、矢継ぎ早に僕がサブリーダに推挙されてしまった、と言うわけだ。
なんてこなたい。

4月と同じ手口。いや、今回は僕が口を出してしまったから自業自得分も2割ぐらいはあるのか。

やれやれ…最後くらいは楽出来ると思ったんだが。まあ、楽は出来るか。作るものは比較的明確だからな。うちの班は割と優秀だし、大丈夫だろ。



プレイしてる外人のリアクションが面白すぎるwwwwwwwwwwwwwwww

2007年11月13日火曜日

政治的戦略

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新グループが決まった。総勢17人。
元々の僕等のグループは、クセのある人間ばかりが集まった、ちょっと扱いにくい精鋭部隊6人(だと個人的に思っている)で、他のグループと合併したあとどうなるかなあなんて他人事のように楽しみにしていた。

とはいえ、ロクでもないグループと統合されてはたまらないよな。そんなことを話していると、別グループの気の良い友人が、とある人物に根回しをしてくれた。ひゃっほう!
その人物はリーダー気質で(以降Aと呼ぶ)、今回結構気合を入れているらしく、合併するのなら僕等の班とが良いとの意見を元から持っていたようで、ネゴシエーションは非常にスムーズに進んだようだった。

その他の様々なコネクションを通じて、別グループのリーダーがどこのグループと一緒にやっていきたいか、と言ったようなことを、人を通じて簡単に調査した上で、ひとまずAのグループはまずうちのグループを高確率で吸収することが出来るように取り計らえることが出来た、と言う結論を得た。
もし担当教員の独断で抽選になれば話は別だが、それ以外の方法─ドラフト制や自由制、あるいは話し合い─になれば、とりあえずは目論見通りに事は運べる。なにしろすべての現リーダーの中ではAの発言力がもっとも高いからだ。それに、もし反対意見が出たとしても、Aの他にも味方はいるのでフォローは容易。地盤は固まっている。

それをして「君らはまたコソコソとネゴシエーションをしているのか」と揶揄してくる人物(クラスでも嫌われものの部類に入る)もいたが、僕から言わせれば政治的な根回しは戦略的な優位性を確保するための基本中の基本だし、今まで培ってきたものでもある。まあ僕が直接根回しに働いたわけではないどころか何の呼びかけもしていないのだから偉そうなことは言えないんだけど。とにかく、ネゴシエーションを出来ることもまた組織的な意味での重要な能力の一つなので、批難されても別にどうってことはないのだが。と言うより、ネゴシエーションほど、人一人の能力を大幅に越えたものはないと思う。たとえば他のリーダーに如何に口の達者な人物がいたとしても、事前に根回しをされていればそんな口先なんて言う戦術的な能力では、どうしようもないのだ。
そう、念の入った事前交渉は、教員ですらほとんど手が出せない。初めから「そうなるように仕組まれている」からだ。
だから、そう言った意味で、人脈をフルに活用した場合、どんなにパーフェクトな人物が敵対していたとしても、成す術もなくなる。

そんなこんなで得た結果は、クラスでもそこそこのレベルの人間が集った17人の集団wwww
これはむしろあからさまなほど人材が偏ってるwwwwww
どう見てもチートですwwwwwwwサーセンwwwwwwww
最終的に僕をトップに担ぎ上げるみたいな恐怖の案も耳に聞こえたが、そんな面倒なことは絶対にしないと拒否の姿勢を示した。まあ責任感の強そうなAならばおそらく最後まで大丈夫だろう。
でも、クラスで嫌われながらもリーダーをやってる人に比べたら、担ぎ上げてリーダーをさせられることの多い僕なんかは恵まれてると本気で思う。同じリーダーをやったところで、後ろ盾の力強さが全然違うのだ。ヤン・ウェンリー的な強さと言うか。うん、信用とか信頼とかって大事なことだと思いますよ。「人一人では出来ないことも、皆でやれば簡単に出来る」なんてのは、ただの美談や綺麗事じゃなくて真理だなあと最近思うようになってきた。

なんだか最近僕の周囲にはそれなりにデキる人が集まってきていて、その陣容も日を追う毎に規模がデカくなっていってるような気がしなくもないのですよ。ついついこれも僕の人徳だ!なんて思い上がってしまいそうになるほどに。ダメダメ。僕は別にそんな大した人間でもないことを自覚しているし、大それたことを成し遂げようなんてことも思っちゃいない。平凡が良いんですよね何事も。

