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2007年3月30日金曜日

成果主義な自治体

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あー選挙かーとか思ってる時にふと思った。
僕らは立候補してる人に投票をするわけだけど、それは間接的に掲げる政策に投票していることとなんら変わりはない。
いや、厳密に言うと違うのかも知れないけど、まあ僕の持つ印象がそんな感じだから、その考えは決してマイノリティじゃないだろう。
大体、有権者からしたら、その人がどういう人なのかってのは掲げる政策を見なければわからないし、極端な話、「何かしてくれること」を期待して投票するわけだから、別にその人の人格が腹黒かろうが清純であろうがどうでもいいわけだ。
でも、その人が当選したからと言ってその政策が実現するとは当然限らない。そこにどういう理由があるのかはわからないけど。
だから政策単位で投票するのが良いんじゃないかな、とか思う。立候補者は、その政策にぶら下がる形でのみ存在する、と。
民意の反映としての政策であるならば、そっちのほうが理に適うとは思うんだけどね。
その政策が本当に民の欲しているものかどうかは、その投票数を見れば一発でわかるわけだし。
それに、その立候補者が何らかの理由で辞任しても、政策はなくならないということが大きい。まあ弊害もあるだろうけど。
実際、代議士制度が確立されてからもそういうことってなかったんじゃないかなあ。あったら誰か教えて。

学園黙示録

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佐藤大輔さん何やってんですかちゃんと『皇国の守護者』の続き書いてくださいよ!って突っ込みはあるにしても、このゾンビ漫画は大変な傑作である。佐藤大輔さんがこんなにゾンビに精通していると知って僕はかなり嬉しい。
んで、何が傑作かって、

・絵が萌えるし綺麗だしよく描きこまれている
・ゾンビの『お約束』をよく理解しているために飽きない
・全世界同時発生

と言う点だ。
まあ、ゾンビ漫画と言う点で、絵はぶっちゃけどうでもいいっちゃどうでもいいのだが、それでも見やすいに越したことはない。
が、やっぱゾンビとかになるとオドロオドロしいシーンとかも満載でないとダメなわけだから、軟弱な萌え絵だと、どうしても表現まで軟弱になってしまう上に、単純に言って合わない。萌え絵と言うのは人を和ませるためだけに特化した絵の形態の一つだからな。
が、この漫画は絵はそこそこ萌える割に、建造物や脇役、ゾンビ特有の表情等が非常に良い。ほえほえした女の子からイカつい男までなんでもござれだ。だから違和感もない。完璧。
武器を使った格闘シーンも巧いし、銃器の扱いについても、やっぱりなぜか精通したやつが一人仲間にいたり(これもお約束だが)してて、無駄がない。演出も過剰でも過小でもない。
ビジュアル表現に関して言えばこんなところだ。

次に、ゾンビの『お約束』だが、まあこれは諸説あるのだが、

①篭城は厳禁
 必ず、守りさえ固めていれば助かると言うやつが出てくるが、それは大きな間違いで、いくらゾンビが進入してこれないように注意を払っていたとしても、生存者の精神が先ず持たない。もちろん、人数や確保した物理的スペース、治安状況にもよるが、まあ大体うまく行かない。
 Ⅰ:人数が10人以上の場合
   これは絶望的だ。篭城しているうちに確実に発狂するやつが出てくるし、それは伝染する。それに、食料等の問題が非常に大きいために、まともな頭を持った人間だと必ずそこに不安を覚え、やはり篭城には反対する姿勢を取るようになる。そうでなくても、内部で派閥が出来ることは必定であり、そうなると秩序立った集団行動すら危うくなる。
 Ⅱ:物理的スペースが狭い場合
   『ドーン・オブ・ザ・デッド』のスーパーマーケットぐらい広かったら問題もないだろうが、まあこの漫画で言うならば、せいぜい大きくて倉庫程度のものであり、普通は一軒家を考える(食料の備蓄が容易だし、外部との連絡も希望がある)。一軒家は一見篭城に向きそうだが、そうではない。持久戦にひどく弱いのだ。と言うのは、抱える食料の量に物理的な問題がある。一切買い物に行かずに1ヶ月以上も過ごせる家が存在するだろうか?
 Ⅲ:治安が悪い場合
   警察等の秩序がまともに機能しておらず、夜盗やゴロつき等が略奪を繰り返しているような絶望的な治安状態の場合、仮にⅡの問題をクリアして半年以上の篭城が可能だとしても、それは失敗する。いくら内部秩序が保たれていてもだ。侵入を警戒すべき相手がゾンビに限らなくなる。ただのゾンビ相手の篭城方法は、生きてる人間からすれば穴だらけで、そんなものは軽々と略奪者によって破壊され、ゾンビと一緒に侵入される羽目になる。また、そういう対略奪者に対抗する方法が縦しんばあったとしても、それはやはりいつまでも続くものではないし、武器・食料の消耗を激しくし、結果として篭城出来る期間を短くしてしまうだけだ。

 以上のような理由から、篭城は確実に成功しない。作者はそのことがわかっており、篭城しても一時的なものに留めている。

②見知らぬ人は助けるな
 同じように逃げてる人を見つけたとき、結託を必ず考える。人数が多くなればなるほどその声は多くなるし、それは人道に適ったもので批難の余地はない。僕も、助けられるべきなら助けるべきだと思う。が、それは女子供老人に限定すべきであって、特に血の気の多い男はあまり引き込まないほうが良い。血の気の多い男は真っ先に秩序を乱す原因であって、特にそれが女連れであった場合、主導権を握ろうと諍いを起こす可能性がある。助けるのであれば、信頼出来る人間に限ることは大前提である。

③戦いは極力避ける
 どんな理由があっても、戦うべきは目の前にいるゾンビだけに限るべきで、必要以上に殺戮はすべきではない。それは弾薬の無駄遣いにしかならないし、それに酔ってしまう可能性もなくはない。最も重要視すべきは、弾薬の残りよりも常に自分たちの体力であり、無駄に疲れて休息を欲するようになると肝心なときに戦えなくもなる。思考力も奪われる。人間は電池を換えれば動くようになるものではない。

④身内にも冷徹であれ
 最も悲劇的で同情以外にはないのがこのパターンで、つまり家族恋人親友等がゾンビになってしまった、あるいは噛まれた場合、どれだけ冷徹になれるかで助かる確率は変わる。もっとも、これは単純に生存する意味について考察する余地があるわけだから、家族や恋人を失ってまで生きる意味などないと考える人にとっては他人事ではない。生き残る意味はなんなのか、と言うことまで考えないとこのパターンには決着はつけれない。しかし、多くのゾンビ映画では、ゾンビになった家族などを撃てずに食われてしまうというパターンは決して少なくない。


と言うような感じで、読んでても、「作者はよくわかってるなあ」と感心するばかりだ。
だから、主人公グループの動きはゾンビ世界で生き残るために最も無駄がない。
このHigh School Of The Deadは、これらの悉くを痛快なほどに網羅している。
だから、この漫画はゾンビ漫画として頭一つ抜けていると思うのだ。

次に、全世界同時発生と言う点だが、これは色んなゾンビ映画で、ゾンビ発生の解釈が違うために、スケールにも違いが出てくる好例だが、このHSOTDは、疑う余地なく全世界同時発生。
例えば、ロメロの世界だと、原因はまったく不明だが、全世界同時発生的に死人が生き返るという設定で、そこには解釈も何もなく、あるのはただ事実だけと言うものだった。もちろん、これは物議を醸した。
その他多くのゾンビ映画で採用されているのは、地域限定的なゾンビであり、例えばそれは軍の開発したB兵器によって生まれたゾンビであったり、例えばそれは魔術で発生したゾンビであったり、例えばそれは病原体も特定されたゾンビであったりする。それらは結果として考えるならば、話を収束させるために必要なものであって、どれだけ原因のわからないゾンビ発生が魅力的で壮大で哲学的であっても、それはすでにロメロがやってる以上、踏襲と言うよりパクリでしかなくなるのだ。
HSOTDはロメロの世界観を踏襲してるために、原因も何もわからず、描かれているのは単純に暴動とサバイバルだ。
もちろん、主人公グループが高校生と言うこともあって、その辺の人間模様も日本的に描かれていて面白い。

2007年3月28日水曜日

ワロエ

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BGMがつくだけでこんなに面白くなるとはwwwwww

外山恒一候補の政見放送 ~ドラゴンボールZ EDITION~



これもおもろいなwwww




ワロスwwwwwwwwww



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2007年3月25日日曜日

ぐおおおお

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GMarks

見つけた!!
グーグルブックマークのFirefoxAddon!!
しかもこれ、ブックマークするときにNoteも入力出来るのが最高だな。
今まで何かメモをつけようと思っても、いちいちOHPに行って[編集]ボタンを押さないといけなかったから、ブックマークされる時点でNoteを残せるこのアドオンはマジ秀逸。

