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2007年1月30日火曜日

ぐちぐち

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あーもう畜生め。
僕の管理責任だとか言われそうだが、やる気のない人間のやる気をコントロールするのはマネジメントじゃない。それはカウンセリングって言うんだ。
無気力だとか無能だとかは個人の問題であって周囲の問題ではない。もちろん、環境にある程度依存することは認める。一つの窓のない部屋の中で黙々と作業し続けることが良い環境かといえば決してそうは言わない。
だが、その反面自由は与えられている。それは、与えられた自由を行使出来ない僕らが悪いのであって、環境の所為にするのはお門違いと言うものであって、責任のなすりつけも成り立たない。
大体それなら、その自称「劣悪」な環境下でもまだやる気がある僕はどう説明するんだ。
『特別』か?都合の良い言葉だな。
それに、些かの報酬すら貰っていず、むしろ社員さんからは形とは言え労いの言葉すら貰っているのだから、諾々と受け入れる他ないのだ。
「金を貰っていないから」なんてのは遁辞に過ぎないし、大体そんなこと言うやつは金を貰っても意欲が沸く以前に義務感に疲弊してたいした仕事はしない。したとしても良い仕事では決してない。
それはとどのつまり『自主性』ってものに尽きるのだが、それを磨くのがインターンシップってやつだろう。
チームで行ってるからってリーダー責任を暗黙のうちに了解されても困る。
だから今日、僕は突然やる気を失くした風を装ってみた。すると、「急に無責任になられても困る」みたいな表情をされたが別に批判も糾弾もなく、むしろ「それならオレも何もしない」みたいな態度でキーボードを打つ音すら聞こえなくなるほどだった。
偉そうなことを言いつつも、僕自身、自分に欠点が多いとわかってもいるし、一番自分に腹が立つのは、そういう愚痴を吐くことは出来ても、学校の体面、会社に対しての面目等を考えてしまって、本人たちに何も言うことが出来ないことだ。それに、無能だの無気力だの罵っているが、そんなのは主観的なものであり、自分を基準に据えたものなので、特に僕なんかが言う資格なんてないとも思う。僕だって別の人から見たら無能かつ無気力だと捉えられるかも知れないし、逆に彼らの立場からしても、僕を基準に一般論を語って欲しくないとも思っているかも知れない。良い意味でも悪い意味でも捉えられるから、慎重に行くべきだとはわかっているのだが、それでも、なんとなく近々キツく言ってしまいそうな気がする。僕だって人間だ。我慢の限界ってやつもある。だが一応自制せねば…。言葉の暴力は誰よりわかってる。人と接するときは言葉は選ばねばならないことも。

2007年1月29日月曜日

『傷つくことが怖いかね?失うことが怖いかね?信じることが怖いかね?だからこそ私は、そんな君の、話し相手になりたい』

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何処ぞのサイトで目にしたのだが、オープンソース化が進み、各種ライブラリが豊富にある現在、わざわざ自分で一から組む労よりも、活用することに力を注ぐことのほうが生産的であり効率的であり建設的だと言う論は確かに正しいが、それではプログラムに対する根本的な理解をしたことにはならないから注意が必要である、みたいなことを言っていたが、まさにその通りだと思った。
高確率でプログラマからスタートし、まあ少なくともプログラムとは長い付き合いになるであろう僕からも言うと、既存のものを一から作ってみる価値と言うのは、実質的にそこに尽きる。HPを持ちたいならHTMLを覚えなくても今じゃ様々なツールやブログなんてのがあるし、ソフトウェアも簡易的に作るものであればウィザード形式のものがゴロゴロ転がっている。
だが、だからと言ってHTMLを覚えるのが無駄なのかといえばそんなわけはない。卑近な例で言うと自分風にHPをカスタマイズしてみたいだとか言う願望を持つかも知れないし。
それは昨今の教育批判の風潮にも相似するものがあるのだけど、と言うより普遍的な問題である「勉強がいったいなんの役に立つんだ?」と言う問いに対する答えの一つでもある。「因数分解が社会の役に立つのか?」と言う問いは、「PCがあるのに算数なんて要らないんじゃないか」って言う極端な例とほぼ同レベルであると言うことだ。これを子供に説明するときには、もっと簡単な例を持ち出すべきだが。
結果は手段を正当化する。
成人して尚、学校教育の批判以前に、勉強に対する無意味さを説いているやつは論外だが、義務が義務として成立してしまう理由を考えれば勉強が何故子供に対する義務になっているのかは考えるまでもなく自明だろう。んで、「勉強なんていらねえよ」って言ってる人の大半は、消費税を払うことに何の異議も唱えないのだろう。
「PCがあるのに算数なんて要らないんじゃないか」って言う極論は、すなわち、算数その他の学問が昇華して出来たPCと言う産物を肯定しながらも否定していることになる。原理的に見るとある種のパラドックスだな。人に伝えるのに最も適した言葉を選ぶならば、「僕らが便利だと思って当たり前のように使っているものは全て誰かの勉強の賜物なんだ」ってことだ。結局のところそれに尽きるし、これほど説得力のある言葉もないと僕は思っている。
「便利だなあ」と思って使っているものは、そうあるべくしてあるわけじゃなく、誰かが、使う人が便利だと思うように配慮して作られたものに他ならない。こういう論理はあらゆるところで通用すると同時に、この視点を失くしてしまうと本当に非生産的な人間になりおおせてしまう。

話は戻って、最終的にはプログラムを極めるよりかは情報そのものを扱う仕事をしたいと考えている僕からすれば、大事なのはどのライブラリが最も有用で、どのライブラリが最も汎用性が高く、等々と言ったことであり、どういう理屈で動いていて、だとか、どう使えばいいか、だとか言う問題は僕にとって全て瑣末なものだ。要するに、そのライブラリがあることで誰がどういう影響を受けて、何がどう変化するか、と言うことに僕の主眼は置かれるわけで、つまりはそうした視点を活用する仕事を切り開きたいと思うわけだけれど、そういう比較考察の対象に入るライブラリが全て外国のものであったりと、技術的鎖国を元気に突っ走ってる雰囲気のある祖国日本にはそういう余裕はあるのかなあと思う次第でした。

2007年1月28日日曜日

Here at last!!

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ええと、いつだっけ、もう忘れたけど5月だか6月だか7月だかに始めてコツコツ進めていたヲタななじみのP嬢との桃鉄西日本編99年が、ようやく終焉を迎えた。
なんか妙に達成感があるぜよ…!!