2007年11月12日月曜日

オール家電

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腹筋崩壊したwwwwwwwwww

『無理にねじってドーナツになるより そのまま手を繋いで ズレた世界で今日もおはよう』

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昨日はP嬢と『ボーン・アルティメイタム』を見てきた。
僕は大のボーン・トリロジーのファンで、これを越える映画は自分の中では20本ぐらいしかないんじゃないかと思っている。多いって?でもそんなの(ry

作業用BGMに、二作目のボーン・スプレマシーを垂れ流しにすることもあるほどのボーンフリークである僕は、素敵なサウンドを提供してくれるジョン・パウエルに賛辞と敬意をありったけ払う。トリロジー全編を通じて同じBGMを使いまわしたにも関わらず緊張感がまったく薄れなかったのは、監督であるポール・グリーングラスの手腕だろう。

TVCMなんかを見ていると、まるでボーントリロジーの魅力が派手なアクションにあるかのように宣伝されているが、あれは大間違いだ。アクションシーン自体はぶっちゃけそこまで見どころではない。カーチェイスシーンは最高だが。
なぜそう断言できるのか?良い質問だ…ボーンフリークの僕が察するには、まず魅力は「ボーンが追手の裏をかくこと」にあると言い切る。それはボーンの設定や言動からも明らかだ。極力、目立った行動は避けている。それはボーンが元最強の「暗殺者」だと言うこともあるし、公然の場で目立った騒ぎを起こせば逃げ切ることが出来なくなる可能性が高まるからだ。その辺の怜悧冷徹な計算は、本編を見てもらえればすぐにわかることだろう。直接敵を脅して聞き出せばいいものを、あえて泳がし盗聴等をすることで情報を聞き出すのは、ボーンが争いを極力避けているからだ。争いは何も生まない。
さて、その観点から見れば、先ほどの断言の意味が理解できると思う。ボーンが派手なアクションシーンを起こすことは「やむなし」の状況だからだ。
ボーンがもっとも力を入れているところは、敵の裏を如何にかくか、でありそれ以外はない。

ボーン・スプレマシーはその裏のかきかたが常軌を逸していたが、今回も負けず劣らずだった。ネタバレにならない程度に一つ紹介しよう。

ボーンは、とある新聞記者に接触する必要があった。しかし、新聞記者に接触を図るとき、ボーンは複数の監視員を発見する。そうなると、新聞記者が使う携帯から何から何まで盗聴されている可能性が高い。そこでボーンは、事前に購入しておいたプリペイド携帯を、すれ違いざまに新聞記者のポケットに入れて、鳴らす。それを見てとったCIAは驚く。あんな携帯は知らないからだ。当然盗聴は不可。その間、ボーンは新聞記者に逃げる指示を出す。
まず、バス停の近くまで行き、フードをかぶった男の近くまで行き、その男の目の前で振り向く仕草をしろと指示する。フードの男はまったくの無関係だ。しかし、見知らぬ携帯で電話しながら、フードの男と喋っているように見える新聞記者に対して不審な何かを覚えたCIAは、さっそくそのフードの男を抑えようと、待機させていた監視班を行動させる。が、それはボーンが咄嗟に考え付いたフェイクだった。監視班が動いている間に、新聞記者を別の場所に移動させる。
新聞記者の姿を見失ったCIAは、街の全モニタを監視し、姿を見付次第街の要員に連絡し、確保に移ると言う人海戦術を取った。
そこでボーンが取った行動は、「監視カメラにはもちろん、街をうろつく要員にも決して見つからないこと」。単純明快である。
監視カメラの位置や動きを確認しながら、自分と新聞記者が絶対に写らないよう移動し、電話でも移動を指示する。
CIA諜報員が近づいてきたら、「靴のヒモを結ぶフリをしろ」と新聞記者を屈ませ、見えなくさせる。
しかし、結局新聞記者がすべての人間を追手だと疑心暗鬼に駆られ、耐えられなくなり、ボーンの指示を聞かずに一人飛び出してしまう。CIAはそれによって新聞記者を確認することが出来、配置させていた暗殺者のスナイパーに射殺させることが出来た…


