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2009年4月26日日曜日

フェルマーの最終定理

2 件のコメント:
フェルマーの最終定理 (新潮文庫)
サイモン シン
新潮社
売り上げランキング: 685
おすすめ度の平均: 5.0
5 数学バンザイ
5 純粋に美しいノンフィクション
5 読むべき数学の世界
5 まるで小説のようにどんどん引き込まれ、没頭する。
5 300年分の歴史小説のように



これはとても凄い本だ。科学史の読み物として超一級品。
a^n + b^n = c^n
n>=3の時、この方程式に解はない

という、ただこれだけの簡単な方程式の証明を巡る物語。
この方程式は、ピタゴラスの定理(あらゆる直角三角形において、斜辺の長さをcとするとき、a^2+b^2=c^2が成り立つ)を拡張した、フェルマーの最終定理と呼ばれるもの。
定理は証明されて始めて使用されるものだが、このフェルマーの最終定理は、350年間、どんな数学者にも証明することが出来なかった。350年間も!長すぎ。
どんな頭脳を持ってしても証明出来なかった、その難解すぎる方程式の証明を巡っての壮大なドラマがこの本にはあった。

これだけ聞いて少しでも興味が沸いたという人は、読んでみるべきだと思う。絶対に後悔はしない(なにしろ76件ものカスタマーレビュー中、5つ星が68件を占めているぐらいだ)。日常へ刺激が齎されること請け合いだ。
「数学が苦手だし…」と言う人も問題ナシ。僕だって数学どころか計算すら覚束ないぐらいのボーンヘッドだが、普通に人並みの理性さえあればこの本に書かれている論理は問題なく理解できる。それくらいわかりやすく書かれている。

僕が一番気に入ったエピソード。
性格の悪いフェルマーは、この方程式を証明したとき、以下のような文章を横に添えた。
私はこの方程式に関する驚くべき証明を発見したが、
余白がないので記すことは出来ない
というもの。
この1文のせいで、350年もの間、数学者は苦しめられてきたわけだ。
で、何人もの数学者が「証明したぞ!」と意気込んではニュースになり、しばらくするとその証明が実は破綻していたと言う流れが繰り返しあったわけだ。
あるとき、そんなニュースの一つが流れてから少し経ったときに、ニューヨークの地下鉄駅構内の壁に、こんな知的な落書きがされた。
a^n+b^n=c^n
n>=3 の時、この方程式に解はない

私はこの方程式に関する驚くべき証明を発見したが、
電車が来てしまったので記すことは出来ない
電車の中で思わずニヤリとしてしまったエピソードでした。
僕も書いてみようかな。会社のホワイトボードとかに。
a^n+b^n=c^n
n>=3 の時、この方程式に解はない

私はこの方程式に関する驚くべき証明を発見したが、
本日はノー残業Dayのため、記すことは出来ない
とか。
まあそれは置いといて。
最近ようやく証明されたらしい『ポアンカレ予想』ってやつに関する本も出ていて、それもまた『フェルマーの最終定理』みたいな感じで興味が沸いたけれど、そのポアンカレ予想ってのが
単連結な3次元閉多様体は3次元球面S3に同相である。
って言う定理だったので意味不明。よっぽどわかりやすく書かれてない限り、僕は頭痛を理由に読むことを拒むだろう。

それにしても、現代数学を超えたテクニックを駆使してようやく証明することが出来た『フェルマーの最終定理』を、350年前の人間がどうやって証明出来たのか非常に興味があるところだが、フェルマー自身が証明した手法と言うのは破綻を呼び込む手法だったと言うのが今や通説になってるっぽい。

2009年4月24日金曜日

技術チーフ?

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部内開発者の技術教育係みたいなものにならされましたよ。
アプリケーションの設計についての講師をしないといけないとかどんだけw
対象となる開発者は、当然のことながら全員僕より年長。そりゃあ僕より下の社員が現在研修中の新入社員以外いないんだから当然\(^O^)/

しかも納期が厳しい開発を行いながらの教育だし、かつ、開発メンバのサポートも行わないといけない。あー忙しい。まあ、そういうポジションは僕の望むところでもあるんだが。戦略通り。

上司「〇〇(10年目社員)と××(5年目社員)は直也ちゃんに指示を仰いで、わからないところはちゃんと早目に聞くように」

すいません、胃に穴が空きそうです。給料上げてください。

2009年4月21日火曜日

自然の中の素数

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素数はスパイの世界で活躍しているだけでなく、自然界にも姿を表す。たとえば周期的に発生するセミである。特に注目に値するのが、ジュウシチネンゼミだ。このセミは昆虫の中で最長のライフサイクルをもっている。17年間待った後に、莫大な数のセミの成虫が地表に現れるのである。