昼食を挟んでマリカーとかピクロスとかハルヒ鑑賞とかして、14時半ぐらいに萌え単3片手にこたつでぬくぬくと桃鉄の続きを開始。
そっから23時前までぶっ通しでやって終わらせたwwwゲーヲタ乙。



17時頃の悲劇。「?」マークに止まったら、僕の秘書が地域住民に全財産を寄付してしまった。独断で!!許可取れよ!!悪意がない分ある意味銀次よりタチが悪い!!
せっかく膠着状態だったのに、これでP嬢にかなりの差をつけられてプギャーされて、これ巻き返し不可能じゃないのか…と思って不貞腐れているところに、銀次と言う名の、神が舞い降りた。
P嬢は2兆ほど失い、これで先程の差と合わせて僕が数千億有利な立場に立ち返った。

しかしこのゲーム、持ち金が1兆を超えだすと、数千億の差が小さくも見えるのだがどうにも出来なくなる。物件を買いあさっても、どんな臨時収入を得ようとも、せいぜい一年間で巻き返せるのは1千億が限度。キングボンビーの攻撃をモロに食らっても、被害が3千億に届くかどうかと言うところなのだ。畢竟、勝敗を左右するのは銀次と言うことになる。あと「?」マーク駅。
カレーを食べながら苺ましまろを鑑賞し、バトル再開。茉莉たんは何でこんなに可愛いんだろうか。
最初は今日中に全部終わらせる予定だったのだが、なんか思ったより進むのに時間がかかって、今日中に終わらすの無理じゃね?的な雰囲気だったが、90年を超えたあたりから、むしろ終わらせないと中途半端だった。

銀次やらなにやら色々な不遇が重なり、さらに僕の持ち金が2倍になったところで戦意を喪失していたP嬢に、僕ももう少しスリルを味わいたい気分だったので、入手した『たいらのまさカード』を献上した。



P嬢の秘書は何を言ってるんだ。ぶっ転がすぞ。

『たいらのまさカード』を使用して、全員の持ち金が一律4兆円になったのが、98年の秋。総資産額では僕が3000億ほど優勢だった。
つまり、あと1年ちょい、僕は逃げ切らないといけないわけで、それは結構シビアな戦いになるんじゃないのかとUKIUKIしていたが、その3000億ほどの差を埋めるのが如何に難しいかと言うことがわかったwwありゃ無理だ。僕が銀次にでもスラれない限りは。


カクカクシカジカでエンディングを迎えた。

勝った…!(ノリス風に)

下が最終的な総資産グラフ。画像は98年だけど。



『たいらのまさカード』を使ったときのジェバンアナ(CPU)の伸び率が面白いことになっていた。ほとんど直角伸び杉ワロタwww


P嬢のスリの銀次回数が半端じゃない!!エンディングで、なんか起こったことをダイジェストで流してくれるのがあったんだけど、そこに登場する「ぬ~ん夫人、スリの銀次に○○億円スラれる」みたいな表記が年数を追うごとに額が巨大になっていって最終的に2兆スラれるとか言う憂き目にw
年の初めに、「今年は銀次の年です!社長の皆さん注意してください!」って言われたときに、
僕:「おいおい、これは注意せにゃならんよな」
P嬢:「そうよな。確か銀次が出るのって赤か青か黄のマスだけじゃまいか?」
僕:「だったかな。まあ今年は基本駅に止まるようにしないと…」
P嬢:「うむ。あ、カード売り場でぶっ飛びカード買っておくお」
(銀次中)
P嬢:「orz」
伝説的な流れだ。

ジェバンアナは、まあ1年目から99年目まで、つまり徹頭徹尾してキングぼんびーをほぼ一手に引き受けていたわけだから、当然ぶっちぎりである。
ぶっちぎりって言うかこれカンストしてるっぽくね?99でとどまるはずがないんだが…。でもその上の方は3桁ちゃんと行ってるしなあ。どういうことだ。まあジェバンニだしどうでもいいけど。

ってわけで、次は全国編を始めることにした。今回はCPU弱いのが1人だけだったのだが、今度はCPUを強くして2人に増やし、それでやってみようという話になった。戦略が必要になってくるぜ…!!
とにかくあれだ、ブックマークカードは便利が良すぎるってことだ。

2007年1月26日金曜日

『だからどうだというのだ。莫迦と勇者は命の値段が違う。君の値段は?僕のはどうだ?孤立し、今も戦闘を続けている者のは?救える負傷者を捨てていく者のは?その程度の勘定は誰にでも出来るはずだ。違うか?』

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こりゃ駄目だ僕は無能だ死んだほうがマシだorz

と思っていた某会社の筆記試験に何故か合格しておった。いくら採用枠が多いとは言え、ちょっと驚きだ。僕で受かってんだったら全員合格になってんじゃねーの?って感じ。
まあ、お次は面接。いつになるんかなあ。早いほうがいいよな。迅速に越したことはないし。
グループディスカッションとかありそうだけど、そういうの結構自信あるしな…w
一番問題だと思っていた筆記試験に合格出来ていて、なんか自信ついたかも知れない。
いいのかなあ。業界老舗で6000人超の大企業なのに。

『許しは請わない。だが、後悔だけはさせない』

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ゆとり教育見直しに異論続出=「知識より人間力向上を」-与党

もう僕がいうまでもないことだけれど、人間力なんていう抽象的で定義すらあやふやなものを高めることが知識を得ることより大事だなんて、それって精神論に近いよなって思う。たまたまそういうモラルのない人が増えてきたと感じる人が多くなって、それの煽りを受けて、さらに従来の教育を見直すって言う二兎を得るような発言をするとこうなっちゃう。
実際問題、想像や創造が0からの産物ではなくて既存のものからのインスピレーションが9割以上を占めるということを考えても、ていうか別にそこだけに頓着しなくても、「先ず知識ありき」ってのはちょっと頭の良い人だったらわかると思う。ニワトリとタマゴの話じゃないけど、好奇心が知識を喚起するのか、知識が好奇心を刺激するのかといえば、幼少の頃は前者で通るが、理性の芽生える小学校高学年以上になると完全に後者だ。そして現況の教育批判は幼少を対象にしていない。
と言うか詰め込み教育→知識偏重主義の弊害→じゃあ知識じゃなくせ、って言う腐った三段論法が非常に気に入らない。そういう問題じゃないだろと。制度の問題じゃなくて構造や風潮の問題だと思うわけだよ。時代が違う、といえば話が早いのかな。横並びの教育は先進国に求められるものじゃないってこと。
少し前に読解力が落ちてきているだとか言うデータがあったけど、あれは別に知識偏重教育の所為ではなくて、単なる習慣の問題だ。「はじめは人が習慣を作るが、後になれば習慣が人を作る」だよ。
それにしても、雑誌に書いてたがどうやら小学校での英語教育の義務化が本格化してきたそうだな。
今度の選挙の争点は「教育」と「労働」にあるのかな(教育基本法はこないだ改正されたけど)。おやおや、こいつは憲法で定められた国民の三大義務のうち二つに関することじゃないか。まったく激動を感じさせてくれるね。