と言うような具合だ。ボーンがありえないぐらいの機転を効かせて逃げきろうとする様は、見ているこっちがクールな気分になってくる。

ボーン・スプレマシーでは、インドのゴアから始まり、モロッコのタンジール、イタリアのナポリ、ドイツのベルリン、ロシアのモスクワ、と言う風に各国を跨いでの逃走劇を繰り広げるが、今回もスケールは大きい。
ボーン・アルティメイタムでは、ロシアのモスクワから始まり、フランスのルーアン(だっけ?)、スペインのマドリード、モロッコのタンジール、アメリカのニューヨーク、と言う壮大な逃走劇になっている。もちろん、逃走と言っても見つかったときのみであり、基本的には自分の記憶を取り戻すための攻勢に過ぎないのだが。

と言うわけで、これを読んだ人は上映中に『ボーン・アルティメイタム』を鑑賞しにいくように。君もマット・デイモンのファンになろう!



ちなみに僕がアルティメイタムで一番好きなシーンは、ボーンが敵のボス(ここではこういう言い方をしておく)のオフィスに侵入して、とあるブツを盗み出すときのシーン。
ブツは金庫の中に入っており、指紋と声紋の照合が必要だった。
潜入は、大掛かりな陽動を事前に行っていたので容易に行えたが、指紋と声紋はどうにもならない。
そこでボーンは、オフィスにあった書類から電話番号を調べ、携帯にかける。テープレコーダーを起動させておいて。
ボスが電話に出る。欲しかったのは声紋だけ。が、ここで自分の名を名乗る。そして、ボスに「今どこにいるんだ?」と問いかける。ボスは「今は自分のオフィスにいる」と答える。ボーンは「本当に?」と聞き返す。ボスは「疑うのか?」と作り笑いで返す。
ボーンは、「おかしいな…オフィスにいるなら、今向き合っているはずなんだが」とだけ言って、一方的に電話を切る。クール!!!!111123

2007年11月10日土曜日

NetBeans追記

0 件のコメント:
NetBeans5.5であんなに見にくかったUIが…
6.0でこんなに見やすくなっているなんて…やはり喧伝されているのは伊達じゃなかったようだ。
やべえ、これは良いUIだwwwwwwwww

インストールは、
http://download.netbeans.org/netbeans/6.0/beta2/
ここから落とした.shファイルを実行するだけ。
メニューには追加されるんだけどコマンドラインからじゃ起動出来ない。うーん。

java6がなんだか妙に軽い気がするんですが気のせいでしょうか…

『生きている証を時代に打ち付けろ 貧弱な魂で悪あがきしながら』

0 件のコメント:
仮免取れたよーヽ(´ー`)ノ
修了検定のとき、4人中僕は2番目で、1番手の野郎のテクを真後ろで見ていたわけなんだけど、エンスト3回、脱輪1回、直線ではローギアのままだし指示器は出し忘れてるしで彼だけ落ちていました。なんともはや。緊張する気持ちはわかる…ていうか僕もかなり緊張してクラッチを上げる左足が少しギコちなかったぐらい。でも終わったときに何か言われるんじゃないかと思ってたけど、「運転巧いね!路上でもその調子で頑張ってね!」って言われてホッとして嬉しかった。
そんなこんなで来週からは路上教習だ!だだだ


今読んでる途中の『富の未来』って本の中で、著者のアルビン・トフラーがおもしろい喩えを用いていたので、部分的に割愛しながら紹介。アメリカでの、様々な分野での変化の速度を車に例えている。
時速100キロ

時速100キロの高速で突っ走っているのは、アメリカの主要な制度の中で変化がもっとも速いもの、企業である。企業は、社会の他の部分で起こる変化の多くをもたらす原動力になっている。

時速90キロ

企業とあまり変わらないほどの高速で走る車があり、その車に乗っている人たちを見て、驚く人もいるだろう。
変化が二番めに速いのは、全体的にみたときの社会団体だ。社会団体は活気に溢れ、変化を求めることを仕事としている。反企業、親企業の連合、職業団体、スポーツ団体、カトリック協会、仏教寺院、プラスチック製造業協会、反プラスチック活動家団体、新興宗教団体、税金嫌いの団体、鯨愛好家組織などなどである。

時速60キロ

数千年にわたって、世界のほとんどの地域で、多世代の大家族が家族の典型であった。
工業化と都市化が進んでから、家族の規模が核家族化した。工業と都市の条件には核家族のほうが適していたからだ。現在では、家族の形態、離婚の頻度、性、世代間の関係、異性との出会い、子育てなど、家族に関するさまざまな側面が急速に変化している。