『愚者は問う。鉄壁の王城を捨て、女王はいずこへゆくのかと。賢者は知る。どれほど堅牢な守備を誇ろうと、陥落しない城など存在しえぬことを』

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高等教育の構造的問題を解決するには

この方のブログは辛辣で面白いのでよく読ませて頂いているのだが、僕が過去に

:一人称の世界: :: 時代の価値観

で、
だから、僕が大学を辞める決意した(一応蛇足的に言うが大学に入る前に大学を辞める決意をしたのだ)のは一種の賭けだった。大学に入学し卒業することが当たり前になってしまえば、「大学も出てないの?プギャー」と笑われるか、あるいは、大学そのものの存在意義を見直すような時代になるか、のどちらかだと思ったからだ。そして、僕はその頃から4年間遊び倒すような人のことを知人から多く見聞きしていたので、「そんなのがスタンダードになるはずがない」と思って、後者を支持するようになったのだ。

と言う風に書いたのだが、僕が18歳のときに主張していたことが、今こうしてそれなりに有識だといえる方が
根本にあるのは、「企業が「四年生大学卒」の肩書きに対する評価を下げつつあることが進学を考える学生の保護者に良く伝わっていない」ということです。「九九もできない大学生」というのはいくらなんでもレアすぎるサンプルですが、「むかしの高卒レベルがいまの大卒レベル」(おそらく十五年から二十年間くらいの変化のことを指して、大学や予備校の人はこう評論することがありますね)であるなら、「どうせうちの子供がなんの苦労もせず入れる大学に行って四年間遊び暮らすなんていうことは無駄だ、高卒で就職させよう」と「そういう学生」の保護者が思うようになれば、「勉強できない大学生」の「社会問題」は自ずと軽減されていく。

と言う風に、後押しするかのように書いてくださるのはなんだか嬉しいことだね。
別に僕が正しかったとか言うわけじゃないけど、単なる僕のエゴではなかった、と言うことの証明のようにも思える。
しかも、

教育再生会議:大学の「卒業認定試験」導入検討

ってなことがあったり、大学の進学率は下げるつもりはないけど質を高めるような努力はするようだ。逆に言うと、今の質では問題があると思ってらっしゃる、と。

でも、僕が勘違いしちゃならないのは、僕の意見を裏付けするような、いわば僕に有利ないくつかの記事やトピックを持ってして、「ほら見たことか僕の言ったとおりだろ」と言うのは、完全に井の中の蛙なんだってことだ。
僕や福耳さんや教育再生会議は、まあ同ベクトルの主張を有しているかも知れないけれど、まったく反対の、等量等質の主張だってあるはずだから、それを知らないといけない。自分サイドの主張だけじゃ説得力がないからね。説得力ってのは統計的なもんだと思うし。

まあここで僕の話をすると、僕は就職活動で、専門学校の身で、試しに大卒以上のみの応募のところに申し込んで、一次選考を受けてきた。
SPIと呼ばれる簡単な学力審査みたいなやつね。プログラムの問題もあったり、文章作成能力等々、まあ短時間にしちゃそこそこ多角的だなって思える試験だったんだけど、確実にほぼ全問正解な手応えを感じたんだけど、やっぱり落ちた。
当たり前だけど、書類選考の段階で、大卒向けのアンケートに対して専門学校のこと書いてるんだしな。先ず前提が違うってこった。
あくまで試しに受けてみただけだから、結果もわかってたんだけど、そういう風に『高専は不可』って企業なんていくらでもあるし、まだまだ多い。
で、福耳さんの
「企業が「四年生大学卒」の肩書きに対する評価を下げつつあることが進学を考える学生の保護者に良く伝わっていない」

だけど、これはなんか金太郎飴みたいで、その企業の中層部以上の人には、やっぱりその『進学を考える学生の保護者』ってやつが含まれてると思うんだよな。
つまりこれはどういうことかっつーと、企業人であると同時に保護者である、で、気付いた人は福耳さんの言うように評価を改めるし、そうじゃない人は改めない。簡単に言うと、企業でも二極に分かれつつあるんじゃないかってこと。

ここからはあんまり関係ない話。

日本のソフトウエア生産性と品質は世界最高水準

今回のエントリーを読んで、目から鱗がポロロンだった。
「OSやミドルウエアがアメリカ主導なことは認めるが、アプリケーションソフトの開発では、日本の技術力は世界最高水準にある。ではなぜ国際競争力がないのかといえば、日本でどんなに優秀な生産管理システムや会計処理システムを開発・構築しても、世界標準の仕様とはほど遠いので、世界ではまったく使いモノにならないからだ」

まず日本人技術者の生産性の高さ、成果物品質の桁違いの高さは、何人ものアメリカの学者の科学的調査で報告されている。さらに事象として、実は日本はソフトウエアの国際競争力トップの分野がただひとつあるんだ。それはアミューズメント系、ゲームソフトだ。この分野はニンデンドーという先駆者の存在、世界トップの日本のアニメーション製造技術、いくつかの日本に取り有利な条件があったが、日本がトップに君臨している最大の理由は、日本社会の独自習慣に仕様をあわせる必要が無く、はじめから世界標準の「楽しさ」の追及だけで勝負できたからだ

本当に良い指摘だと思う。
完全に鎖国状態に入った携帯業界の例を見てもわかるとおり、独自企画にこだわりすぎなんだ。
シグマ計画とかにしてもそうだし、こないだも政府主導のLinuxを作ろうなんてのがあってその後の音沙汰もないし、どうして日本はこうなのかと。
大体、「日本が世界標準になるべきだ!」って言う主張はそもそもがなんかおかしい。
世界標準ってのはたぶん結果であって、志すことじゃない。良いものを作れば、自然にそれは普及し、勝手にデファクトスタンダードになる。
だから、標準標準と模索しているうちに、「こうすればいいんじゃね?」とどっかの誰かが奇天烈な発想して、「それは新しいね、それでいこう」と誰かがゴーサインを出し、それで生まれたものは高品質には違いないが他との互換性がまったく無視された、いわば「独自規格」だったと。僕はそう見てるんだが。
携帯コンテンツの充実度は本当にすごいと思うけど、互換性がなさすぎ。挙句の果てにデザインが一緒。その割にすぐ買い換えないといけない。これが経営戦略でなくてなんだというんだ?国内だけの経営戦略そのものがすでに時代遅れだということに気付いたほうがいい。特にデジタルメディア関係。
篭城が最上の戦略であったことが今までにあったなら、どうか僕に教えてほしい。
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読み終わりましたよ。
りすかはなんか否定的な意見をよく聞くんだけど、僕は好きだなあ。キャラが全員ぶっ飛んでるから、過剰演出も不自然じゃないんだよな。
でも、なんと!この『新本格魔法少女りすか』は4巻で完結なんだそうだ!そんな殺生な!
『戯言シリーズ』ぐらいのボリュームになってほしかった…。まああんなgdgdで終わられても嫌だけど。
クラスタの連中とか話の中でしか出てきてないじゃないか!ちゃんとキャラとして登場させろよ!

刀語は内容あんまり面白くないし…維新さん最近失速気味なんじゃないですか。
まあ、化物語の続編が出るとか聞いたので、非常に楽しみにしてるんだけどな。
ひたぎ可愛いよひたぎ。
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こういう郷土資料的なものまでyoutubeで見れることに純粋に新鮮な驚きを覚える。
小学校ん時は視聴覚室とか行ってこういう映像は見ることになってたけど、今からするとそんなのも必要ないよなあ…。
まあ、みんなでわいわい言いながら見るのもまた楽しかったけども。

2007年3月24日土曜日

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今から仮説だらけの妄想を書きなぐるから、どうか信じないで貰いたい。

前提1:小泉首相はその方法から、知名度も求心力も高かったが、内部反発も強かった。
前提2:政治家には既得権益を保持しようとする人がとても多い
前提3:次期首相に推薦されたのは、若き安部官房長官だった
前提4:政治家は年長者に対して頗る弱い
前提5:日本人は基本的に「和を持って尊し」とする民族性を持つ

事実1:安部は選挙で圧倒的な勝利を収めた
事実2:安部政権が樹立してからの支持率は下がる一方
事実3:官房長官時代と比べ、覇気がなくなった

僕はこれらの事項から、どうしても安部首相がスケープゴートに見えて仕方がない。
果たして、古い頭を持った人が、進んで自分たちよりも年齢の若い人を小泉さんの後継者として任ずることを是とするだろうか?