たとえばこいつはシビアな問題なのだけれど、「平等な教育」と言うのは、万人に一律の教育を施すことなのだろうか?
あるいは、能力の差を慮って、その能力に見合った教育を個別に施すことなのだろうか?

2007年1月24日水曜日

『戦争と平和にどんな違いがあると言うの?違うのは一つじゃなくって?』『確かに。しかし普段ならば傷つけただけで罪に問われるような高級品が特化大廉売されるというのは、よほどの大違いである、と僕はそう判断いたします』

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PS3システムソフトウェアVer.1.50にアップデート――「Edy」での入金に対応

くるとこまで来たなあって感じ。
しかしそれはまだ始まりに過ぎなかったのである…(謎


SII、ダウンロードした英語小説や辞書などを利用できる電子辞書を発表

なんでUSB1.1なんだろう


エンジニアのやる気は報酬だけじゃ維持できない

非常にわかりやすい構造的問題。悪者がいないのに憂き目を見る人がいるという好例。
1つの解は、前述の「多くのエンジニアは、ほかに技術的興味や、メンバーとの親愛の情、あるいは顧客や仲間の評価などをモチベーションの源泉にしている場合が多いようです」ではないかと考えています。

ここで少しゲンナリ。結局精神論かよ、と。それが思いつく唯一の解であり、この構造的な問題が「仕方のないこと」であるなら、時間と金銭を引き換えに仕事をしている人を半分以上否定していることになる。やる気は大事だが、結局それを盾にされると「見合わない報酬」が正当化されることになる。よく言われることだけど、日本には正当な評価システムが存在しない。今まで年功序列だったから。欧米の評価システムは取り入れられないそうだ。文化の違いがとても大きいから。
てわけで、しばらくは迷走確定ってわけだ。


教員免許「国家試験」化を検討課題に

大変だな。でも質の高い教員が出来ると良いね。
質と量のバランスを慮ってのことだろうけど、実際に導入されるとなると『虻蜂取らず』って叫ばれるんだろうな。
教育改革の折り返し地点となるか、はたまた対症療法的な改悪に終わる結果になるか…。


電通とエンターブレイン、「オンラインゲームに関する意識調査」結果を発表

一番上の記事とちょっぴり関係してるけど。もう何事につけオンライン化は避けて通れないな。

電子政府がなんだの叫ばれて五月蝿いが、自治体レベルから導入してみたらいいのに。ていうか、電子マネーが何かの理由で爆発的に普及するようになれば、実質的に電子的に人間を囲うことも不可能じゃなくなるな。

Firefoxの時代だ

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zoteroを導入してみた。
これは…良いな。見ているページのスナップショットや、ブックマークとは似て非なるタグ付けによる参考URL管理が最高だ。
ブックマークはいわゆる『お気に入りURL』を保存するものだが、これは一時的な情報参考場としてのURLを保存するものなので、似ているようで意味合いが大きく違う。
物品、例えばCDやDVD、書籍やテレビ放送等々、様々なカテゴリに分かれたアイテムをアイテムとして参考程度にとどめておくことが出来る。
また、amazonとも連携していて、何かを参考しているときにアドレスバーに出るアイコンをクリックすると、その品物に対する情報がアイテムとしてクリップされる。

便利だなあ。でもノートPCにも同じ情報をクリップしておきたいんだけど、その辺はさすがに無理なのかな。WEB上で共有できれば便利なんだけど。
ていうかもうIEもスレイプニルも使わないな。FirefoxのExtensionが最高すぎる。動作が軽快だし。

2007年1月23日火曜日

この携帯使い始めて何気にもう2年以上経つんだよな

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聞けば聞くほど、ヤバイぐらいのスルメアルバムだということがわかる。
特に、Tr.1の『朝の夜の物語』のソロ前のフランス語の部分は脳汁が垂れる。涙がでひゃううぅぅぅぅぅぅ。
あと、Tr.6の『緋色の風車』の世界観が一番好きかも知れない。
廻る回る《緋色の風車》(Moulin Rouge)綺麗な花を咲かせて
躍る踊る《血色の風車》(Moulin Rouge)綺麗な花を散らせて

小さな掌に乗せた硝子(ガラス)細工
其の宝石を『幸福』(しあわせ)と謳うならば
其の夜の蛮行は時代にどんな爪痕を遺し
彼等にはどんな傷痕を残したのか
運命に翻弄される弱者の立場に嘆いた少年は
やがて『力』を欲するだろう
其れは強大な力から身を守る為の『楯』か?
其れとも より強大な力でそれをも平らげる『剣』か?

何が起こったのか 良く解らなかった
泣き叫ぶ狂乱(Lune)の和音(Harmonie) 灼けた屍肉(にく)の風味(Saveur)
何が襲ったのか 良く解らなかったけど
唯ひとつ 此処に居ては 危ないと判った
僕は一番大切な《宝物》(もの)を
持って逃げようと → 君の手を掴んだ

嗚呼…訳も解らず息を切らせて走っていた二人
欲望が溢れだすままに暴れて奴等は追い掛けてくる

( 「はっ」 「はっ」 )

星屑を辿るように森へ至る
闇に潜んだままで訳も解らず息を殺して震えていた二人
絶望が溢れだすことを怖れて強く抱き合っていた――

不意に君の肢体(からだ)が宙に浮かんだ

(「あああ…」)

怯え縋るような瞳(め)が ← 逃げ出した僕の背中に灼きついた

(「にげて、あ…」)

狂おしい《季節》(とき)を経て…少年の《時》は流転する
廻る回る《緋色の風車》(Moulin Rouge)灼けつく《刻》(とき)を送って
躍る踊る《血色の風車》(Moulin Rouge)凍える《瞬間》(とき)を迎えて

嗚呼…もし生まれ変わったら 小さな花を咲かせよう
ごめんね…次は逃げずに 君の傍で共に散ろう

(Moulin Rouge)

(其処にロマンは在るのかしら?)