生物学者を悩ませた問題は、このセミのライフサイクルはなぜそれほど長いのか、ライフサイクルの年数が素数になっていることに何か意味はあるのか、ということだった。ほかにも、13年ごとに大発生するジュウサンネンゼミがいることから、ライフサイクルの年数が素数であることには進化論的な利点がありそうだ。

一説によると、やはり長いライフサイクルを持つセミの寄生虫がいて、セミはその年数を避けようとしているのではないかといわれている。
寄生虫のライフサイクルが二年なら、セミは2で割り切れるライフサイクルは避けたいだろう。さもないと、寄生虫とセミは周期的に同時発生してしまうからだ。同様に、寄生虫のライフサイクルが三年だったとすると、セミは3で割り切れるライフサイクルは避けたいに違いない。さもないと、両者はやはり定期的に同時発生してしまう。結局、寄生虫との同時発生を避けるための最良の策は、長くて、しかも素数のライフサイクルを持つことだ。
なぜなら、17はどの数でも割り切れないから、ジュウシチネンゼミはめったに寄生虫と同時発生せずに済むからである。

寄生虫のライフサイクルが2年なら、両者は34年ごとにしか顔をあわせない。寄生虫のライフサイクルがもっと長く、例えば16年だったとすると、両者はなんと272年に一度しか顔をあわせないことになるのだ。
寄生虫がセミの戦略に対抗するためには、同時発生の頻度を高めるようなライフサイクルを持つしかない。
つまり、1年サイクルか、セミと同じ17年サイクルか。しかし、1年サイクルで17年立て続けに発生しながら生き延びるのは容易なことではない。というのも、はじめの16年間は宿主になるセミはいないからだ。一方、17年のライフサイクルを持つためには、寄生虫はまず16年のライフサイクルに進化しなければならない。つまり、進化のある段階で、寄生虫とセミとは、272年間も同時発生しなかったことになる。
(中略)
やがて寄生虫は16年のハードルに到達し、272年間もセミと同時発生できなくなって、絶滅に追い込まれた。
結果として、17年のライフサイクルを持つセミが残った。
しかし、そのライフサイクルも今や無用の長物である──寄生虫は、もういないのだから。

2009年4月16日木曜日

リポDさんお世話になります

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最近一日がめちゃくちゃ早い…帰宅したときにはヘトヘト。
だけど今日は頑張らないと…!考えるのが僕のお仕事。
僕が必死に頭捻って考えて、実際にパズルを組み合わせるかのように手を動かす先輩たちの仕事が少しでも楽になるために、今夜はちょっと夜鍋モーd…って、あれ?仕事逆じゃね…

2009年4月14日火曜日

タイクツとユウウツ

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人の生き方に正しいとか間違っているとかがあるわけないのはわかっちゃいるけど、僕は間違っているんじゃないか、あいつのほうが正しいんじゃないかと言う疑いは常に脳裏にあるわけで、そのたびに他人を見習ったり自己嫌悪したり忙しいのだけど、結局のところ、何かの道を選んで突き進んだところで、「だから何?どうなるの?」と言う質問によってすべては無意味になってしまうような気がして、何をしようにも地団駄を踏んでしまう。
もちろん、自分の選んだ道を進むことこそが最も意味のあることだと、僕もそう思う。

僕の家で飼っている鳥はかれこれ13年ほど、ずっと鳥篭の中にいて、きっと死ぬまで鳥籠から出ることはないのだろうと思うけど、それをして「無意味な生き方だ」とか言うやつがいたら僕は本気で怒るだろう。僕はその鳥を大事にしていたから、鳥の人生(鳥生?)を無意味だなんて絶対に思わない。
「鳥は自由に飛んでこそ意味がある」と言う人もいるだろうが、それは意味の一面だ。不自由と無意味、自由と意味を直結させた意見だ。どんなに不自由でも、誰かが意味があるといえば、そこに意味はあるのだ。(逆に、意味がないと誰かが言っても、それは無意味にはならない。素敵なことに。)

とにかく、何かをしたから意味があるとか、何もしないから意味がないとか、そういった簡単な二元論では何も語れない。「意味のあること」の定義はとても難しい。
いわゆる「勝ち組」になったら悩みとは無縁になるかと言う質問にはNoと誰もがハッキリ言えるが、「負け組」が無意味な人生の結晶なのかと言う質問に即答出来る人は、よっぽど価値観の凝り固まった人を除き、いないだろう。

いずれにせよ、僕らに出来ることは時間の経過をただただ感じることぐらいなのだから、どうしようもないのだけど。

奇妙な夢

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電車の中で、大学生くらいの子が車内販売をしていたのを見て、その瞬間に人生が終わったのだとわかったのは、しばらく時間が経ってからだった。
販売していたのは濃密なジュース。販売、とは言っても値段は無料だった。