時速30キロ

労働組合である。1955年、アメリカの労働組合は雇用者の33%を組織化していた。いまではこれが12.5%に過ぎなくなった。
労働組合には今でも果たすべき役割があるが、生き残るためには新しい道路地図と高速の車が必要である。


時速25キロ

政府の官僚機構と規制機関はさらに動きが遅い。
政府は意思決定が極端に遅く、空港に新たな滑走路を建設する許可を得るまでに10年異常かかり、高速道路の建設が決まるまでに7年以上もかかるのが一般的である。


政府10キロ

だが、官僚機構の車ですら、バックミラーにはさらに遅い車の姿がうつっている。タイヤはパンクし、ラジエーターからは蒸気が噴き出し、後ろからくる車に迷惑をかけている。このポンコツを維持するために年間4千億ドルがかかるなどありうるだろうか?この車に乗っているのは、アメリカの公教育制度である。
アメリカの教育制度は、大量生産用に設計され、工場のように運営され、官僚的に管理され、20世紀初めの経済を完全に反映している。
時速10キロで動く教育制度は、その10倍の速度で変化する企業での仕事をこなせるように、生徒を教育できるのだろうか?


時速5キロ

これには国際連合、国際通貨基金、世界貿易機関や、もっと知名度の低い多数の国際機関があり、国境を越える活動の規則を制定している。
なかには万国郵便連合のように、1世紀を越える歴史のある機関もある。ほぼ75年前、国際連盟の時代に作られた機関もある。残りのほとんどは、世界貿易機関と世界知的所有権機関を除いて、半世紀前、第二次世界大戦のあとに設立されている。


時速3キロ

だが、国際機関よりも変化が遅い制度がある。それは豊かな国の政治構造だ。
いまの政治制度は、知識経済の複雑さと猛烈なペースを扱えるようには設計されていない。


時速1キロ

法律である。法律は生きていると言われる。だが、何とか生きていると言えるに過ぎない。議会が新しい法律を作り、裁判所が既存の法律に新たな解釈を加えることで、法律は毎日のように変化する。だが、変わる部分は法律全体のうち、微小とは言わないまでもごく一部に過ぎない。
もちろん、法律は急激に変化するようであってはならない。ゆっくりとしか変化しないからこそ、社会と経済に必要な程度に予測可能性が確保され、経済と社会の変化が急激すぎるときにはブレーキをかけてくれる。


ここで抜粋した部分は、各車の説明の1割ほどに過ぎないものなんだけど、こうして要点をまとめるだけでも何とも含蓄のある言葉だと思う。



さて、で、昨日の話の続きだが、結局Ubuntuの再インストールをしたw
一晩かけてUbuntu7.10のisoイメージをDLして(サーバーがおかしいぐらい重かった。Bittorrentを使うべきだったかもしれない)、幸いにも残っていたCD-Rに焼き付けてすぐにインストールに取りかかる。

BIOSでCDブートに設定してCDを入れる。1CDLinuxだからすぐに起動した。デスクトップに転がっているインストールボタンを押し、後は質問に答えていくだけでインストールが始まる。

が、インストールを終えたあと、再起動をかけてみると、なんとdiskが見つからないとか言われた!なんでだよ!
Kernelを選ぶ選択肢が黒い画面に出てきたので、書いていたメッセージを参考にしながらいくつかコマンドを打ち込んでもOSは立ち上がらず。

前向きな僕はめげずに、もうHDDはフォーマットしてるんだから失う物など何もない!と言わんばかりにもっかい再インストール。

ダメだった。同じ症状。

クソウ。どうなってやがる。再度インストール。ダメ。再度インストール。行けた!!