『次は逃げずに 君の傍で共に散ろう』
こういう言い回し大好きだ。
なんかオレンジレンジの『花』でも似たような歌詞があったが、あれは確か『君の傍で咲きたい』とかそんな肯定的な歌詞だった。
しかし、これは『君の傍で共に散ろう』だ。もうこの微妙なニュアンスがたまらんね。
草野さんがこういうニュアンス出すのすごい得意なんだけど、それに通じるものがある。一筋縄じゃないような、そんなちょっとひねくれた歌詞が僕は好きなのだ。

+++

携帯の電池が段々持たなくなってきたので、そろそろ機種変更をしようと考えている。
でも、今使っているPreminiⅡは僕の中で最高傑作に分類されるほど洗練されたデザインを誇る携帯なので、そう簡単に手放したくはなかった。
少なくとも、これに勝るとも劣らない程度のデザインを持つ携帯に買い換えることは必須だと思えた。
そして、先程アホみたいな顔面をして何気なくDoCoMoのサイトを見ていたら、2月発売のD703iが僕の心にクリーンヒットした。
見事にスティックタイプ。飾らず、小さく、そして最も薄い。
機能的に少し問題がありそうだが、そんなことはどうでもいい。モバイルはデザインが大事なのだ。
よって、3ヶ月以内に機種変をするときには絶対にこの携帯にする。
現在のPreminiⅡは生産台数が少ない上にかなり人気だったために何処でも品薄状態で、姉と一緒に7~8店舗回った記憶があるので、今度もしっかりと店を回って在庫状況を確認しておくことにしよう。
出来るならば、フルブラウザがついていたほうが嬉しいのだが、まあDoCoMoだしあんまり望めない。
スケジュールとかToDoとかって、もう全部リマインダ付きのWEBサービスとかウィジェットを使って共有したりしてるから、携帯のメモ機能とか全然使わんのよな。まあメールと電話さえ出来ればいいんですけど。あと、メールは最大文字数がたっぷりあってほしい。500文字ごとに切れる仕様はもうやめてほしい。

2007年1月22日月曜日

圧倒的じゃないか我が軍は、とか言いたい

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スタクラとか戦国ランスとかしてて思うんだけど、僕は対人戦には結構ギリギリのキワドイ戦いを好むにも関わらず、それがこと対CPU戦になるとそんなギリギリの戦いをすることは恥だと考えるようになる。
昨晩Eとスタクラをしたのだが、島マップで、それはもう通常の地上戦に比べると相当難しい。
島は地上とは違って、ハッキリと領土ってのがあるから、守るにしてもそのわかりやすい境界線を守ればいいだけだし、逆にだからこそ攻める側はやりにくい。「そこを突破しないと」って言う考えしか抱けなくなるから。また、島が篭城戦に向いてるのは周知の通り。島である以上、そこに攻めうる方策は自然、3つほどに絞られる。

1:遠距離対岸攻撃
2:輸送上陸攻撃
3:空爆

1のメリットは、こちらが一方的に攻撃出来るということである。デメリットは、それだけでは勝利をもぎ取れない。つまり、その後の攻撃への「つなぎ」と言う位置づけに他ならないというところだろう。
2のメリットは、生きる前提があり、それはつまり、我軍の兵力が彼軍の兵力より上回らねばならない、ということだ。その前提があれば、輸送さえ成功すれば勝利に直結するという単純な結論に至る。が、2はデメリットやリスクがべらぼーに高い。先ず、輸送が成功するかどうかと言うところである。対輸送の策を練られていれば、その作戦は惨事を迎える結果以外を導けるわけがなくなる。スターリングランド戦線の被害を見れば一目瞭然である。次に、輸送はある単位に分けて通常行われるものであるため、輸送直後の兵力と言うのは、通常行動する隊と比べて少ない可能性が高い。現象的に見れば輸送と言うのは逐次投入に他ならない。大量の輸送を同時に完了できることが難解を極める以上、上陸したと同時に狙い撃ちにされることはほぼ覚悟せねばならず、それ故に我軍の兵力は彼軍の兵力を質量共に圧倒しておかなくてはならないという結論になる。
3のメリットは、少ない被害で最大の戦果を挙げられるというところだろうか。空には境界がない。あるのは地からの迎撃だけである。それを超えることが出来れば、それこそ本陣の重要陣地を好きなだけ蹂躙することが出来る。スタクラでは、固定砲台と言うものがあり、それがいわば対空砲台となるわけだが、これを超えられるとたまったものではない。

諸々の条件を全て互いに把握しているものだとすれば、勝利を左右する唯一の要因と言うのは「読み」に尽きる。相手がどの条件をどう生かして、どのリスクを負って行動するのか。それを裏付ける行為が偵察である。相手の行動が読める以上に、勝利により近いものは存在しない。だから対CPU戦は面白くないのだ。こっちの動きに合わせて行動を変えてくるのがわかっている、つまりこちらが一方的に条件を与えたり奪ったり出来るためだ。所詮はプログラムと言うべきか。スタクラだけでなくても、CPUの動きはほぼ全て読めるので対CPUに対しては圧倒的に勝って当然、と言う頭があるのだ。

だから僕は読み合いに頭を使う対人戦が好きだ。

『其処に浪漫はあるのかしら』

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茶汰君からこの漫画の概要を聞いて興味が沸いたので購入。
舞台は、謎の魔物が突然発生し、人類が窮地に瀕しているというガンパレっぽいもの。
人類の対魔物兵器として開発された特殊能力を持った人が、主人公の少年と少女なのだが、少女は笑顔を向けることで能力が発動し、対象を破壊する。逆に言うと、笑顔を向けた相手は有機物であろうと無機物であろうと破壊してしまうので、魔物以外には基本的には笑顔を向けることが出来ない。
と言う設定で、特殊能力を持った二人は世界を救うことが出来るのか!?みたいな話なのだが、読み終わってから、短編にしておくのが勿体無いと思った。この設定だったら6~7巻ぐらいはマンネリせずにいけそうなのに…。実に惜しい。まあ短編と言うこともあって普通にサックリ読めて面白いのでお勧め。