ジュースと一緒に、一枚のフライヤーを手渡される。そこに書かれていたのは、事実上死の宣告だった。
あなたはこのジュースを2日間飲まなければ死んでしまいます、と書かれていた。
たまたま乗った電車で、それを見掛けたのが最大の不運だったらしい。それ以降、その車内販売を見掛けることはなかった。死神のようなものだったんだろう。

僕を含めた不運な人へと、生き延びるためのジュースを配っている場所は、既に使われてなさそうな病院の一角。
僕はコップを受け取り、ジュースを飲んで寿命を延ばす。
会社の同期も不運に見舞われたらしく、ジュースで命をつなぎ止めていた。

僕は同期に「2日間以上開けれないってことは、2泊3日の旅行も無理ってことだよな…生きてる間はずっと。死ぬ覚悟をしない限り。」と話し掛けた。同期は困ったような顔をして病院から出ていった。

いくらなんでもジュースを定期的に飲まなければ死ぬなんて馬鹿げすぎている、これは都市伝説的なジョークではないか?そんな疑いが強くなってきたのはしばらくしてからだったが、試してみる気はさらさらなかった。死か生かではリスクが高すぎる。そもそもオッズすら定かではないのだ。
だけど、真偽を確かめることは出来るかも知れない…。前例があればそれが証拠になるんだが。あるいは人柱…

先輩がPCを弄りながら僕に言ってきた。「ジュースを飲まなかったら、君のアカウントが消されるだけじゃないの?」なるほど、確かにその可能性はありそうだ。でも先輩、僕の意識や存在が、誰かがログインしているアカウントだとすれば、それを消されるってことは死ぬことと同義じゃないんですか?
「君がPCにログイン出来ないからって、中のソフトウェアが消えるわけじゃない」確かにその通り。勇気が出てきた。僕はカラオケボックスにいた同期に決心を伝えて、延命ジュースを絶った。

そこで目が覚めた。どうやら夢の中の僕がジュースを絶ったことで、僕は夢を見る権限を失ったようだ。
久々にリアルな感情が伴う夢だったなあああ
夢を記すのはあんまり良くないことだと知ってはいるけど、こういうストーリー性のある夢は珍しいので記録しておく。

2009年4月10日金曜日

絶対!Part2

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通勤中、ウォークマンのランダム再生で可憐Girl’sのアルバム曲が流れた。
絶チルの主題歌を歌ってると言う情報しか知らず、実際に歌を聞いたことがなかった僕は、『ちょっと声量があるJCが歌ってんのか?』と思い(大人の歌い方じゃなかった)、年齢が気になったので調べてみたら、小学生3人組だった。予想を上回る展開www

どうでもいいけど、ボーカロイドはあくまで道具であるべきだと思う。初音ミク名義のアルバムなんて、考えれば考えるほどどうかしてる。注目されるべきは作曲者だと思う。
まあ、国が外国に向けて『これが我が国で生まれたバーチャルアイドル』です、と喧伝してるぐらいからもう手遅れかも知れないけど。
テライユキを黒歴史にするなー

2009年4月5日日曜日

細マッチョ

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鞄の中に本を入れるのを忘れてしまったため、移動中の電車の中では吊り革を眺める作業に没頭するしかなかった。
そこで少しオモローと思ったのは吊り革の動き。
以下、文系人間の低レベルの戯言につき、理系の人は嘲笑の準備を。

1:電車が動き出したとき、吊り革は後尾車両の方に傾く。
2:電車の速度が一定になると吊り革は真っ直ぐ下を向く。
3:駅に停車するために電車が減速を始めると、吊り革は先頭車両の方に傾く。
4:停車すると吊り革は真っ直ぐ下を向く。

1と3は加速度運動。2と4は等速度運動。
経験的に、加速を始めた時はそれとは逆の向きに重力のようなものを感じるのは理解出来るんだが、それが加速から等速になった時になくなるのが、文系脳の僕にはよくわからないわけだ。

これが、加速運動に対してのみ抵抗力を発揮するヒッグス粒子ってやつなの?

ゴリマッチョ

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桜はほぼ満開だった。
会社の花見ってほんと仕事みたいなもんだよなって言うことを実感した…むしろ接待に近い感じ?
プロジェクト管理の体制がまだ整ってないのに花見の場所取りで貴重な半日を費やすなんて…仕事が火の車になっちゃうぜウゴゴゴゴゴ

昨日、朝起きるとPCから耳鳴りのようなキーンと言う音が発せられていた。
電源のスイッチを入れても反応なし。
電源ケーブルを抜くと音は止む。電気系統に異常があるのだろうか?パーツに異常があるなら、電源が入った後に何か異音などの異常が見られるはずだ。
と言う予測を立てて、朝のコーヒーを飲みながら電源ユニットを外す。各パーツについているケーブルも全て抜き、電源ユニットだけ独立させる形で、改めて電源ケーブルをつけてみた。すると耳鳴りみたいな音が鳴った。
ビンゴ!電源ユニットの異常だった。4~5年前ぐらいに、ケースと一緒に買った安物の電源ユニットなので、そろそろ寿命だったんだろう。