なんかよくわからないが、なんとなくマスタブートレコードがおかしくなってたような感じ…。

目出度くUbuntu7.1が立ち上がったので、色々とアップデートやらインストールやら。
FirefoxのExtension関係がもっとも大事なので真っ先に取りかかる。えーっと、GMarksを入れてClipMarksを入れて…テーマは何にしようかな。あ、ちょうどVistaのLook&Feelのテーマがあったからこれにしよう。それに合わせてGNOME Themeも変更だ!
ブックマークは全部GoogleBookmarkにあるので、数年前までみたいにいちいちブックマークを登録しなおす必要がない。楽ちん。
メールも、今までだとアカウントの設定のし直しとかしてたなあ…ていうかOS入れ替えるたびにメッセージがなくなるのはマジで困ってた。今はもうそんな悩みとは無縁だね。無縁仏。

ひとまずブラウザ周りの設定が終わったので…って、これくらいしかすることない罠。
ある程度必要なアプリケーションは元々内蔵されてるからなあ。

あー、とりあえず色々動画が見れるようにだけしておくか…と思ってTotemのpluginを入れようとするが、どうやらサーバーが落ちてるっぽい。
仕方ないなあ。今は様子見。そんな急に必要ってわけでもないしね。

なんか、リアルタイムでギターにエフェクトをかけれるアプリケーションがあったのでインストールしてみるも、サウンドカードとの相性が悪いのか他の原因があるのかよくわからないが、playすることが出来なかった。残念。でも、mixerでマルチトラック録音が出来るアプリケーションがあって、僕のギターをPCに繋いだらすぐに録音することが出来た。なぜかちょっとだけエフェクトもかかってたり。まあ、いつかまた遊んでみよう。

統合開発環境の一つである、Sun microsystemsが提供しているNetBeansIDEってやつが何やらEclipseの対抗馬に充分なりえると言う話がまことしやかに囁かれてきたので、さてどんなもんかと思ってインストールしてみた。

…が、フォントが汚ぇ!なんじゃこりゃ。見にくすぎる。
使う以前の障害にぶち当たったので、まずフォントから直すことにした。
/etc/netbeans5.5/netbeans.conf

に、設定情報を書き込む。
netbeans_default_options="-J-Xms32m -J-Xmx196m -J-XX:PermSize=32m -J-XX:MaxPermSize=96m -J-ea --fontsize 16"

と、--fontsizeの項目を追加することで、メニューのフォントサイズを変えることが出来るのだ!
これとは別に、毎回毎回
netbeans --fontsize 16

と書いて起動する方法もあるんだけど、いちいち面倒くさいしね。
fontfamilyの設定の仕方はどこにも書いてなかった。無理なのかしらん。

ある程度のところで妥協するのはさもありなん。とりあえずは弄ってみよう。
新規プロジェクト…WEBプロジェクト…
なんとTomcatが内蔵されているらしい。Eclipseはpluginとして入れなくちゃいけなかったので、その設定で四苦八苦した時期もあったが、NetBeansはそんな苦労とは無縁のようだ。無縁仏。

デフォルトでjspページが作られて、ボタン一つ押すとブラウザで勝手にプレビューしてくれる。
面倒臭いからここまでしかやってないけど、たぶんJava周りのことだけに関して言えばかなり有用だと思われ。
Eclipseも充分有用だけど、位置づけ的にはサードパーティだしな。本家が作ってるとなるとやっぱり細かいところが違うんだろう。
特に思うのがGUI開発の強み。
EclipseじゃあGUIのデザインはpluginを入れることでしか出来なかったんだけど、NetBeansじゃSWTのデザイナが標準でついてるっぽいから、まるでVSみたいにJavaアプリケーションを構築できる。

たぶん今後はJavaFXも組み込まれていくんだろうけど…どうなんだろうねその辺は。

Tracを早く使いたいんだけどまだやり方がわからない。難しいなあこれ…。

2007年11月9日金曜日

かえるにょぱにょん

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タイトルは無意味。

ubuntu使っていると、なにやら動作が遅い!と感じて、プロセスを見てみるとscim-launcherのCPU使用率が妙に高くなっていた。
scimというのはlinuxで使われる入力メソッドのことで、そのランチャーだから一連の機能を立ち上げるためのものってとこかな。リンク集みたいなもんだ。

そのscim-launcherプロセスがどうも止まっていたみたいで、だからFirefoxはもちろん、ほとんどのアプリケーションを立ち上げることが出来なかった。
scim-launcherプロセスをkillすれば、その他のアプリケーションを立ち上げることが出来たんだけど、入力に著しく問題が出るわけだ。