ここに一つのレトリックがある。
小泉首相は様々な政策を大胆に行った。それは改革であり、因習を捨てるに足るものであった。
しかしその新しい風を巻き起こした小泉首相は退陣せねばならず、次期首相を選出する必要があった。
新しい風を継ぐのは、若い世代で当然である。よって安部さんが選ばれた。

僕が古い頭を持った政治家であるなら、この論理は確実に快諾する。
前提4と5があるからだ。それは前提2をも保証する結果に直結する。
ならば、事実1は小泉首相の知名度・支持率からしても当然でなんら不自然ではない。

が、ここに事実2がある。
僕の中では、この事実2はどうもしっくり来ない。
指導者としてのカリスマ性がないだとか、そういうレベルではない。
カリスマ性がなくても、地味であっても、踏襲されたことさえやっていれば批難はされないからだ。
もし批難がされるとしたら、「小泉劇場」と言うエンターテイメントに慣れすぎた国民が物足りなさを感じた結果であって、それはそれでまた問題になる。

政治は、司会者が変わったからってチャンネルを変えて良いような番組じゃない。

仮定1:本当に首相としての器がなかった
仮定2:器があってもキッチリ出来ないなんらかの『理由』がある

どちらにしても、後ろになんらかの糸が見え隠れする。
また、それを受けてか、「小泉首相再浮上説」なんてのがあったりもするが、果たしてそれは内閣で肯定的なのだろうか。
もしその説が国民が言っているだけのものならば、仮定2の信憑性が高まるし、内閣でも「小泉さんのほうが良かったなあ」と言う意見のほうが多かったら、仮定1の信憑性が高くなる。
まあ当然、内閣の人たちがそう思っていても、口には出せないわけだが。

もちろん、安部首相の経歴であるとか、その他大臣の発言力であるとかは十分に加味するべきだし、調査して検証する価値もあるものだと思うけど、そこまでは別にしない。
単に、僕は「何かおかしい」と言う違和感を感じただけなのだから。
それに、本当に他の政治家から後継者として相応しいと推薦され、しかし求心力が足りなくて残念でした、と言うような平和なものであるならそれはそれで全然構わない。
もしそうなら前向きになれるから。

以下に記すのは僕が友人とした会話の一部を取り上げたものだ。
例えば、僕が週休完全2日制、土日を休みにした張本人だとしよう。
時代は変わり、僕は第一線を退いて、今はお前が最も発言力のある人物になっている。
つまり、対外的に見れば、お前は僕の後継者と言うことになる。
さて、その状態で、「やっぱり土日の完全休みは返上して、昔のように戻します」と僕の前で言えるだろうか?

これは、つい最近取り上げられたゆとり教育改正に関する世間話の一つだが、
「7限目の創設」と言う誰もが馬鹿だと思う発想の背景にはこんなのがあったりするんじゃないだろうかと思うのだ。
少なくとも、あっても不思議ではないと思っている。
これは前提5に起因する。
日本の政治と言うのが、長いものに巻かれたり、あるいは顔色を伺うことのうまい人格者の集まりだと解釈するなら、そういうことはあってもおかしくない、と思う。

最後に事実5だが、確か有識者の人は「人が変わったようです」と言っていたように記憶している。
官房長官時代はもっと決断力のある人だったと言うのだ。

さて、まあそうなると、安部首相は僕はマリオネットにしか見えないわけだ。
支持率が下がったとは言え、野党がしょぼいので政権交代なんて現実的ではないし、そうなると今度の選挙も出来レースに近くなるんじゃないの?ってのが僕の妄想。

以上の妄想は、なんらの根拠も論拠もなく、単に陰謀説とスパイ映画の大好きな僕が同人誌のネタにと書き殴ったものですので誤解なきよう。

血族

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叔父が亡くなる2日前、近隣に住む親類たちが最後に話をしようと押しかけてきたとき、弱りきっていながらも叔父は

「なんだお前ら、まるでわしが死ぬみたいに」

と悪態をついて、その日の競馬の結果だの、近所の(と言っても車で30分ぐらいかかるが)パチンコの出玉だの、普通の世間話を数時間して元気だったそうな。
人に迷惑をかけることを極端に嫌う叔父の性格と、諧謔味の少なくない叔父の性質とが現れたエピソードだと思う。

叔父は、3男6女の長男として、一族の長として、いわば大黒柱として親類の多くと浅くない縁を持ち続け、心的にも経済的にも親族にとって有難かった。たぶん影ながら色々なところで助力していたものだと思う。口下手な叔父のことだ。

戦中に生まれ、戦後まもなくから小さいながら看護師を定年間近まで勤めていた叔父の半生は、思考力のついてきた高校生以降の関わりが薄かった僕には想像するには余りあるんだろうけど。定年後は財産一つで祖母を養い、妹を食わせていた。祖母の介護は専らその妹、つまり僕の叔母がやっていたのだけれど。それでも裕福だったのは一重に叔父のおかげだと、僕でもわかる。

けれど3年前に叔父が食道ガンで大きな手術をしてからは、入退院を繰り返し、祖母と入れ違いに叔母に面倒を見られる立場になった。
祖母の死後、1年も持つかと主治医も言っていたぐらい(らしい)から、それから2年も元気に持ったのは良かったといえるのかどうか。

臨終を迎える直前と言うのは、やはり自分でそのことがわかるのだろうか。
叔父は午後9時、長年面倒を見てきてくれた叔母を呼び、手を握って長い間ありがとうと言ってから息を引き取ったのだそうだ。
享年72歳、生涯独身、僕が生まれてからは常に一族の長だった。

まあ、そういう風に「もう死ぬらしい」→「まだ元気だ」が何度も繰り返されてきたせいかどうかはわからないが、葬儀の場の悲壮感は完全無欠に0だった。ほとんど老衰に近いからかも知れない。祖母の時もそんなだったから、嗚咽に覆われる葬式と言うのはテレビの中だけなんじゃないかと思えた。
でも、昔からそういう生死については皆が皆色々な意見を戦わせていたのは僕もよく覚えていることなので、それの反映なのかも知れないけど。
曰く、「死者より生者を大切にしろ」。死者に対する敬意はもちろん失くしちゃいけないし、礼儀礼節も必要だとわかっているけれど、必要以上に悲壮感に暮れることもなく前向きに生きるほうが良い、と言うのが、基本的に前向きな皆の意見だ、と僕は思う。
この辺は僕の感想でしかないが、冒頭で述べたような叔父の性格のことをよく知っている皆なので、無駄に打ち沈んでも、たぶん叔父は「お前ら、らしくないことはやめていつもみたいに馬鹿を言えよ」と思うだろうことが暗にわかっているからこそああいう風にどんちゃん騒ぎに興じることが出来るのだと思う、否、確信してる。
親類一同が一堂に会する機会なんて、もう滅多にないし、そんなときに久闊を叙するように笑わないでどうするんだ、久々に集まったんだから笑えよ、と言うほうが、叔父の性格としてはシックリ来る。
改めて言うことでも思うことでもないが、死なない人間なんていない。僕だっていつかは死ぬし、それが遅いか早いかすらわからない。もしかしたら明日交通事故に遭うかも知れないし、こうしている間にも刻々と病害が僕を蝕んでいるかも知れない。けれど、そんなことは考えたって仕方ない。生きてることに意味なんてないんだから。死に不条理を感じるのは人間でしかない。むしろ、死は一番自然なことなんだからね。ちなみに死の対義語は生きることではなくて生まれること。

そういえば、昔こんなことも言われた気がする。
曰く、「死んだ人は笑って送らんとあかんよ」「なんで?」「泣いてばかりいたら、うちらの所為で死に切れん思いになったりするかも知れんやろ?」

まあ確かにその通りだと思う。未練を残すのは死者じゃなくてそれを思う生者であると。
例えばそれが予期せぬ事故死であったりしたら、話は別だろうけど、病死や老衰の場合、時間はあるんだから、やっぱり楽しい思い出話とかをしてあげるほうが供養にもなりそうな気もする。
端から見たら不謹慎かも知れないけどね。でもそんなのって遺族の問題だ。外野からとやかく言われることじゃない。
だから、「冥福を祈る」とは言っても、それほど悲しい顔はしない。特に人前じゃ。

ちなみに、そういう場合であっても、喪中だからと言うことで例えば年賀状を送らないということはないし、あえてそれを言うことも僕らはない。

これも前に一度話題に上ったことがあるのだが、「喪中だから」と言って年賀状を断るのは、「おめでとうございます」と言う言葉が多分に不謹慎に思われるからだという意見が一般的だと思うのだが、それは言葉遊びや韻踏みの悪しき風潮と言うもので、新年がめでたいことと喪中であることはまったくの別問題で、「新年明けましておめでとうございます」と言って、「こないだうちの親戚が死んだところなのにおめでとうなんて不謹慎だわ、ムキー!」なんていう人は言葉を額面通りにしか受け取れない人だという結論に落ち着いたのだ。
だから、うちはたとえ一般的に言う喪中であっても、そういう新年を迎える言葉であっても快く受け止めるし、その他それに類する言葉であっても問題はない。もしも相手が気を遣って送らないのならそれはそれで一向に構わないし。つまるところ、要約して言うならば、相手の好意を第一に考えろ、と言うことだ。