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学費納入すてきた。おかげで預金は空っぽさ。ハハハ。
しかし、これで学費と言う大きな肩の荷が下りたわけだ。せいせいした。実際のところ、こうしてみるとなんか金の管理に関して自信が出てきたなあ。さて、次の目標は……

2007年1月15日月曜日

『人は過誤から決して逃れられない。過てば義務の不履行を糾弾され、名誉にもとると非難される。』

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ポータル各社、「口コミ型」へ変身急ぐ――ミクシィに対抗

大手は大変だなあ。でもmixiが急成長と言うのは僕としては違和感。むしろもう頭打ちの段階に入ってきていると思うんだけどね。
一方向型情報提供から双方向情報提供・双方向交流へとほんの5年ぐらいの間にWEB2.0って言う言葉が台頭するほどの進化を遂げたわけだが、じゃあ次は何なのかって言うと、僕はリアルへの介入じゃないかと思っている。ああ、いや、この言い方には語弊があるな。ネットとリアルの境目を意識させない、と言うところかな。現在はまだまだ厳として『世界』としての違いがある。ネットを、リアルへ繋ぐ道具とするのか、リアルを扱う道具とするのか、はっきりしないことには境目はくっきり残るままだ。
インターネットユーザが、それもネットリテラシーのそこまで高くない人ほどリアルでの付き合いを求めることに貪欲と言うところ(こういうのは何だが、ネットトラブルの大半は不可抗力以上に自己責任で終わることの出来るものが多い。慢心。勘違い。)に付け込む企業は、次に『場』を提供し始める。双方向交流がここまで当たり前となってるのを安々と見逃す手もない。むしろもっと安全な形での交流を提供しようと言うのはある種必然。先ず現状を鑑みると、交流が始まってしまえばそこからは完全にユーザ任せ。オフで会おうが会うまいがユーザの自由。それがメリットになる場合ももちろんあるし、それを悪用したものがあるのもまた事実。じゃあ、そのデメリットが大きいからと言う理由が交流の妨げになっているという面もあると言うならば、そこに安全性を提供しようとする企業が現れても不思議じゃない。『社会貢献』と言う意味合いからしても、例えばとある地域、とある地方、そういう地理レベルでの結びつきを促進することは決して外聞は悪くない。しかし現状ではそれは完全にユーザ任せなので常に危険が付き纏う。『公式オフ』のような形にするしか今は道はない、と言うのもネットユーザ同士のコミュニケートが基本的にネットである以上は、それしかないのだ。…具体案もあるにはあるが、僕の中でまだ熟成されていないので言うに憚る。ぶっちゃけ言うと、出会い系サイトとの違いをはっきりさせないといけないということが問題だ。極言すると、出会い系サイトから非合法性を除去して理論武装すれば、それに勝る普遍的ビジネスなんてねーよなって思う。風俗ってのは現在じゃほとんどの人のモラルに反するけど、あれほど歴史ある必要不可欠な職業も珍しいからな。風俗を完全に取り締まって滅びた国もあったような気がするし。必要悪と言うならあれこそ必要悪だ。まあ別に悪じゃないけど。
話逸れそう。要するに、WEB3.0なんてものがあるとしたら、それこそネットワークとリアルの境界を限りなく薄くするインターフェイスじゃないのかと思う。行っちゃいけない過ちは、現状のビジネスをネットに置き換えれば、それが新ビジネスだと思うことだ。そんなことはもうインターネット黎明期に終わったんだ。
でもあれだな、WEB系エンジニアと言う道を選んだのは間違いではなかったと思える。5年ほど前まで、静的コンテンツ時代のWEBエンジニアと言うのはそれこそHPを作るだけの存在だったけど、今は違う。HPを作る以上に『仕組み』を作ることが出来る。それも、社会現象を巻き起こせるだけの仕組みをだ。これほど想像力を掻き立てられることもない。

2007年1月14日日曜日

『ほう、表現の自由は、思想の自由よりもテリトリーが狭いというわけですな。さて、自由民主同盟の自由とはどちらに由来するのですかな』

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大河ラノベ第一巻、『刀語 絶刀・鉋』読了。ボリュームが230P程度だったので2時間くらいでサクッと読めた。
相変わらず設定が魅力的だなあと思いつつも、時間がないのかどうかはわからないけど非常にラノベラノベしてるところがちょっと勿体無いと思ったり。まあ西尾維新はあの人自体そういう人だから、惜しむところでもないけど。
ていうか竹さんのイラストが非常に微妙になってきたんですが…『ネコソギラジカル』あたりからおかしくなってきたぞ。

『敗北の結果として到来する平和より、勝利の結果として掴み取る平和の方が、自分の希望がより多く叶えられるだろうと”期待”出来るからであった。つまりは、人間とは即物的であると同時に功利性を重んじる動物に他ならない』

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iPhoneが日本で発売されない理由 -閉鎖的携帯電話市場「日本」とGSM

この大変面白い記事を読んで、僕は真っ先に『鎖国』を連想した。技術的鎖国とでも言おうか。各携帯キャリアが意識しているしていないに関わらず、シェアと利益を確保することだけに捉われて、技術的・機能的には成熟したものが生まれたには違いないが、こと『拡張性』『汎用性』と言うことになると非常に薄っぺらい感じがする。市場調査をして、イニシャルコスト・ランニングコストを算出、最終的な利益が見込めるかどうかで新技術導入に踏み切ってるようなイメージがある。DoCoMoが二番煎じだといわれているのは単に『後の先』を取り、シェア的にもまだトップでい続けられる自信があるからなのだろうか。僕は、日本国内の携帯会社の現在の勢力図には、本当に鎖国的なものを感じる。

関連して、僕と同様に鎖国イメージを持った人のとあるブログに以下のような面白いリストがあったので紹介しておく。

  1. 宣教師ゲイツ来訪

  2. 鎖国強化(MSのCodecを使わないなど)

  3. 産業革命を知らずに過ごす

  4. 黒船来航(1回目 iPOD)