で、プロセスを右クリックして、「使用したファイルを参照」みたいなのをクリックすると、

/home/naoya/.anthy/

の中のlast-record2_defaultって言うファイルを参照しているみたいな形跡が。

なんぞこれ、と思ってひとまず調べてみる。変に弄って元に戻らなくなったら困る。
すると、

scimがCPUを100%近く使って起動しない

と言う記事で同じ現象にぶつかった人がいたので参考に。
ふむふむなるほど、変換履歴のログの読み込みで止まっちまってるわけか。

emacsエディタを開いて、最後の行だけ削除する。
そして再起動………まだ同じ現象だった!!
畜生なんでだ、と一瞬思って、直後自分を罵倒した。
その前の行の末尾でファイルを終わらせてしまったら同じことじゃないか!
と言うわけで、最後の変換履歴の末尾に改行を付け加えて保存終了。
再起動してみると、ちゃんと起動してくれましたとさ。


実は上記の経緯に至るまで色々と試行錯誤していて、Anthyとscimを何度も再インストールしていたりなんかしてたもんだから、どこがどうなってるのかよくわからなくて、最終的に起動したはいいんだけど変換がおかしくなってしまった模様。「つかう」って入力したら「塚宇」とかしか変換できなくて、いくら文節で区切っても他の変換が出てこない。だから「使用」って打ったあとに「用」を消さないと「使う」って入力できないwwwこれはストレスがたまる変換wwww
何がどうなってこんなことになったのかまだ未解決…。
たぶん日本語テーブルの問題なんだろうけど、一体それがどこに眠っているのかサッパリわからん…調べてみても資料がないし。
Ubuntu関連は元々英語資料のみが充実しているから日本語資料は少ないんだよな。
これが普通の処理系の問題だったら、頑張って英語サイトでも探すんだが、日本語入力に関することが英語サイトに載ってるとは到底思えないから、お手上げ状態になったらこれはもうフォーラムかMLで質問するか、あるいは再インストールするかしかないぜ!

フォーラムとか使おうにもアカウント取らなくちゃいけないっぽいしな…。
そうなると、再インストールしたほうがいいかも。色々触りまくってて設定がむちゃくちゃになってきてたところだし、大事なデータとかは全部WEBにあるから中身がなくなっても無問題だし。

ていうかUbuntu使って思ったけど、WindowsのデスクトップPCとしての完成度は異常。Windowsはすごいわ。


さてさて昼から授業ですよ。まったくもう消化授業も甚だしいですね。内容がほぼ絶無な授業が多い割りに出席率に厳しいから無駄に休むことも出来ない。友達と喋りに行ったり昼ごはん食べに行ってるようなもんだよな最近…ああ勿体無い。

2007年11月6日火曜日

『運命をねじ伏せ従える心算でも 時を掴もうと伸ばしたその手では短すぎた』

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なんか変な夢見た。河童に憑きまとわれた夢。
河童って言っても最初は全然わからなくて、ただの小さい人なんだと思ってた。
やけに馴れ馴れしくしてくるもんだから、「鬱陶しいなあ」と思って出来るだけ離れようとするんだけどうまく行かない。必ず先回りされる。
馬鹿力でかなわないし、なんの話をしても知識が豊富でついてくるしで手に負えない。
でも、なんとなく僕の希望に沿う行動を取るんだと言うことがわかってきたので、「ちょっと友達と飯を食べにいかなきゃならないんだ」と言うと、「じゃあオレが運転する車でいくといいよ!」と言う。
友達数人に軽く事情を説明して河童に運転してもらう。どこかで一旦皆降りて、再度皆が車に乗るのを見計い、携帯を取りだし、電話をするフリをする。
そして運転席に乗っていた河童に、ちょっと用事を思い出したから先に行っててくれ、すぐに追い付くよ、と言って僕は河童と離れることが出来た。
そして自転車で家まで帰ろうとするが、途中で河童に捕まった。車を先に店に置いといて、僕を追ってきたらしい。
観念した僕は河童を従えて色々と頼み事をするんだけど、突然姿を消してしまった。
後々調べてみると、その河童はそういう特性を持っていたらしい。特定の人にはりつき、言うことをしばらく聞くだけ。姿が単なる人だから河童には思えないらしいんだけど、れっきとした河童らしい。

よくわからない夢だった…。妖怪系の夢とか久しぶりに見たな。

2007年11月3日土曜日

『さらに高いところに駆け上るような、目覚めたネズミになる。長い長い長い旅に出る。いつか目覚めたネズミになる』

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部屋を掃除しているときに、もう本が多すぎてそろそろ平積みしないといけないようになってきたと感じてきたので、要らないようになった本を処分することにした。