ともあれ、これでまた少し寂しくなった。田舎に帰ることはもうあんまりなくなったとは言え、昔の思い出がいっぱいあるところなので。
僕が子供のころ、叔父の家で滞在していたのだが、広い家だったのでいつも親類が何人も遊びに来ていて、常に10人は家の中にいて賑やかだった(夕飯の時なんか、大きいテーブルを4つぐらい用意したりしていた。)ものだが、その叔父もいなくなり、祖母もいなくなり、もうあの広い家には叔母一人だけになったので、一人残された叔母だけが可哀想でならない。
近所に親類が何人も住んでいるとは言え…ね。あの家はよく座敷童子も出るしなあ。

それにしても、久々に田舎の言葉を喋ろうとするとうまく喋れないものだぜ…。僕の家族は大阪弁で通してるんだけど、なぜか僕だけは昔から、いとこたちと対等に喋ることを心がけていたから、向こうの人と喋るときは最低でもイントネーションは方言なのだ。

2007年3月19日月曜日

『プルーが傍にいたから 私は強くなれた』

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気が向きやがりましたので机周りのリフォームをしましたよっと。
今までの置物の配置を左右反転させました。

スピーカーの配置とかケーブルの配線とか、メモパッドとペンの置き場所とか、机に向かって勉強してるときに携帯は視界に入るのかとか、もう気にしだすと楽しすぎてキングクリムゾン使われたみたいに時間が飛ぶね。消し去るね。
ついでに、もうかれこれ6年ぐらい張り続けていたジョジョのポスターを遂に剥がすことにした。ボロボロだったからな。
代わりに僕の部屋へやってくるのは!M・C・エッシャーだ!実は姉から貰った額つきの1000ピースの絵画パズルがあるのだ。何処に飾ろうかと悩んでいたから、これはジョジョの代わりを務めてもらうしかあるまいて。アルマイト工業ってなんかなかったっけ。

あーもう、掃除って何でやり始めたら止まらないのかね。誰か説明してくれ。10文字以内で。

『パーフェクトだ、ウォルター』

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colinux@debianで、subversionやらtracやら動かしてみるぞー!
と思って色々触ってみたものの、ちょっと数100ステップぐらいすっ飛ばしてしまっていたみたいで…orz

ネットワークに関してはちょっと戸惑ったけど、ブリッジ接続+固定IPで普通に通ったし、puttyによるssh connectionとかまでは行けたんだけど、
pythonやらcgiやらの設定に関してになるとちょっとチンプンカンプンですな。
apacheの設定はわかるんだけど。

http://colinux/trac/test
やらに飛んだら、環境変数のエラーとかが出てもう無理ぽ。
やっぱ一つ一つ理解していく必要があるなあ。
特に、FedoraCoreとはちょっと勝手が違うからなあ。
apacheの扱い方に関しても、パスが違うし。まあ些事ですけど。

tracのインストールは出来たし、windowsからもcheckoutは出来たんだけど、リポジトリが動作してるのかどうかもようわからん。
とりあえず、簡単なcgiプログラムの検証から入ってみましょうかねえ。どういうディレクトリ構成になって動いてるのかさえわかれば。。。

2007年3月18日日曜日

快適すぎるブラウジングを行うための二つのツール

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bbs2chreader

今まで、2chはLive2chを使って見てたけど、このアドオン使ってみたらこれを使い続けようと思った。
Firefoxの機能はそのままに使えるってところが強い。
Live2chは、あれはあれでかなり高機能で使えたけど、ブラウザ互換がなかったからなあ。
ID別ポップアップとか、レスポップアップとか色々使えたけど、それを差し引いてもFirefoxアドオンとして使えるのは大きい。

あとは、Live2chの画像ポップアップが便利だったなあ、と思って、それに近いアドオンはないかと探してみたところ、

Cooliris

ってのがかなり便利だったから導入。こりゃすげえ。
例えば、なんかのスクリーンショットリストとか、スキンリストとかを見るとき、今までだと開いては戻って開いては戻って…の繰り返しだったり、別ウィンドウでガッと開いては閉じて…だったけど、これはリンクにカーソルを合わせるだけでリンク先のプレビューが自動的に表示されるからめちゃ便利。
こんな感じに。



画像だけに限ればちょっと大袈裟なポップアップと言えなくもないけど(Live2chの画像ポップアップは小さいウィンドウだった)、汎用性が高そうなのでしばらくの間使ってみることにしよう。
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あーなるほどね。
非公開設定って言うのはディレクトリ・キーワード・タグ単位での検索が無理と言うことで、僕が画像へのリンクを貼ったりなんかした場合はURLを辿ってアルバムを見ることが出来るわけか。

うわ

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今の記事でPicasa上の画像に直リンしてみたけど、これ、遡ればログインしてなくてもアルバム見れるじゃないか(;´Д`)
…リンクだけは外しておこ(;´Д`)

『同じトラウマ重ねれば 響きあう けれどそれ以上には……』

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マイピクチャでの画像管理に限界を感じてきた。と言うのも

  • カテゴリー別にフォルダ分けするにしても、一つの画像は一つのフォルダにしか含まれない(コピーすれば複数カテゴリに属することは出来るが、容量の使い方が非効率だ)

  • 複数のPCを使って良い画像を共有することが出来ない(たとえばノートPCで保存した良い画像をマイピクチャで管理しようと思うと、いちいちデスクトップへメールで送らないといけない)

  • HDDが㌧だら終わり


と言うような理由がある。
特に、一番目の理由は大きい。

僕はほぼ毎日、朝30分~1時間を使って、まあいろんな情報収集をしているわけだが、その時にktkrと思う画像があればすかさず保存している。
で、今みたいに暇を持て余す時間があると、その時間を使って画像管理をしようか!なんて思っちゃったりするわけだが、上記のような非効率な問題にぶち当たって一向にやる気が出ない。
実際、HDDが㌧で折角集めたマイピクチャがバニシュデスな事態になったことは一度や二度ではない。それを思うと、ローカル内で画像管理することに一体どんな意味があるのかと思って、さらに実行する気も無くなってくる。

と言うかそもそも、画像管理をすること自体がどういう意味を持つのかと言うことになってくる。

収集した画像を見返す場面は主に二つだ。

  • 「あれどんな絵だったっけなー」と思い出して見返して自己満悦に浸る。

  • 友達に見せびらかす(送りつける)


この二つのシーンで、まあ無駄な時間を短縮するという意味でカテゴライズされているフォルダがあれば便利なわけだが、上記のような理由から、ローカルで全てやってしまうにしては徒労に終わる感が訪れるであろうことは否めない。
もっとも、定期的にバックアップなりをしていれば良いわけだが、たかが画像のためにそんな殊勝な習慣をつける人なんていないと思うし、大体それだけのためにメディアを使うのも勿体無い。

となると、矢張り僕が起こす行動は一つに絞られる。
WEB上にアップしておく、だ。

僕はFlickrは使っていないので、Picasaを使うことになる。
Flickrは一度使ってみたいと思っているのだが、どうしてもPicasaのほうが使いやすいんじゃないかと思ってしまう。だって、Flickrって写真管理に特化したサイトだけど、Picasaはあらゆるウェブアプリと連動しているんだもの。

Picasaを使うとどうなるか。手順を説明すると

  1. ネットサーフィンで気に入った画像をとりあえずローカルに保存する(この時点で、Picasaたんはリアルタイムに画像リストに追加してくれる)

  2. Picasaを起動する

  3. 先程保存した画像たち(あるいはまだアップロードされていない画像たち(アイコンで一瞬で判別可能))をまとめて選択


  4. 『WEBアルバムにアップロード』を押して、該当アルバムを選択してOKボタン。アップロード開始

  5. WEBPicasaを見に行って、アップロードされた画像に対して適当なタグをつけたりタイトルをつけたりする



となる。
WEBPicasaもPicasaも、常にログインしている状態なので、Gmailですぐに画像メールを送信することも出来るし、その際にアドレスリストをリアルタイムで参照出来たりもする。
ブログに直接投稿することも出来るし、Picasaだと簡単な画像編集も出来る。至れり尽くせりなソフトである。

でも、WEBPicasaの方でタグを付与しようと思っても、たまに見れたり見れなかったりする。イッツ不安定。しかも英語以外まだ未対応だし。タグ機能はまだベータ版ってことだわさ。

WEBPicasaは、現在は非公開にしてるが、招待すれば誰でも見れるようになる。と言うか共有出来るようになる。
また、WEB上でスライドショーを見ることも出来るし、ブログやIMに貼り付ける際のアドレスまでご丁寧に書いてくれてる。
ログインしていることが前提なので、そのままWEB上から画像をメールすることも出来るし。ほんと便利。ヤバイぐらい便利。