  5. 黒船来航(2回目 iPhone) ←いまここ

  6. 開国調印

  7. 大政奉還

  8. 武士失業


ここでは、鎖国をぶち壊す黒船としてAppleを槍玉に挙げている。
が、Appleはただ再開発を行うだけ。ただ、そのインパクトがとてつもないと言うことだ。
同日別地で開かれていたCESでの数々の次世代家電商品が、iPhone・iTVと言うたった二つの商品に話題を軒並攫われていることからも、この二つの商品が如何に桁外れなものかわかると思う。とある人は10日のことをこう言う。『世界の家電メーカーが力を合わせても、Apple一社に勝てなかった日』と。

iPhoneが日本で発売されるまで相当な時間がかかると読んでる人は多いが、その理由が通信規格の問題である、とそういうわけだが、単純に考えて道は二つある。
1:iPhoneが日本の通信規格に対応させた状態で上陸してくる
2:1の前に、日本のキャリアがiPhoneを模した携帯を発表する

2はなんか結構ありそうな話、と言うか実際にiPhoneが普及しだしたら、確実に各携帯会社は便乗しなくちゃいけない状況になるとは思うが、どうせならiPhoneが上陸する前にやっておいたほうが戦略的には上々だと僕は思うが、問題がある。OSだ。
iPhoneには、MacOSXが乗っている。これが、Appleのうまいところだと思う。MSとはまったく違うところでOSのシェアを奪還しようとしている。
日本の携帯会社はこの点をどう見るのか?国内で独自OSを400億程度で開発しようと言う国家プロジェクトがあったが、あんなのはシグマプロジェクト同様頓挫するに決まってる。大体オフラインOSを今さら開発したところでどうなるんだ。本当に何もわかってない。
Appleと提携して、既存の携帯にMacOSを載せるならばまだ賢明だと思う。が、なんとなく今の風潮からして、国内携帯企業が協賛して、『モバイルOS』なんて作らないとも限らない。Appleと対抗しようと言う意思表示に他ならないが、それに載せるのがLinuxならまだ良いが、これまた独自規格で作るなら、それはもう見限ったほうがよろしいな。

2007年1月13日土曜日

チョコラータの到着か!

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カエル殺すカビ日本上陸、流行すれば絶滅の危機も

これなんて『グリーン・デイ』?(※ジョジョネタ)

時代の価値観

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先日、僕と母と甥の3人で飯を食っていて、母が携帯の操作に関しての話をしてきたついでに、僕がiPhoneってやつが出てだな、と言う話をした。
僕は、iPhoneにはボタンがなくて、画面しかなくて、それで操作するんだ、ってことを言った(僕はこういう風に、あえて説明を少なくして想像力を見ることがたまにある)。
母はどういうことだという風に理解出来なかった。
僕は専門分野でないにしろ畑であることには違いないので割愛。
甥は「DSみたいにするん?」と想像した。ていうかDSはボタンあるんだが。まあでも大体あってる。ペンはないけどね、と僕は補足した。
母と甥の年齢差は約50。時代の価値観ってやつが如実に出ても不思議でない年齢だ。
母は戦後、いわば団塊の世代に生きた人である。僕はバブルがはじけた後の不況のときに学生時代を過ごし、現在の「実感なき好景気」時代に社会に出ようとする人間である。甥は教育論争が全国的に巻き起こり、少子化の煽りをモロに受けるであろう世代の人間だ。
まるで歴史小説の中の登場人物のように、こう俯瞰してみると、時代ってのが感じられて面白い。
僕は甥に、「英語だけはしっかり勉強しておけよ」と言うぐらいしかアドバイスが出来ないけれど。少なくとも、甥が小学校を卒業するまでには、週休完全2日制は撤回されてるだろうと予想する。お偉方が相当な国粋主義者でない限り、英語教育により力を入れるようになるだろうことも。また、中学校に上がったときにクラスに何人かは外国人がいるのが当たり前だというようなことになるというのもあながちフィクションの世界ではない。
中国に労働資本を移した大企業では、今までは日本語で指揮を執っていたのだが(採用される側の中国人の前提能力として『日本語理解』ってのがあった)、現在ではもう殆ど英語にシフトして行ってるらしい。理由は色々あってそれぞれが複雑に絡まっているけれど。
僕が最も注視すべき問題は、そういう、労働力の質量共の流動・変動だ。国内では正社員が減少し(これは不況の煽りを受けただけって見方もあるけど)、非正規社員の割合が多くなっている。労働資本は、安くて数が多くて質の高い中国やインドへ自然に流れる(インターネットの発展がそれを手助けしている)。中国・インドの総人口で世界の1/3ほどになるしな。
とまあ、こういうことを言うと、必ず「実際はそんなことないから」と反駁してくる人が何人かはいるのだが、僕から言うと「それはあなたの周囲での話でしょ」と言う感じだ。好景気だと数値でも示されてるにも関わらず実感がない、それの相似だということにそう言う人は気付かない。大体、本当に実際はそんなことがないんだったら、わざわざ社会問題として取り上げられもしない。まあ確かに、僕が上記で書いた「注視すべき問題」ってのは僕の主張や意見じゃなく「見方」に過ぎないけれどもね。とある中小企業で働いてる人にとって見れば、その「見方」は実生活に即さないわけだから一笑に付す価値があると言うわけだ。正しい間違ってるってのはその見方が違うだけであって、善悪二元的なものでもない。僕はその見方を支持する。他の人は別の見方を支持する。それでいいじゃないか。
専門学校の友人の多くは、「いいなあ、大学生は遊べて」と言う見方をしている人が多い。この見方は面白いと僕は思う。専門学校生には大きく分けて以下のタイプがある。
1:大学生になっている友人がいない
2:大学生になっている友人はいるが文系だけである
3:大学生になっている友人はいるが理系だけである
4:自身も過去に文系の大学生だったことがある(僕がこれに当てはまる)
5:自身も過去に理系の大学生だったことがある
厳密に分ければ、大学のランク等も関わってくるがこの際は無視する。
①の人の言うそれは、あくまで、大学にたいして持つイメージや理想に過ぎない。
②の人の言うそれは、あくまで、友人に聞いた話でしかない。
③の人の言うそれは、あくまで、友人に聞いた話でしかない。
④の人の言うそれは、あくまで、自身の体験談でしかない。
⑤の人の言うそれは、あくまで、自身の体験談でしかない。
②と③、④と⑤、それぞれの間にはちょっとした注釈が必要だと思う。
その前に先ず僕の解釈から言うと、理系は文系に比べて圧倒的に忙しいということだ。4年と言うタイムラインで観たときも、僕が周囲から聞く限り、文系と理系では学校に行く時間が、時間軸が流れるに連れて反比例する。最もこれも個人差があるために総論ではないけど。
そういう解釈を踏まえて言えば、②③の友人に聞いた話でしかないのに「大学生は遊べていいなあ」と言うことは、②の場合はその友人の現実なのかも知れないし、③の場合はその友人の現実ではないにしろ、「大学生」に関しての世間のイメージをそのまま言っているだけなのかも知れない。