電源ユニットだけ買い換えればPCは復活するので、一応近所の自作パーツショップに行ってみた。
が、やはり堺市のパーツショップは日本橋のように充実していない。電源ユニットは置いていて、それは確かに全て定価通りで特にこの店だけ高いというわけではないのだが、性能の良いようなやつしか置いていないから全体的に値段が高い!もっとこう4~5000円ぐらいの安いやつを置いてくれと。チェーン店の一営業所に過ぎないから利益率の高いやつを置こうとしてるのかなあと邪推してしまう。僕は静かに店に背を向けた。

面倒くさいけど日本橋まで買いに行こう…

2009年4月2日木曜日

KeyHoleTV終了のお知らせ

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KeyHoleTVで著作権侵害が報告されました。

ちょwww
前に僕が当ブログで取り上げたKeyHoleTVが、早速問題にwwww
こうなることは誰の目から見ても明らかだったが、それにしても1ヶ月も持たなかったか…。
まあ似たようなソフトは他にもあると思うし、キリがない気がするけどね。
僕みたいな普通人が知れるぐらい広まった時点で終わってたとも言えるし。

あーしかし会社の花見より友人たちとの花見に行きたかった。

2009年4月1日水曜日

3K4万D7MON

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4月1日の年度始めを以て行われるリストラ宣告なんて、かみのけ座星雲に住む人にとっても、熱水噴出口に住む白いエビにとっても、エイプリルフールのジョーク以外には解釈しようがないわけだけど、現実はなかなかどうして無常だった。

まるで氷から水へと緩やかに変わるように、入社からちょうど一年目にして、僕は有職者から無職へと転移した。

サーバーの定期チェックをしていた僕へ行われた突然の宣告は、僕の顎と頭蓋骨の接合部を乖離するには十分な威力を持っていた。
同時に、猫に追われたネズミのような無力感が僕を襲い、その比喩の通例通りに窮鼠となるべく、プログラムにイースターエッグを加え、さあ後はビルドするだけと言うところで、上長が僕からIDカードを取り上げたものだから、僕は怒り狂ってキーボードを机にたたき付けた。
その振動が波動関数的に真向かいにいる社員に伝わり、社員の肩が脱臼した。肩が脱臼した音を聞いて、隣の社員の鼓膜が逃げ出し、それをゴキブリだと勘違いした女子社員が、バルサンと間違えてマグネシウム合金に火をつけるものだから、フロアの一部がとても高温になった。

事態を重く見た僕は、キーボードのWキーだけを胸ポケットに入れて、今後使用者が笑えないようにした後、私物を焼却炉に放り込んだ。口を開けた焼却炉は僕に何か言いたそうで、つい、仕事をしているよりは焼却炉と話をしているほうが建設的なのではないかと思ったが、宗教に反する思考だったので頭から薙ぎ払った。

駅へと向かう途中、母親と近くのスーパーに買い物に来たらしい小さな女の子が僕を指差し、「ママ、あの人も春休みなの?」と質問していたから、母親の口をゼムクリップで閉じた後、僕は出来る限り優しい口調で「長い春休みさ」と言った。女の子は「そう、私は春休みを利用して買い物をしてるの」と発言したので、長期休暇を利用しないと近所のスーパーにも来れないぐらい不自由な生活なんだな、と想像して泣いた。ゼムクリップも泣いていた。遠くを見るとパトランプが光り始めていた。

駅に着いて定期券を改札に差し込むと、改札機からWindowsMeの起動音が聞こえた。何が起こったのかと駅員に尋ねてみると、「今起動しましたね」と答えたので「再起動の間違いじゃなく?」と質問した。返答は得られることなく、僕は別の改札を通らされた。
駅のホームで電車を待っていると、通過・通過・回送・通過・通過・回送…と言う順番で目の前をいくつもの電車が通り過ぎていった。あまりに規則正しいので、この駅に止まる余地はないと判断した。確認すると、ダイヤ表は真っ白だった。
駅員の存在価値が疑わしくなってきたので、それとなく業務を尋ねてみると「販売業務ですよ」と言われたので、試しに一本買ってみた。
コーラの空き缶にケータイのアンテナが生えたそれは、いまひとつ使い方がわからなかった。缶にペプシを注いでみるとブザーが鳴ったので、もしやと思ってアンバサを注いでみた。底からスーパーひとしくんのセロバージョンが出てきたので、帽子についていたボタンを押下すると、人口音声らしき声が聞こえてきた。

「上記に本当の出来事は含まれていません」