用意されてる容量は1Gだが、現在僕が使っているのはわずか50MB程度。まあもし1Gを超えるほどになったら、そのときにFlickrも使ってみようと思う。

ただ、このWEBPicasa、画像のソートにまだ少し足りない機能がいくつかあるけど、まあそこはグーグル先生なので何とかしてくれるだろう。


ちなみに、スクリーンショットの切り出しは、FirefoxアドオンのCaptureIt!と言うのを使いました。これもまた便利。

2007年3月17日土曜日

『願って、守って、信じて、消えた』

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『夏草の線路』の歌詞は矢張り最高だ。
帰る人、過去と繋いだ未来
通り過ぎた夏の彼方
「幻」と醒めた時は呟く
夢だけが ここにある
焼けた線路 たゆとう陽炎は
ゆるやかな風を集めて
優しいかけら 残して消えた
果てしなく続く明日を待つ
いつか 幼い頃
ふたり時を重ねた夢
記憶と傷と
ここに残した レールの向こう はるか目指す

「道はどこまでも続いてく」と
あなたが差し出した手には
ここにある夢 いま 声を上げて!
大切なもの失うことも
変わることも忘れることも
今日取り戻して 笑いあえる

消えない痛み 傷ついた心
揺らめく夏草見ていた
離ればなれのレールみたいに
願いは冷たい水のよう
いつか 仲間たちの夢を乗せて走った
この古い翼と 悲しみさえも
海は静かに 時を癒す

「明日になれば夢は叶う」と
涙をこらえた手の中
ここにある夢 いま 走り出して!
願って、守って、信じて、消えた
一つの夢いつの日にか 
奇蹟呼び起こして 未来になる

空は いつも遠く
わたしたちを見つめて
ただ 光と風と
ここに残したレールの向こう
遥か目指す

「果たせない約束はしない」と
あなたが差し出した手には
ここにある夢 いま 声を上げて!
大切なもの失うことも
変わることも忘れることも今日
取り戻して 笑いあえる

2007年3月15日木曜日

『限りなく同一に近づける 追憶は狂気にも似た幻想』

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『タグ付け』と言う概念メソッドは、今後のコンピューティング技術において確実に基盤に据えられるものだと、僕はなんとなく確信する。
SBMやなんかの汎用的かつ広域なデータマイニングにおいては、今までの狭義な意味でのデータ間関連技法は通用しない。通用するのは概念だけで、半物理的な意味でのリレーションシップは使えない。

先ず、具体例を示そう。
このブログ。最近、僕はその『タグ付け』と言うやつに夢中で、投稿する記事を個別の『もの』として識別するために、要素としてのタグを付加している。
それがリンクを伴う記事であれば、『ニュース』『これはひどい』『政治』等の、その内容を端的に表すためのメタ情報。そのメタ情報のことを『タグ』と呼ぶ。
僕はこのブログでは記事一つ一つを『モノ』と見做してタグ付けを行っているが、別にそれはブログに投稿される記事に限ったことじゃない。
Picasaのウェブアルバムを利用し始めたわけだが、そこにアップしている僕の所有する数多の画像にも、今はまだ全部ではないが、『萌え』だとか『○○(←作家の名前)』等のタグがつけられている。
また、Gmailでもそうだ。僕は現在就職活動中なので、平時に比して更に色々なところからのメールを受信する。そういうときに、自動的にフィルタリングされてタグを付けるように設定しているのだ。
例えば、リクナビからメールが来たなら『就職活動』『リクナビ』、毎日ナビなら『就職活動』『毎日ナビ』と言う具合に。

タグ自体は元はおそらく商品管理に用いられていたものだと思うが、その概念がWEB上に降りて来た。

ではどういう利点があるのかと言うと、上記の例でもわかるとおり、膨大な数に上る情報をカテゴリ分け出来るというメリットが最も多い。
Gmailで顕著だが、メール一つ一つに対していくつかのタグを振り分けておくと、後々「あれはなんだったっけ」と、キーワードすらも思い出せないときに、タグで絞っていくことが出来る。
記事や画像ならば、関連するものを全て引っ張り出すことが出来る。共通するタグが多ければ多いほど、それらで絞り込まれた結果と言うのは内容的に近似する。

情報整理としての手法としての『タグ付け』であるがゆえに、デメリットと言うのはあまり思いつかない。
強いて言えば、どのタグを振るのが最も客観的に適切か、と言うところだろうか。
多数の人の持ち寄った情報をカテゴライズするためのタグなので、それは矢張り誰もが納得出来るものでないといけない。
だが、タグをつけるのが、その情報を投稿する本人であるので、やはり主観の差と言うのは必然的に出てきてしまう。

例えば、僕が萌え死ぬような画像を登録し、そこに『萌え』『これはエロイ』『ゾンビ』と言う3つのタグを振ったところで、見る人が見れば萌えはするがエロくはないし、ゾンビだけれど萌えはするしエロくもない、と言う感想を抱かれるかも知れない。
約言すれば、萌えてエロくてゾンビなように捉えることが出来るのは僕だけだという風になる。もちろん、同じ捉え方をする人間を探すという意味での、主観的近似を探す役割としては有効なのかも知れないが。
その3つのタグを貼り付けてはいるものの、実際の画像がただのゾンビ画像であったならば、『萌え』と言うタグで検索してきた人にとってみれば、それは明らかにジャンク画像であり、見る価値なしと判断され、「どこが萌えなんだよクソが!!」とのお怒りを甘受することはほぼ疑いない。

タグの組み合わせによって主観の差が生まれ、それによって内容が湾曲され、タグの各々の持つ意味は変異する。
逆に、タグ単体で見ても構成要素としてミスマッチな部分があるが、組み合わせ全体としてみれば正しいこともあったりもする。

公明正大なタグ付けを心がけたい所存。
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Wゆかりんファンタジア


ワロタwwwww
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電子マネー もっと身近に
既にサービスを開始している、NTTドコモのiD、JR東日本のSuica(JR西日本ではICOCA)、ソニー陣営のEdy、関西民鉄系のPiTaPa、JCB陣営のQUIC Pay、三菱UFJ陣営のVisa Touch/Smartplusに加えて、民鉄やバス系のPASMO、セブンイレブン系のnanaco が参入する予定だ。

電子マネーは段々加入店も多くなってきて便利になってきたけど、多すぎるんだよ…一元化しろよ…(;´Д`)
ちなみに僕はEdy。おサイフケータイだからね。
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保険証をICカード化・厚労省、2012年メド
ICカードで国が整備するデータベースに接続することで、医療機関は他の病院で受けた診療内容や病歴が分かる。
データベースに認証させるんだったら、そんなことするより生体認証で良いんじゃないですかね…(´・ω・`)

2007年3月14日水曜日

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BloggerBuzz

なんとなく見てて、このブログにアップした画像って何処にアップされるかわかってワロタ。
いやあ、前々から何処にアップされてるのか気にはなってはいたんだけど。
まさかPicasaにアップされてるとは…おかげで僕の『一人称の世界』のウェブアルバムは10枚ちょいの画像があるますよ。うひょー。

てか、ついでにPicasa2落としたけど、これヤバイwwww
ローカルの画像が一気にスキャンされて、いつでもオンライン化出来そうwww
もうこれ、オンライン上にマイピクチャ作っておけば良さそうだなあ。

2007年3月12日月曜日

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TVアニメの番組名を設定するだけで最終話まで自動録画「mAgicAnime.NET」

これは良いね。でもアニメ限定ってところがまたニッチな感じがする。普通の番組にも対応したらシェアウェアでも売れそうなんだけどなー。
でもリアルタイムでアニメを見ることはもう僕はしなくなったからなあ。デスノだけは毎週録画して翌日見てるけど、それってリアルタイム言うんかな。
本当にリアルタイムでアニメ見るのって難しいよな…ある種規則正しい生活してないと無理だ。
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最近の大学生は携帯メールでレポートを書くらしい

卒業論文提出間近に、タイピングしていたのでは間に合わないから手書きで終わらせたという逸話を友人から聞いたことがあるのだが、それに近い話?
まあ3000文字ぐらいなら携帯でも打てる。

声>>>(超えられない壁)>>タッチタイピング>携帯>手書き

だから、質としては携帯はそれなりに高い。
考えながら喋るのと、考えながら手書きで文章を書くのでは、伝え方の質みたいなのに差が出るから、携帯でのレポートはまんざら悪いとも言えないかも知れない、と個人的に思ってみたり。
面と向かって話すと説得力に欠けるようなことがチャットだと巧く説明出来たり、チャットだと面白く話せないことが携帯メールだと面白く話せたり、携帯でも伝えにくいことを手で書いてみると案外良い感じになったり、と。そういう質の違いってのはあると思うんで。