過去の資格勉強に役立てた書籍たちが殆ど。だいぶお世話になった。専門学校時代は履歴書に全部書けないぐらい多くの資格を取れたことを改めて実感。やっぱ4年間を勉強に充てれたのは良かったのかな。


で、部屋の押入れの一部を改造すべく、100均に行って組み立て式のラックを買ってきて組み立てた。
これで、必要に応じて本をまとめて格納できるようになった。また一定量貯まったらラックを追加しよう。
押入れの中は結構広いので、多くの本を入れることが出来そうだ。


僕の部屋はある程度の広さを確保するために家具類の配置や本やディスクの格納の方法を工夫してはいるんだが、どうにもそれの限界を感じ始めている…将来は書斎みたいなんがないとダメだな僕はwww

2007年11月1日木曜日

『よごれた雨 消えない影 なにもかもを受け止めて これが僕らの住む世界』

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春から9月第1週までやってた学祭でのグループ制作。あれの影響がかなり尾を引いてるのですw
と言うのは、クラスの中で後ろ指を指されてる人たちが少なからず出てきていると言う事実。
それがどういう人たちなのかというと、一言で言ってしまえば「迷惑をかけた人たち」。
迷惑と言っても形は様々で、単純に投げられたタスクをこなさなかったと言ったものから、空気を読めずに周囲の反感を買ったと言う例まである。
純粋に行った仕事量だけで見れば評価されるべき人も、「相互評価」と言うものになってみれば評価されなくなると言うことはどうやら往々にしてある。能力の有無や貢献度が評価を左右するわけではないと言うことだ。
その相互評価の結果、リーダーが欠点になると言うおかしい現象が起きたりもしたけど、なんのことはない、そのメンバーの話を聞いてれば、まあ当然だなと思うのである。

そんなこんなで、相互評価と言うある意味で平等、ある意味では冷酷なシステムの前であらわになった人となり(あらわになったのが能力ではなくて人となりであるところが面白い)が噂になり、新規グループで新たなプロジェクトが稼働している現在でも多大な影響が色濃く出ている部分に社会的な人間関係の縮図を見るのは僕だけではないだろう。

まあ周囲で起こる出来事がどうであれ、飄々と生きる僕には直接的には関係のないことなんだけど、一番の問題が、僕の発言力がクラス内で妙に高いと言うことだ(これは茶汰君も同様だと思うが)。ただでさえ、現在の僕のグループはクラス内でも能力的な意味合いで見れば上位クラスにいる連中ばかり。学祭ではクラスで最も成功したグループのリーダーと言う面倒な肩書きがついて回ってるために、リーダーが僕ではないと言う事実はちょっと生地の薄い隠れみのだ。

うーん、別に他人をこきおろしたいわけでも自慢話をしたいわけでもないんだけど、人間関係を整理したとき、自分のポジションを出来るだけ客観的に考えると、どうしてもそういうニュアンスが拭えない。だからあんまり言いたくないんだけどね。
とにかくまあ、最終的に24人編成のグループに統合された上でプロジェクトのほうは進むらしいから、そのときにリーダーにならなければ僕の学生生活は穏当に終了出来ると言うことだな。なんとか手を打たないといけないが…あるいはリーダーになったところでなるたけ負担の少ない楽な方法を…。苦労することが美徳とは僕は思えないのでw出来るだけスマートな方法で、「戦わずして勝つ」のが最上。
そういう意味では、学祭のときに僕のグループだったメンバーが皆「あんまり苦労した覚えがないんだけど…」と言ってくれたのは、僕にとっては達成感を感じられることだった。皆に苦労させずに高得点を確保出来たと言う意味でね。まあ、メンバーたちはもっと苦労の果てに達成感があるものだと思っているのだと思うけど。
僕の中のリーダー像は、メンバーに苦労をさせてないかどうかと言う一点に尽きると思う。苦労を強くことで成果を出すのは、その時点で戦略的に間違ってるのだ。どんな人にも一長一短があるのだから、適材適所を貫いてうまく立ち回らせることが戦略としては上々、となる。

話はイキナリ変わるけど、なんか少林寺やってたときの同輩で一つ年上の人が、現在アメリカに留学しているらしい。今度僕も10日ほどアメリカいくからちょっと今からコンタクト取ってみようかな…w