あーつまらん分析だ。僕が学歴コンプレックスみたいに見えるからこんなのは止めだ。高校時代の友人なら感じていると思うが、僕はむしろ学歴主義から真っ向から反対するタイプの人間だ。17歳ぐらいのときから学歴主義はこれからの時代にそぐわないと思ってきた。その頃には雑誌で「大学全入時代突入」ってこともひそかに言われていたし。だから、僕が大学を辞める決意した(一応蛇足的に言うが大学に入る前に大学を辞める決意をしたのだ)のは一種の賭けだった。大学に入学し卒業することが当たり前になってしまえば、「大学も出てないの?プギャー」と笑われるか、あるいは、大学そのものの存在意義を見直すような時代になるか、のどちらかだと思ったからだ。そして、僕はその頃から4年間遊び倒すような人のことを知人から多く見聞きしていたので、「そんなのがスタンダードになるはずがない」と思って、後者を支持するようになったのだ。もし僕が何らかの理由で前者を支持すれば、大学はちゃんと卒業していただろうね。でもその理由がなかった。むしろ思いつく理由は、全て後者を支持させるに足る理由だった。それが、後者を支持したいがために正当化した理由じゃないのかといわれると難しいところだけど。まあ、高校生のときの浅はかな思考だ。

学歴の価値暴落 東大卒「割に合わない」

それに大体学歴ってのは一種の偏見に他ならない。学歴が高いから有能になるんではなくて、有能な人に学歴高い人が多いというだけで。『知性と知識を履き違えるような…』と言うやつだな。僕は知性がないので張子の虎になることは止めた。学があれば小うるさく感じるし、学がないと馬鹿にされる。ジョン・レノンもこう言ってた。『賢いと嫌われるし、馬鹿だと軽蔑される』。『否定されない人間などいない』ってやつだ。アダム・スミスも『自分の道を進め。批判は他人に任せろ』って諧謔たっぷりに言ってた。気にしちゃ何も出来ないよな。『いわゆる優等生タイプは好かれはするが距離を置かれ、何かが欠如した人ほど愛される』と言う皮肉な言葉もあったしな。後悔しない人などいない。万能の人もいない。けど自分への自信や正しさを持つことは、片足を狂気の世界に突っ込んでいることと同じだ。僕?僕はどうか?唯一いえることは、僕はたぶん致命的な間違いを犯しているということだな。

2007年1月11日木曜日

『何が襲ったのか よくわからなかったけど 唯一つ ここにいては危ないとわかった 僕が一番大切なものを持って逃げようと、君の手を掴んだ』

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毎月一冊、規定の作家の新刊を出し続けるというぶっ飛んだ企画を始めた講談社から、今月もまた僕が買うべき本が出た。それが上記の2冊の本だ。奈須きのこさんと西尾維新さん。前々から楽しみにしていた本なので、これは積読リストには含めず、優先的に読破することにしよう。幸い、ボリュームが少ないのですぐに読めそうだ。最も、月一でボリュームが400P程度あったら、講談社は計画殺人として訴えられることになるだろうが。

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IT系業務と言うと、とかく『論理的』であるとか思われがちだが、ちょっとインターンシップで仕事を体験した僕が感じるのはそういうものではなくて、どちらかと言うと『想像力』がモノを言う仕事だと感じている。コンピュータと言うことから、単純にそういう理系ちっくなことを連想させるのだろうが、論理的な部分といえば、それこそデータフローを考えることに他ならない。大体そんなのは、どんな業務にも当てはまることなので、もはや理数的ですらないのが現実なのだ。むしろ、もっと言うならば、現在のコンピュータを使う業務なんてのはほとんどが旧来の業務の置き換えに他ならないのだから、なんてことはないのだ。プログラムなんて、誰だって出来る。出来ないのは、プログラムと言うものを概念として想像できない人だと僕は思っている。論理性なんて必要ない。
最も、問題を解明するときには多大な論理性が必要とされるのだけれど。

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日本の携帯企業は、他社との差別化を図るあまり、オープンソースと言う技術的な時代の流れを無視して独自規格に走りまくり、おかげで、海外で主流になりつつあるものを導入するのにも一苦労だということになっている。
先日発表されたiPhoneなんかは、それこそ携帯自体が変わってしまうようなインパクトを秘めたものだけれど、ああしたスマートフォン的な技術は日本では生まれにくい。ハードからソフトまでがキャリアによってほぼ占有されてる状態だから、外部アプリが載せにくいのだ。たぶんね。あ、でもウィルコムは違うな。あそこは結構先見性ある戦略とってると思うけど日本市場ってので苦戦してるのかな。まあ、それでも流石にオープンソースな流れになってきてはいるけどね、日本も。
他の民族がどうなのかは知らないけど、日本人って結構精神論多用するよな、って思う。

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「これからの情報過多時代に、子供には何をどう教えていけば良いのでしょうか!?」
みたいな質問が、教えて!goo!だかOK Waveだかにあって、その返答の一つに
「石器時代の人が"最近の若いもんは青銅器ばっかり使って…"と嘆くようなもので、心配するのは自分たちの時代の価値観に侵されてる証拠ですよ」
みたいな切り返し方をしているものがあって面白かった。こういうユーモア良いなあ。

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スタバに行ったら『ホワイト・チョコレート・モカ』ってのがあって、見知らなかったので頼んだら、究極に美味かった。程よい甘さがたまらん。トールサイズで410円はちょっと高いけど、飲む価値もある。しばらくハマりそうだ。

メイドロボ?