#実際僕のブログは思いつくままダーッと書いてるから質は酷いもんだ。
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電車の中は「無法地帯」 「キレる」乗客のケンカ横行
「公共の場なのに『自分の場』と思う、自分がよければいいという人が増えたからではないでしょうか。混雑している車内で携帯やゲームを平気でやったりしている。そしてケンカするのは自己主張が強い人なのかもしれません」
僕は、「自分に迷惑がかからなければそれで良い」という人が、他者の振る舞いを迷惑に感じて迷惑行為に及んでしまうと思ってるんだけどね。
まあどうでもいいけど、以前Dと東北のほうを移動中に、電車の中で三味線コンサートみたいなことをやってた芸人みたいなのがいたけど、あれも言う人が言えば迷惑行為になるんだろうなあ。あれは許可取ってあったっぽいから、退屈な電車の中で結構楽しめたんだけども。

『とりあえずこんな空の下』

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グーグルトーク+Skypeを薦める8つの理由
グーグル関係は複雑なので巧いことまとめれないけど、頑張ってみる。



オンラインアプリと連動してる

MSNメッセンジャーはhotmailと言うウェブメールと連携しているが、hotmailを使っている人のほとんどが捨てメールとして使っているのではないだろうか。少なくとも、hotmailでの登録を断る場所もあるぐらいだし、メインで使おうと思う人は少ないと思う。
また、普通に使っている人も、あのレスポンスの遅さにウンザリしたことがあるんじゃあないか。
それに、MSNはhotmailと『連携』してはいるけど、まあほとんど個別のものとして考えても良い。
対してグーグルトークは完全にgmailと『連動』している、と言うかgmailのIM機能だけをローカルに落としたものがグーグルトークなのであって、例えばgmailに載っている連絡先リストに載っている友人は、グーグルトークを起動すると自動的にチャットリストに追加されている。もちろん逆に、グーグルトークで追加した友達は、gmailのほうにも勝手に追加されている。

秀逸なのは、グーグルトークで交わした会話は、ローカル内で保存されるのではなく、オンライン上で保存されると言う点だ。

僕がたとえば友人Aとグーグルトークを用いてチャットした場合、そのログはgmail上で読むことが出来るようになる。
MSNはあくまで、会話ログはローカルにxml形式で保存されるため、チャットログはそのPCがないと確認出来ないし、HDDがクラッシュするとログは全部飛ぶという衝撃の事態になってしまう。

ロケーションフリー

上記で、gmailとグーグルトークは完全に連動していると書いた。
これは、gmail上でグーグルトークと同じことが出来る、という意味にもなる。つまり、ブラウザ上でチャットが出来るというものだ。
MSNにも、ウェブメッセなるものがあるが、重くてあんまり使う気が起きない。
gmailはいつも軽快で、操作も簡単で、使っているという感覚すらなくチャットを行える。

ローカルアプリとしてのMSNメッセンジャーは、そのアプリケーションが入っているPCでしかチャットを行えない。

しかし、グーグルトークがないPCでも、gmail上で過去ログを参照しながらチャット出来る。

先にも書いたが、ウェブメッセをわざわざつけてチャットすることと、gmailのついでにチャットをするのでは、使ってみればわかるが手間が段違いになる。

メモリ使用量の大きな違い

ロケーションフリーを前提としているためか、グーグルトークは非常に軽い。
僕が試してみたところ、一人とチャットしている状態での使用メモリは、タスクマネージャーによると

MSN:58000
グーグルトーク:25000

と、2倍以上の差が確認された。
参考までにSkypeも見ると

Skype:37000

だった。
ちなみに、

photoshop:82000

MSNはただのチャットソフトの割りに重いのだ。
マシンスペックの低いPCや、あるいはヘヴィーな使い方をしているときの片手間にチャットをしようというときにはイライラを覚悟しなければならない。

でもMSNにもメリットはある

ここまでMSN叩きばかりしてきたわけだが、グーグルトークになくてMSNにあるような良いところも多い。
たとえば

・グーグルトークにはファイル転送機能がない
・グーグルトークでは複数人チャットが出来ない
・MSNほど多くの機能はない(ゲームとかお絵かきとか)

例えば何人かでチャットするときなんかは、グーグルトークよりもMSNのほうが向いている。確かにそのとおりだ。

が、ここで注意しておきたいのは、グーグルトークはまだ『ベータ版』ということである。

また、次に紹介するSkypeと使い分けることによって、さらに便利になる。

Skypeは最強

先ほど、グーグルトークがMSNに劣っている点を挙げたが、それらに関してはSkypeを使うことによって、MSN以上に快適な作業が保証される。

Skypeのファイル転送には帯域制限がない。もちろん、Skypeのウリである音声通話をしていると転送速度は遅くなるが、通話を切れば転送速度はかなり速くなる。

僕が光ファイバー、友人がADSL10Mで、僕から600MB程度のファイルを送ったんだが、転送終了まで10分かからなかった。
MSNのファイルは転送速度が少し遅いこともあるが、どっかの記事でも証明されていたとおり、Skypeはファイル転送においては圧倒的優位を誇る。

次に複数人チャットについてだが、個人的な感想を言わせてもらえば、Skypeの複数人チャットのインターフェイスはかなり見やすい。
また、そのまま複数人で『音声会議』も出来る。ボイチャに関しては後述。

ファイル転送・複数人チャット、この二点だけでも、僕はSkypeに軍パイが上がると判断する。なにより、先述したメモリ使用量の違いも大きい。

ボイスチャット

MSNとグーグルトークのボイスチャットはほぼ同機能同音質だ。軽快さや利便性という意味でグーグルトークが有利になる程度である。

が、Skypeのボイスチャットは、さすが本家というべきか、ずば抜けている。もう説明不要なぐらい。
そしてMSNやグーグルトークはタイマンでのボイスチャットしか出来ないが、Skypeは複数人でのボイスカンファレンスが可能になるので、それが大きい。

一アカウントに対しての利便性

ここからはチャット以外の話になる。
先ほども言ったように、MSNは基本的にhotmailの登録を済ませていることが前提であり、そのhotmailと言うのはhotmailでしかない。
Skypeにしても同様で、別途料金を払えば固定電話や携帯電話にかけることが出来ると言う、普通の電話と変わらない機能を付属させることも出来るが、別途料金を支払わない限りは、所詮はチャットソフトのままである。

が、gmailアカウントは違う。否、グーグルアカウントというべきか。
グーグルのアカウントをひとつ持っていると、グーグルから提供されるあらゆるウェブアプリが無料で使い放題になる。
僕なら dogsrepublic@gmail.com で、gmailを酷使し、グーグルトークでチャットし、Bloggerでブログを書き、カレンダーでスケジュールを登録し共有し、スプレッドシートで友人たちと共同でひとつのエクセルシートを作り、同様にDocsでひとつのドキュメントを仕上げ、Firefoxエクステンションと連動して google notebook に逐次共有メモを残すことが出来・・・等々、さまざまなことが一アカウントで行えるのだ。

『MSNに代わるチャットソフト』としての位置づけでは、グーグルトークは語れないのだ。

細かいことだけど

MSNメッセンジャーの状態表記というのは、『オンライン』『一時退席中』『退席中』『取り込み中』『電話中』『オフライン』だが、グーグルトークではそれらの状態表記を自分風のカスタマイズメッセージに出来る。だから僕なんかはしょっちゅう『スタクラ中』と表記する具合になる。

また、会話ウィンドウ内のメッセージの表示方法も、7種類ぐらいの中から選ぶことが出来る。

さらに、グーグルトークでの自分のHNはgmailで登録されているものに固定されるのだが、相手のHN表示はこちらで自由に変えることが出来る。
これはMSNに比べると良いのか悪いのかわからない。僕は結構HNを変えて遊ぶのが好きだから。

って感じだけど


グーグル信者丸出しな内容だったが、信者云々は抜きにしても、この汎用性の高さ、総合的に見た機能性の高さは目を見張ってくださいって感じのものがある。。
だって、今言ったような内容で、またほとんどのウェブアプリは『ベータ版』なんだし。
ちなみにこのブログも、グーグルアカウントで使えるウェブアプリの一つだ。

昔に比べてチャットって言う位置づけが変わってきたことは僕の中で間違いない。
用事があるなら携帯メールで済ませる。
重要かつ長い話なら、電話か、直接会って話したほうが早い。
つまるところ、チャットを起動しても、たいていは他愛のない世間話とか、ファイル送信にぐらいしか使わなくなってきたのだ。
そういう風に色々考えてくると、MSNメッセンジャーを使い続ける理由というのがよくわからなくなってくる。
MSNを使い続けるというのは、MSNがチャットソフトとしてのデファクトスタンダードだから、という理由に他ならない、と僕はほぼ確信出来る。
例えば、グーグルトークやSkypeでMSNのチャットリストを表示し会話出来るなら、僕は迷わずMSNメッセンジャーをアンインストールする。
MSNでしかチャットが出来ない人が多いからこそ、そう簡単にチャットソフトを乗り換えることが出来ないのであり、逆に「乗り換えたら?」と進められる人の立場に立って考えてみたら、上記で並べたような利点なんてどうでもよくて、ほとんどの人は「チャットが出来ればなんでもいい」と思ってるに違いないのだ。
だからこそ僕は表立って薦めることが出来ないし、グーグルアプリのすごさを力説したところで「ふーん」ぐらいの感想しか貰えない。

でも、さっき書いたように、グーグルトーク諸々を、『MSNに代わるチャットソフト』として語ることは出来ないのだ。だから解ってもらいたいのだが、所詮そんなウェブアプリなんてのは普通の人は使わない。学生であれば尚更。

極端な話、そこにあるのはいわゆるギーク的なこだわりであって、他者に押し付けるようなものではない。
少し話は戻るが、MSNのチャットリストにいるような人なんて、半分以上が携帯連絡先を知っているような人であり、恒常的にチャットする人なんてやっぱり限られてくる。逆に、誰とでも恒常的にチャットするような人なんてのは、それこそ暇人だけだと思う。
で、他愛のない世間話以外は、携帯で済ませてしまうことも多い…。いや、ちょっとした会話すらも携帯であって、わざわざメッセをつけることもない。
つまり、MSNにいる理由が、「何人かの限られた友人たちと世間話をするため」と言うものに置き換えて差支えがなくなっている。
となると、同程度のことが出来ながらも、サービス的にもパフォーマンス的にも優れたものに移行することはそんなに変なことではないと僕は思う。
優れたサービスがありながら現状に甘えるのは、思考の硬直、惰性に他ならないとまで思ってしまうが、そんな感想はやっぱりギーク的な思考なので大きな声では言えない。ほとんどの人にとっては「チャットソフトなんて別になんでもいい」のだから。

2007年3月9日金曜日

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続いて、『夜桜四重奏』から、町長。
この漫画も結構面白い。魅せる漫画だね。
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SUPERNATURALからディーン。
うん、似てるとか似てない以前の問題なのはわかってるから何も言うな。そもそも僕が男キャラ描くこと自体が稀なんだから。
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ああ、なるほど。とあるコメントを読んでピンと来た。
もし家庭に、全自動で掃除を行ってくれるロボットが普及したとき(今でも簡単なものはあるが)、それでも学校では箒と塵取を持って掃除をすることを続けるのだろうか?

なーんでもでーきちゃうバット エスカリボールグー

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('A`)

昨日、とある会社の説明会&一次選考として適正試験やったんだが、途中からやけに頭痛が酷くなって、帰宅して飯も食えず布団でのたうちまわった挙句20時ぐらいに意識飛んで目覚めたら朝だった('A`)うん、PCも切らず徹夜で夢見てた。
やることあったのに何もやってねえ('A`)
まあ今からやるけど。

適正試験っても、知識を問うような問題じゃなくて、「文字列の規則を見つけ出して次の文字を当てる」だとか、「絵の規則に基づいて次の絵を推測する」だとか、中学1年生レベルの算数の問題だとか、どちらかと言うとIQテストみたいな雰囲気が強かったので面白かったな。IQテストっつーと、前に身内でやったとき僕はIQ118だか9だかで一番低かったんだよな。まあ音楽聴いてた所為で集中出来ませんでしたァ!って言う言い訳もあるんだけど。
僕は考え事をするとき右下の方を向いて考えることをこないだ自覚した。これって右脳を使ってる証拠なのか?!右脳って非言語系なんだよな。つまり僕の考え事は概念操作に近いということか。注)この結論は短絡です

今日でひとまず学校は終わりだが、僕の手帳は就職関係のイヴェントで一杯だ。長崎に行くとかどうとか言ってたけど、かなわねえ。無理。

<勉強>
・確定拠出型年金
 第三者機関から寄与される、月次手当て型の金。現在では、退職金制度を廃止し、これを導入している会社も多いらしい。
 理由:退職金の大前提が、その会社が『存在している』ことであるため、つまり会社がなくなってしまえば退職金に大きく関わるということ。それを防ぐために、ある種前払いと言うような形で定期預金されるとのこと。

2007年3月8日木曜日

ねこにゃんダンス ねーこにゃんダンスー ねこにゃんダンスッ!

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2巻が出たのでP嬢に借りた。これ段々面白くなってきたぜ。最初はなんか業界事情を軽いノリで描いてるなあって感じだったけど、それってバイト女子高生に優しくしてる視点に過ぎなかったのかッ!って感じで、徐々に厳しい側面が露になってきてオモロ。次巻ではデスマーチに参戦したりするんだろうか…。
MATSUDA98さん可愛いよMATSUDA98さん。

+++

昨日うちに姉の飼ってるロシアンブルーが遊びに来たんだが、うちにいるシェルティーをめっさ怖がって猫にゃんパンチ!「ギャイン!」と大袈裟な悲鳴をあげて逃げるシェルティーでした。ミニチュアダックスには興味は示しても警戒はあんまりしてなかったのになあ。やっぱり体格のデカさの問題なのでしょうか。でも猫好きなのにアレルギーな所為で触れない僕ガイル。
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日本の小学生、将来への期待少なめ…日中韓調査で判明

お国の事情が違うから同じ土俵で語るのがおかしいと思ったりもするけど、国内の内政問題として捉える限り、大量労働社会時代を送った団塊世代、そのJrとしてバブルの恩恵を受けたバブル世代、バブルがはじけて就職氷河期だといわれて今なおニートやフリーターの数が多いとされる氷河期世代、そして僕ら以下の世代、となるわけだが、そうして世代別に見たときの歪がこの調査の結果なんじゃないかな、と思っちゃったり。
この調査の結果を悲観的に捉える人は、少なからず「なんで勉強が良い将来に直結しないんじゃないか」って言う、少し上の世代の価値観に基づくものを持つ。
うーん、全体を分析することなんて出来ないよな。どうしたって、総論としていったときには、「平たく言うと」ってことになる。で、この場合平たく言うと、「今の子供は勉強が将来の安定を保証するものじゃないって思ってる」、ってことになる。でもこれはおかしな話で、小学生と言っても6歳ぐらいから12歳ぐらいまでいるわけだし、そんな年齢の子が社会の現状に対してどうこう言える思考力を持ってるとも思えないし、そうなると、この結果ってのは小学生の社会観に関する調査結果なのではなくて、親が子に対して教えている「自分たちの教訓」と言うことに他ならないんじゃないかってワケだ。
で、現在の小学生の親は、どのくらいだろ、うちの姉ぐらいの年齢か。ちょうど30~35あたり。レンジを伸ばすと30代全域ってことになるんだが、上記で言うところの氷河期世代、つまりバブル崩壊を目の当たりにして、リストラで色々なものが崩壊していく様を目の当たりにしているということだ。その頃僕は小学生だったから詳しいことはわからないけれどもね。
「今の努力は将来結実しない」と言う悲観論は、穿った見方をすれば「望むことがない」と言う贅沢論になる。少なくとも都心部に住んでる人の半数が、本当に「今何したってしゃーねーよ」って風に諦観漂わせてるのか?そんなわけはない。諦観と言うなら、「もう何もすることがないよな」と言う食傷気味なニュアンスのほうが正しいんじゃないかと僕は思う。ありていに言えば、物質的豊かさと精神的飢餓。

あーこれまた何言ってるかわかんなくなってきたな。
そもそも社会的現象を個人レベルまで落として語ろうとするのが間違ってるんだよな。そこに統計の罠がある。統計で示される数値と、個人の意識レベルってのは必ずしも一致しない。と言うか、特にこういう意識に関する統計ってのは真に受けちゃいけないんだけど、ある種の指標になることも確か。
だから、大袈裟に言ってアジテートすることだって難しくはない、と言うかマスメディアと言うのは概してそういうプロパガンダ的な側面があるわけだが、個人が社会的統計を持って他人を批判するからおかしくなるんであって、特にそういう抽象的な統計の場合は少なからず自分の意識を変革させることが重要。

まあ、権力のない一個人の出来ることっつったら、周囲の人が奈落の底に落ちないように見守ることぐらいだ。社会を変える前に周囲を変えろってわけだな。

2007年3月7日水曜日

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「文章ヘタ」でも「自分たちと同じキモチ」…ケータイ小説、女子中高生に超人気
4 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/03/03(土) 14:37:49 ID:ZsXeAsYO0
>自分たち同じ体験をしている