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お茶をお持ちします…「お手伝いロボ」東大が公開

なんだこのレイズナーみたいなメイドロボは。

2007年1月9日火曜日

『愚か者とは、過ちを犯す者のことではないの。過ちと知って尚、正そうとしない者のことを言うのよ。…そうでしょ?』

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國府田マリ子の『PURE ENERGY』は結構名盤かも知れないとおもた。
Tr.3の『心の矢印』が良い。歌い方が素敵だ。

なんか急にままにょにょ熱が再燃して、朦朧とした意識の中でレベル上げに勤しんでるわけだが、カバッハーンが仲間になったときにテンション上がった。コレットが攻撃されるときの、泣きながらお菓子を投げてるチビアニメーションが萌え萌えで仕方ないぜチクショウメ。


2ヶ月ぐらい前にまとめスレで読んだけど、これはスレ住人の反応が相乗効果で面白いんだよな。本屋でちょっと立ち読みしてみたけど、スレ的なコメントがないと、ただの詩集になっちゃってる。シュールには変わりないけどさ。僕的にはコメントを載せて欲しかったところだ。ところでこういう風に簡単に出版にまで漕ぎ着けれるようになってる時代ってのは考えものだね。と言うのは、手法が簡単になってしまえば当然のように供給過多になってしまうからさ。誰もが簡単に出来るんだったら、そりゃあ誰だってやるさ。出版業界の趨勢がどのようなものなのかは無知な僕には及びもつかないところだけれど、昨今の簡単にポンポン出版されてる状況を鑑みれば、頭打ちになってないのかと危惧するに充分なのだ。

ところで昨晩ビデオ予約したはずのデスノートが録画されていなかった。
今僕の手元にデスノートがあったら確実に「水上直也 豆腐の角に頭をぶつけて…」と書いてる。
こんなお茶を濁したような書き方をしたら一体全体どうなるんだろうか。あるいは冷蔵庫の豆腐に角がなかったら?豆腐の角に頭をぶつけて死ぬのが現実的でない時点で単に心臓麻痺になっちまいそうだけどな。でも、『マジカル☆タルるーと』の8巻だか9巻で、言ったことが本当になってしまう首輪をつけた両口屋が、本丸に向かって「豆腐の角に頭をぶつけて死んじゃいなさい」と言った直後、「ぷにゅ」と頭をぶつけて即死したシーンがあったが、あんな風になるんだろうか。そう考えるととても間抜けだ。

2007年1月7日日曜日

『そして 僕に才能をくれ』

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1/2

学友の一人と茶汰君の家へお邪魔して、夜を徹してベラベラと喋っていた。
しょこたんの出ている番組を観ていたが、展開がちょっとグダグダっぽかったので他の番組でも見ようとチャンネルと変えると、洋画しかやっていなかった。ちょっとすげえ!
2時間ほど仮眠を取った後、茶汰の体調が激変。そのまま日本橋に行く予定だったのをキャンセルして、学友と一緒に家を出て茶汰を休ませ、びっくりラーメンを食べて帰った。

1/3

学友と別れて家に帰り、両親が不在だったので犬の散歩に行き、帰って友人と新年初スタクラをした。
何か食べるものを買ってこようと思ったが、睡眠不足のためか食欲がなかったので近くにあったものを食べて、すぐ寝た(不摂生

1/4

普通の休日

1/5

朝4時に起きて、18切符の余りを持っていたDと、岐阜は飛騨高山までぶらり旅に行ってきた。
雪はほとんどなかった。
正午頃に下呂温泉にて小休止、飛騨牛の串焼きが異常にうまかった。
15時前に高山に着いて、街を散策しながら名物を食べ歩く。飛騨牛うますぎ。ヤバイ。
20時ぐらいに岐阜で夕食を摂り(この日では唯一のまともな飯)、ちょうど日付が変わるぐらいに家に帰ってきた。
風呂に入ったあと、倒れるように寝た。

1/6

9時に起床し、11時に家を出て、正午に全員集合。
年末にちらりと書いた『口悪すぎワロタ』グループの新年会である。
マクドで軽く昼飯を食べて、ジャンカラに入る。
目的は
トランプ
である。
歌いながら大富豪と言う面妖なことを約5時間ほど成し遂げ、18時に居酒屋に入って晩飯。
20時に店を辞去し、ROUND1へ。3:3に別れて対戦をした。一方のグループはほぼ素面だったのだが、もう一方はへべれけで、相当酷いスコアだった。
22時にROUND1を出て、二人ほど帰ったが、残りは僕の家へ。
鳥取に帰らねばならないやつが30分ほど仮眠を取って、6時半に帰った。残り3人のうち1人は割りと炬燵で寝ていたが、残りの2人(僕も含む)はまったく一睡もせず9時まで起きていた。
と言うかこの日はすごい風だった。おばあちゃんとかが外に出たら、その風に乗って海外旅行が成就されそうな程に。
9時に残りの2人も帰り、僕も一応寝ておくことにした。そして起きたら今だった。

そして今まさに、「今から新年会でオールして遊ぶんだがどうか」と電話がかかってきたんだが、丁重かつ乱暴にお断りした。2日連続で徹夜とか神になれる。ていうか新年明けて1週間の内に徹夜で遊ぶのが3回あると言うのはちょっとアレだった。まあ断ったので2回で済んだが…一週間で2回と言うのもなかなかのハイペースだ。
30日から数えると1週間で3回になるけど。

僕がまだ大学生だった頃、予定が重なって3日間フル活動したことがあって、あのときは信号機で立ち止まった瞬間に意識が飛んでしまったから、もう無理はしまいと決めたんだ…。

簡潔に書くとここ数日はこんな感じだったのだが、充実したというかなんつーか。楽しかったね。年末年始で徹夜して遊ぶ日が多かったためか、なんか朝8時ぐらいまでだったら元気に遊べるようになってしまった。否、たぶん48時間活動し続けることも今じゃ出来そうな気さえする…!2日完徹は無理だけれど。

2007年1月2日火曜日

Cryptozoology

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姉が超お勧めしてきた『SUPERNATURAL』を観ている。
これは、タイトルの通り超常現象を扱う海外ドラマで、母親を悪霊に殺された二人の兄弟が、失踪した父親を追う途中に様々な事件に出会う、と言う話なのだが、そのベタなストーリーにも関わらず、非常に面白い。系統としては悪魔祓いに近い。
2話で出てきたWendigoと言う怪物は、ネイティブアメリカンの民間伝承で実際に言い伝えられている話だったり、民俗学好きにとっても結構骨のある内容となっている。

最近の海外ドラマは面白いな…。『TRUE CALLING』も早く観たいし、『PRISON BREAK』も一応観ておきたい。あと『4400』と『LOST』も。

2007年1月1日月曜日

寝正月

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明けましておめでとうございます。出来たら本年もよろしくお願いいたします。
今年は僕の干支の年だ。縁起が良いな。

しかし昨晩の『ガキの使いやあらへんで!』の24時間耐久罰ゲームは最高に面白かった…3時間笑いっぱなしだったから両親が不審に思ったぐらいだ。ズーズー弁が面白すぎるwwww