小説に「共感」を求めてるのか…
共感が人生にいったいどれほどの価値があるというのだ
まったく同意。
小説を読む醍醐味って全然違う切り口からの視点であったり、考えたことないような論理展開、自分とは違った価値観に基づく解釈等を楽しむものだと思う。だから僕って小説を速読することが出来ないんだよ。評論系の新書とかだったら、基礎事実とデータによる分析が大半で、あとはちょっぴり主観があるぐらいだから、読もうと思えば立ち読みで40分ぐらいかけたら読めるってもんなんですけど。

2007年3月6日火曜日

『ねじれた味のラズベリー!』

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数日前に『毎日就職ナビ』に登録して、自己PR文をこのブログの戯言を書いてるみたいにだらだら書いたら、一日10件ぐらいドラフトメール来るんだけど、毎日就職ナビに登録してる企業ってそんなに人材不足なのか?それとも超売り手市場といわれてる煽りか?って思う。聞いたことある企業1:聞いたことない企業9ってところかしら。
まあまだ3月頭だし、今は名の知れた企業だけを念頭においていれば良いというのが僕の所見…と言うのも、僕にはある程度の目標みたいなのがあるからだ。具体的には言わないけど。あえて批判的に言うならば、僕の目標を達成出来る可能性があるならば、ベンチャー企業でも構わないっちゃあ構わない。
だけれど、転職が当たり前(特にこの業界は)なこの時代に、初っ端からベンチャー企業に入るのは、つまるところ僕にとってリスクしか見えないわけで。もしベンチャーで成功と言うのがあるのなら、それは精々大企業に買収・あるいは提携することぐらいしか思いつかない。そして、どの道転職、あるいは自立と言う道が視野にあるのなら、前職となるのが名もないベンチャーよりかは名の知れた大企業と言うほうが強い。もちろん、今で言うと不二家みたいに、一晩で没落の道を歩むような大企業もあるわけだから、その辺はしっかり選ばないといけないけど、そこさえちゃんとすれば、大企業に勤務していたという実績はどう転んでも強みになる。仮に前述したような道を何らかの理由で諦めたという場合でも、社会的な保証は小さな会社よりかはある。大きな企業であればあるほど、外聞と言うのがあるからな。
また、僕はこれからの日本社会は完全に淘汰の時代に入っていくと思っている。それは国内的な問題ではない。グローバルな問題としてだ。
元々人的資源以外なんの資源も持たない日本が、あらゆる紙面で問題になるぐらいに人材教育をしてこなかった上、BRICsなんていう21世紀丸出しの国々が押し寄せてくるわけだからな。「英語の勉強はしといたほうが役に立つよ」なんていうレベルじゃもはやない。特にIT業界からすれば、もはや死活問題になる。
よって、僕は僕の意見に従って就職活動を行う。ちなみに某大企業の一次面接は通過した。面接は得意なので安々と落ちる気がしない。自己PRなんかはいつも自己嫌悪してる自分のことを言えばいいだけだし、展望や希望なんかを聞かれてもいつも考えてることを口にすればいいだけだ。何も臆することはない。悪友と話してるほうがよっぽど頭を使いそうだ。

『どんな容易なことにさえ 自らを閉ざして 気付けないこともあるのだ』

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これからの時期、本屋にはズラリと『絶対受かるSPI対策!』だの『面接必勝法!』だのが並べられるのだが、ああいうものが売れる理由が(少なくとも買う人はいるだろう)、僕にはよくわからない。
SPIに関しては概して知識を問うようなものだが、これは普段から新聞読んだり、基礎学力があれば普通に解けるようなものがほとんど。とは言え、まあ例えば理系の人なんかにすればアショカ王がどうのなんてサッパリだし、文系にとってはmol係数なんてサッパリなわけだから、そういう意味じゃ買う理由にはなるんだろうけど、でもだからと言って高校の参考書と同じと見做すべきものでもないと僕は思うわけだ。単にレベルで言えば高等教育で学ぶ内容のほうが確実に上だからだ。SPIなんてむしろ基礎知識を問うものに他ならない。だからSPIの問題集を買って徹夜で俄か勉強してる人ってのは今まで努力してこなかったってことだ。と言うか、『社会人としての基礎学力・知識』を問うためのSPI試験で、学生らしい徹夜俄か勉強をするのって、思考力ないよな、って思う。最低ラインが『身についてるか』どうかを試すものなのに、すぐ忘れてしまうような勉強の仕方をしても後で苦労するだけなのにな。まあ、そういう『努力して切り抜けることが出来る』と言うことが大事なのかも知れないけど。モノは言い様だね。でも学力や知識の本質は継続にあると思うんだけどな。

…ごめんなさい、自分の基礎学力の無さを棚に上げて理想論を話してましたorz
んでまあ、一番悩ましいのが面接必勝法。面接の必勝法なんてのがあったら面接で落ちるのはよっぽどの駄目人間だ。マニュアル化されないのが人格ってもんなのに、それをマニュアル化しようとしてどうするんだと。らしさやアイデンティティってもんがないのか君らはと。面接官に対してある程度自分を飾るのは当たり前だ。だが、そのメッキがマニュアルであるのは僕的にはよろしくない。そのメッキは個々人が持つ愛想や世辞であるべき。面接のときにコミュニケーション能力を見ると言うのが正しい見解であるならば、やはりメッキは薄いほうがいい。言葉を『選んでる』のと『読んでる』のって、見る人が見ればすぐ違いはわかるからね。まあ、元来僕は誰に対しても愛想が良いらしい(だから人付き合いが面倒になるわけだが)ので、そういう意味で言うと「面接なんて普通通りに行けばいいんだよ」なんていう面接のマニュアル化に対する批判ってのは所詮は強者の論理なのかも知れないけれど。あーもう偉そうなことを吐いてる自分に自己嫌悪だ畜生。自己分析・客観分析を行った後に批判が多く出るのは性格の悪い証拠。

『生まれてくる朝と 死んでゆく夜のRoman』

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SUPERNATURALの4話ぐらいで出てきた、鏡の中に住む怪異である『ブラッディ・メアリ』。お勉強の合間にゴシゴシと。
久々に絵とか描くとダメだなー。毎日とは言わなくても時々描くようにしよう。。。

2007年3月5日月曜日

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アドビ、「Photoshop」をウェブアプリ化へ--無償版として提供予定

うん、かなりいい具合になってきた。
様々なアプリケーションがWEBアプリとなる流れの中では、そのアプリケーションの開発能力よりも、それらの運用を支えるものの存在が重要視されるようになるだろう。
と言うより、ウェブアプリをブラウザ上だけでやってのけるという発想には、実現性に限界がある。ウェブアプリの台頭、と言う観点でのみ論じるならば、次に起きうる革命は、ブラウザではないインターネット接続ツール、だろう。

インターネットと言うものが、『情報を得るためのツール』から、必要なタスクをこなすためのアプリケーションを利用する媒体へと変化する。
そうなると、益々『ネットワーク』『セキュリティ』『DB』と言う三本柱が太くなってくる。
そして、変化が非常に早く、相当に複雑化したプログラミングにおいては、横並びの共同開発と言うものが主流になる。アジャイル開発。

フフフ、面白い時代になってきたものだ。

2007年3月4日日曜日

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頼ることと甘えることと利用することは、現象的に見れば同じことだと思う。
問題は、誰が誰にどう伝えるか、であって。
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春は学びのシーズン――いまチェックしたい電子辞書

電子辞書の恩恵を受けたことが一度もない僕が来ましたよ。
一時期持ってたけど、ていうか学校に持っていったりもしたけど、普通の辞書を引くほうがよっぽど良いと思って電子辞書は使わないことにした。
でも最近のって当然ながら高性能なんだよなあ。英和・和英・国語辞典だけじゃないみたいだし。
まあ、同じ調べるなら電子辞書よりも、ネットに接続出来るウェアラブルデバイスが登場するのを僕は待つけどね。
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YouTubeにBBCチャンネル登場

やっぱり
googleは
機を見るに敏だ
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NTT東西、次世代ネットに300億円

NGNってイマイチよくわからない。電話網にただ代替するものでもなく、かと言ってインターネット2のようなものでもなく・・・。

2007年3月1日木曜日

『運命よ、お前が私の瞳から光を奪おうとも、この唇からは、歌を、奪えない』

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夜に考え事をしていて鬱々とした気分でマイナス思考にしかならなくても、一晩じっくり徹夜で夢なんかを見てみると、そのマイナス思考が馬鹿げたものに思えるというのはよくあること。
だから、夜に考えたことを実行するのは得策ではないという結論に至るわけだが、毎晩毎晩同じ結論のマイナス思考に至り、次の朝には一笑に付すという毎日を繰り返すのはとても疲れることだと思う。どうにもならない。
人生は、不条理だ。